第一話 バトルロイヤルは突然に
「だからさあ、俺の相棒がお前にぶつかって骨折れたって言ってるんだよ」
言いがかりだ、と茨木峠は思う。場所は夜の公園。地面には転がって呻く軽装の男。その隣には、嫌らしい笑みを浮かべた男が峠を押し潰さんばかりに見ていた。
茨木峠は二十歳の大学生だ。祖父に習った古武術のおかげで、世間の人々より少しばかり強い。
その古武術の力が振るえれば、こんな奴ら簡単に倒してやれるのに。
しかし、日本の法律はそれを許してはいないのだ。
(まったく、馬鹿らしい……)
「なら、病院へ行って検査をしましょう。その費用は出しますよ」
「その費用をそのまま俺達に渡せばそのまま行くっつってんだよ」
「恐喝ですか? 犯罪ですよ?」
「人を怪我させといて恐喝呼ばわりたぁどういうこった!」
怒鳴り声が周囲に響き渡る。しかし、峠は少しも恐れてはいない。
相手が手を出してさえこれば、こちらが勝てる。
手を出せ、とすら峠は祈っているかもしれない。
燻っている力を開放させる瞬間は、今しかない。
(いっそ煽って、手を出させるか……?)
まずは膝を破壊する。動けなくなったところを転がして背中にとどめの一撃を刺す。隣の奴は遅れて立ち上がるだろう。その顔面に一撃を叩き込んで先制する。
そこまで、峠はシミュレートしている。
「怪我ぐらいでぎゃあぎゃあ騒いでみっともないことだな」
峠は笑みを浮かべて、言葉を紡いだ。
リミッターが、外れようとしていた。
その時のことだった。
「お巡りさん、こっちです!」
女性の声が聞こえた。
男性二人は、慌ててその場から逃げて行く。
後から、女性が一人、呆れたような調子で出てきた。
「なにやってんのよ」
呆れたように言うのは、大学のクラスメイトの水島龍子だ。
その整った顔立ち、長い黒髪と豊満な胸に憧れる同級生は多い。
「いや……ちょっとムカついて」
龍子の白く細い指が、峠の鼻元に突き付けられた。
彼女は腰に手を置いて、呆れたような半眼で峠を見ている。
「ちょっとムカつく程度で喧嘩売らない。今の御時世じゃ喧嘩は犯罪なんだからね」
「わかったよ。ありがとな。お礼に、なんか奢ろうか」
「晩御飯食べてきたところ。貸しにしとくわよ」
そう言って手を振ると、龍子は去って行ってしまった。
後には、みっともないところを見られたなというバツの悪さだけが残った。
帰り道、一人で歩く。
戦う寸前まで行った。もうすぐで、自分の力を全開放させられた。大暴れが出来た。
その高揚感が、中々静まらなかった。
(ボクサーでも目指すべきだったのかなあ)
そんなことを、一人思う。多分、両親は反対しただろう。
そんな時のことだった。
外灯の下に、黒いローブを着て顔を隠している男が佇んでいる。男は手に、歯車のような物を幾つか乗せていた。時計のパーツだろうか、と凝視しているうちにわかった。
変な人に関わるのは嫌だな。そう思い、距離を置きつつ進んで行く。
「そこの人」
声を、かけられた。
「願望を、持っているね」
無視して、歩み続ける。
「私は、その願望を叶える方法を知っているよ」
足が、勝手に止まった。
そして、再度動き出す。
少し先に進んだ外灯の下に、また黒ローブの男がいた。
振り返ると、さっきまでそこにいたはずの彼の姿が消えている。
唖然としているうちに、時計のパーツと紙切れを手渡された。
「このパーツは、君を新たな世界へと導いてくれるだろう。戦いと願望の世界へとね……」
そう言って、黒ローブの男は横を通り過ぎていった。
背後を振り返ると、既にそこには人はいない。横道など、しばらくはなかったというのに。
戸惑いつつも、峠はパーツを手にして早足で帰った。
気味が悪かった。しかし、パーツを捨てるのも躊躇われた。
「君を新たな世界へと導いてくれるだろう。戦いと願望の世界へとね……」
あの一言は、酷く魅力的なもののように峠には感じられた。
帰って、アパートの電灯を点け、テーブルの前に座る。
紙を広げると、パーツの組み立て方が書いてあった。
なんとなく、指示書通りにパーツを組み立てる。と言っても、パーツは二つしかなく、その下に中心から小さな突起が伸びた丸い板があるだけだった。そして、最後の一行で硬直した。
「血を一滴垂らす、だぁ……?」
何処まで気持ち悪いのだろう、あの男は。
「馬鹿らしい」
言って、寝転がる。
「願望を、持っているね」
あの男の言葉が、脳裏に蘇る。
「私は、その願望を叶える方法を知っているよ」
「ああ、畜生っ」
暴れたいのだ、峠は。自分の力を発揮させたいのだ。そのためならば、血の一滴や二滴ぐらいどうしたことがある。
峠は裁縫針を取ってくると、指を軽く刺した。そして、血を一滴、時計のパーツに擦り付ける。
そして、ティッシュで手を拭いた。
何も、起こらない。
「馬鹿らしい」
そう言って、峠は再度寝転がった。
何かが起こりそうな気がした。けれども、それは錯覚だったらしい。
その時、部屋に光が走った。峠は反射的に体を起こす。時計のパーツから、光が放たれ、それは人の形になろうとしていた。
次の瞬間、黒衣の長髪眼鏡の美女が、テーブルの上に仁王立ちしていた。
美女は横ピースなどをしてポーズを決めている。
「良くぞ私を召喚してくれました。これでバトルロイヤルの参加者は全員登録されました。これから決戦が始まります」
「……は?」
峠は突然のことに唖然としていて、そうと言うしかない。
「勝者にはスキルか夢を、敗者は全てを失う。そんな戦いから戦いの日々への始まりです」
「おい」
峠は、低い声で言った。
「はい?」
女性は不思議そうな表情になる。
「まず、テーブルから降りろ」
「あ、そうですね……」
テンションが高かった女性が、一転して気弱な調子になると、テーブルから降りた。
「後、玄関そこだから。勝手に出て行って。最近の手品はわけがわからんなあ」
心臓から嫌な鼓動音がしていた。わかっているのだ。そんなわけがないと。時計のパーツから人が飛び出てくるわけがないと。
非現実が現実を侵食している。そんな予感があった。
それは、触れてはまずいものだと峠の直感が言っている。
「あら、たまにおられるんですよ。現実逃避をなされる方。これは現実です。貴女はバトルロイヤルの参加者として選ばれました」
女性を、玄関から蹴り出した。
「ちょっとちょっとー?」
けたたましくピンポンが鳴らされる。
無視して、テレビをつけた。
その前に、あの女性が再度現れた。
「この度は契約頂いてありがとうございます。私は……そうですね。便宜上にっちゃんとでも呼んでください」
瞬間移動だ。
ここに至って、峠は恐怖した。自分は今、超常現象に立ち会っている。
「……何が目的だ?」
「勝ち残ること」
そう、女性は左手で右肘を掴み、右手の人差し指を天に向けて言った。
「現在この県に、貴方と同じ契約者が沢山おられます。その中で勝ち残ること。それが私達の目的です」
「戦うってことか?」
少しだけ、血が騒いだ峠がいた。
「そうです。勝てばスキルか願望かを一つ選べます。私のような召喚獣同士の戦いが主ですが、私は残念ながらサポートタイプ。貴方には自分の力で戦ってもらうしかありません」
「お前みたいに、瞬間移動したり、不思議な力を持った奴が敵なのか……?」
流石に瞬間移動出来る敵に勝てる自信は峠にはない。
「そうなりますね。けど、私もサポートしますし、勝てばなんでも貰えますよ。お金でも女でも名声でも」
「その言葉が本当だって保証が何処にある?」
「私のような不可思議な存在が実在しているということが何よりの証左では?」
そう言って、女性は微笑む。
「にっさん」
「車の会社かな」
「にっちゃんさん」
「にっちゃんで良いですよ」
「……にっちゃん」
「あい」
そう言って、自称にっちゃんは穏やかに微笑む。
「戦えるんだな……?」
「あい」
自分の力を思う存分に発揮できる。それこそ、峠の求めていた場だ。
「なんか良くわからんが乗ったぜ、その話。で、相手は何処だ?」
「この県の何処かに二百人前後いるから自分で探してくださいな」
そう言って、にっちゃんはテーブルの傍に座ると、用意されていた煎餅を勝手にひとかじりした。
なんだか二百人を相手取るにはあてにならない相棒な気がしてきた。
次回『スキル確認』