いつだって、世界は可能性に満ちている
【一】
「では、始め」
試験官の号令で受験生が一斉に手元のペンを取り、問題の書かれた冊子を開く。
紙の音がやけに大きく響いた。
僕も緊張しながら取り掛かる。
一教科目は数学。問題をざっと見て出来る問題からこなしていく。順番通りにやらないと解答欄への記入ミスが怖いが、時間が足りなくなる方がもっと怖かった。
ルートの計算、因数分解、二次関数。
どうにか全ての解答欄を埋め、時間を見ると残り五分。記入ミスのないことを確認して、ふうっと息を吐いて顔を上げ――?
巧く言えないけど、周りの空気が変わっていることに気付いた。ひどく重苦しくて、まるで水中みたいな感覚。
――何だこれ?
周囲の受験生達が微動だにしない。誰も身体はおろかペンさえも動かさない。何より彼らの息遣いが――聞こえない。
僕はこの事態に覚えがある。いつか漫画で読んだことのある、この光景は。
――時間が、止まってる?
どうして良いかわからず席を立てずにいた。僕はなるべく眼だけを動かして状況を確認してみる。
僕の両隣は動画の一時停止みたいに動作の途中で止まっている。
まさか本当に時間が止まっているのか――信じられない気持ちで目だけ動かして窓の外を見ると、雀が空中で静止していた。
――決まりだ。
でも、どうして僕は動けるんだろう。
がたっ。
不意に前の方から物音がした。
物音なんて有り得ない。
僕は咄嗟にその方向を見る。
右斜め前に向けた視線の先、僕の席からかなり離れて教室の入り口付近で女の子が一人、席を立つところだった。
その子は隣の受験生の答案を覗き込み、しばらくそうしていたかと思うと今度は後ろの受験生。それが終わると、少し歩いて更に後ろの生徒の机へ歩いていく。よく見ると女の子は手に筆記用具と――答案用紙を持っている。
――何してるんだ……?
腰を浮かそうとしてぎりぎり踏みとどまる。僕はどういうわけか動けているが本来は止まっているはず。ならここは下手に動かず、止まっているふりをしようと決めた。
女の子は受験生の机を渡り歩きながら、時々自分の解答用紙に書き込んでいく。
疑いようもなくカンニングだけど、問題は時間を止めたのはこの女の子なのか、ということ。時間停止の方法は? 或いはこれは偶然に起きた状況を彼女が利用しているのか? だとすれば時の流れを再開する方法は?
考えているうちに女の子が僕の座っている列までやって来る。前の方から答えを書き写しつつ、ゆっくりと僕の机まで迫って来た。
取り敢えず『止まっていることを悟られない作戦』を継続する。いかにも最初から止まってますと言う体で、微動だにせず女の子を迎え撃つ。
彼女はしゃがみ込んで僕の答案を見て、答えを書き写し、暫くして満足したのか立ち上がる。
その時、僕の目に入った女の子は。
長い黒髪をなびかせ、大きな瞳で、とても可愛らしい顔立ちをしていた。
彼女は自席に戻ると椅子に座り、背筋を伸ばし前を向いた。
そのタイミングではっきりと空気が変わる。
両隣の受験生が途端に動き出しペンを走らせていき、それ以外の音も聞こえ始める。
――動き出した。
やがて、そこまで、と言う試験官の声とともに一教科目は終了した。
次の科目。
残り時間が五分になったところでまた時が止まり、女の子がさっきと同じ動きを繰り返す。受験生達の解答が出揃うのを待っているから残り五分なんだろうな。今回も何とか身体を静止させて乗り切った。
僕は何食わぬ顔で着席している女の子の背中を軽く睨む。
彼女は時を止めたり動かしたりが出来て、多分この入試をカンニングで受かろうとしている。時間が操れるのだからそれも可能だろうとは思う。でも、僕を含め他の受験生は必死に勉強して来て、成果を確認すべくここに座っている。
なのに、彼女は恐らく大して勉強もせず受かろうとしている――何て腹立たしい。
やがて三教科目の国語が始まろうかという時。
彼女がくるりとこちらを振り返った。僕が余りに睨んでいたから何らかの気配を感じ取ったのかも知れない。
目が合うと、どう言うわけか女の子は僕に少し会釈した。
ドキリとする。とても優雅で柔らかい仕草だったから。
僕はどぎまぎして思わず目を逸らした。
三教科目が始まる。
てっきり今回もカンニングに来るのかと思っていたが、何故か今回時間は止まらなかった。
――あ、もしかして力を使い果たしたとか?
だけど、結果として僕は残り二教科分のカンニングにも耐える羽目になった。
彼女は僕の解答を気に入ったのか毎時間僕のところにやって来ては解答を書き写すと自席に戻り、時の流れを再開する。それをあと二教科きっちり繰り返したのだった。
【二】
春。
僕は晴れて高校生になった。
入学式の日、玄関先に貼り出されていたクラス分けを確認すると僕は二組。どうやら一度教室に集まり、そこからクラス単位で入学式の式場である体育館に入る段取りのようだった。
一年生の教室は南側の一階と二階の一部。着慣れないブレザーを気にしつつ二組の教室に向かう。
途中、職員室の前を通りかかる。
ちょうど入り口が開いていて中の様子が見えて、僕は足を止めた。
あの女の子だ。立ったまま、デスクチェアに座った先生と何かを話していた。だが彼女は困惑気味でしきりに頭を下げていた。
――もしかして、ばれたとか?
「君、どうかしたの」
背後から声をかけられ振り返ると、若い女性教師と目が合った。
「いえ。あそこ、何してるのかなと思って」
「ん? ……ああ、あれはね、成績優秀者に入学式で生徒代表として挨拶してもらうから、そのお願いじゃないかな」
それを聞いて。
「は?」――なかなかの苛立ちを顔に出したと思う。カンニングで成績優秀者? 冗談じゃない。
「いや、入試で一番成績が良かった人が読むものだからね?」
それはそうなんでしょうけど、と僕は口をもごもごさせる。
女教師を職員室内に通し、まだ先生と話している女の子に再び目を遣る。
彼女は頭を下げ続け先生から逃げるように離れ、僕の立っている方に駆けてくる。俯き気味だったので入り口の僕に気付かず、少し接触。
「あ……ごめんなさい」
こちらを見る女の子――あの時と同じ可愛らしい顔立ち。一瞬、この娘はカンニングのおかげでここにいるのだと言うことを忘れてしまう。
「いえ、こっちこそ」
僕は身体を引いて彼女を通し、そのまま後ろをついて行く。既に殆どの生徒が教室に入ったのか廊下にいる生徒は疎ら。
職員室を通り過ぎて暫く歩いていくと一年一組、その隣が二組の教室。
彼女は一組にさしかかった辺りでこちらに振り返る。どきりとして僕は立ち止まる。ちょっと離れて歩いていたので二人の距離はとても微妙だ。
「何組?」距離のせいか大きめの声。
「僕?」
自分を指差す。分かっているのに間抜けな動きだなと我ながら思う。
「そう。ええと……」
「間宮」僕はぶっきらぼうに告げる。
「間宮……くん。私はね、林堂桐子」
「僕は二組――林堂さんは?」彼女に近寄りながら。
僕の目を見上げて淡く笑む彼女。
「一組。だから、隣同士ね」
「うん――ねえ、もしかして代表挨拶、断ったの?」
林堂さんは眼をぱちぱちさせる。
「やだ。見てたの?」
「たまたまね」
「人前が苦手なのよ」
「ふうん」何となく壁の時計が目に入った。
「あ、時間、ぎりぎりだね」
「うん。……じゃあ」
僕は彼女を追い越して二組の教室に向かう。
「またね、間宮くん」
僕の背中に言い置いて林堂さんはそのまま一組の教室へ。
一つ息を吸って、僕も二組の教室に入る。既に他の生徒は全て席に着いており軽く注目を浴びてしまう。
「ああ、間宮君だね。席はそこ」
僕が着席すると、これで揃ったかな、と先生は入学式の簡単な説明を始める。だけど僕はあまり聞いていなかった。さっきの林堂さんとの短い会話が何度も何度も頭の中で繰り返されていて、この感情をどうしたらいいのか答えが見つからなくて、戸惑っていた。
不意に教室のドアが開けられ先程の女教師が顔を覗かせる。皆の目線をものともせず教室内を見渡し、僕と目が合うと口元を綻ばせた。
「――あ、いたいた」
僕を手招きする。クラスの目線を一身に浴びながら席を立った。
廊下に出て後ろ手に引き戸を閉めるなり女教師が口を開く。
「実は新入生代表の挨拶のことなんだけどね」
それだけで察してしまう。さっきの子に断られてしまって、と言う言葉を適当に聞き流す。じゃあ本当は僕が代表挨拶だったんだと安堵し、承諾する。
「ありがとうね」
女教師はそう言うと一枚の紙を僕に渡す。
「本番ではちゃんとした式辞を渡すけど、それが原稿」
紙には新入生代表の短い挨拶が書かれていた。
僕は頷き教室に戻る。そこで式の時間になって、体育館への移動が始まった。
代表挨拶は落ち着いてできたと思う。名前を呼ばれ、壇上に上がると少し緊張したものの声が震えることなくやり切れた。後でクラスメイト達には緊張していたな、とからかわれたものの、概ね好意的だった。
それが良いきっかけになったのか難なくクラスに溶け込むことができた。ある意味では林堂さんが断ったから僕が新入生代表になれた格好だが、そもそも彼女がカンニングしなければ初めからそれは僕だったんだと思うと、何だか複雑な気持ちだった。
【三】
五月、もうすぐ初めての中間テストがある。
僕は林堂さんと顔を合わせれば話をして、互いに笑い合って、その程度の関係で結構満足していた。カンニングのことは未だに訊けなかったけれど。
だから彼女が知らない男と歩いているのを見た時、僕は思い切り動揺した。
それは放課後、二年生の階から降りてきた林堂さんは隣の男子にしきりに話しかけていた。履いているスリッパの色から見て二年生だ。僕は階段の前から慌てて移動して、何となく階段脇の柱の陰に隠れてやり過ごそうとする。
彼らは二人で下校するのかと思いきや、階段を降り切ったところで男の方は林堂さんを置いてそそくさと立ち去ってしまった。それを背後から見ている僕。
林堂さんは振り返り僕と目が合う。
「――あ、間宮君」
柱の陰から出る。林堂さんはばつが悪そうに、見てたの? と聞いてきた。
「ごめん。何となく出て行き辛くて」
「今のね、中学の先輩なんだ」
「へ、へー……」
二人が親密な感じだったかはともかく、彼女の特別な感情があの男に向けられていたのは間違いないな。
「あーあ。勇気出して会いに行ったんだけどな……」
俯いて小さな声。僕は聞こえないふりをする。
「じゃ、じゃあ、また」
僕は林堂さんから徐々に距離を取り下駄箱に向かう。
「――うん、またね」
その声を背中で聞いて、僕は林堂さんの視界から消える。
中間テストが始まった。
中学と同じで五教科のみ。二日間かけて行われる。
一教科目は英語。
高校に入って最初のテスト。よその高校なら中学の復習も兼ねて優しく、となるのだろうがそこは進学校らしくいきなり本気だ。問題をざっと見たが明らかに習っていないものまである。いつものように出来るところから埋めていく。
――また、時間が止まるのかな……?
そうなって欲しいような、そうでもないような。
やがて残り五分になり、そのまま時間が経ち、チャイムが鳴る。
彼女は――来なかった。
一教科目だけでなく、林堂さんは次も、その次の教科でも来なかった。
――時間を止められる範囲は限られている?
そうも考えたが、それでは理屈に合わないことにすぐに気付く。小さな空間を止められても大元の時間が止まっていなければ意味がないからだ。
つまり、彼女は自分の力でテストに臨んでいることになる。それはそれで良いことなのだろうけれど何だか拍子抜けだ。
――まあ、それが普通なのかもしれない。
結局、最後まで時間は止まらずテストは全て終了した。
数日後。
中間テストの総得点と順位が一組の廊下の壁に貼り出された。
うちの高校は全員順位が掲示される。
ちょっとした人だかりを掻き分けて見えるところまで出て、順位の紙を見上げ眉をひそめる。
僕は三位だった。
正直、新入生代表な僕は一位を狙っていた。
集中力を欠いた要因があるとすれば林堂さんのことだろう。彼女がいつ時間を止めるか気が気ではなかったから。
僕は彼女の名前を探すがどこまで順位を下げても見つからず、やがて――最下位。
『林堂桐子、零点』
僕は納得していいのか、意外に思えばいいのか分からない。
「おーい、間宮君」
振り返るとうちのクラスの女の子。代表挨拶をしてからちょっと仲良くなった子だ。
「三位って凄いじゃん。さすが代表」
「だ、代表って。さすがにそれ、あだ名になってないよね?」
と聞くと、女の子はころころと笑った。
「ところで――林堂と仲良いよね」
「ああまあ……そうかなぁ」僕は頭を掻く。
「私、あいつと同じ中学なんだけどね。最近学校に来てないんだって、林堂。テストも受けてないらしくて」
そう言えばこのところ彼女の顔を見ていなかったな。
「悪いんだけど間宮君、ちょっと様子を見てきてくれない?」
「な、何で僕?」
「お願い! 本当は私が一組の担任に頼まれたんだけど」
あいつと仲良くないんだよね、と目を逸らしながら。
「……分かった」
「ほんと? ありがとう!」
女の子は林堂さんの住所が書かれたメモを渡しその場を去っていく。
後ろ姿にさっきの言葉を重ねた。
『あいつと仲良くないんだよね』
何となく分かる気がする。カンニングで底上げし、こんな進学校に受かってしまった彼女は――場違いなのだ。恐らく仲のいい友達はみんな別の高校に行ってしまったのだろう。だけど、孤独になるのは林堂さんだって分かっていたのではないか。
――逆に言えば、何でそこまでしてこの高校に来たのか。
とにかく放課後に行こうと決めて、僕もその場を後にした。
【四】
彼女の家は高校からふた駅離れた郊外にあった。この辺りは最近造成されたらしく建ち並ぶ家はどれも新しい。だが、判で押したように同じデザイン。
そのせいか彼女の家が分からずメモを片手に迷ってしまう。
五月の終わり、空気はすっかり初夏。僕は額に滲んだ汗を拭い、いったん一軒の家の前で立ち止まる。
――どこだよ……。
がちゃり。
目の前の家のドアが不意に開いて。
「間宮君?」
林堂さんが、驚いた顔でこちらを見つめていた。
「びっくりしちゃった。二階から何となく外を見ていたら、間宮君が歩いてくるんだもん」
「実はちょっと迷ってて」
近くに公園があるからそこで話そう、と言われて僕は後ろをついて歩いている。
「あー、分かりにくいよねぇ。こう同じような家が並んでちゃね」
やがて公園に着いて、僕たちはベンチに腰を下ろす。
「ふう……さて」
彼女は、前を向いたまま、僕と目を合わさずに口を開いた。
「どうしたの? わざわざ」
「ええと、林堂さんと同じ中学の子が心配してて」
と、僕は僕がここに来ることになった経緯を説明する。
「あー、あいつか」
「で、何があったの? テストにも来ないで」
林堂さんはその質問に答えず、押し黙る。
――やっぱり答えにくいか……?
長い長い間があった。
そのまま、どちらも口を開かないままで終わるのかと危ぶみ始めた時。
「あたしね、ふられたんだ」
ぽつり、と一言。
「あの先輩?」
「そうそう。かっこいい人でね、中学の時から好きで」
――確かに、もてそうな顔ではあったな。
「でね? この前、思い切って告白、したんだ」
ちょっと複雑な気持ちで、僕はこの話を聞いている。
「でもふられちゃった」
流石に何も言えない。
林堂さんは小さく溜め息をついた。
「だから高校はさ、もう行く意味がないって言うか、ね……」
俯く。
「あーあ……高校に受かったら付き合ってくれるって言ってたんだけどなぁ」
「――だから、カンニングしたの?」
思わず言ってしまう。瞬間、彼女の顔が強張るが、すぐに平静に戻って。
「間宮君、効かなかった人?」
「動けたよ。皆は止まってたけど」
「そうか、いるとは聞いてたけど、よりによってあんな時に」
訳の分からないことを言う。
「そうだよ? 私はカンニングした。どうしても受かりたかったからね。でも、先輩ったらひどいんだよ? ――まさか本当に受かるとは思わなかった、だって」
「……」
「何だそれって話じゃない? 結局、最初から付き合うつもりなんてなかったってこと? って」
彼女の声が怒気をはらむ。その内に前のめりになって、肩を震わせて。
「だったらその時に言えって! 期待させんなって! いい人ぶりやがって!」
地面に向かって叫ぶ。少し泣いてもいた。
「あたしも馬鹿だ! 本気にしてさ……」
やがて彼女は顔を上げ、涙を払ってこちらを向いた。
「そうか私、馬鹿だったね。だからしょうがないか」
何と声をかけたものか迷う。どうやって時間を止めたの、とか、どうやってその力を手に入れたの、とか、聞きたいことはたくさんあったのに、口をついたのは全然違う言葉だった。
「僕、勉強教えようか?」
林堂さんはきょとんとした顔になって、目を伏せた。
「いいよ。もう、辞めるし」
「そんなこと言わずに」
「いいって。だって、あたしなんて場違いだし」
「何だよいじけて。たかが――」
すると彼女は僕を睨みつけた。真っ黒な瞳が燃えるようだった。
「たかが? たかが? なに?」
しまった、と思ったがもう遅い。
「下らない、って言うの? カンニングまでして、って? 言っとくけど、私は真剣だった! 真剣に、付き合いたかった!」
そこまで一気に言った後、立ち上がりこちらを見下ろした。
「なに? ひょっとして下心? それとも、同情?」
「いや、僕は――」
「ふざけんな! そんなのはね、要らないの! そんな、そんなの――」
後は言葉にならないようだった。彼女はさっきよりも大粒の涙を流し、両手で顔を覆い崩れ落ちるようにベンチに座った。
僕は、せめて林堂さんが落ち着くまではここにいようと心に決める。
「や。何かごめんね」
数十分後、林堂さんはすっかり落ち着いた様子で僕を見た。
「あー。何だか泣いたらすっきりしちゃったな。その程度だったかぁ……」
実際すっきりした顔で伸びをする。
時刻はそろそろ夕暮れ。日が落ち始めると少し肌寒さを覚えた。
「どうして?」と彼女。
「ん?」
「どうして、私に勉強を教えてくれるって?」
「ああ、いや……」
僕は中空に視線を泳がせる。
「どうあれせっかく入ったんだし、辞めるよりはいいかな、と。ここから勉強が好きになる可能性だってあると思うし」
「うーん、どうだろうなぁ……」
「君は入試の時、僕の答案をよく見に来た」
その言葉に林堂さんはくすりとする。
「間宮君のが、いちばんよく書けてたんだよね」
「それはどうも。でも、国語は君の方が出来てた」
「え?」
「だって、国語は林堂さんが自力で解いて――それで君が新入生代表だったんだから」
彼女が自力で取った国語の点数分だけ、僕の総得点を上回ったのだ。
「まあ、国語だけはずっと『五』だったから」
寂しげに口元を緩めた。
「で、もう時間は止めないの?」
「うん。というか」
林堂さんはベンチから足を浮かせてぶらぶらさせた。
「あれはもう――使えない」
「へえ?」
「なんかね、我が家の遺伝? らしいんだけど、十五歳限定なのよあんなことが出来るのは。私、四月生まれでもう十六になっちゃったから」
どこかせいせいして晴れやかな顔の林堂さん。
――ちょっと待て。さらっと語ったけど……?
そんなこと、あるのか。
にわかには信じられない。
――だけど……。
僕は思い直す。
だけど、世界はこんなにも広くて、いつだって可能性に満ちている。僕達だって本来は出会うはずもなかったけれど今こうして隣り合って座っている。同じように、遺伝でそんなことが出来る家系の一つや二つあっても何ら不思議はない、かも、知れない。
「それに、間宮君みたいに効かない人もいる」
同じく遺伝的なものなのかな、と僕は考えた。
「でも良かったよ……あんな力がずっと使えてたら、私」
ほっとしたような顔の林堂さん。どこかに罪悪感はあったのかな。
「何て言うか……いい人だね、林堂さんて」
「え、どうして?」
「だって、試験の日の四回だけなんでしょ? 時間を止めたの」
「う、そ、それは」
途端に挙動がおかしくなる。正面から先輩のアップ写真を撮ったり、とか、先輩の部屋に忍び込んだりとか色々――ごにょごにょと口を動かす。僕はその時には気付かなかったけど、きっとまだ時間停止から逃れる能力に目覚めていなかったんだろうなと思った。
「あ、はい」
「待って。ご、誤解しないでね? ああいうことしたのはあの時だけだから。ね?」
「分かってる分かってる」
「あー、信じてない」
僕達は顔を見合わせ、少し笑った。
「ねえ、今からでも間に合うかな、勉強」
「んー、どうかな。分からない」
「えー何よそれ。間宮君は私の隠れた実力を見抜いたとかじゃないの?」
「いや、そんなの知らないし」
「まあ、そりゃそうね」
林堂さんは顎を上げて、暮れなずむ空を見上げた。
その横顔がとても綺麗だと僕は思う。
「頑張って教えるよ。大して上手くないかもだけど」
「あ、言っとくけど下心や同情はなしよ?」悪戯っぽい目でこちらを見る。
「当たり前だよ」
彼女の瞳を見返す。
「わかった。宜しくね、センセ?」
「こちらこそ。僕も国語を教えて欲しいな」
「いやいや、勘弁してよ」
二人でまた笑って、公園を後にした。