第五話 嫉妬の自覚
(結局、アウリールはエリファレット卿と食事に行ったんだろうか)
昨夜、シュツェルツはそんなことを考えてしまい、満足に眠れなかった。
寝ぼけまなこをこすりながら寝台に身を起こし、ぼうっとしていると、アウリールが診察に現れた。いつもと変わらぬ爽やかな笑顔だ。
「おはようございます、殿下」
自分に内緒でエリファレットと食事に行ったのだとしたら、よくそんな顔ができるものだ。シュツェルツは疑いのこもった眼差しをアウリールに向けた。
「……おはよう」
シュツェルツは寝台の端に腰かける。椅子に座ったアウリールに手を取られたとたん、あることに気づいた。
アウリールから、彼がいつもつけている香水とは違う、やや強めの甘い匂いがほのかに漂ってきたのだ。
(お酒の匂い……)
アウリールが酒を残して自分の診察をするなど、今までは考えられないことだった。やっぱり、昨晩、アウリールはエリファレットと酒食を楽しんだのだ。しかも、相当楽しい酒だったのだろう。
シュツェルツはうつむき加減に指摘した。
「……アウリール、お酒の匂いがするよ」
アウリールは目をむく。
「え、さようでございますか!?」
袖の匂いを嗅いだあとで、アウリールはすまなそうな顔をした。
「申し訳ございません、殿下。昨夜はつい、久し振りに深酒を致しました。今後はこのようなことがないように致します」
そのようなことを謝って欲しいわけではない。シュツェルツは、なおもうつむいたまま尋ねる。
「……誰とお酒を飲んでいたの?」
不意打ちを受けたように、アウリールは瞠目した。
「え?」
とぼけているのだろうか。アウリールの態度に腹を立てる気持ちと、裏切られたような気持ちがないまぜとなり、強い怒りへと変わる。
シュツェルツは顔を上げ、キッとアウリールを睨みつけた。
「エリファレット卿と飲んでいたんだろう? 僕、知っているんだからね」
「殿下……」
「どうして隠そうとするんだよ! そんなに僕には秘密にしたいことを話していたわけ!?」
口にしてみて初めて分かった。
確かに自分はエリファレットに嫉妬している。けれど、アウリールに裏切られた気がしたのは、そのせいではない。彼がエリファレットと食事をしたことを隠しているからだ。この期に及んでも、言い訳すらしてくれないからだ。
(お願いだから、何か言ってよ……)
シュツェルツは拳を握り締め、アウリールの言葉を待った。
アウリールは衝撃を受けたように、しばし微動だにしなかった。
どれだけ時間がたっただろう。おそらく十秒かそこらだったに違いないが、シュツェルツには長い時に思えた。
アウリールは端麗な唇を開く。
「……失礼致します、殿下」
椅子から立ち上がったアウリールは、踵を返して退出しようとした。
シュツェルツは弾かれたように腰を上げたが、扉の前に立った彼を呼び止めることができずにいた。
「あ……」
シュツェルツの口から言葉にならない声が漏れた直後、アウリールは静かに扉を開け、出ていってしまった。
今まで彼は、どんなに怒ったり、冷たくしたりしても、決してシュツェルツを見捨てず、赦してくれた。だが、もう、それも終わりだ。
(──アウリールは、きっと僕に呆れたんだ)
自分の感情を持て余し、一方的に怒りをぶつけてしまったのだ。シュツェルツのそうした行動は今回が初めてではない。だからこそ、優しいアウリールも、さすがに耐えかねたのだろう。
涙があふれそうになり、シュツェルツは歯を食いしばった。
アウリールが消えた扉と反対方向には、大きな窓があり、蒼く穏やかな海が広がっていた。
海を見るのは好きだ。どんなに孤独な時に眺めても、美しく光り輝いているから。
(でも……今は見たくない)
これから待ち受けている独りぼっちの日々を、嫌でも思い知らされる。
窓から目をそらしたシュツェルツの視界の端に、アウリールが診察の時にいつも座る椅子が映った。
椅子に視線を移した瞬間、シュツェルツの脳裏に、ある思い出が浮かび上がった。
一年前、高熱を出して寝込んだ時、アウリールは一晩中、あの椅子に座って傍にいてくれた。
シュツェルツは右手をじっと見つめる。あの時、夢を見た。アウリールが自分に手を差し伸べてくれる夢を。
多分、彼は自分の手をずっと握ってくれていたのだろう。だから、あの夢を見たのだ。
(アウリール……)
シュツェルツの足は、自然に動いていた。
アウリールに謝らなければ。今ならまだ、彼は廊下を歩いているだろう。姿が見えなかったら、部屋に行くまでだ。
一瞬、本当に赦してもらえるのかどうか、不安がよぎる。
その懸念を、シュツェルツは振り払った。自分の知っているアウリールは、そんな人間ではない。もし赦してもらえなかったら、言葉を尽くすまでだ。
彼に赦してもらうためなら、プライドなんていくらでもくれてやる。
(僕にはアウリールが必要なんだ!)
寝間着姿なのにも構わず、シュツェルツは駆け足で扉の前に立つ。勢いよく扉を開け、廊下に出た。
扉の脇にたたずむ近衛騎士が、驚いたように声をかけてくる。
「殿下!?」
それには応えず、シュツェルツは辺りを見回した。アウリールの姿はない。彼を含めた側仕えの者たちが暮らす部屋がある方向へと、シュツェルツは走った。
向こうからアウリールが歩いてくるのが見えた。隣にはエリファレットの姿もある。
シュツェルツは一瞬、躊躇した。しかし、覚悟を決めて一歩足を踏み出すと、アウリールの前まで駆けていく。
アウリールは目を見張る。
「殿下、どうなさったのです。そのようなお姿で」
不思議なことに、アウリールの表情からは呆れも怒りも読み取れなかった。
走ってきて息が切れたので、シュツェルツは呼吸を整える。
「──僕、君に謝りたくって」
「謝る……? ああ、先程のことですか」
アウリールは困ったように笑ったあとで、提案した。
「まず、お部屋に戻りましょうか。ここでは、人目がありますゆえ」
確かに今の自分は寝間着姿だし、必死で謝る様子を他の者に見られるのは、やはり恥ずかしい。シュツェルツは彼の言葉に従うことにした。