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深紅の魔女、一歩前へ  作者: 番場すぐる
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5話 天気雨の魔法

 クラーラの声を聴いた瞬間、私のなかに溜まっていたなにかが涙としてあふれ出した。寝台に足を伸ばして座るクラーラにそっと抱き寄せられる。大事なものを抱くようにしてくれる手が温かかった。

 私が落ち着きを取り戻して顔を離すと、クラーラが笑みを浮かべながら私の目元を拭ってくれた。彼女と目が合う。なんだか急に恥ずかしくなってきて、目を合わせていられなくなった。逃げるように横を向くと、ラッセルが居心地が悪そうな表情をして後頭部を掻いていた。

 私は顔どころか身体中が熱くなって、この場から逃げ出したくなった。

 逃げたら逃げたで顔を合わせにくなる、と自分を納得させてこの場に残る。ぶんぶんと首を振ったあと、できる限り平静を装って、私はクラーラにどうして襲われてしまったのかを聞いた。


 クラーラは私たちと別れた後、意気揚々と食べ歩きをしていた。しばらくは至福の時間を過ごしていたらしいが、なにやらもめごとが起こっているのが目についたので成り行きを見守っていたそうだ。客と店主が言い合いをしていて、周りの人が迷惑そうにしていたらしい。クラーラが見守り始めて少し経ったとき、客の男がいきなり店主に向かってナイフを突き出して、店主がイスから転げ落ちた。

 クラーラはすぐに店主を助けに行って男を取り押さえたが、どこからともなく現れた男たちに襲われてしまったそうだ。地面に倒れ、痛みに気が遠くなりながらも、男たちが店のものを盗み、店主からお金を奪っていく様子はわかったと説明してくれた。


「そうだったの……。でも偉いわ。見ず知らずのだれかを助けるなんて」

「いえ」クラーラが顔を伏せた。「私が未熟だったばっかりに、お二人に迷惑をかけてしまいました……」

「迷惑?」

「その、私が始めから周りに仲間が何人も潜んでいることに気がついて兵士を呼びつけていれば、私はこのような目に合わずに済んでいたでしょう?」


 本当ならいまごろは次の町についていたはずです、とクラーラが窓の外を見た。少し丸まった背中が彼女の自責の念を表しているようだった。


「クラーラは悪くないわ」私がクラーラの手を取ると、彼女はこっちを見てくれた。「あなたがしたことは立派なことよ」

「マリー師匠の言う通りだ」ラッセルが賛同してくれる。「だれかを助けたいと思い、行動に移せるのは誇るべきことだ」

「でも、私のせいで――」

 クラーラの言葉を、ラッセルは遮った。「至らぬところがあったと思うのなら、精進すればいいだけのことだ。それに私たちは迷惑だと思っていない」


 クラーラがきょとんとする。

 ラッセルの「そうですよね?」と問う視線に、私はうなずいた。


「ラッセルの言う通りよ。私はクラーラがよく行くこの町の治安をよくしたかったし、ラッセルはお城で働く剣士よ。仕事の一環でしかないわ」

「町の人々を不安にさせている輩を放っておくことはできないからな。それにクラーラが行動してくれたおかげで私は盗賊団のことを知ることができ、捕らえることができたのだ。むしろ感謝しているぐらいだ」


 まったくもってその通り。前々から活動していたらしい盗賊団を、拠点がわかっているのに捕らえられない兵士たちに任せていたら、いつまでたっても解決しそうにないもの。

 静かに聞いていたクラーラがぽろぽろと涙をこぼし始めた。


「あ、あれっ? あの、すみません。なんか涙が……」


 私はさっきクラーラにしてもらったみたいに、やさしく抱き寄せた。指と指の間に髪の毛が絡まり、小刻みに震える振動が伝わってくる。


「ちょっと席を外します」


 いづらくなったのか、ラッセルが部屋を出ていってしまった。

 ちょっと悪いことをしちゃったかな、と息を吐きながら、私はクラーラの背中をトントンと叩いたり、なでたりした。


 ……頑張ったね。


 クラーラが落ち着きを取り戻してしばらくした後、ラッセルが戻ってきた。

 クラーラは気恥ずかしさからかラッセルと顔を合わせにくそうにしていたが、彼は特に気にする様子は見せず、私たちに「もうそろそろ休みましょう」と一声かけてもう一つ取ってあった部屋に向かった。

 私とクラーラも眠ることにした。「おやすみ」「おやすみなさい」といつものように言い合って、瞳を閉じた。


 いつの間にか、私はなにもない暗闇にぽつんと立っていた。やがて目の前にあの人が現れた。私は彼の手を取って隣を歩く。声をかけてくるあの人の顔は幸せそうだった。きっと私もそうだっただろう。

 何の憂いもなく足を進めていたが、あの人がふと立ち止まる。「どうしたの?」と私が袖を引っ張ったが、彼は私の手を振り払うと、私に背を向けて歩き出してしまった。

 私は追いかけようとしたけれど、なぜか足が重くてうまく動かず、胸から倒れてしまった。「待って……、待ってよ!」と叫んでも彼がこっちを見ることはなかった。私が這うように追いかけるけど、彼の姿はどんどん小さくなって、見えなくなってしまった。


「待って!」


 私は寝台に座って手を伸ばしていた。息が荒く、身体が熱くてぺたぺたした。隣の寝台ではクラーラが寝息を立てている。


「……夢、か」


 あんな夢を見たからか、足が重く感じる。布団を蹴り上げるように動かそうとするけどうまくいかない。息を鋭く吐いて再挑戦するとうまくいった。布団がバサッと音を立て、ひんやりとした夜の空気が入ってくる。

 すっかり目が覚めてしまった私は水を一杯飲んで、なにをするでもなく寝台に転がった。目を閉じておとなしくとするけど、なかなか寝付けなかった。




 翌日、あまり疲れが取れていなかったが、町を後にした。

 ロックからお礼の品を受け取ってほしいと言われたが固辞した。私は自分とクラーラのために動いただけであって、お礼がほしかったわけじゃない。

 それからしばらくの旅は順調そのものだった。町に着いてはクラーラが食べ歩き、道中は襲ってくる魔物を倒しながらラッセルに身体強化の練習をさせる。危険なこともなければ揉めごとに巻き込まれることもなかった。問題があるとすれば、旅の疲れからか足が痛むことぐらいだ。

 そしてファフニールの谷に一番近い町に着く直前まで来た。


「ちょっと待って」


 私は二人に声をかけて、赤い果実に近づく。


「見てみて、ほら、破裂苺よ」


 私がっていた実を取って、追ってきた二人に見せる。


「……駆け足で向かうからなにかと思えば、苺ですか」

「そんなこと言うとあげないわよ」


 ため息をつくクラーラに、私はいかにもなわざとらしい不機嫌な顔を作った。

 するとクラーラが「食べないなんて言ってません」と私の手から苺を持って行って食べた。


「ほらラッセルも」


 私がもう一つ実を取ってラッセルに渡す。受け取った彼はなにかを思い出したような遠い目をして、微笑んだ。


「昔、これを使っていたずらをしたものです」


 ラッセルは幼いころに破裂苺が手に入ると、可能な限り大きな音を出して破裂させて遊んでいたらしい。妹を驚かせて泣かせたり、母親相手にも破裂させて遊んでいたため、よく怒られたらしい。

 私とクラーラが笑うと、ラッセルは「昔のことですよ」と顔を赤らめた。


「私、苺が破裂するのを見たことないです」


 クラーラが私に「見てみたい」と遠回しに訴えてくる。食べ物で遊ぶな、とクラーラに教育したので、「破裂させてみてください」とは言いづらいのだろう。

 私は当然のように要求を却下する。


「ダメよ。せっかくの食べ物を粗末にしたら罰が当たるんだから」


 なにか破裂させないといけない事情があって破裂させるなら別にいいけど、そうでもないのに食べ物をダメにしてしまうのはよくないことだ。たとえだれかが作ったものではなく、自然にできたものだとしても、よくないことはよくない。

 クラーラが不満気に私を見るが、私が意見を曲げる気がないと悟ると、自分でもう一つ実を取って口に運んだ。


「別に見せてあげてもいいのでは?」


 ラッセルが何気なしに言うと、クラーラの目が輝いた。

 でも、だれに何と言われようと私は許可しない。


「ダメったらダーメ。せっかくの甘味がもったいないでしょ」


 私はまだ生っている実を全部袋に入れた。これでしばらくは苺を楽しむことができる。そう思うと自然と顔がほころんだ。


「あの、マリー師匠。全部持っていくのは、ちょっと卑しくないですか?」

「べ、別にいいじゃない! だれのものでもないんだから。それに魔力も回復するんだから薬の代わりにもなるのよ!」

「……なるわけないじゃないですか。ほんのちょっとしか回復しないんですから」

「もう! うるさいわねっ!」


 ああだこうだと文句を言ってくるラッセルに怒っていると、青空なのに雨が降ってきた。

 私は「ラッセルのせいよ」と八つ当たりしたが、二人に無視された。

 大きな木の下で雨宿りすることになったが、急な雨だったので三人とも濡れてしまった。


「クラーラ、手を出して」


 私はクラーラの手を握って魔法をかけてあげる。冷えたままだと体調が悪くなってしまうかもしれないから、温めてあげるのだ。

 クラーラは人形だから体調が悪くなったりはしないんだけど、私のなかでは人間で、家族だから。


「ほら、ラッセルも」


 私が手を差し出すと、ラッセルが緊張した面持ちで、そっとかぶせてきた。思ったよりごつごつとした堅い手だった。私やクラーラと違って、毎日剣の鍛錬をしているのだろうとわかる、鍛えられている手だった。

 考えてみれば、ラッセルが相手をした盗賊団の数は私と半分ずつ分け合ったのだから、十人ぐらいかな? それだけの数を一度に相手できるのだから、相当な強さだし、相当な努力を重ねたのだろう。


「……マリー師匠?」

「な、なんでもないわ」


 顔を近づけて目を覗き込んできたラッセルにどぎまぎしたのがばれないように、さっと魔法をかけて手を離した。


 ……ほっぺたが熱い。


 私は両手で頬を抑えて息を吐く。大きく息を吸い込むと、雨と草の匂いがした。しとしとと降る雨に濡れた土はしっとりしているが、私の顔は急に熱くなったせいでからからに乾いてしまいそうだ。

 ドキッとすることはやめてほしいなあと思っていると、クラーラがこっちを見ているのに気がついた。


「どうしたの?」

「……なんでもありません」


 クラーラが面白くなさそうに私から顔をそむけた。

 それから私たちは雨が止むまで静かに雨音を聞いていた。

 すぐに晴れ、私たちは歩みを進めることにした。

 そしてファフニールの谷に一番近い町についた。お昼時だった。

遅くなって申し訳ありません。

あと2話で完結予定です。

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