表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

家族

作者: 井濾鳥ユキ



 去年のクリスマスに、あなたは死んだ。今日からきっかり三六四日前のことだ。

 それは、確かに予測できたことで、突然の出来事だった。

 私はあまり泣かなかった。

「君はとても不細工だよ」

 と、あなたが言うたび私は怒ったけれど、あなたはいつもと口角を上げて、白い歯を見せていた。その笑顔がまたなんだか、私の心を怒らせた。

 そして私が拗ねて寝室に潜っていると、少ししてあなたが扉を開けて、私の隣にピッタリとくっつてくる。

「――だから、ずっと笑っていて」

 なんて、私の心をつついてくる。だから、私は泣かなかった。あの屈託のない笑顔を浮かべるあなたが、そんな変なことを言えてしまうあなたが……私は、あなたが――

 ビュウッと風切り音が響いて、ドラゴンの群れが頭の上を過ぎ去っていった。

 あのライダーたちは、クリスマスムード一色の空を、速度違反で追いかけまわされる夜になるだろう。

 私は白い息を一つ立ち昇らせて、きらびやかな電飾が施された大通りへと足を向ける。

 明日は、クリスマス。今夜は、ごちそう。

 私の好きなものをたくさんと、あなたが好きなものを少し。

 ――なんて。

 そんな意地悪なことを思ってみても、あなたの笑顔に、毎年私はあっけなく負けていた。それは、今年も。

 あなたの大好きだったものを、たくさん用意しよう。新鮮なトカゲの尻尾のマリネに、サギのグラタン。メインは、ベヒモスのステーキで。

 それから、ケーキは絶対に欠かせない。珍しく好みが合って、二人でよく食べたチョコレートケーキ。今年は、それをホールで用意した。あなたが好きだった駅前のお菓子屋さんの、あなたが好きだったホワホワのチョコレートケーキは、今頃冷蔵庫の中で、私たちの帰りを待っている。

 後は、部屋の飾りつけ。クリスマスツリーは、昔の写真を頼りに、あなたと一緒にいた時と同じ飾りつけを再現した。それで、何かがどうにかなるわけじゃないけれど。

 改札を抜けて、階段をホームに上る。冷えた手袋を揉み合わせながら、カーブからアスピドケロンが姿を現すのを待っていると、大音量のクリスマスソングが聞こえてきた。鈴の音と、繰り返すキャッチ―なメロディーが特徴的な、この町に住んでいる人ならだれでも歌えるくらい、とても有名な曲。あなたも、この季節になるとよく口ずさんでいた。

 私も、ついつい鼻歌を歌ってしまう。するとあなたの歌声も、私の冷えた耳に響いてきた。

 とても明るくい曲調に、少し涙ぐんでしまうような歌詞は、クリスマスの空気にとても似合っている。

 チカチカと右手側に光を感じると、空中水路を通って、アスピドケロンの子供が静かにプラットホームへ滑り込んできた。まもなく完全に止まり、背中に載せられた客車へと、人々が吸い込まれていく。

 私も、あなたと共に、家に帰る。




 どうしてこんなにも残酷なことが存在しているのだろう。

 世界は、あっけなく私の最愛の人を奪っていった。その行為にはなんの体温も感じず、感情の見えない真っ黒な爪があなたを切り裂くのを、私は見ていることしかできなかった。降り続ける雪よりも冷たくなっていくあなたを、抱きしめることしかできなかった。

 私に力があれば、何か変えられたかもしれない。けれど、それはあり得ないことだ。私はそれを、誰よりもわかっている。

 それでもあなたは、あの依頼のリスクを知っていても、私を選んでくれた。最後かもしれない戦いに、私を連れて行ってくれた。そして、それは本当に最後になった。あなたは全てを置いて、私の目の前で――私の腕の中で、いなくなった。

 二人でローンを組んで買った小さな一軒家の庭に、数匹のドラゴンが佇んでいるのが見えた。約束の時間より早い――いや、どうやら私が遅れたようだ。右手の腕時計は、私が思っていたよりも五分ほど先を示していた。

 固まって談笑していた集団に、声をかける。

 エルフに、ハルピュイア。海底で出会った、人魚までいる。年齢も、年寄りから成人前までと様々。この人たちは、みんな、あなたを慕ってくれた人たち。旅先であなたが助け、そしてあなたを助けてくれた人たち。

 あなたがいなくなって、ちょうど一年。あなたを送るクリスマスパーティーに集まってくれた、あなたが結んだ縁。

 死者が出た家は、翌年のクリスマスにパーティーを開くことになっている。昔からの伝統で、なんでも、いつまでも暗くいないで、早く魂を送る――それも、明るく送り出すためらしい。魂に、「私は大丈夫だよ」と知らせるために、ごちそうを用意して、前日の夜から翌朝まで騒ぐのが、しきたり。もう、ほとんど形骸化している習慣だけれど、こうして残されているということは、みんな、どこかで信じたいのかもしれない。

 私が手を上げると、みんなはすぐに気がついて、挨拶を返してくれる。私は玄関の鍵を開け、彼らを家に招き入れた。買ってきた食材を整理しながら、皆で談笑する。今年は特産品の値段が上がっただの、新しいダンジョンが発見されただの、親戚に子供が生まれそうだの、そんな日常会話。それすらも、なんだか素晴らしいものに思えてきて、私は慌てて冷蔵庫の扉で顔を隠した。

 とても、顔が冷えた。




 窓の外を見てみろ、とリビングから聞こえてきた。順調に料理をしていて、メインディッシュのステーキをお皿に取り分けたところだった。

 キッチンから顔を出すと、浮遊式小型水槽に浸かった人魚のマーリが窓の外を指さしていた。他の皆も集まって、庭を覗く。

 そこには、雪が降っていた。あの日と同じ、雪が。

 ――正確に言うなら、違うけれど。

 これは、雪ではない。この町には、町属のドラゴンライダーたちによって、クリスマスに雪を降らせる習慣がある。鈍い銀色の体から、凍えるブレスを辺りに吐き出させて、キラキラと輝く氷の粒を降らせる。イルミネーションと並ぶ、有名な光景。

 やがてボサボサの芝生に積もり始めて、銀色の静寂で夜を包み込もうとする。少し部屋が冷えたような気がしたので、隣にいたジョイフに暖炉を任せて、キッチンへ戻った。

 あなたは、雪が好きだった。遠征中にも、子供みたいな無邪気な笑顔で、よくはしゃいでいた。私はあまり好きではなかったけれど、あなたの喜ぶ顔が見たくて、一緒に雪原を走り回った。

 そんな、あなたが好きな雪の中に、あなたはうずもれていった。嫌いなものに囲まれて最後を迎えるよりは、いくらか安らかな気持ちになれたのかもしれない。

 冷たくなる手が私からずり落ちて、湿った音をたてた後、あなたは笑った。いつもの笑顔とは程遠い、疲れ切った目と、ひきつった口元の笑顔は、私の中で一番の笑顔になった。

 ――スープを温めなおして、食卓に運ばないと。




 すっかり食卓の準備が整って、皆に飲み物を渡す。グラスに注がれた濃い紫色のワインは、有名な港町のものだ。生前のあなたが手に入れて、いつか飲もう、と言っていたものだけれど、その機会はもう永遠に訪れない。だから、今日は栓を開けた。この特別な日に、あなたと飲みたくて。きっとあなたも喜んでくれると、信じて。

 いざ乾杯をするときになって、音頭は誰がとるかということになった。そこで、真っ先に名前が挙がったのは、私。考えてなかったが、確かに、私が妥当だろう。

 何を言おうか。

 半年前の、あなたの授与式のことか。

 それとも、あなたと出会ったときのことか。

 いや、やっぱりここは、あなたがこの世を去った、一年前のことを話そう。忘れようとしても、忘れられない話を。忘れたいけれど、忘れたくない話を。ずっとこの思いを抱いて生きていきたいし、新しい趣味でも見つけて早く忘れたいような話を。

 今日は、あの場にいた人もいるし、いなかった人もいる。あなたがいなくなったことをすぐに知った人もいるし、知らせるのがずいぶん後になってしまった人もいる。だから――




 あなたが依頼を受けたのは、十一月の終わりころだった。

 それは、国からの依頼だった。何年も信用を積み上げてきたあなただから、依頼が来たのだと思う。それは純粋にすごいと思ったし、私も自分のことのようにうれしかった。

 でも、その内容は、ドラゴンの盗伐だった。

 ドラゴンといっても、普段町で見かけるドラゴンライダーたちが乗っている、小型のものではない。遥か太古から生きているといわれる、巨大な竜。真っ黒な鱗と、二枚の翼。四本の太い四肢を持った、神話の生き物。

 それを、盗伐してこいという依頼だった。その詳細を聞いた私は、無茶だと思った。いくらあなたでも――いくら、数々の伝説を築いてきた、生ける伝説と呼ばれるあなたでも、本物の神話にはかないっこないと。依頼を断るよう、私は言った。

 それでも、あなたは首を横には振らなかった。

 一か月ほどで、仲間や道具を整えて、あなたは旅立った。最後まで反対していた、私も連れて。

 巨大樹の森を抜けた、ユグドラシルのふもとに広がる大草原。人間界と神界の間に広がる、静かな境界地。そこに、一匹の漆黒が――ドラゴンが、いた。

 ドラゴンは、尻尾を振るった。それは、私たちの仲間――盾持ちのドワに直撃し、彼は意識を失った。

 そこからはもう、一方的だった。やっぱり無理だった、もう逃げようという私に、あなたは言った。

 冒険者として――いや、一人の人間として、一度受けた依頼は、断ることができない、と。

 あなたは、本当にまっすぐで、そしてその信念を貫くことができる強さとカリスマを持っていた。そんなあなただからこそ、ここまで来れて、こんな結末にたどり着いてしまった。

 あの依頼は、あなたの存在を消すために仕組まれたものだという噂も聞く。あなたを疎ましく思った国が、勝てる見込みもないドラゴンに、あなたを立ち向かわせたのだと。

 確認なんてできないし、確認しようとも思えないけれど。真実を知っても、あなたが戻ってくるわけじゃない。今更私が何かを知ったって、それで何かが変わるわけではないから。

 そんなようなことを、私は話した。途中、言葉が詰まってしまっても、滲んでしまっても。

 思っていたよりも長く話してしまったようで、あなたが催促してきた。早く、笑顔になってと。

 私は頷いて、グラスをあなたに差し出す。紫色の光がゆらゆらと揺れた。

 早く食べ始めないと、せっかくの料理が冷めてしまう。




 あなたを慕って集まってくれた人たちが、あなたの話で盛り上がっている。もういない、あなたの話で。

 この人たちは、私と同じだ。大切な人を失っても、その姿を見続けている。見えない背中を、追い続けている。

 大体の皿を空にして、ケーキを机の中央に置く。包丁で切り分け全員に配ると、思い思いに食べ始め、美味しい、と笑顔をこぼした。

 この場には、あの日一緒に戦って一緒に傷ついた人も、あの戦いで友人や親戚を失った人もいる。私にも、消えない傷がある。癒えない痛みがある。けれど――

 机を挟んで座るあなたが、甘いチョコレートケーキを口に含むと、途端に顔を綻ばせた。

「おいしいね、母さん」

 死後の世界なんて、数百年前の魔術師たちによって完全に否定されたけれど――幽霊なんて非現実的な現象を、私は信じていないけれど、私は信じている。

 あなたを、信じている。

 これまでも、これからも。

 だから、笑っていられる。ずっと、笑っていられる。

 この場にいる全員が、あなたの残してくれた、――あなたも含めて――あなたを中心にした繋がり。あなたが最後にくれた、プレゼント。

 かけがえのない、私の、私たちの――



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ