猫兄様にお願い
1 猫兄様にお願い
アリエス王国第一王子の頭には、“猫耳”が生えている。
これは、王国公認の事実である。
因みに、王子の髪は、艶やかな青灰。
目は青と金のオッドアイ。
肌は白磁のよう。
気になる尻尾は。
長めの青灰で、先っぽだけ、ちょっと白い。
それ以外は普通の人間、という見た目。
ただ、身長は十歳程度の子どもくらいしかない。
あと数か月で十八歳の誕生日を迎えるとは思えない愛らしさだ。
ここまで聞くと、癒し系なのだが。
思わず頭を撫でようとすると、ひょいっと避けられ、氷の眼差しで睨まれる。
更に怒りが勝ると。
青灰の尻尾で、叩かれる。
前者は、嫌われたようで、ちょっと辛いが、後者は、全く痛くないので、寧ろ“ご褒美”に分類されている。
更に王子は名前を付けられる事を嫌い、皆からは『猫兄様』と呼ばれている。
この辺までは、誰もが知る、周知の事実だ。
だが。
ここからは、王宮に仕える者しか知り得ない極秘情報。
まず、王子は産まれてから一度も、言葉を発した事が無い。
文字も絵も書かない。
だが、こちらの言う事は理解しているらしく、大体において、話し掛けても無表情か、酷く嫌そう。
人見知り、のレベルを超えた人嫌い。
体は小さいが、態度はデカい。
得意なのは、人を見下した態度。
父王や、母妃、王族であっても、容赦なく尻尾で叩き、ツーンとしている。
まぁ、これは“ご褒美”の一種だけれど。
とにかく“性格”は。
感じ悪ぅ・・・・!
の極み。
・・・救いは、喋らない事と、やはりその見た目だろう。
それに。
幾ら猫兄様を怒らせようと、猫兄様には、誰かに伝える為の文字が書けない。
腰に下げた剣を抜く力も無い。
剣の鞘を持った事のある従者の証言によると、「もの凄く、軽かった」との事なので、恐らく見た目だけ豪華な金メッキで、中身は空だ。
猫兄様は、武芸も(非力)、お茶会も(猫舌)、ダンスも(運動音痴)大嫌いだ。
フカフカした第一王子専用の豪奢な椅子に足を組んで座り、皆を睥睨するのが唯一の趣味。
感じ悪ぅ・・・!
なら、放っておけば、と思うかもしれないが。
この猫兄様、王国存亡の危機に関わる程、大事で厄介な存在なのだ。
なぜかというと、王が、民が祈って、神から授かった天使・・・と思われる存在だからである。
通常、祈りによって産まれてきた天使は、産まれた瞬間に〇〇神の使いだと名乗り、その加護を与える代わりに、〇〇神の神殿等を作らせ、崇めさせる。
ここだけ聞くと、イカれた宗教団体の戯言のようだが、地上に天使を送り込んでくる神の方も、考えている。
分かり易く、産まれてくる天使に翼を授けて地上に産み落とすのだ。
これは、マジで分かり易い。
後は国を挙げて、産まれてきた翼のある天使を捜して保護。
更に天使の選んだ王子を王に就けると、国が大繁栄する、という分かり易いシステムだ。
ただ、デメリットが一つ。
天使が、天寿を全うする前に殺されると、神の怒りを買い、国が消滅する。
一か百かしかねぇのか、オイッ。
と突っ込みたくなる危険な賭けだ。
それでも、恩恵の方が大きいと、今では、ほぼ全ての国がこの儀式を行うので、我がアリエス王国も、周辺諸国同様、神に祈る儀式を行った。
その結果として。
翼を持つ赤子は産まれて来なかったが、猫耳を持つ、『猫兄様』が、よりによって王家の第一王子として産まれて来てしまったのである。
その際、驚いた母妃は気を病んで離宮に引き籠ってしまった。
夫である王も、正直、“ちょっと失敗しちゃった感あるな”と思ったらしい。
ただ、国民に対して大っぴらに「失敗しちゃった」では済まないし、何事も無かった事にして猫兄様を殺すにしても、本当に神の使いだった場合は、国が滅びてしまう。
どちらにしろ、「てへッ」では済まない事態だ。
苦肉の策として「猫なんです、うちの第一王子」という発表で今まで乗り切って来た。
猫兄様も、「貴方は神の使いですか?」という問いには、嫌そうにしながらも頷き、「どの神の?」という問いには、ツーンと顔を背けて、答えない。
感じ悪ぅ・・・。
と、皆思ったらしい。
猫兄様の所為で。
全てが、前代未聞。
アリエス王国は、今のところ神から何の恩恵も受けないまま、凡庸な国として細々と存続している。
天使が王を選べば大繁栄、なのに、このまま猫兄様が誰も選ばずに居座り続けると、その内、第一王子である猫兄様自身が王位を継いでしまうという、訳の分からん事態になってしまう。
その為臣下は、「この頃ギックリ腰が酷いんじゃ!」と引退したがっている王を、無理矢理王座に座らせ続け、猫兄様の即位を阻止している。
が、それも、いつまでもつか分からない。
「もう、猫兄様が次の王様やればいいじゃん!」と痛みでイライラする王が周囲にぼやき出しているからだ。
このところ、王宮内が騒がしいのはその所為だ。
アリエス王国には、“自分が、猫兄様に気に入られて、王に選んでもらえばいいんじゃね?”と考える異母兄弟が四人。
日々、猫兄様に選ばれようと試行錯誤している。
「あの糞猫・・・何とか言う事を聞かせられないか?ビースト使いは、何と言ってる?」
ある王子は力ずくで。
「たかが猫。されど・・・マタタビは効かなかったし、猫じゃらし作戦は、行う前にツーンを顔を背けてしまわれた。本当に、厄介な・・・。」
ある王子は飼い猫扱いで。
「皆、バカだなぁ。何かと病名を付けて、幽閉すればよくない?そこで、僕を王にするって書面に、手形を押させればいいんだよ。あいつ、弱いし。後は一生、幽閉だ。」
ある王子は狡猾に。
だが、俺は違う。
俺は王位より、猫兄様自身が欲しい。
幼い頃、王宮で一目猫兄様を見た時から、猫兄様が欲しいと思った。
猫兄様も、なぜか俺の事をじっと見詰めていたし。
これは、脈ありなんじゃない?
と、口に出すと、優秀な俺の執事は「はッ。これだから、恋愛初心者は」と肩を竦めやがった。
確かに・・・・この気持ちを言葉にするには・・・少々、俺は陰気で、どちらかというと不細工の方に傾いた顔で、母の身分も低く、後ろ盾も金も無い。
今は国の一番端にある痩せた領地を父王からお情けで与えられ、細々とワインを製造をして生計を立てている・・・。
「武力で他の王子を制圧してしまえる程の財力は無いですよ。そもそも、こんな辺境から登城するのにも、金がかかって、頻繁には通えないくらいですから。」
窓から、見えるはずもない王城の方を眺めていると、執務室の奥から、算盤を弾く執事の淡々とした声がする。
分かってるつーのッ、そんくらい。
「送り込んだ、メイドの方は、どうだッ?」
「何、格好良く息巻いてるんですか。人手は一人でも惜しいのに。エリオット様が、どうしてもっていうから、仕方なく送ったんですよ。」
小言が返って来た。
だから、そんな事は分かってるッ。
「首尾を聞いてるんだッ。」
「はぁ。またそれですか?メイドからの手紙は、貴方も読んだでしょ。それ以外の情報とか、無いですから。」
俺の情報網って・・・薄っぺら。
「正直、エリオット様は、猫兄様から嫌われておりますので、あまり期待なされませんよう。」
算盤から顔も上げずに、俺の優秀な執事が言う。
何て奴。
俺の味方なのか、そうじゃないのか、どっちなんだよッ。
・・・・確かに、俺が以前、できる限りの財産をつぎ込んで贈った豪華な宝石付きネックレスは、猫兄様に跪いて差し出すも、無表情で眺め続けられ、結局受け取っては貰えなかった。
その後、護衛の騎士が駆けつけ、宝石の入った箱ごと取り上げられた挙句、俺はなぜか、地下牢に三日程ぶち込まれた。
俺、一応、王位継承権のある王子なんだが。
牢屋にぶち込まれた理由は、俺がたまにしか登城しない上、あまりに陰気で、古臭い服装だったんで、猫兄様を狙う不審者と疑われたから、らしい。
俺の優秀な執事が奔走してくれなければ、その後、厳しい拷問に遭うところだった。
笑えない。
何度も言うが、俺、王子だぞ。
・・・・・・それに、欲を言うなら、助けてくれても良くないか、猫兄様。
いや、待て。
猫兄様は、喋れない。
俺は気を取り直し。
その後もめげずに、紳士らしくお茶会の誘いを手紙で送ったが、返事は無かった。
猫舌だと聞いて、アイスティを出す、とまで書いたが、ダメだった。
猫兄様は字が書けなくても、護衛の騎士が代筆するくらい、できるんじゃないのか?
と考えていたら、王城から猫兄様への「不敬罪」という罪状で呼び出しが掛かった。
俺は喜んで王城に向かおうとしたが、優秀な執事が慌てて謝罪文を書き送り、俺を止めた。
なぜなら、「判決によっては、死刑」と書き添えられていたからだ。
え?俺、猫兄様をお茶に誘っただけなのに?
・・・・執事の言う通り、俺は猫兄様に嫌われているのかもしれない。
見た目も、他の王子みたいに金髪でキラキラしてねーしな。
雨の日、縮れがちな黒髪に、黒い目。
人手が足りない時は一緒に農作業する荒れた手に、茶色く日焼けた肌。
・・・一応、王子という肩書があるにもかかわらず、女にもてた事の無い顔・・・。
「いや、寧ろ、ご自分に好かれる要素がほんの少しでもある、と勘違いしてらっしゃる時点で、何で?ってなりますけどね。」
「いや、お前の方が、何で?だろ。」
執事は優秀だが、主君である俺に対して、口の利き方がなってない。
「でも、あれは痛快でしたね。」
「?」
「猫兄様に、“猫の首輪”を贈った時の、猫兄様の反応ですよ。」
ははは、と感情の籠らない声で、執事が器用に笑う。
「止めろ。それ、黒歴史だから。」
「え?エリオット様に、黒歴史以外、あるんですか?」
「疑問形、止めろ。うぜぇ。」
俺は溜息を吐いた。
猫の首輪は。
俺の動かせるほぼ全財産をつぎ込んだ宝石も、お茶会の誘いも、全てに死刑対応してくれた猫兄様に、俺が当てつけで贈った物だ。
もう俺には、登城して渡すだけの財力も無く、また、首輪に付けられるような宝石も無い。
ただの、絹の青いリボンに、安物の鈴。
非情な猫兄様に対する、俺なりのメッセージだ。
だが、それには、猫兄様から返答の品が返って来た。
「エリオット様が喜んで開けたら、中には干からびた毒花が一本、入っていましたね。」
「どうあっても、死ねって事か。」
「ウケるんで、止めて下さい。」
「煩い。黙れ。」
それ以来、俺と猫兄様との接点はほぼ無いのだが、父王がギックリ腰になってからというもの、他の王子が全員、自分達の息のかかったメイドを、猫兄様の近辺に潜り込ませていると聞いて、いてもたってもおられず、俺もメイドを送り出した、という訳だ。
俺の送り出したメイドは「エリオット様の所から来たメイドだと知れたら、死刑になります~」と怯えていたが、今のところ、生きている。
毎日猫兄様と城内の様子を記録し、纏めて一週間分、俺宛てに送るよう命令しておいたが、そこに書かれていた内容によると、猫兄様は、護衛の騎士も、メイドも、誰も信用していない様子だった。
自室は二重になっており、護衛やメイドが入れるのは一番目の部屋まで。
奥の寝室は、誰一人立ち入り禁止だそうだ。
「ああ、そう言えば、今週分のメイドの手紙、届いてましたよ。」
「それを早く言えッ、」
「だって、どうせ、同じような内容か、死刑宣告ですよ。」
「サラッと怖い事言うなッ。」
俺の一途な想いに無関心な執事が差し出したメイドの手紙を、受け取ってペーパーナイフで開封。
一日目。
“ヤバい。猫兄様に私がエリオット様の領から来たメイドだと、バレた、死刑にされる”
二日目。
“私がいつ死刑宣告されるのか、他のメイド達が賭けをしている。詰んだ”
三日目。
“護衛の騎士たちまで、賭けをしているようだ。詰んだ”
俺は手紙を捲りながら、どうせなら猫兄様の様子とかを書いて欲しいんだが、と思う。
四日目。
“エリオット様を、恨んでやる・・・呪いの藁人形で”
「怖い。怖いって、」
俺が呟くと。
「煩いんで、独り言は止めて下さい。」
と執事が文句を言い、俺は黙って続きを読む。
五日目。
“王様のギックリ腰が酷くなり、本日の公務は中止。第一王子であらせられる猫兄様が代わりに公務を代行。判子を押すだけの仕事のようだが、猫兄様はじっくり内容を精査しておられた。特に、猫兄様は一枚の紙をじっくりと読まれていた。それは、隣の大陸で起こっている戦争について”
「漸く、まともな内容だ。」
「どんな?」
興味無さそうに、執事が尋ねてくる。
「ついに父王も公務が難しくなってきたようだ。」
「それは、マズいですね。猫兄様を取り合って、王子同士で内乱が起こるかも。そうなると、真っ先に殺されるのは、兵力も、ろくな城壁も財力も無い、エリオット様でしょうね。」
「他人事みたいに言うな。お前は俺の部下だろ。」
「とんだハズレくじを引いてしまいました。」
「最低だな、お前。」
「エリオット様に褒められても、嬉しくありません。」
「褒めてねーからッ。」
俺は続けて六日目を読む。
“今日、猫兄様から、こっそり紙片を渡された。死刑宣告だと思った。”
「いや、どんだけ怯えてるんだよ。」
手紙には、続きがある。
“一人の際に開いたら、文字を切り貼りした手紙が入っていたので同封する”
「え?猫兄様から直接の手紙?」
「死刑宣告ですか?」
それまで算盤を弾いていた執事が不吉な事を口走り、椅子から立って、手紙を覗きに来た。
そこには。
“こ・い”
「鯉、ですか。所詮、猫ですね。」
「“所詮、猫”とか言うな。せめて、恋、だろ。」
「妄想、楽しいですか?」
「マジ、黙れ。」
俺は、七日目の手紙を見る。
“城内が、騒がしい。猫兄様が攫われそうになり、なぜか護衛の騎士同士が殺し合いになった。猫兄様は怯えて、自室に閉じ籠られた”
俺は手紙を読むや、「早馬を出せ」と執事に命じる。
「分かりました。私もお供します。」
珍しく執事が、素直に俺の命令に従う。
「お前、どっか頭でも打った?」
一応、確認しておく。
「冗談を言ってる場合じゃないでしょ。」
「だな。俺はロープとナイフを用意して行く。」
「そうして下さい。どうせ、内乱になって死ぬなら、最後は自分の主君にベットしたい。時に農民に交じって仕事をする領主を皆馬鹿にしますが、私にとっては結構、誇りなんですよ。」
「お前・・・・・何だよ、良い奴かよッ、」
「持ち上げると、すぐモチベーションが上がるバカは使い易い。」
「えッ?」
「どうしました?」
「いや、何か今、お前の心の声が聞こえた気がしたんだが・・・、」
「気の所為です。」
それより、と執事が続ける。
「この勝負、大掛かりな争いに発展してからでは、勝ち目はありません。我らに生き残る道があるなら、それは・・・そうなる前に、猫兄様を奪い取る事です。」
執事が、壁に立てかけてあった剣を腰に差す。
目が、マジだった。
執事が去った後、ロープとナイフを抱えて、俺も後を追う。
猫兄様がくれた“こ・い”。
恐らく、鯉でも、恋でも無い。
“来い”だ。