家族
去年のクリスマスに、あなたは死んだ。今日からきっかり三六四日前のことだ。
それは、確かに予測できたことで、突然の出来事だった。
私はあまり泣かなかった。
「君はとても不細工だよ」
と、あなたが言うたび私は怒ったけれど、あなたはいつもと口角を上げて、白い歯を見せていた。その笑顔がまたなんだか、私の心を怒らせた。
そして私が拗ねて寝室に潜っていると、少ししてあなたが扉を開けて、私の隣にピッタリとくっつてくる。
「――だから、ずっと笑っていて」
なんて、私の心をつついてくる。だから、私は泣かなかった。あの屈託のない笑顔を浮かべるあなたが、そんな変なことを言えてしまうあなたが……私は、あなたが――
ビュウッと風切り音が響いて、ドラゴンの群れが頭の上を過ぎ去っていった。
あのライダーたちは、クリスマスムード一色の空を、速度違反で追いかけまわされる夜になるだろう。
私は白い息を一つ立ち昇らせて、きらびやかな電飾が施された大通りへと足を向ける。
明日は、クリスマス。今夜は、ごちそう。
私の好きなものをたくさんと、あなたが好きなものを少し。
――なんて。
そんな意地悪なことを思ってみても、あなたの笑顔に、毎年私はあっけなく負けていた。それは、今年も。
あなたの大好きだったものを、たくさん用意しよう。新鮮なトカゲの尻尾のマリネに、サギのグラタン。メインは、ベヒモスのステーキで。
それから、ケーキは絶対に欠かせない。珍しく好みが合って、二人でよく食べたチョコレートケーキ。今年は、それをホールで用意した。あなたが好きだった駅前のお菓子屋さんの、あなたが好きだったホワホワのチョコレートケーキは、今頃冷蔵庫の中で、私たちの帰りを待っている。
後は、部屋の飾りつけ。クリスマスツリーは、昔の写真を頼りに、あなたと一緒にいた時と同じ飾りつけを再現した。それで、何かがどうにかなるわけじゃないけれど。
改札を抜けて、階段をホームに上る。冷えた手袋を揉み合わせながら、カーブからアスピドケロンが姿を現すのを待っていると、大音量のクリスマスソングが聞こえてきた。鈴の音と、繰り返すキャッチ―なメロディーが特徴的な、この町に住んでいる人ならだれでも歌えるくらい、とても有名な曲。あなたも、この季節になるとよく口ずさんでいた。
私も、ついつい鼻歌を歌ってしまう。するとあなたの歌声も、私の冷えた耳に響いてきた。
とても明るくい曲調に、少し涙ぐんでしまうような歌詞は、クリスマスの空気にとても似合っている。
チカチカと右手側に光を感じると、空中水路を通って、アスピドケロンの子供が静かにプラットホームへ滑り込んできた。まもなく完全に止まり、背中に載せられた客車へと、人々が吸い込まれていく。
私も、あなたと共に、家に帰る。
どうしてこんなにも残酷なことが存在しているのだろう。
世界は、あっけなく私の最愛の人を奪っていった。その行為にはなんの体温も感じず、感情の見えない真っ黒な爪があなたを切り裂くのを、私は見ていることしかできなかった。降り続ける雪よりも冷たくなっていくあなたを、抱きしめることしかできなかった。
私に力があれば、何か変えられたかもしれない。けれど、それはあり得ないことだ。私はそれを、誰よりもわかっている。
それでもあなたは、あの依頼のリスクを知っていても、私を選んでくれた。最後かもしれない戦いに、私を連れて行ってくれた。そして、それは本当に最後になった。あなたは全てを置いて、私の目の前で――私の腕の中で、いなくなった。
二人でローンを組んで買った小さな一軒家の庭に、数匹のドラゴンが佇んでいるのが見えた。約束の時間より早い――いや、どうやら私が遅れたようだ。右手の腕時計は、私が思っていたよりも五分ほど先を示していた。
固まって談笑していた集団に、声をかける。
エルフに、ハルピュイア。海底で出会った、人魚までいる。年齢も、年寄りから成人前までと様々。この人たちは、みんな、あなたを慕ってくれた人たち。旅先であなたが助け、そしてあなたを助けてくれた人たち。
あなたがいなくなって、ちょうど一年。あなたを送るクリスマスパーティーに集まってくれた、あなたが結んだ縁。
死者が出た家は、翌年のクリスマスにパーティーを開くことになっている。昔からの伝統で、なんでも、いつまでも暗くいないで、早く魂を送る――それも、明るく送り出すためらしい。魂に、「私は大丈夫だよ」と知らせるために、ごちそうを用意して、前日の夜から翌朝まで騒ぐのが、しきたり。もう、ほとんど形骸化している習慣だけれど、こうして残されているということは、みんな、どこかで信じたいのかもしれない。
私が手を上げると、みんなはすぐに気がついて、挨拶を返してくれる。私は玄関の鍵を開け、彼らを家に招き入れた。買ってきた食材を整理しながら、皆で談笑する。今年は特産品の値段が上がっただの、新しいダンジョンが発見されただの、親戚に子供が生まれそうだの、そんな日常会話。それすらも、なんだか素晴らしいものに思えてきて、私は慌てて冷蔵庫の扉で顔を隠した。
とても、顔が冷えた。
窓の外を見てみろ、とリビングから聞こえてきた。順調に料理をしていて、メインディッシュのステーキをお皿に取り分けたところだった。
キッチンから顔を出すと、浮遊式小型水槽に浸かった人魚のマーリが窓の外を指さしていた。他の皆も集まって、庭を覗く。
そこには、雪が降っていた。あの日と同じ、雪が。
――正確に言うなら、違うけれど。
これは、雪ではない。この町には、町属のドラゴンライダーたちによって、クリスマスに雪を降らせる習慣がある。鈍い銀色の体から、凍えるブレスを辺りに吐き出させて、キラキラと輝く氷の粒を降らせる。イルミネーションと並ぶ、有名な光景。
やがてボサボサの芝生に積もり始めて、銀色の静寂で夜を包み込もうとする。少し部屋が冷えたような気がしたので、隣にいたジョイフに暖炉を任せて、キッチンへ戻った。
あなたは、雪が好きだった。遠征中にも、子供みたいな無邪気な笑顔で、よくはしゃいでいた。私はあまり好きではなかったけれど、あなたの喜ぶ顔が見たくて、一緒に雪原を走り回った。
そんな、あなたが好きな雪の中に、あなたはうずもれていった。嫌いなものに囲まれて最後を迎えるよりは、いくらか安らかな気持ちになれたのかもしれない。
冷たくなる手が私からずり落ちて、湿った音をたてた後、あなたは笑った。いつもの笑顔とは程遠い、疲れ切った目と、ひきつった口元の笑顔は、私の中で一番の笑顔になった。
――スープを温めなおして、食卓に運ばないと。
すっかり食卓の準備が整って、皆に飲み物を渡す。グラスに注がれた濃い紫色のワインは、有名な港町のものだ。生前のあなたが手に入れて、いつか飲もう、と言っていたものだけれど、その機会はもう永遠に訪れない。だから、今日は栓を開けた。この特別な日に、あなたと飲みたくて。きっとあなたも喜んでくれると、信じて。
いざ乾杯をするときになって、音頭は誰がとるかということになった。そこで、真っ先に名前が挙がったのは、私。考えてなかったが、確かに、私が妥当だろう。
何を言おうか。
半年前の、あなたの授与式のことか。
それとも、あなたと出会ったときのことか。
いや、やっぱりここは、あなたがこの世を去った、一年前のことを話そう。忘れようとしても、忘れられない話を。忘れたいけれど、忘れたくない話を。ずっとこの思いを抱いて生きていきたいし、新しい趣味でも見つけて早く忘れたいような話を。
今日は、あの場にいた人もいるし、いなかった人もいる。あなたがいなくなったことをすぐに知った人もいるし、知らせるのがずいぶん後になってしまった人もいる。だから――
あなたが依頼を受けたのは、十一月の終わりころだった。
それは、国からの依頼だった。何年も信用を積み上げてきたあなただから、依頼が来たのだと思う。それは純粋にすごいと思ったし、私も自分のことのようにうれしかった。
でも、その内容は、ドラゴンの盗伐だった。
ドラゴンといっても、普段町で見かけるドラゴンライダーたちが乗っている、小型のものではない。遥か太古から生きているといわれる、巨大な竜。真っ黒な鱗と、二枚の翼。四本の太い四肢を持った、神話の生き物。
それを、盗伐してこいという依頼だった。その詳細を聞いた私は、無茶だと思った。いくらあなたでも――いくら、数々の伝説を築いてきた、生ける伝説と呼ばれるあなたでも、本物の神話にはかないっこないと。依頼を断るよう、私は言った。
それでも、あなたは首を横には振らなかった。
一か月ほどで、仲間や道具を整えて、あなたは旅立った。最後まで反対していた、私も連れて。
巨大樹の森を抜けた、ユグドラシルのふもとに広がる大草原。人間界と神界の間に広がる、静かな境界地。そこに、一匹の漆黒が――ドラゴンが、いた。
ドラゴンは、尻尾を振るった。それは、私たちの仲間――盾持ちのドワに直撃し、彼は意識を失った。
そこからはもう、一方的だった。やっぱり無理だった、もう逃げようという私に、あなたは言った。
冒険者として――いや、一人の人間として、一度受けた依頼は、断ることができない、と。
あなたは、本当にまっすぐで、そしてその信念を貫くことができる強さとカリスマを持っていた。そんなあなただからこそ、ここまで来れて、こんな結末にたどり着いてしまった。
あの依頼は、あなたの存在を消すために仕組まれたものだという噂も聞く。あなたを疎ましく思った国が、勝てる見込みもないドラゴンに、あなたを立ち向かわせたのだと。
確認なんてできないし、確認しようとも思えないけれど。真実を知っても、あなたが戻ってくるわけじゃない。今更私が何かを知ったって、それで何かが変わるわけではないから。
そんなようなことを、私は話した。途中、言葉が詰まってしまっても、滲んでしまっても。
思っていたよりも長く話してしまったようで、あなたが催促してきた。早く、笑顔になってと。
私は頷いて、グラスをあなたに差し出す。紫色の光がゆらゆらと揺れた。
早く食べ始めないと、せっかくの料理が冷めてしまう。
あなたを慕って集まってくれた人たちが、あなたの話で盛り上がっている。もういない、あなたの話で。
この人たちは、私と同じだ。大切な人を失っても、その姿を見続けている。見えない背中を、追い続けている。
大体の皿を空にして、ケーキを机の中央に置く。包丁で切り分け全員に配ると、思い思いに食べ始め、美味しい、と笑顔をこぼした。
この場には、あの日一緒に戦って一緒に傷ついた人も、あの戦いで友人や親戚を失った人もいる。私にも、消えない傷がある。癒えない痛みがある。けれど――
机を挟んで座るあなたが、甘いチョコレートケーキを口に含むと、途端に顔を綻ばせた。
「おいしいね、母さん」
死後の世界なんて、数百年前の魔術師たちによって完全に否定されたけれど――幽霊なんて非現実的な現象を、私は信じていないけれど、私は信じている。
あなたを、信じている。
これまでも、これからも。
だから、笑っていられる。ずっと、笑っていられる。
この場にいる全員が、あなたの残してくれた、――あなたも含めて――あなたを中心にした繋がり。あなたが最後にくれた、プレゼント。
かけがえのない、私の、私たちの――