第8話 いつもと変わらない一日がまた始まる
坂田優斗は以前、魔法使いと遭遇していた。それも魔法界において最悪の魔法使いと恐れられる存在に。
そしてその後、ノーマである坂田優斗は魔法使いの存在を知ってしまったことで、魔法使いに関する記憶を消されたという。
「今更エリスが俺のとこに来たところで、残念だけど、その最悪の魔法使いのことなんかこれっぽっちも覚えてねえよ。ホントに会ったことがあるのか聞きたいくらいだ」
「いえ、私が優斗に会いに来た理由は最悪の闇の魔法使いのことを聞きに来たのではないのです」
エリスは荒れた旧校舎の様子を見る。そして再び坂田優斗を見つめた。
その表情は坂田優斗に対して申し訳なさそうな、謝罪を込めたような表情だった。
「最悪の魔法使いと出会ってしまった優斗を闇の魔法使いたちから守るためです」
「闇の魔法使いから、俺を守る……ため?」
どんどん話についていけなくなってきていた。
最悪の魔法使い、闇の魔法使い、そして全ての魔法を記憶した存在――エリス。
エリスの話に桜井美言が付け加えるように説明する。
「闇の魔法使いとはその名の通り、闇に存在する魔法使いのこと。最悪の魔法使いを信仰し、それに自らを捧げる者たちのことよ」
壁に寄りかかっている桜井美言がそう説明すると、再びエリスが話を続けた。
「最悪の魔法使いは今どこに存在しているのか、その行方を誰一人として知るものはいません。それが優斗と遭遇していたことを闇の魔法使いたちが知れば、その行方を知るために優斗を襲って来るはずなのです」
「遭遇したと行ってもいまいち実感わかないけど。俺の記憶を消したのは誰で、俺の記憶を消す前、最悪の魔法使いとやらに遭遇した俺はどうだったんだ?」
坂田優斗の問いかけにエリスは返答を躊躇う。
エリスが返答に躊躇ったのはほんの数秒だったが、その数秒でも誰も言葉を発さなくなっただけで旧校舎の静けさを再確認することができた。
「優斗の記憶を消したのはエリスです。習得しようとすれば誰でも記憶操作の魔法は習得できますが、たまたま最悪の魔法使いを追っていたエリスが優斗を港のコンテナ倉庫の中で意識不明の重体で倒れているのを見つけました。その時病院に連れて行く前にエリスが優斗の記憶を消し去ったのです」
エリスは申し訳なさそうに下を向き、話を続けた。
ノーマの魔法使いに関する記憶を消し去る。魔法使いが存命する上で必要なことなのだろう。坂田優斗はそれについて問い詰めたりする気は毛頭なかった。
「優斗の記憶を消した後、倒れている優斗の近くには強力な黒魔法の魔力因子が残っていたことに気づき、優斗が最悪の魔法使いと遭遇していたと予想できました」
「それって、俺が最悪の魔法使いに殺されそうになってたってこと……?」
「確信はないですけど、多分そうですね。魔法界で黒魔法を使うことができるのは最悪の魔法使いしかいません」
港のコンテナ倉庫といえば坂田優斗も場所は知っている。今となっては誰でも入れるかつ誰も寄り付かない場所だ。
なぜ最悪の魔法使いが坂田優斗を襲ったのか。そしてなぜそのとき坂田優斗は港のコンテナ倉庫にいたのか。そして何人もの魔法使いを葬ってきた最悪の魔法使いに襲われて、どうして生き残ったのか。
謎だらけが残っているがエリスが言うように坂田優斗が魔法使いに関する記憶を消されていたことは本当らしい。
二ヶ月前に交通事故で意識不明の重体だったと聞かされていたが、エリスが言う最悪の魔法使いと坂田優斗が遭遇した日も二ヶ月前。交通事故には身に覚えがなかったのだが、この話が本当ならば辻褄が合っている。
そのことを理解した上で一番最初に質問したことをもう一度質問する。
「んで、どうして俺と桜井美言を会わせたんだ?」
その問いに関しては桜井美言も反応を見せる。坂田優斗と桜井美言はエリスの返答を聞き逃すまいと待っていた。
「エリスも優斗同様に闇の魔法使いから狙われています。狙われている理由はエリスの記憶している数千万の魔法。今日セレソと会いに来たのはエリスと優斗をセレソに守ってもらいたいからなのです」
「そういうことでしたかエリス様。私の力を求めていただき大変光栄なのですが、残念ながら私でも闇の魔法使いたちからエリス様とこの男を守り切る自信がないのですが」
「今敵はどこに潜んでいるのかわかりません。セラム城下町の魔法騎士の中にも闇の魔法使いの魔の手が既に忍び込んでいるでしょう。信頼できるあなたの力が必要なのです」
「しかし――!」
闇の魔法使いたちから守り切る自信がない桜井美言はエリスのその意見に反対する。
だが桜井美言も気づいていた。エリスが言うように敵はどこに潜んでいるのかわからない。エリスの言うことは決して間違ってはいないということを。
桜井美言に闇の魔法使いたちから狙われるであろう坂田優斗とエリスを守ってもらう。
確かに先ほどの魔物を圧倒的な強さで退けた魔法使いだ。桜井美言が守ってくれるというのは凄く頼もしい。
――だが守られてばかりでいいのか。
これは不良の喧嘩じゃない。人の枠を超えた魔法使いの戦いだ。坂田優斗が出る幕なんてない。
――この先の人生、その魔法使いから狙われたままずっとビクビクと怯えながら生きていくつもりなのか。
勇敢に戦っても死ぬだけだ。先ほどの魔物との戦いも桜井美言が来なければ坂田優斗は魔物に喰われていた。坂田優斗は無力だ、貧弱だ、臆病だ。
――このまま無力のままでいいのか。弱いままでいいのか。臆病のままでいいのか。
「俺は――」
坂田優斗は臆病で、そして魔法使いには遠く及ばない弱さだ。
だが坂田優斗のその心は戦いの火をつけた。何が坂田優斗をそうさせるのか。それははっきりとはわからないが、確かにわかることがある。
坂田優斗は死ぬことよりもこのまま桜井美言に守ってもらい、生かされていることが嫌だった。
そして二ヶ月前、最悪の魔法使いと坂田優斗の間に何があったのか。それを知らなくてはいけない。
どんな気持ちよりもその想いはなぜか強かった。
忘れたくなかったこと、忘れてはいけないこと。それらを二ヶ月前に置いて来てしまったような気がしたのだから。
「――俺は戦う! 魔法を身につけて! 闇の魔法使いとやらも撃退して! 俺も一緒にエリスを守る!」
静かな旧校舎で坂田優斗は戦う決意を示した。
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学校からの帰り道、坂田優斗は一人で、小さな歩幅でゆっくりと歩いていた。
エリスのことは魔法使いである桜井美言に任せ、坂田優斗は「戦う気持ちは伝わったが、一度帰って落ち着いた方が良い」と桜井美言に告げられ今に至る。
実際魔物に命を狙われた後だ。気が動転していたかもしれない。
だがそれでも、今も旧校舎で示した決意は揺らぐことはなかった。
エリスはこの後、桜井美言と一緒に『バー・ラウラ』の店主、ラウラさんにセレソもとい桜井美言を紹介した後、桜井美言の家で寝泊まりするらしい。
ラウラさんはエリスの信頼できる魔法使いの一人であり、明日坂田優斗はラウラさんに魔法を早速教わるつもりだ。
「しかし魔法か。難しいのかな、そもそも魔法って俺にも使えるのかな」
今更ながらな疑問を口に出す。
桜井美言やエリスが否定しなかった様子から恐らく魔法は頑張れば皆使えるだろう。
そう思うことにした。
「魔法って痛いのかな」
桜井美言が放った炎の魔法を思い出す。続いてそれを受けたあの魔物も思い出し、「ああ、痛そうに悲鳴上げてたわ」とすぐに自問自答。
戦う決意を示したものの、やはりそれは過酷な道だ。きっと痛いだろう、きっと苦しいだろう、きっと逃げたくなるだろう。
「でも逃げるわけにはいかねえよな」
坂田優斗は改めて闇の魔法使い、そして最悪の魔法使いと戦うことを心に決め帰宅した。
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時刻は二十二時。
いつも通りの就寝時間なら後一時間後なのだが、坂田優斗はこの日いつもよりもどっぷりと疲労が溜まっていた。
それもそのはずだ。今日は朝から銀髪少女が布団に潜り込んでいて、魔法の世界に行き、魔物と一戦交え、衝撃な事実を告げられたのだから。
まさか二ヶ月前から自分が魔法使いの世界にここまで関わっていたなんて想像もしていなかった。
「あれ? あんたもう寝るの? 早いねえ」
リビングから自室に戻る坂田優斗の姿を見た母親、坂田直子がそう問いかける。
坂田直子はリビングのソファに深く座り込み片手に缶ビールを手に持ち、テレビを見て楽しんでいる。
「あ、寝る前に歯磨きしときなよ! 歯茎はすぐ腐っちゃうからね!」
「もうしたよ、おやすみ」
寝る前に必ず言われるセリフを今日も受け取り、坂田優斗は二階の自室に向かう。
坂田優斗の家族は現在母親一人の母子家庭だ。父親の坂田直斗は坂田優斗が幼い頃に他界し、兄弟はいない。
一見、寂しそうな幼少期を送ってきたかのように思われるがそんなことはない。祖父や祖母からはとても可愛がってもらっていたし、正月の親戚の集まりで従兄弟と会うのが楽しみになるくらい坂田優斗は可愛がってもらっていた。
自室にたどり着き、坂田優斗はまっすぐベッドに向かい身を委ねる。
ふかふかで気持ちいい。疲れていた分すぐに眠りにつくことができた。
そのせいで、その部屋に忍び込んでいた桜井美言に気づかぬまま坂田優斗は深い眠りに落ちたのであった。
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――あなたの意志は認める。あなたは臆病なんかじゃない。無力でも立ち向かう勇気を持てる人はきっとあなたくらいしかいない。
時刻は二十三時。
桜井美言は坂田優斗の家を後にし、エリスが待っている自宅へと向かって夜の住宅街を歩いていた。
――それも魔物に襲われた直後に。普通のノーマなら私に守ってもらうようにすがりつくはず。
夜の住宅街は早朝と同じように静かで人通りも少なかった。月光は雲に隠れていて、電灯の明かりだけが夜道を照らしている。
――でもね、あなたのその決意が私たちの命を脅かすのなら、
桜井美言の自宅はマンションの二階のとある一室だ。
自宅に辿り着いた桜井美言は玄関の扉を開け、家の電灯のスイッチを押した。
――その決意を記憶ごと消し去ってでも、私がエリス様を守る。
自宅の電灯のスイッチを押した瞬間、その光景を見た桜井美言はその場に立ち止まった。
食器棚の皿や本棚の本、花瓶などが床に転がり落ちている。部屋の壁一面を占める窓は大きく割られていた。
自宅の中は何者かの襲撃を受けたかのように荒らされていたのだ。
そしてその荒れ果てた部屋には宿泊していたはずのエリスの姿はなかった。
「私がエリス様から目を離した隙に……!」
その空間に残っていたのは荒らされ部屋に横たわる家具と、エリスを守れなかった罪悪感、そして襲撃した者への怒りを抱く桜井美言だけだった。
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翌日、窓から差し込む光で目を覚ました坂田優斗はぼんやりした目で壁に掛けかけている時計の針を見つめる。
時刻は七時三十分。
時間を確認した坂田優斗は胸中に空白感を抱きながら布団から起き上がる。その瞳から光は消え、疲労感を醸し出していた。
坂田優斗は重たい足取りでリビングへと向かう。その表情は憂鬱、そして退屈さを物語っていた。
――いつもと変わらない一日がまた始まる。
坂田優斗はそんな想いを胸に抱いていた。昨日抱いたはずの決意を置き去りにして。