第2話 エマの秘密
「ショコラちゃん、危ないですわ! 大地に遍く光の精霊よ、慈愛に満ち溢れる我が女神ラーナの使徒に仇なす愚かなる者に裁きの鉄槌を! ホーリーレイ!」
一帯を無に変える程の威力を持った光弾が私の横を通り過ぎて行くとゴブリンの集団は跡形も無く消滅した。
討伐部位と呼ばれる倒した証拠も跡形も無く消えちゃったんですけど…
ダメよ、あれは光らせちゃいけない光よ!
「だって… ショコラちゃんが危ないと思ったら勝手にね。 うん、そうよ。 口が勝手に動いてしまうの!」
むぅ、自分の失敗を正当化しないでよ。
他にもホーリーランスやホーリーバレットだってあるのにもかかわらず、慌てたトルテが放つのはいつも最大の威力を誇るホーリーレイなのだった。
「セバスチャン、口に咬ませておく布とか持ってない? 勝手に動いちゃう口なら詠唱出来なければ大丈夫だと思うんだけど」
もうこれしかないんじゃないかと思う。
冒険者ギルドで妖魔討伐の依頼を受けて挑戦する事、既に5回。
全てトルテの暴走で失敗していた。
一応、妖魔は討伐しているために違約金とかは支払わなくてもいいんだけど、依頼達成とみなされないためランクアップポイントと成功報酬が貰えないのが辛い。
「お嬢様、お許しを。 これもショコラ様のためと思い、我慢なさります様に」
白い布を手にしてジリジリと私に迫るセバスチャン。
その背後には腕を組み普段見せる事は無い意地悪そうな笑みを浮かべるショコラちゃんの姿が… 愛しいショコラちゃんにお仕置きされるのもちょっと良いかも… むふっ…
「お嬢様、お目覚めの時間です」
ロッテンマイヤーの声で目覚める私。
どうやら夢を見ていたようですわね。
夢の中でも愛しのショコラちゃんに会えるなんて… ぽっ!
「お嬢様、ぽっ!としている所へ誠に恐縮なのですが、セバスチャンに聞いた所では既に5回も、討伐依頼に失敗しているそうではありませんか」
その通りですわ。
既に5回も失敗しているのです。
ショコラちゃんは私を責めずに頑張ろうねと優しい言葉をかけてくださるのですが、いつあの夢の様に呆れられてしまいかと思うと胸が張り裂けそうですの。
「お嬢様、豊満な胸を両手で”たゆんたゆん”している最中に非常に恐縮なのですが、一つこの私に名案がございます」
「どうしたんだい? やっと念願の冒険者になったって言うのに浮かない顔してさ」
私が厄介になっている下宿先の女将さんのノーラさんから声をかけられる。
長期滞在用の宿で名前は白猫亭って言うんだけど、私が長い間お世話になっている常宿になる。
それにしても私、そんなに落ち込んだ顔をしてたのかな? 私よりもトルテの方が落ち込んでるだろうから、元気出してって励まさなきゃね。
「ううん、ちょっと考え事をしてただけ。 じゃあ、行って来ます!」
白猫亭を出た私はノーラさんに見送られ冒険者ギルドへ向かう。
今日の妖魔討伐依頼にはロッテンマイヤーさんの孫娘のエマさんが初参加すると聞いているので会うのを楽しみにしていた。
私が冒険者ギルドに着くと反対側の通りからザッハ家の豪華な馬車がやって来る。
「ショコラちゃん、会いたかったですわ!」
涙を浮かべて抱き付いて来るトルテ。
えっ、一昨日会ったよね? 数年ぶりに会った恋人みたいな感じになってるけど…
馬車からセバスチャンが降りて来て、その後ろにいるのがロッテンマイヤーさんの孫娘のエマさんね… ってエマちゃん? 侍女服を着ているのはどう見たって私よりも年下の幼女なんですけど?
「初めまちてエマでしゅ。 ショコラしゃ、様の事はトルテお嬢しゃまから聞いていましゅ。 どうか宜しくお願い致しましゅ」
ええっと… ごめん、ちょっと私には理解出来ない。
冒険者ギルドに登録出来るのは確か14歳からのはずだけど、エマちゃんはどう見たって10歳にもなってないんじゃない? 私はトルテにこの事態を説明する様に視線を送る。
「おほんっ、ショコラちゃん。 エマはね、こう見えても14歳の立派なレディなんですの。 ロッテンマイヤーが言うには、何と特殊な戦闘技能も身に付けているそうですわ」
絶対に嘘でしょ! どう見たってレディじゃなくてガールだし、どっちかと言えばベイビーに近い気もする。
「エマさんは14歳なのね」
「そうでしゅよ、立派なレディなの」
ふふん、と腰に腕を当て胸を張るエマさん。
「ふ〜ん、今年はエマさんのお誕生日には私がケーキを焼いてあげるけど、歳の数だけロウソクも準備しなくちゃいけないわね〜 エマさん一体何本必要?」
「えっと… 7本でしゅ!」
指を折って数えるエマさん改めエマちゃん。
なら… 今は6歳だそうです。
こんな単純な引っ掛けにかかるなんて、こんな子を妖魔討伐依頼に連れて行こうって言うの? ギギギっと音がしそうな動きでトルテを振り返る。
当然トルテも、その横にいるセバスチャンも私と目を合わせない様にしている。
「トルテ、ちゃんと説明してくれるよね?」
トルテの説明によるとロッテンマイヤーさんが呼び寄せた孫娘の一人だそうで、本当は16歳のメアリーと言う少女を呼ぶつもりだったらしいけどエマなら暴走するトルテを止める事が出来る秘技を使えるらしく急遽変更したのが事の真相だと言う。
「冒険者ギルドにはどう説明するの? 絶対にバレると思うよ」
「大丈夫でしゅよ、ショコラしゃま! 秘技、幻影包み!」
エマちゃんが光のベールに包まれたと思ったら現れたのは大人の姿の… エマさん?
"ぶるんぶるん"と誇示する様に大きな双丘が揺れ動く… 確かにこれなら立派な大人の女性にしか見えないかも。
「我が一族に伝わる秘技なのでしゅ。 術がかかっている間、周囲にいる者は幻影を見る事になるのでしゅよ!」
結局… 姿は大人に見えても口調は”でしゅ”のままなのね。
まぁ、これなら大丈夫だと思いドキドキしながら冒険者ギルドの受け付けでエマちゃんの登録をしたんだけれど、以外にもあっさり登録する事が出来た。
「おい、あの人スゲェ美人だよな?」 「何でもザッハ家の新しいメイドらしいぜ」
エマちゃんを見た冒険者達がコソコソと噂をしているのが聞こえて来る。
アンタ達、エマちゃんに惚れてもムダだから、まだ6歳の幼女なんだからね。
「トルテしゃま、どうしてこの建物は入口だけ豪華なのでしゅか?」
コラコラ、エマちゃん。
そこは気にしちゃいけない所だから!
以前、トルテが私達に絡んで来た冒険者にホーリーレイをブチかまして壊しちゃったのをザッハ家の財力で綺麗に直したからよ。
あの件で文句を言わせないためか、壊れて無かった床や柱にも大理石をいっぱい使って…
何て言う事でしょう! 豪華な作りに早変わり。
「ふふっ、どうしてでしょうか? 不思議ですわね」
にっこりと微笑んで返すトルテ。
いいえ、不思議なのは貴女です。
冒険者ギルドの掲示板に貼ってあった王都近郊の村からの妖魔討伐依頼書を見付け、その依頼を受けた私達はザッハ家の馬車で現地に向かう。
依頼書によるとゴブリンの集団が近くの森に住み着いたらしい。
またゴブリン?と思うけど繁殖力の旺盛なゴブリンは放置しておくとあっという間に増えてしまう厄介な妖魔でもある。
知能は低いけど集団になると手に負えなくなる場合もある事から危険な生物の代名詞で、”ゴブリンを1匹見かけたら周囲に30匹はいると思え”と言うのも有名な話だ。
「お嬢様方、目的地周辺に到着致しました。 最初に村長にお会いになりますか?」
「ええ、そう致しまょう」
情報収集は討伐する際においての基本になる。 何処にどれだけの敵がいるか把握しないで敵地に侵入する程馬鹿な話も無い。
馬車が村の入口を抜けて中央広場に停車したので私達は揃って馬車から降りる。
「おおっ、見てみろよ凄い馬車だぜ」「何処かの貴族のお忍び旅行か?」
村人達は戸惑っているようだ… どうする? コマンド?
「おおっ、ラーナ教団の聖女と噂されるトルテ様に直々においでくださるとは光栄です。 何でも次々に妖魔を討伐しているにもかかわらず、報酬も受け取らないと言う慈愛に満ちた行いをしていると聞き及んでおります」
ううん、違うよ… 私達の場合、受け取りたくても受け取れなかったの。
ラナリア王国から常に出されている妖魔討伐依頼の際には討伐証明部位を集めて冒険者ギルドに提出しないといけないんだけど、私達の場合は何もかも綺麗サッパリ消えちゃったから討伐を証明出来無かったと言うのが事の真相ね。
今回は保険をかけて村からの妖魔討伐依頼を選んでいるから、村長から依頼遂行証明書にサインさえ貰えたら依頼時に村から冒険者ギルドに預けてある報酬を私達が受け取れるの。
でもこれじゃ依頼が成功しても報酬が受け取り難いんですけど。
「いいえ、私は聖女ではありません。 もし聖女と言う者が存在するのであれば… それは隣にいるショコラちゃんの様な方の事ですわ」
えっと、トルテさん? あなたは一体何を言っているのでしょうか? ああっ、ヤメて! お年寄り達が私の前で土下座して祈りを始めちゃったじゃない。
お賽銭とか私の前に備えないでちょうだい! 私の目の前に予期せぬカオスな空間が広がり始める。
ちょっとエマちゃん、ニヒヒッとか言いながらお賽銭を拾わないの!
期待の眼差しで村人全員から見送られた私達は村人がゴブリンを見かけたと言う森へと向かう。
太陽は真上にある筈なのに森の中は薄暗く、濃い緑の匂いが満ちており、この辺りに巣食う妖魔達にとっては故郷の"闇の森"と呼ばれる密林を思い出させるのかも知れない。
私は冒険者の就職祝いに買って貰った魔法の短槍を始めとするミスリル装備一式。
トルテはラーナ教団の侍祭に与えられる神官服に身を包み、手には神官の証でもある錫杖を手にしていた。
セバスチャンは執事服、エマちゃんは侍女服を着てるだけ… って、あなた達の武器は?
武器は装備しないとダメよ、持っているだけじゃ意味が無いって言い伝えがあるでしょ!
「お嬢様、この先から妖魔の気配を感じます。 ご注意を!」
セバスチャンが妖魔の気配を感じたらしく… 何か凄い特技だと思うんだけど、私達はその方向へとゆっくり歩を進める。
森の中に少し開けた場所がありゴブリン達はその場所に集落を作っている様だった。
木々の隙間からそっと様子を伺うと、その場合は昔使っていた村の炭焼き小屋だったらしく奥には朽ち果てた炭焼き窯が見える。
ゴブリンの数はざっと30匹程、決して少なくは無い数だと思う。
「じゃあ、トルテのホーリーバレットで数を減らして貰ったら私が群れに突っ込んで制圧する手筈でお願い。 セバスチャンには私が討ち洩らした敵をお願いします。 エマちゃんは… トルテの側から離れないで」
「ええ、分かったわ。 ショコラちゃん、本当に気を付けてね」
「うん、ちゃんと気を付ける。 あと… ホーリーレイは禁止だから!」
「も、勿論よ」
トルテの表情が少し引き攣っていたのを私は見逃さなかった。
そして気を取り直して呪文の詠唱に入るトルテのすぐ後ろで戦いが始まる瞬間を皆が待つ。
「大地に遍く光の精霊よ、我が女神ラーナの名の下に集い、愚かなる者共に等しく罰を与えん。 ホーリーバレット!」
トルテの両手に集まった光が一気に爆けると無数の小さな弾になって前方に飛んで行く。
大勢の敵を相手にするのに有効な神聖魔法ね。
逆に一体を相手にするなら光の槍、ホーリーランスが有効な武器になる。
「グギャ!」「ガハッ…」「グバッ!」
予期せぬ不意打ちを食らって一気にゴブリンの数が減って行くのを確認した私は走り出す。
「えいっ! そこも… ほらっ!」
ミスリル製の短槍がゴブリン立ちを易々と貫いて葬って行く。
うんうん、中々良い感じ!
今回こそ上手く行ける気がする。
トルテ達をチラッと振り返ると錫杖のフルスイングで襲い掛かるゴブリンの頭を飛ばしているのが目に映る。
ナイスショット! トルテって思ったより肉体派だったりする?
実は戦いなんか無縁な感じがする常に紳士的なセバスチャンはと言うと… 靴の先に金属が仕込んであるみたいで華麗な蹴り技でゴブリンを軽くあしらっていた。
初めての討伐依頼の時に戦うセバスチャンを見た私は本当に驚いたんだから。
そしてエマちゃんは何か見た事の無いナイフみたいのをビュンビュン投げてるけど、百発百中って感じで全てゴブリンの目玉に刺さってる… 遊んでるでしょ、絶対に。
ゴブリンの「め、目がぁ〜!」って仕草がどうも痛々しい。
「ショコラちゃん、大きいのが出て来たわ!」
トルテの言う通り、他のゴブリンとは比べ物にならない程の大きな奴が小屋の中から現れた。
あれ? 肌の色も普通のゴブリンは緑色なのにボスは青い色をしてる。
錆びているけど金属製の鎧を身に着けた巨躯のゴブリン、多分ホブゴブリンって言う種類の亜種だと思う。
手には錆びたシミターとカイトシールド。
これって中々の強敵かもしれない。
「でも… 負けないんだから!」
「グガァ、ギャ!」
対峙する私達、まず最初に動いたのは私の方だった。
槍の性能を活かして五月雨突きを繰り出す。
この連撃は堪らないらしく何とか盾でガードはするけれど、防御力の低下した錆びた盾じゃ防ぎようも無く、盾は徐々にボロボロになって行く。
堪らず背後に大きくバックステップするホブゴブリン。
そして手にした盾を力任せに投げ付けられた私は反射的に短槍で払い除けたまでは良かったが、その一瞬の隙を逃さず一気に距離を詰められていまいショルダータックルで吹き飛ばされてしまった。
やっぱり普通のゴブリンとは違う!
急いで体勢を立て直して追撃に備えたが、目の前からホブゴブリンは消えていた。
「ショコラ様、屋根の上です!」
セバスチャンの声で炭焼き小屋の屋根の上を見上げるとシミターを身体の前に立てて騎士みたいに構えるホブゴブリンの姿が…
ちょっと… 何か敵ながらカッコ良くない?
「グガァー!」
凄まじい雄叫びを上げたホブゴブリンが屋根の上から私に飛びかかる。
「ショコラちゃん、危ないですわ! 大地に遍く光の精霊よ、慈愛に満ち…」
振り上げたシミターは転がりながら間一髪で避ける事が出来たんだけど、避ける最中にホーリーレイの詠唱が聞こえ始めたから(また?)と思った所でトルテの詠唱が不自然に途切れた。
それが気になってホブゴブリンと距離を取りつつ、そちらを見るとエマちゃんの腕の影が伸びてトルテの動きを封じていた。
「秘技、影縛りでしゅ!」
これがロッテンマイヤーさん考案のトルテの暴走対策って訳ね。
私を見ながら必死に口をパクパクしてるトルテが少し可哀想だけど少し待っててね。
「さぁ、これでお終いにしましょう」
私がホブゴブリンとの距離を再び詰めるとホブゴブリンが地面に半分埋まっていたロープを引っ張り上げたため砂や土が舞い上がる。
目眩し、もしくは私を転ばすつもりだったみたいだけど、ロープを両足で踏む様に真上にいた私はロープの反動で宙に飛び上がった。
「ガフガブ!」
チャンスと見たホブゴブリンが一気に斬りかかって来る。
「うわっ!」
そうはさせないと素早く両腕を広げて短槍を掴み、迫り来るシミターの一撃を受け止める私。
ホブゴブリンの錆びたシミターではミスリルの強度に敵う筈も無く乾いた音を立てて無残にも砕け散った。
勝機を失ったホブゴブリンは、刃の砕けたシミターを私に向けて牽制しながらジリジリと後退して行く。
そして何かゴブゴブ言いながらホブゴブリンは私では無く短槍を睨んでいた。
もしかして… ”これで勝ったと思うなよ、その武器の性能のお陰だと言う事を感謝するんだな”的な奴?
「グガァアー!」
そして最後には今までで一番大きな雄叫びを上げたと思うと
ホブゴブリンは森の中に消えて行った。
「勝った! 私達が勝ったのよトルテ…」
喜んで振り返った私の目に映ったのはエマちゃんの腕から伸びた影を両手で掴み、無言のまま宙に向かいエマちゃんをグルングルンと振り回している修羅の姿だった。
「目が回るでしゅ…」
エマちゃんの悲痛な言葉が… 何か痛い。