第1話 魔女と出会った日
――いつもと変わらない一日がまた始まる。
窓から布団に差し込む光で目を覚ました彼は、目覚めたばかりのぼんやりした目で、壁に掛けかけている時計の針を見つめた。
別に何もかもがいつもと変わらないというわけではない。その日食べるご飯は毎日違うし、テレビのニュースも違う。
ここで言ういつもと変わらないとは、根本的にその日活動する内容が変わらないということだ。
高校二年生である彼の一日は、七時三十分までに起床し、八時三十分までに学校に登校し、十五時に帰宅し、二十三時に就寝する。
今日も明日も明後日も、この予定が変化することはほぼない。
「さて、行くか」
時計を見て、一つ目の予定『七時三十分までに起床する』を達成したことを確認し、次の予定『八時三十分までに学校に登校する』を実行するべく彼――坂田優斗は布団から起き上がる。
布団の中に何かいる?
布団からさあ出よう! としたその瞬間、気づいた。よく耳を澄ましてみると、寝息のような息遣いが聞こえる。
「これは、まさか。いや常識的に考えておかしいだろ」
いくら非現実的なことを望んでいるとは言え、朝起きたら同じ布団の中に美少女がいるとか、そんなラッキーイベントが発生するわけないはすだ。
しかし、その言葉とは裏腹に、布団には異常な膨らみがあり、もぞもぞと動いていたりもする。
これは確信した。何かがいる。
「誰だあああああ!」
布団を剥ぎ、宙へと投げ捨てる。
そこにいたのは、スヤスヤと眠りこけている銀髪の少女だった。
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坂田優斗は、ごく普通の高校生である。
やや茶色がかった髪の毛は長くも短くもなく普通で、特徴は母親似のぱっちりした目。だが、この特徴を本人は気に入っていない。そのぱっちりした目からは、可愛らしさを感じるものがあり、本人はもっと男らしくなりたいと思っていたからだ。
だがここ最近、坂田優斗の特徴であるその目も、瞳から疲労感を感じるような目つきに変わってしまっている。その原因は、彼の心の状態から影響していた。
『つまらない』
なぜなら、今の坂田優斗はクラスメイトとの友好関係を築くことができていないのである。
それは二ヶ月前のこと、坂田優斗は交通事故に巻き込まれてしまい、意識不明の重体によって一ヶ月半入院していた。
奇跡的に意識が回復し、退院することができたのだが、学校の授業には追いつけず、友人たちといても孤独感を感じ、学校には彼の居場所がなくなってしまっていたのである。
このつまらない人生に何か大きなイベントでも起きて、この変わらぬ日々が大きく変わってはくれないだろうか。なんて、夢じみたことは思ってもいない。いや、願っても叶わないことだと思っていた。
「叶ってしまった。人生有数のビックイベント」
朝起きると、見知らぬ銀髪美少女が自分と同じ布団で寝ていたのだ。
白いローブ姿のその少女、推定年齢は六歳、腰まで伸びた銀髪の髪は寝癖がついていて、その美少女と言わざるを得ない寝顔は、気持ちよく眠れていることを物語っている。
その眠りを邪魔するのは少しばかり心が痛いが、この少女の事情を聞かなければならない。坂田優斗は少女の頰を優しくぺちぺちと刺激し、声をかける。
「おーい、起きろ。銀髪の美少女が同じ布団で寝ていたら思春期男子にとっては超嬉しいイベントだけどな。不法侵入だぞ」
「うぅ……」
頰の刺激に対して少女は顔をしかめている。その後も刺激を続けていると、ゆっくりと目を開け、青い瞳をこちらに向けた。
「――あ、おはようございますなのです」
「何で俺の布団にいるんだ? お前名前は?」
目を覚ました銀髪の少女は、途端に布団から立ち上がり、寝ぼけている顔を白ローブの裾で拭く。
「私の名前は――エリス」
その推定年齢六歳の小さな体で「えっへん!」と、手を腰に置き、ふんぞり返り、
「実は超すっごい魔法使いなのです!」
自らが魔法使いであると言い張るのだった。
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『魔法使い』。それはおとぎ話やファンタジー映画、物語の中に存在する架空の存在。
坂田優斗の想像だと、それは手に持っている杖から火が出たり、水が出たり。あるいは箒に跨って空を飛んでいたりする。
そんな自らが『魔法使い』だと言い張る銀髪少女が、「寝癖を整えたい」ということで、今、我が家のシャワーを借りている。
本当にあの銀髪少女――エリスが魔法使いだとでも言うのか。坂田優斗は魔法使いなんて信じることはできないが、魔法使いではないと言い切ることもできなかった。
学校の制服に着替え終え、リビングのソファに深く座り込む坂田優斗は、このわけのわからない状況を頭の中で整理しようと、脳みそをフル回転させていた。
「落ち着け俺、こーいう時はまず、あの女の子が本当に魔法使いなのか。魔法使いだと思われる要素を挙げていこう」
自身にそう言い聞かせる。そして、その通りにゆっくりと整理していく。
まず『エリス』という名前、そして腰まで伸びた銀髪から察するに日本人ではないだろう。
「逆に魔法使いだと思われない要素を挙げるとすれば、見知らぬ人の布団で眠っていたことか……いや、普通の人間でも充分あり得ないことだが」
「シャワー貸してくださってありがとうございますなのです!」
リビングのソファに深く座り込み考え込んでいる坂田優斗。その隣に、びちゃびちゃと水を垂らしながら、裸のエリスがソファに飛びつく。そう裸の少女が。
「ちょ、お風呂場の入り口にタオル置いておいたから! あと裸のままこっち来んな!」
人形のように軽いエリスを両手で抱え、お風呂場の入り口に連れて行き、用意したタオルを指差す。
「はぁーい、わかったのです!」
少女は裸を見られたのにも関わらず、何も変わらぬ態度で軽い返事を返してくる。この無神経さ、これも魔法使いと信じさせる要素の一つなのだろうか。
坂田優斗は、まるで通り雨が通り過ぎたようなリビングを見て思っていた。
「ったく、あの魔法少女めが……!」
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タオルで体を拭き、黒い礼装に白いローブを着込んだエリスは、リビングに来るなり、せっせと床掃除する坂田優斗に問いかける。
「何をしているのですー?」
「何をしているかって? 自称魔法使い様の水魔法によってビチャビチャになった床を雑巾掛けしているところですよ」
リビングに訪れた通り雨の元凶――エリスに坂田優斗は怒りの視線を向ける。
エリスは「ああ、なるほど」と納得した表情を見せると右手の人差し指と中指を立てた。
坂田優斗はその二本の立てた指を見て「何それ?」という目線を送っていると、エリスはハッと思い出したような表情を見せた。
「あぁ、そうでした、ノーマの方は魔法のことを知らないのでしたね」
「ノーマ?」
「魔法を知らない人間のことです。実はあなた達が知らないだけで、魔法っていうのは実在するのですよ、見ててくださいね!」
そう言うと、エリスの人差し指と中指の爪先から、淡い光が放ち始める。そして、濡れているリビングの床から、水分のみが抜かれ宙に舞った。床だけではない、エリスが濡れた体のまま座ったソファからも、水分のみが抜かれていた。
そして、リビングの床、ソファから抜き取った水分は空中で一つの液体の塊に凝縮され、野球ボールのような大きさの球体を形成していた。
「この水、どこに捨てたらいいですかー?」
「え、あ、じゃあ外に」
「はぁーいでーす」
エリスは左手の人差し指と中指を窓に向けると、その指二本で遠隔操作するように窓を開け、開いた窓から水の球体を外へ誘導し、外に誘導された水の球体は緊張が解けたように放散した。
「え、なに、なにしたの?」
魔法というよりもサイコキネシスを目にした坂田優斗は、何となく返事が予想できるはずであるが、信じたくない気持ちもあり、エリスにそう尋ねる。
「右手で水分を操って、左手で窓を開けさせてもらいました!」
そして、「ふふん」と自慢げな表情を見せつけ、エリスは予想している返答をそのまま返すのであった。
「これが魔法です!」
エリスが魔法使いというのは本当のことだったと、確信を得てしまった瞬間であった。
ならば何故、魔法使いである彼女は坂田優斗の前に姿を現したのだろうか。
平凡な高校生活を過ごしていた坂田優斗の前に、魔法使いがわざわざ姿を現す理由がわからない。さては迷い込んでしまったのか。あるいは誰かから逃げてきたのか。まさか、坂田優斗を魔法使いにするために現れたのだろうか。まさかまさか、契約して魔法少女になれなんて言わないだろうな。
目の前にいる存在が魔法使いなだけあって、妄想がどんどん膨らむ。
そうして勝手に期待を抱いていると、銀髪の少女は口を開き、
「今日、エリスがここに来た理由。そして、あなたにしてもらいたいことがあります」
ついに来た。さて、魔法使い――エリスはなぜ坂田優斗の前に姿を現したのか。自分を守ってほしいのか? 坂田優斗が魔法使いになる時が来たのか? 僕と契約して魔法少女になってほしいのか? いずれにせよ、この坂田優斗、全力で魔法使いの期待に応えて見せよう。
「あなたには、これから魔法使い――『セレソ』に会ってもらいたいのです」
膨らんだ期待が無惨に散っていく感覚を胸に刻みながら、坂田優斗はその用件を受け止める。
エリスが坂田優斗に会ってほしい魔法使い――『セレソ』とは何者なのか、なぜ会ってほしいのか、なぜ坂田優斗なのか。
疑問に思いながらも、坂田優斗の首はゆっくりと頷いていた。