第9話 春の感謝祭と女神の神託
春の感謝祭での話です。
第5話 イラックマを探せとリンクしています。
「はぁ〜っ、愛しいショコラちゃん。 あなたは今、どこで何をしているのかしら…」
私は今日も既に何回目か分からない溜息を吐く。
ラーナ大神殿で毎年執り行われる恒例の祭事"春の感謝祭"の準備も恙無く完了し、今日はその感謝祭当日を迎えてますの。
「…こうして今年も今日この日を迎えられた事を、慈悲深き我らが女神ラーナ様に感謝せねばなりません。 そもそも500年前に起きた妖魔戦争では大勢の我らと志を同じくする信徒の尊い命が数多く失われました。 その痛手から立ち直った我らの前に現れた聖女ソフィア・ロイス。 そしてその意思を継いだ聖女セレネ・ピアの尽力によって今日に至ると言っても過言では無いでしょう」
ラーナ教団司教エル・サリアの演説は熱を帯びて行き、聞き入る信徒達も熱い視線を受けながら耳を傾けている。
特に聖女ソフィアとその愛弟子セレネの話はラーナ教団でも有名な話で、ラナリア王国宰相ユーディルによる王家転覆の野望に加担したラーナ教団司教マリアスの横暴なやり方に反発した教団内での派閥闘争に、半ば巻き込まれたソフィアは刺客の凶刃によって左遷させられた僻地の小さな村で非業の死を遂げたと言われている。
目の前で殺害された敬愛するソフィアの死すら乗り越えた聖女セレネは、彼女のために集う仲間の力を借りて、王家転覆の危機や教団内の派閥闘争を制して救国の聖女とも呼ばれていた。
私は愛しいショコラちゃんのためだけに、この力を手に入れただけでラーナ教団には正直あまり関心はありませんの。
この様に信心の薄い私に聖女などが務まるとも思えませんから、そんなものは何かの間違いですね。
まぁ、唯一あるとすれば… ショコラちゃんへの強い愛情だけですわ。
「…さぁ、感謝の祈りを捧げましょう。 この世で生きとし生ける者に慈愛の女神ラーナの祝福があらん事を!」
司教エルの演説も終わり、暫くの間は歓談の時間ですから少しはゆっくりと出来るかしら。
「お嬢様、少しお疲れのご様子ですね。 部屋に戻りお休みになってはいかがでしょうか?」
私のために大神殿にまで付き従う爺ことセバスチャンには、日頃から随分と苦労をかけていますわね。
「いいえ、疲れと言うよりもこれは… 強いて言うならショコラちゃん欠乏症ですわ。 愛しいショコラちゃんに何日も会って無いのですから無理もない事なのですの」
ショコラちゃんの愛らしい笑顔、ショコラちゃんの可愛らしい声、ショコラちゃんの甘い香り、ショコラちゃんの"ぽよぽよ"とした二の腕、ショコラちゃんの小さなお尻、ショコラちゃんの…
「お嬢様! お気を確かに!!」
ハッ!っと我に帰る私。
気を抜くと頭の中に可愛いらしいショコラちゃんを思い描いてしまいますわ。
「大丈夫ですわ。 でしたら… 爺、何か飲み物を貰えるかしら?」
「畏ました、暫くお待ちを」
一礼して下がる爺を横目に、窓の外を眺める。
愛しのショコラちゃんは何をしているのかしら? ロッテンマイヤーからの連絡によるとエマやローザさんと行動していると聞いていましたけど。
あぁ、ショコラちゃん、私がいなくて寂しい思いをしていないとよろしいのですが…
そうだわ、ちょっと覗いてみようかしら。
「女神ラーナよ! 慈愛の使徒たる、この私の祈りに応え、愛しきショコラちゃんの姿を我が瞳に映し給え!」
私の身体は淡い光に包まれ宙にゆっくりと浮かび上がり、意識だけがその身体から抜け出して行く。
でも… まさか私の意識が抜け出した身体の方で、あんなにも大騒ぎになるとはこの時は露にも思ってもいなかったのです。
「きゃあ、聖女トルテ様が!」「何なのですか… これは一体… もしや、これがラーナ様からの神託が下されるの神降ろしでは無いのでしょうか?」「早く、司教様を呼ぶんだ!」
私の好きな果樹の汁を加えた冷たい水を入れたグラスを手にした爺は呆然と立ち尽くすのみ。
「意識だけ逃げ出すとは、私めの誤算でした。 しかし、これはマズイですな…」
王都ラナンの空に浮かぶ私の意識。
『愛しのショコラちゃんは何処かしら? もっと意識を集中させなくては!』
その頃、私の抜け殻とも言える身体の方では…
「おおっ、また光が強くなって来たぞ。 神託が近いのでは?」「司教様、これは…」
「これは神降ろしかもしれません。 皆の者、我らも共に女神ラーナに祈りを捧げるのです! 神託の時は近いでしょう!!」
「「 「女神ラーナ様… どうか神託を…」」」
一同が祈りを始める姿を見てセバスチャンは、首を横に振ると一人ため息を吐く。
『いましたわ、冒険者ギルドですわね。 待ってて下さいませ、愛しい私のショコラちゃん!』
見慣れた冒険者ギルドの屋根を通り抜けて一直線にショコラちゃん達の所へ向かう私。
どうやら相談中の様ですわね、一体何を話しているでしょうか?
「妖魔退治は嫌でしゅか?」
「嫌って言うか、そればっかりなんだもん。 たまには違う依頼もこなしてみたいなぁって思わない?」
『私は愛しいショコラちゃんと一緒なら、一生ゴブリン退治でも構いませんわ!』
でも… この私の言葉が愛しいショコラちゃんに届かないと言うは口惜しいですわね。
「私はレオン様と一緒なら、一生ゴブリンクエストでも文句はありません! ガンガン行きましょう! そして私達は伝説になるのです… あぁ、レオン様…」
『あら、ローザさん。 やっぱり私達って似た者同士なのかも知れませんわね。 私達は愛のためだけに生きているのですものね』
ショコラちゃんは何を考えているのかしら…
その清らかな心の声を、ちょっとだけ私に聞かせてくださいませ!
………
……
…
【"ショコラ大事に"でお願いします】
まぁっ! 私はいつだってそうですわ!
一方、ラーナ大神殿では。
「司教様、聖女トルテが何か言いたそうです」
皆が意識の抜けた私の身体を取り囲む。
【"ショコラ大事に"でお願いします】
私の口から語られるショコラちゃんの心の声。
「おおっ、200年ぶりにラーナ様からの神託が届けられたぞ」「感謝祭と言う、この良き日に大変な事ですわ!」「歴史に残る言葉になるぞ!」
「ですが、司教エル様。 【"ショコラ大事に"でお願いします】とは… どう言う意味なのでしょうか?」
「何の事なのか… この私にも」
困惑する信徒一同。
助け船を出したのは困り果てたセバスチャンだった。
「トルテお嬢様にはショコラ様と言う親友がおられるのですが、その方を大切にして欲しいと言う女神ラーナの言葉なのでは無いでしょうか。 私にはトルテ様と同じように皆さんにもおられる愛する者を大切にして欲しいと言う慈愛に満ち溢れたお言葉にも取れましたが、いかがでしょうか司教様」
「流石は聖女トルテの近くにいる方ですね。 ラーナ様のお言葉はそうに違いありません! 皆に申し伝えます。 【"ショコラ大事に"でお願いします】!」
そしてこの日より、ラーナ教団の教典に新しい言葉が加わったのである。
【"ショコラ大事に"でお願いします】
以降、数百年以上続くラーナ教団で語り継がれる新たなる伝説が、この日に生まれた。
久しぶりにショコラちゃんの可愛らしい姿を堪能して心踊らせながら自分の身体に戻った際に、私の周囲を取り囲む人々には驚かされましたわ。
後で爺にたっぷりとお小言を言われましたけど… 意識だけとは言え、愛しのショコラちゃんの姿をこの目に焼き付ける事が出来たのですもの、苦でもありません事よ。
今度ショコラちゃんに会った時には… うふふっ、考えただけでも堪りませんの!