第三話 救済
あれから、峠は時計のパーツを常備するようになった。にっちゃんには、戦闘スイッチをオフにするように言われている。それを行えば、敵と接近しても戦闘にならないし、サーチにも引っかからないらしい。頭の中で念じるだけで大丈夫だそうだ。
大学ではいつも通りの日常が進んで行く。講義に出て勉強を受ける。その単調な日々の中で、昨日の戦闘は一際輝かしいものとして峠の胸に残っていた。
「龍子、やっぱ良いよなあ」
同期生の山野が言う。
少し前の席には、龍子が確かに座っていた。
「……まあまあじゃね」
ぶっきらぼうに、峠は答えた。けど、借りもあるし、彼女を魅力的だと思っているのは否定できない。
そして、大学が終わると本番の始まりだ。
にっちゃんと合流し、県の中央へと向かう。戦闘スイッチはオンにする。
その日だけで、二人の敵を撃退した。
「うははははは、この調子で億万長者だー」
「刀剣制作スキルも順調に伸びてるし、良い感じですね。ラーメンでも奢ってくださいよ」
「金を持つとこれだ。アテにした奴が集ってくる」
「たかだか三百万で大富豪気分になれる貴方も大概ですね……」
にっちゃんは呆れたように言うと、峠の腕を引いてラーメン屋へと進んだ。
食事に移るために戦闘スイッチをオフにする。
ラーメンを食べていると、窓の外で山野が車椅子に乗った女性を押しているのが見えた。
しかし、そのまま行ってしまった。
あの女性は、一体誰だろう。
(龍子が良いって言ってた癖に。いい加減な奴ー……)
そんなことを、思う。
そして、ラーメンに視線を落とした。
表情が、強張った。
「おい、お前、俺のチャーシュー盗っただろ」
「そんなことするわけないじゃないですかぁ」
にっちゃんはそう言うと、両手を上げて肩を竦めてやれやれとばかりに首を振る。
その胸ぐらを、峠は掴んだ。
「お前なあ、あれ最後に食うのに残しといたんだぞ! 最後にライスとスープと一緒に食べる俺の至福の時間を返せ!」
「言いがかりをつけられるのもなんだなあ。追加注文したらどうでしょう」
「くっそ、こいつ……」
「忘れないで下さいね。貴方の活躍も私の授けたスキルあってのことだってことを。十分に恩を感じて良いのです」
「じゃあ前線と応援の配置交代するか?」
「私が食べましたごめんなしあ」
そう言って、にっちゃんは頭をテーブルにこすりつけた。
外見だけなら眼鏡をかけてて賢そうなのに、中身は随分と残念なようだった。
帰り道、戦闘スイッチを再びオンにする。
「にっちゃんサーチしないのか?」
「衆目の前で叫ぶのはちょっと……」
「叫ばないと使えないのか?」
にっちゃんは照れたように答えない。
(使えねえ……)
そんなことをやっていたら奇人変人として動画サイトにアップされて有名人になってしまう。
そんな名の売り方を峠はしたくない。
「冗談ですよ。サーチしますね」
にっちゃんはそう言って、目を閉じた。その目が、数秒の後にはっきりと開かれる。
「見つけました。徒歩十分ぐらいの位置にいます」
そうして辿り着いたのは、病院だった。
会計待ちの席に、山野がいるのを見つける。それに、手を振った。
「おーい、山野ー」
「おお、峠か……」
「俺今大富豪なんだぜ。会計おごったろーか」
「いや、遠慮しておくよ……負けてくれれば、それでいい」
不可解なことを言って、山野が近づいてくる。
「彼ですよ」
にっちゃんが、楽しむように言った。
「は?」
「対戦相手は、彼です」
次の瞬間、世界に光が溢れた。辿り着いたのはいつもの狭い通路。少し高い場所に台座が置いてある。
山野は、泣き笑いのような表情でこちらを見ていた。
その前に、手甲をつけた巨大な熊が現れる。
熊の咆哮が、通路を震わせた。
「ギブアップしてくれよ……峠……」
峠は、両手に剣を作り出した。それが、無言の回答だった。
体が軽い。一瞬で熊との距離を詰めると、胸を一文字に切り裂いた。
現実ではけして出来ないだろう、神速の動きだった。
「妹がアキレス腱を切っちまったんだ!」
山野の一言で、思わず動きが止まった。
熊の腕が降ってくる。その手甲をつけた腕と剣がせめぎ合い、膠着状態に陥った。
「妹にとって、走ることは生きがいなんだよ……! 峠、頼むよ、負けてくれえ……!」
友達の妹を見捨てるのか? 傷ついた人を見捨ててまで自らの勝利を取るのか? 峠は、混乱した。
熊の荒い息が頭の近くまで来ている。このままでは、頭を食い千切られる。
「峠さん!」
にっちゃんが叫ぶ。
「勝ってから考えましょう!」
その一言で、迷いは吹っ切れた。
熊の腹部に蹴りを放つ。それで、熊は数歩後退する。その喉元に剣を突き刺した。
「フィールド、クローズ」
熊が消えて行く。通路も、にっちゃんの笑顔も、泣き顔の山野も。
そして、現実世界に帰ってくると、そこは病院の会計待合室だった。
山野は膝をつき、嗚咽を上げて泣いている。
「お前は人でなしだ……峠……!」
罵倒を無視して、峠はにっちゃんを振り返る。
「こいつの妹の怪我を完治させるって望みは叶えられるか?」
「余りで貯めてたポイントも全部使っちゃうけど良いんですか?」
少し不服げににっちゃんは言う。
「いいんだよ、それで」
「わっかりましたー」
山野が顔を上げる。
それを見下ろして、峠は彼の肩に手を置いた。
「山野。俺達、友達だろ。困った時は、お互い様だ」
「峠ぇぇ……!」
山野が縋り付いてきて、再び泣き出した。
その頭を、峠は撫でてやった。
「いいんですかねえ。自分の夢をあんな風に叶えちゃって」
帰り道、にっちゃんはぼやくように言った。
「いいんだよ。善行して良い気分だ」
「もっとゲスな人の相棒だったら面白かっただろうなー」
「なんだよ、不服かよ」
「私はね、ここだけの話」
そう言って、にっちゃんは峠の耳に唇をよせる。
「欲にまみれた峠さんが見たいんですよ」
「サイッテーだなお前……」
思わず呆れてしまう。容姿だけなら最上位クラスのにっちゃんだが、性格は最底辺クラスのようだ。
古びた時計のパーツに宿っていた精か何かに品性を問うのも難しいか、と考え直した。
作りかけの時計を見ると、相変わらずパーツが増えている。
「完成させましょうね!」
弾んだ声でにっちゃんが言う。
「その時にゃあ大富豪だな……」
二百人から百万円を徴収したら。それを考えるだけで、脳汁が出る。
浮かれた気分で、峠は家へと帰った。
「そうそう、その調子で欲にまみれてくださいねー」
にっちゃんは上機嫌でそう言った。
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それは夜の公園での出来事だった。
倒れた男を、ゴスロリ衣装の双子の姉妹が見下ろしている。
双子の片割れが、男の胸に耳を当てた。
そして、立ち上がって、戸惑うように言う。
「死んでるわ、姉様……」
「タイプが違うということかしら」
姉は他人事のように、首をひねる。
「まあ、いいわ。行きましょう。私達の目的を叶えるために」
そう言って、姉は歩き始めた。
「はい、姉様!」
妹は、恐れを振り払うように強い声で言い、その後を追った。
次回『豪遊』