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余裕な君を、あいしてる

episode 5

作者: 咲良 音都



episode 5


「どうして泣いているの」

「君はこんなにも美しいのに」



また、今日も雨。

一面雨雲に覆われた空を見上げて、僕は溜息をついた。

湿度のせいでうようようねった髪を、ぐしゃりと掴む。

あの人にそっくりな、この髪の毛が僕は大嫌いだ。

天気が崩れるたび、湿度が高くなるたび、

毎朝必死で髪を整えている僕をまるで馬鹿にするかのように

好き勝手に爆発する。

それも個性だ、なんてあの人は笑い飛ばしていたけれど、

僕にとっては不愉快以外の何物でもなかった。


自宅の扉をあけると、静まり返った空間が僕を迎える。

ほとんど僕一人で住んでいるこの家は、広すぎてたまにむなしくなる。

消え入りそうな声で言うただいま、は

本当にこの静けさの中へ消えていき、待てども待てども返事は来ない。

勿論、返事があるはずもないのだが。


冷蔵庫を開けて水を手に取ると、グラスにも注がず一気に飲み干す。

いよいよ飲むものまで底をついてしまった。

いつだったかあの人が置いていった封筒を探し、中身をみる。

買い出し、か。面倒だが行かねば自分が困る。

それに、最近買い物に行くのが実は楽しみで、

少し遠回りになるのだが買い物に行く店の裏通りにある

一件の花屋に寄ることが、唯一の幸せだった。

荷物が多い時も、大嫌いな雨の日も、

その花屋の前を通り、花を買い、そこの店主と顔を合わせることだけが

僕のモノクロの生活に色をつけてくれている。

そんな気がしてならなかった。


買い物を終え、家とは逆の方向に足を向ける。

今日は何の花を買おうか。

とはいっても花には全く詳しくないし、特に好きな花があるわけでもない。

店主に会いたい、それだけのなんとも子供じみた理由で向かうのだ。

目当ての店に近付くにつれ、異変に気づく。

いつもなら可愛らしい看板が目に入ってくるのだが、今日はどうも見当たらない。

胸騒ぎがして店前に駆け寄ると、案の定シャッターは閉められ、

店を閉めたと言う内容が几帳面な文字で書かれた張り紙が貼ってあった。

先週にでも来ていれば、最後に会えたかもしれないのに。

自分の出不精を恨み、がっくりと肩を落とす。

唯一の楽しみさえ、僕の前から消えていくのか。

自宅への道をたどりながら、これはちょっとした恋心だったのだろうかと

自分に問いかけ、頭を悩ませた。


また今日も雨が降る。

ここ数日、太陽を見ていない気がする。

乾かない洗濯物に愛想をつかし、コンランドリーに突っ込んでやった。

待ち時間の間、なんとなく近くを散歩する。

ふと目に入った見覚えのある看板に足をとめた。

まさか、そんな。心臓が異様に大きく聞こえる。

細い路地を入ると、懐かしい店主の顔が見えた。

僕に気付き、驚いた表情を見せる。

「よく、来てくれていた子だね。この場所がよくわかったね」

たまたま見つけたんです、と会釈しながら言う。

聞けば、移転のチラシなんかも出さずに、この場所へ店を移したらしい。

気分転換だ、などと笑うので、

あの時の落ち込んだ自分を思い出し恥ずかしくなった。

「せっかくだから、サービスするよ。どれでも好きなの選びな」

如何せん好きな花のない僕は、慌てて目の前にあった花を指差した。

綺麗にラッピングをして僕に渡してくれた店主に礼を言い、帰ろうとした時

待って、と声をかけられた。

「もう、店閉めるんだけど。良かったら夕飯、どう?」

うなづいて、開いたままだった口を慌てて閉じた。

コインランドリーのことなんて、すっかり忘れていた。


人と食卓を囲むのはいつぶりだろうか。

暖かいご飯に色とりどりの並べられたおかずを見て、僕は涎がとまらなかった。

「好き嫌い、ない?沢山食べな」

残したら許さない、と笑う店主に震える声でいただきます、と言い箸をつける。

どれも本当に美味しかった。

「ねえ」

話かけられ、顔を上げると僕をじっと見つめる瞳が揺れている。

「どうして泣いているの」

頬に手をやり、初めて自分が涙を流していることに気づく。

慌てて箸を置き、顔を拭う。

なんでもない、と誤魔化す僕にハンカチが差し出される。

もう、とまらなかった。

とまらない涙を拭いながら、家族がほとんど家にいない為ひとりでいること、

いつも適当なもので空腹を満たしていた為キチンとした食事をとったのは

これが久しぶりだと言うこと、買い物に行くたび花屋を訪れていたので

この間閉店していて悲しかったこと、今日たまたま看板を見つけて高揚したこと、

自分でもよくわからないまま話し続けた。

店主はうん、うん、とうなづきながら僕の背中を撫でて、ずっと聞いていてくれた。

「寂しかったんだね」

そう諭されるように言われ、そうか、僕は寂しかったのかと妙に納得する。

思わずその腕にしがみつく。僕の髪を優しく撫でる店主。

もう僕の瞳には、目の前の人間しか映らなかった。


寂しさを、恋や愛を勘違いしたのか。

それともあれは、本当に一つの恋愛の形だったのか。

様々な意見があるだろう。

本当の所は僕達にしかわからないし、僕達でさえ、違った想いで

一連の出来事を受け止めているかもしれない。


確かなことは、あの初めて一緒に食卓を囲み、

初めて一夜を過ごした日以来、

僕が顔を出せば、店主は笑顔で出迎えてくれて、

週に一度は共に食卓を囲み、

そして同じ布団で眠っていた日々が続いていたことだ。

僕が夜の大人の行為にも少し慣れ始めた頃、

花屋の店主は花屋を辞め、緑溢れる喫茶店を出した。

四季折々の花が咲く、小さな小さな喫茶店。


雫に光る草花達を知り、雨の上がった後の虹の色を知った僕は

昔ほど雨が嫌いではなくなった。


「何を考えているの」

事が済んだ後の布団の中で、額と額をひっ付けながら聞かれた僕は

今後のことだ、と答えた。

社会人なんて想像もつかないと笑ってみせると、店主は僕の頬を撫でてこう言った。


「君は最初から就職先は決まっているよ。

君を簡単に手放すと思う?

君はこんなに美しいのに。」


「涙も、声も、他の誰にも見せてやれない。

余裕なんて最初からなかったんだよ」


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