めちゃくちゃ押しの強い女上司
「はぁ……まったく、こんな事もできないの?」
「す、すいません……」
ピリピリと凍りつく空気。
それをかいくぐるような周囲からの好奇の視線。
現在、僕は上司から叱られている。
僕を叱っているのは、堀ノ内ゆりさん……歳は僕より2つ上の25歳で、若くして課長に昇進しているエリート。そして、僕の直属の上司だ。
彼女は表情こそクールだが、その身に纏ったオーラを隠そうともせず、真っ直ぐに僕を見ていた。
「あなた……先週も同じミスをしてたわね?その時私言わなかった?同じミスを続けてするような人間は、二流にも大きく劣る三流以下だって」
「す、すいません……」
否定のしようもない。
全て課長の言うとおりだ。
どうしてあの時もっと確認しておかなかったのか。
自分自身に対する情けない気持ちで、胸が一杯になる。
そして、課長の一際大きな溜め息の後、命令を下された。
「じゃあ、罰として次の日曜日……少し付き合いなさい」
「はい…………えっ?」
最後に何を言われたのか、きちんと理解するのには、少しだけ時間がかかった。
課長は肩ぐらいまでの髪を揺らしながら、やたら早足でオフィスを出ていった。
*******
そして翌日。
休みの日だというのに、スーツをしっかり着込んだ僕は、駅前にて行き交う人並みを眺めながら、背筋を伸ばして突っ立っていた。
そうして待つこと30分。約束の時間10分前に課長はやってきた。
「お待たせ。それじゃあ、行くわよ」
「はいっ!」
課長は歩き始めたかと思ったら急に立ち止まり、僕を上から下までチェックするように見てきた。
そして、呆れたように口を開いた。
「ていうか、あなたは休日にもスーツを着ているの?」
「あっ、いえ!そういうわけではないんですが、上司命令での外出だから、てっきり……」
「はぁ……仕方ないわね。先にあなたの買い物をするからついてらっしゃい」
「僕の買い物……ですか?」
「ええ、そうよ。ついてきなさい」
*******
服屋に入るなり課長は、ぱっ、ばっ、と手早く洋服を選んでいった。
「さてと……じゃあ、これとこれを……」
そして、それを僕に押しつけ、いつもの鋭い口調でたった一言……
「着替えてきなさい」
「え?」
「聞こえたなかったの?着替えてきなさいと言ったのよ」
「は、はい!」
いきなりすぎてよくわからないまま、僕は慌てて試着室へと向かい、課長から渡された服を身につけた。
すると、驚くほどに着心地がよくて、なんだか自分で選んだ時より気持ちよかった。何より、鏡で自分を見てみると、なんだかいつもよりしゃんとしている。
「あの、どうですか?」
「まあ、悪くはないわね。じゃあ、行くわよ」
「えっ?でもまだお金……」
「とっくに支払ったわよ」
「ええっ!?いや、さすがに悪いですよ……」
「はい、うだうだ行ってないでさっさと動く!」
「は、はいっ!」
課長……今、ちょっと会社モードになってたな……。
そのやりとりを見ていた店員さんは、くすくすと笑っていた。
*******
「ちなみに、今日は何を買いに行くんですか?」
「色々よ。それで、ちょうど男手が欲しかったの」
なるほど。普段からお世話になってるから、少しでも恩返しできたらいいな。
よし、改めて頑張ろう!!
「あ、あの!」
「何?」
「今日は役立てるよう頑張りますので、こき使ってください!」
「そう、いい心がけね。それはそうと、お腹空いてない?」
「いえ、空いてません!」
「空いてるわよね」
「え?」
「空いてるわよね?ね?」
「……は、はいっ、空いてきました!」
「そう、じゃあ食事にしましょうか」
「は、はいっ!わかりました!」
なんだろう……今、絶対に断れない空気を作られていたような気がするんだけど……気のせいだよな?
と、とにかく、今度こそしっかりせねば……!
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「わぁ……」
「どうかしたの?」
「い、いえ、こういうとこ初めて入ったもので……」
僕の発言に、課長は溜め息を吐いた。いや、さすがに社会人1年目の自分が、こんな高級レストランは無理ですよ……ていうか、緊張で味わからないだろうし。
「あまりキョロキョロしないの。あと顎引いて背筋を伸ばしなさい」
「は、はい!」
「よし…………ホント、見てて飽きないわね」
口調こそいつもどおりだが、課長の表情はいつもより柔らかく見えたのは気のせいだろうか。
歩き始めると、さっきより課長がさっきより近くを歩いている気がした。
*******
「あ、あの、課長、よかったんですか?ご馳走になっちゃって」
「ええ、構わないわ。それに、割り勘とか面倒で嫌いなのよ。一円単位まで細かく計算しているのを見ると、イライラしてくるわ」
「ああ、なんか想像できます」
「しなくていい。私がまるで、いつも怒ってるみたいじゃない」
「…………」
「何か言いたい事でも?」
「いえっ、そんなことはありません!」
「ふんっ、どうせいつも怒ってますよーだ」
「っ!!」
課長はぷいっと顔をそむけたが、やばい……なんか可愛い。あれ?この人、こんな可愛かったっけ?
胸がどくんと高鳴るのを感じていると、ぽつぽつと雨が降ってきた。
あれ、天気予報は晴れだったのに……。
てかやばい。このままじゃ課長が濡れてしまう。
雨宿りできる場所を探さなきゃ……!
「課長、こっちです!」
「こっち?こっちはたしか……あ」
焦りのあまり、当てもなく飛び出してしまったが、今は長居できる手頃な店を探すのが1番だ。
だが、焦りのせいか、中々そういう店が見当たらない。
とにかく一旦雨宿りだけでも……!
勢いで手頃な場所に避難すると、堀ノ内先輩に肩を叩かれた。
「ねえ、ここ……」
「え……あっ!」
やたらケバい雰囲気の建物……なんとここはラブホテルの入り口だった。
あああっ!またやってしまった!よりによって、先輩をこんな所に連れてきてしまうなんて……!
これで明日からの会社内でのあだ名は、がっつき太郎とか性欲の権化だろう。ああ、終わった。
こっそりと先輩の顔色を窺うと、彼女は特に驚くでもなく、「ふむ……」と口元に手を当てていた。
そして一言……
「……よし、入るわよ」
「え?」
「聞こえなかった?ここで雨宿りすると言ったの」
「いや、でも、ここ……ラブホテルですよ?」
「ええ、何か問題が?」
「いや、ほら……ここって、何と言うか、そういう関係の男女が入る所ですよね?」
「そうね、だから何?」
「だ、だからって……」
「あなたは私の事、どう思う?」
「えっ、そりゃあ素敵な人だと思いますけど……綺麗ですし、仕事もできますし、厳しいけど部下思いですし……」
「ふむふむ……他には?」
「あ、えっと……今日気づいたことなんですけど、笑顔が……か、可愛いと思いました……失礼かもしれないですけど」
「なるほど……つまり、君は私に好意を抱いていている、ということね」
「えっ?ああ、まあ、好きですけど……」
「そう、奇遇ね。私もあなたの事はそこそこ好きよ」
「えっ!?課長が?」
「ええ。これでいいわね。ほら、行くわよ。あと、プライベートなんだから、課長呼びはやめて」
「え?じゃ、じゃあ、堀ノ内せんぱ、ああああっ!」
課長はがっちりと腕を組んで、そのまますたすた歩き始めた。
甘い香りに包まれながら、僕は今日で人生のすべてが変わる予感をひしひしと感じていた。
この後の事は……ご想像にお任せします。