その背中の大きさ
爺ちゃん仙蔵・師匠仙蔵さんの大きさを知る。話にしたつもりです。
ー珈琲を淹れるときの背中ー
和泉side
私が祖父の家に転がり込んでから、今年の夏で3年だ。当時小学6年生だった私も中学2年生になり、身長は6センチも伸びた。世間一般の家庭ならば、こういった子どもの成長を一番間近で感じ、また喜ぶのは親なのではないだろうか。
私にとって、週末の面会(本当は面会ではなく、遊びに行ったりしているが)や日々の電話は儀礼的かつ業務的な成長報告の場でしかなくなり、両親の喜びさえ卑屈に、斜め45度上に解釈してしまっていた。
そう考えると、やっぱり祖父は特別な存在だ。テストで100点を取ったときも、県美術展で金賞をもらったときも、それを電話ではおくびにも出さず面会まで温めることもなく祖父に一番に言った。別に両親をないがしろにするつもりはないが、きっと私の中の深層的な引け目がそうさせていたのだろう。小学生の私にはそんなことが分かるはずもなく、ただモヤモヤとした得体の知れない感情としてしか認識されなかったが。
初夏、というのは得てして俳句や和歌に詠まれるように優雅な季節ではない。とにかく暑い。美術作業室は教室の性質上、窓が大きい。雨が降っていないと陽射しが矢のように刺さる。
「和泉、どうしたの?作業終わらないよ?」
隣の席で筆を走らせていた友達の千花が不思議そうにこちらを見てきたので、
「うん?いやいや、何でもないよー」
と誤魔化して作業を続ける。すると千花が私の絵を覗き込んで、
「コレ、何?珈琲?と眼鏡?」
「そ、そう。私のお爺ちゃんが喫茶店やってるでしょ?この眼鏡はお爺ちゃんの弟子で居候の高校生の。」
制作のコンセプトが『私の好きなものを好きに描こう』だったので、私は迷わず珈琲を描いた。お爺ちゃんを描きたかったがモデルなしで描くのは無理だと判断した結果、グラス/ディアの風景を思い浮かべて思いついた大和の黒縁眼鏡を珈琲マグのすぐそばに描いた。断じて深い意味などない。重ねて言う。深い意味など微塵もない
「千花は、アイちゃんかぁ!うまいねぇ」
「うふふ、上手く描けてる?よかった。この子は私の癒しだから。」
アイちゃんというのは千花が飼っている猫のことだ。スラリとした気品溢れる体つきとエメラルドグリーンの瞳が美しい雄ネコで、『貴公子』という表現がぴったりだと個人的には感じた。
互いの絵を褒めあって自分たちの絵に再び筆を走り始めたところだった。普段から赤ら顔で『ユデダコ』と揶揄される教頭が、似合わない青ざめた顔で教室に入ってきて先生に何か耳打ちをした。その時、一瞬だけ目があった気がしてザクリとした不安感に包まれた。
そして、その感覚は的中した。
「草鹿さん。すぐに片付けて、帰る準備をしなさい。」
先生が真剣な顔つきで私に告げる。そして、続けるられた言葉はーー