第三話 シュツェルツの調査
翌朝、診察に訪れたアウリールに、シュツェルツはこう言い放った。
「アウリール、今日は僕、忙しいから。見かけても声をかけないでよね」
アウリールは若草色の目をしばたたいた。
「どうかなさったのですか? 殿下」
「どうもしないよ。とにかく、忙しいんだ」
「今日は殿下の授業はお休みのはずですが」
「休日に忙しくしてちゃいけないわけ?」
アウリールは困ったように微笑した。
「そういう意味で申し上げたのではございませんよ。せっかくの休日なのです。存分に羽を伸ばして下さい。もちろん、くれぐれも無理はなさいませんように」
シュツェルツは、まともにアウリールの目を見られなかった。こうして自分の心配をしてくれる彼を探るようなことをしても、本当によいのだろうか……。
(いや、もう決めたことだ)
アウリールが退出してしまうと、シュツェルツは決意を行動に移すことにした。
まずは、自分たち国王一家が暮らす東殿を巡ることにする。独自の情報網を持つ女官たちに、アウリールとエリファレットの会話の内容を知っている者がいないか、訊いて回るのだ。
幸いなことに、普段から若い女性と見れば声をかけるシュツェルツは、女官たちに顔が広い。
アウリールは女官たちの覚えがめでたいし、エリファレットも少しとっつきにくい雰囲気ではあるが、美青年だ。彼女たちなら確実に情報を掴んでいるだろう。そう思っていたのだが──。
「ロゼッテ博士とエリファレット卿が何をお話しなさっていたか?」
廊下で捕まえた兄の女官たちは、顔を見合わせて首を傾げた。
どうやら、彼女たちは知らないらしい。シュツェルツは礼を言って、別の女官を当たることにした。
しかし、父の女官たちの中にも、母の女官たちの中にも、二人の会話を聞いた、という者はいなかったのである。
近衛騎士になって日が浅いエリファレットを、彼女たちが知らなかったわけではない。むしろ、女官たちは彼の詳細な情報をシュツェルツよりも聞き知っていたくらいだ。
仕方なくシュツェルツは、自分に仕える女官たちにも話を聞いてみることにした。彼女たちに尋ねることで、自分の行動がアウリールとエリファレットの耳に入ったら嫌だな、と思い、あえて後回しにしていたのだ。
だが、女官たちの反応は、今までと同じだった。
「さあ、聞いておりませんけれど」
シュツェルツは落胆した。だが。
「お二人がご一緒にいらっしゃるのを見たことはございますが」
「でも、こちらが近づこうとすると場所を変えてしまわれるのです」
それは、これまでに聞いた情報の中で、一番耳寄りなものだった。
(アウリールたちは、みんなに何かを隠している……)
ますますアウリールの行動にいつもとは違うものを感じ、シュツェルツは焦ると同時に黙り込んだ。
「ところで、殿下は、どうしてそのようなことをお訊きあそばすのです?」
女官の一人にそう問われ、シュツェルツはあらかじめ用意しておいた言い訳を使った。
「アウリールは僕の側近だからね。側近のことを把握しておくのも、主君の役目さ」
女官たちは顔を見合わせて意味ありげにほほえんだ。
この言い訳はまずかっただろうか。シュツェルツが次に言うべき言葉を探していると、女官の一人が笑い出すのをこらえた表情で口を開いた。
「そうですわねえ。何しろ、ロゼッテ博士は、殿下のことをそれはそれは大切に思っていらっしゃいますから」
「そうそう。殿下もロゼッテ博士のことを大切になさって下さいね」
シュツェルツは納得がいかなかった。
(それなら、なんで僕に何も言わずに、こそこそ立ち回っているんだよ……)
思わず唇を噛む。女官が「そういえば」と言い出したのは、その時だった。
「先程、エリファレット卿にお仕事が終わったあとのご予定をお訊きしたのです。そうしたら、『今夜は食事がてら、人と飲みにいく約束が入っているので』と……」
「あー、抜け駆けするなんてずるい!」
「していないってば。ただ予定を訊いただけよ」
「じゃあ、なんで、『約束が入っているので』なんて答えるのよ」
軽口を叩き合う女官たちを横目に、シュツェルツは思考に耽った。
エリファレットが誰かと食事に行く約束をしているのだとしたら、それはアウリールではないのか?
もちろん、女官の誘いを牽制するために、嘘をついた可能性もある。だが、シュツェルツの知る限り、エリファレットはそのような器用な男ではない。
シュツェルツはさらに質問した。
「他には、何かない? 例えば、どの店に行くのか、とか」
「いいえ、そこまでは。エリファレット卿は、お口が堅そうなので、わたしもそれ以上は伺えませんでした」
待女たちもこれ以上の情報は知らないようだ。それに、広い宮殿内を歩き回って聞き込みを続けたせいで、シュツェルツもさすがに疲労を感じ始めていた。
シュツェルツは最後に念押しした。
「そう。ありがとう。あ、アウリールとエリファレット卿には、僕が二人について調べていたってこと、くれぐれも言わないようにね」
完璧ではないにしろ、材料は揃ったのだ。あとは本人たちに直接訊いてみよう。
こうしてシュツェルツは、次の行動を決めた。
*
女官たちへの聞き込みを終えたシュツェルツは、自室の前に戻ってきた。扉の脇では、エリファレットが直立不動で警衛の任に就いている。
シュツェルツはエリファレットに近づいていき、彼を見上げた。
「エリファレット卿、訊きたいことがある」
エリファレットは生真面目な口調で応えた。
「なんでございましょう?」
(なんだか、調子が狂うなあ……)
本当に、エリファレットは人に聞かれてはまずい話をアウリールとしていたのだろうか。
多少の気まずさを覚えながら、シュツェルツは質問を口にした。
「そなた、今日の職務が終わったあとは──」
「そなた、これはなんのつもりだ!」
静かな回廊に遠くからの怒号が流れ込んできた。声の伝わり方から考えると、おそらく、二階から発せられたものに違いない。
何が起こったのだろう。シュツェルツは好奇心から、部屋からさほど離れていない階段の方向に目をやる。二階は、父王の居室や食堂が並ぶ東殿の中枢だ。シュツェルツは王子専用の階段に向け、一歩足を踏み出した。
エリファレットが囁くように声をかけてくる。
「殿下、向かわれるのであれば、わたしもお連れ下さい」
国王一家が住むこの東殿は、たくさんの近衛騎士に警衛されているが、この事態はただごとではない。シュツェルツに危険が及んだ場合、責任を問われるのは護衛を担当しているエリファレットだ。
シュツェルツは頷いた。
「分かった」
シュツェルツはエリファレットを引き連れて、早足で階段を上った。
声の発生源はすぐに判明した。そこは、国王専用の食堂の前だった。豪奢な扉の前には水がぶちまけられており、水たまりを作っている。その傍らに一人の従僕が這いつくばっていた。青ざめた顔には恐怖と狼狽が浮かび、床に置いた手は小刻みに震えている。
「も、申し訳ございませんでした! すぐに片づけますので……!」
従僕の眼前には、父王と数人の侍従がたたずんでいる。最も年長の侍従が怒気を帯びた顔つきで、従僕を叱りつけた。
「黙れ! 国王陛下がお食事においであそばす時間だと分かっていての失態か!」
「そ、そのようなことは……」
そういえば、聞き込みをしていてすっかり忘れていたが、もう昼食の時間なのだ。
家族と食事をともにしない父は、普段、執務室のある正殿内の食堂を利用しているらしい。けれど、日曜日は急ぎの政務がない時に限り、この食堂を使うと聞いたことがある。
あの従僕は、父が訪れる前に食堂の掃除をしていたのだろう。不注意から食堂の前で水桶をひっくり返してしまったところに、運悪く早めに父たちが現れてしまったというわけだ。
侍従がなおも従僕を責め立てる。
「言い訳はよい! さっさとどうにかせぬか!」
他の侍従たちも、冷たい視線を従僕に送っている。トラブルが起こったのなら、父を連れてくる時間をずらせばよかったのに、彼らはそうしなかった。おそらくは、連絡の行き違いだろう。
(やり口が汚いな……)
水をこぼしたのは、この従僕の不手際だ。だが、様々な不備を、彼一人にかぶせようとしている侍従たちに、シュツェルツは嫌悪を覚えた。
それにしても、父は先程から一言も口にしていない。何を考えているのかと、シュツェルツは父の横顔を凝視した。
父は無表情だった。底冷えするような瞳で、ただ従僕を見下ろしている。
その光景に、鳥肌が立つようなうそ寒さを感じ、シュツェルツはぞっとした。
父が今まで何人を断頭台に送り込んできたかを数える暇さえ惜しい。シュツェルツはとっさに父に駆け寄っていた。
「父上!」
父が初めてこちらを向いた。
「……シュツェルツ」
シュツェルツは父が苦手だ。ほとんど交流がないからではない。人を自分の所有物のように扱う彼の態度が、どうしても受けつけないのだ。
己の心臓の音が聞こえてくるほどに緊張し、掌に汗がにじむ。それでも、シュツェルツははっきりと告げた。
「わたしに免じて、この者をお赦し下さい」
「何?」
「召使たちを呼び寄せれば、これくらいの水ならすぐに拭き取れましょう。そなたたち、突っ立っていないで人を集めてこぬか!」
シュツェルツがじろりと父の侍従たちを睨めつけると、居丈高な侍従一人を残し、彼らは駆け出していった。
わたしもご命令に従いたいのは山々ですが、国王陛下から離れるわけにはいかないのですよ、とばかりに、こちらに卑屈な視線を送ってくる年嵩の侍従を、シュツェルツは無視し、父を見据え続けた。
不思議なものでも見るような目で、父はシュツェルツを見つめる。
「この者を庇い立てすることで、そちになんの得がある?」
「……ございませぬ。しかし、哀れではありませぬか」
シュツェルツの返答に、父はおかしそうに笑った。
「なるほど。哀れか。……よろしい。今日のところは、そちに免じてこの者を赦そう」
父は従僕を一瞥する。
「──王子に感謝することだ。予は部屋に戻る。片づけがすんだら、呼びに参れ」
命令された侍従は、かしこまってお辞儀した。
父が立ち去ってしまうと、従僕がシュツェルツの前に跪き、こうべを垂れた。
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
シュツェルツは片笑む。
「気にすることはない」
踵を返し、階段を下りて部屋の前に戻ると、うしろに付き従っていたエリファレットが声をかけてきた。
「殿下、先程のお振る舞い、感服致しました」
シュツェルツは、思わずエリファレットを振り返る。
「突然どうした」
エリファレットは静かな声のまま、熱っぽく語った。
「わたしも、あの従僕を助けてやりたかったのですが、国王陛下の手前、自分の立場ではそれも叶いませんでした。殿下はわたしの代わりに善きことをして下さったのです」
大袈裟な男だ。シュツェルツはため息をついた。
「あれは、誰のためでもない。僕がそうしたかったから、助けたまでだ。それに──」
もし、あの従僕を見捨てていたら、きっとアウリールは悲しんだだろう。
普段、アウリールに手を焼かせるシュツェルツだが、彼の悲しそうな顔だけは見たくなかった。
(そうだ! アウリールといえば……)
シュツェルツは、ふと、この騒ぎで忘れていたことを思い出した。
できるだけ落ち着き払った態度を装い、エリファレットに尋ねる。
「ところで、エリファレット卿。今日の勤務は何時までだ?」
エリファレットはきょとんとした。
「午後の四時までですが」
「そのあとの予定は?」
「街に出て、人と食事をする予定です」
女官たちの言っていた通りだ。シュツェルツはとたんに焦りを感じた。畳みかけるように問いただす。
「食事は誰と摂るのだ?」
エリファレットはすまなそうな顔をした。
「誠に申し訳ございませぬが、お答え致しかねます。口外することについて、相手の了承を得ておりませぬので」
いちいち律儀な奴だ。しかし、アウリールはどうして彼と食事をすることを隠したがるのだろう。
(やっぱり、アウリールに直接訊くしかなさそうだな)
シュツェルツはエリファレットからわずかに視線を外した。
「ありがとう。根掘り葉掘り訊いて、すまなかったな」
不審に思われぬようにそれだけを言い残すと、シュツェルツは部屋の中に入っていった。
いよいよ次は、アウリールと対決しなければならない。