身体はそうは言ってない
「どうですか?義足の具合は?」
「まだあまり慣れなくて…」
留め具を外しながら、先生が穏やかな口調で私に尋ねる。ベットに寝転がったまま、やがて私の体を離れた義足が、机の上に乗せられるのを横目で見ていた。あんな重そうで無機質な金属の塊が、私の体についていたのかと思うと、何だか不思議な気分だった。
「義心の方は?」
「…そっちの方が、もっと慣れません」
胸の真ん中あたりに取り付けられた金属の心も、同じように取り外される。途端に私は不思議な気分を感じることもなくなった。先生は血の通ってない私の足と心を手に取り、まじまじと見つめた。
「ふむ…良好だね。一応、メンテナンスしておこうか」
「お願いします」
白い天井を見つめながら、私は無表情でそう答えた。
半年前から、私は義足と義心にお世話になっている。不運な自動車事故で、私は右の足と上の心を失った。幸いにも多額の慰謝料を受け取ることができた私は、最新の医療によって新しい足と心を手にすることができた。
事故直後は大変だった。足がないから歩くこともできないし、心がないから悲しむこともできない。特に失った心のせいで、人を思いやったり気遣ったりすることができなくなった。友人たちが見舞いに持って来てくれた果物を目の前でゴミ箱に入れ、空気が固まったこともある。私はただ、他に置く場所がなかったから、何も入っていないゴミ箱が丁度いいと考えただけだった。後で先生に理由を尋ねると、血の通った心のある人間はそんな失礼なことはしないらしい。それ以来、友人たちとは会っていない。
「どうして電話に出ないんだ?」
両親や夫から、何度もそう窘められた。電話もメールも、返事をするという選択肢が私の中になくなった。声の起伏や、文字の羅列から何かを読み取ることが非常に困難になっていたからだ。
「昔のあなたは、そんな人じゃなかったのに」
そう言われるたびに、私の体は軽い動悸を引き起こした。失った足も心も、決して私のせいではなかった。初めは憐れみの目を向けていた彼らが、次第に軽蔑や諦念をその表情に浮かべるようになる様を、私は同じベッドの上から一歩も動かず眺めていた。心を取り繕おうと決められたのは、周りが離れていったそんな時だった。先生はこう言った。
「義心は割と新しい、まだ発展途上の医療でしてね…。心を失った患者さんでも、『こういった場面で、大多数の人はこう感じる』というのが、頭で理解できるようになります」
「ただし、義心はあくまでも仮の心。本当の貴方の気持ちではない、ということは肝に銘じておいてくださいね」
私は頷いた。もともと義足義心の導入については夫が勝手に話を進めていて、私に拒否権はなかった。たとえどんな権利があったとしても、最早私には何の意思さえなかったけれど。
「義心の方が終わるまで、しばらく待っていてください。散歩でもいかがですか?」
「ありがとうございます」
戻ってきた右足の具合を確かめるため、私は一旦病室を後にした。借り物の心を外し、「本当の自分」に戻った私は、胸にぽっかりと穴を開けたまま近くの公園へと足を運んだ。空が青くて「綺麗だ」。蝉の声が「五月蝿い」。久しぶりにそう「思えない」ことが、なんだか懐かしかった。私は空いていたベンチに腰掛けた。
時々、私はまだ人間なのだろうかと疑問に思うことがある。
心を失ってから、こうやって考えることはできても、感じることができない。せめて人間らしく…そう願って付けられた足と心が、余計に私を悩ませた。あとどれくらい、私の人間の部分は残っているのだろう?何事もそう「思えない」ことが、嘘偽りない本当の気持ちだなんて、一体誰に打ち明けられるだろう?
「おばさーん!」
ふと足元にボールが転がってくる。すぐさま向こうから、子供達の元気な声が飛んできた。最近では義心がなくても、頭が学習するようになった。何の感情もないまま、私は笑顔で子供達にボールを投げ返した。若くしておばさんと呼ばれたことにも、勿論怒りも何も感じない。頭部に血液が集まりだして、少しめまいがした。
病院への帰り道の途中、ふと気がつくとおばあさんが横断歩道の前で大きな荷物を持っていた。大多数がそうするように、私は渡り切るまで荷物を持ってあげた。おばあさんは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「まぁまぁ、ありがとう。優しいのね」
「いえ…そんなことはありません」
「謙遜しないで。大多数の人間は、こんなことしてくれなかったわ」
おばあさんが見えなくなるまで、私はその場で黙って見送った。決して心からの行動ではない。それでも「大多数が思う」ようなことを、頭と体が記憶していた。だけど、記憶違いだったかもしれない。
ただ…どうしてだろう。ぽっかりと空いた胸の奥で、体温が上昇していくのが分かった。
心ない私はもう一度空を見上げた。相変わらず目に映る空は青くて、とても「綺麗だ」った。