第7話 最悪の魔法使い
「お前が……セレソなのか?」
そこに現れた桜井美言に坂田優斗はそう問いかける。
桜井美言が先ほどの魔物に炎の魔法を使っていたこと。そして自身をセレソと名乗っていたこと。その事実を知ってもなお、桜井美言がセレソだったということが信じられなかったのだ。
ただの地味な女子生徒――ずっとそう思っていたのだから。
「あら、セレソはスペイン語で桜って意味よ。割とわかりやすい名前のつもりだったのだけれど、それでも気づかなかったのね」
桜井美言は口元を緩ませ小馬鹿にした態度でそう答える。そして辺りの状況、投げて床に転がっている椅子や凍りついた窓ガラスを見て、
「随分危なかったのね。私が無理やり旧校舎の入り口を焼き焦がして来なかったら、あなたさっきの魔物に食べられちゃってたわよ」
「さっきの化け物は何なんだ? そうだ、エリスはどこにいるんだ? さっきお前と会ったって言ってたぞ!」
「一度に何個も質問しないでよ」
必死にいくつもの疑問点を吐き出す坂田優斗に桜井美言はため息をつきながら、割れた窓の外を見て答える。
「さっきあなたが出くわしたのは魔物。魔法界に存在する人外なる存在。知性を持ち、人の肉や魔力を求めて人を喰らう。その魔物が最近この現実社会に出現するようになっている」
桜井美言の説明を聞いて、坂田優斗は先ほどの金髪の女子生徒から魔物へと姿を変えたことを思い出した。
「さっきの魔物は人間の格好に化けてたな。そうやって現実社会に紛れ込んでるってことか」
「ええ、その通りよ。そして私は魔物がなぜ現実社会に出現するようになったのか、何処から現実社会に出現しているのか。その調査を独自で行なっている魔法使いってわけ」
「魔物が現実社会に出現する理由……」
坂田優斗は少し思い当たる点があった。それは『バー・ラウラ』の店主――ラウラさんがエリスにした忠告だ。
『エリス様、あなたはあまり現実社会をうろつかない方が良い。今奴らはあなたを隅々まで探しているはずだ』
その『奴ら』が桜井美言が言う『魔物』のことを指しているのだろうか。
――そうだ、エリスといえば。
「それで、エリスは無事なのか?」
「ええ、エリス様は私が焼き焦がした旧校舎の扉を魔法で再生して下さってるわ。私は炎の魔法が専門で木製のドアを作るなんてできないから」
「そういえば皆エリスのことエリス様って呼んでるけど、エリスって――」
ふとした疑問を問いかけようとしたそのとき、廊下からドタドタと教室に走り込んでくる音が聞こえてくる。それもだんだん大きくなって。
「優斗ぉぉぉぉぉ!」
廊下から走ってきたのはエリスだった。顔面を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにして、腰を落としている坂田優斗にエリスは勢いよく飛びつくと、そのまま坂田優斗の腕の中で泣き続けていた。
「結晶から優斗の声が聞こえなくなって、何かあったのかと思って、エリスは心配で心配でぇ……」
「あー、そうか。心配かけてごめんな」
魔法使いとはいえ、こうして泣きじゃくるエリスはただの子どもに見えてくる。しかし、ラウラさんや桜井美言が「エリス様」と呼ぶ様子から察するにエリスは何か特別な存在なのだろう。
だんだんと泣き止んできたエリスの頭を撫でながら、坂田優斗は問いかける。
「エリス、おしえてくれ。どうして俺と桜井美言を会わせたかったのか」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
昼休みが終わろうとしていた。
時間が経ち、泣き止んだエリスに坂田優斗は問いかける。エリスはなぜ坂田優斗を桜井美言――もといセレソと会わせたかったのか。
そもそもなぜ坂田優斗なのか。エリス様と呼ばれる理由は何なのか。
聞きたいことが沢山あった。昼休みが終わっても教室には戻らずそのまま旧校舎でエリスの話を聞こう。そう考えていた。
坂田優斗は腰を床に落としたままの状態で、エリスは坂田優斗と目線を合わせるように同じように床に腰を落とし、桜井美言は腕を組み教室の壁に寄りかかっている。
「んー、どこから話をすればいいのかぁ……」
エリスは坂田優斗の問いかけに何と答えるか迷っているような様子を見せながら、その口をゆっくりと動かす。
「まずエリスのことですが、私は普通の魔法使いではありません。私は生まれるその時に全ての魔法を記憶するように生まれた魔法使い――エリスなのです」
予想外の答えだった。てっきり坂田優斗は「偉大なる魔法使い」とか「最年少の魔法使い」とかを想像していたのだ。
「つまり、その、お前は人造人間ってこと?」
「違います! そうじゃなくて、赤ちゃんの時に無理やり魔法の知識を脳に詰め込まれたんです」
「ああ、なるほどな。全ての魔法を記憶する……それでみんなエリス様って呼んでるのか。ってお前全ての魔法ってすげーな!」
「記憶しているだけで全ての魔法を使うことはできません。エリスは全ての魔法を管理している図書館みたいなものなのです」
驚く坂田優斗を真剣に見つめ、エリスは話を続ける。
「そして優斗が魔法使いと出会ったのは今日が初めてではないのです」
「俺が魔法使いと会ったことがあるって? 人違いじゃないのか? 流石に魔法使いと一度出会ったことは忘れはしねえよ」
笑みを浮かべ冗談っぽく話す坂田優斗だったが、エリスはその反応を予想していたかのようだった。
「いえ、優斗は覚えていないはずです」
エリスは言葉を一度途切らせ、きょとんとした表情を見せている坂田優斗に改めて話す。
「なぜなら優斗は魔法使いに関する記憶を二ヶ月前に全て消されているのです」
「記憶を、消された?」
エリスの真剣な表情でその一言を聞いた瞬間、坂田優斗の笑みが失せた。
「現実社会の人間――ノーマが魔法使いの存在を知ってしまわないように、ノーマの記憶を消すということはよくある話ね」
教室の壁に寄りかかっている桜井美言はそう呟く。
その話を聞いてもなお、記憶を消されていたことを信じることができない。
今までずっと変わらぬ日々にうんざりしていたのだ。毎日同じ時間に起きて、毎日同じ時間に登校して、毎日同じ時間に帰宅して、毎日同じ時間に寝る。
ずっとそうやって生きてきたのだ。生きてきたはずだ。
だが、エリスは坂田優斗が魔法使いと既に遭遇していたというのだ。
「俺はずっと気づかないまま、無駄な時間を過ごしてたっていうのか」
今まで退屈していた日々を改めて後悔した。記憶を消されていたとはいえ、いつもと変わらぬ日々を過ごしていたわけではなかったのだ。
しかし記憶を消されたことを事実と認めるのならば、坂田優斗は聞かなくてはならないことがあった。
「じゃあなんで記憶を消した俺に、今更エリスは会いに来たんだ?」
「……優斗が記憶を消される前に、今現在捜索中の魔法界における最重要人物に遭遇していたかもしれないからなのです」
「魔法界における最重要人物……?」
坂田優斗が魔法使いに関する記憶を消された今となっては、その最重要人物なんてとても思い出せそうにはない。
その最重要人物がどんな人なのかを聞いたところで思い出す可能性は感じられなかった。
「その最重要人物ってのはどんな奴なんだ?」
「数々の魔法使いたちを葬り去り、魔法界に存在する禁忌とされる魔法――闇の魔法、又の名を黒魔法……その全てを扱う最悪の存在。その名を知る者はいない。その姿を見た者もいない。でもその存在は実在する。私たち魔法使いはその存在をこう呼びます――」
エリスは一度息を吐き切り、ゆっくりと息を吸い込む。そして吸った息を吐くように、
「――最悪の魔法使い。と」
その呼び名を口にした。