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下水道の天国

作者: 鮫島

 出社前に煙草が吸いたい。ふと、思った。

 見上げればそびえ立つ建築物、電波塔、発達したウェアラブル端末、地上にいればどんな情報も得られる時代になった。

そして逆に言えばあらゆる情報が筒抜けな時代にもなった。この国の空を全て覆うような巨大なドームは太陽光や熱エネルギーの数割を吸収し発電し、人々の健康へ害のないレベルの光と熱をこの国の大地へと降り注ぐ。大地、という割にはコンクリートが9割を占めているが。おかげで活性化した太陽の光を弱め皮膚へのダメージを防ぎ、熱エネルギーを抑える事で温暖化を防ぐ。そして雲よりも遥か上空に作られたそれは天候に左右されずに発電できるどころか、ドーム内の天候を自由に操ることすらできるようになった。そして、安定した発電によりこの国の発電量はこれまでの発電量の総和を軽く上回る勢いで電気を生み出した。そしてその電気は無線であらゆる機器、媒体へと送られるようになり、人々の生活からついに電気は切っても切り離せない、切り離す事で死んでしまうようなそれほどまでに密着していた。

 リストバンド型のこの端末にはほぼ全てが詰め込まれている。体内を通し脳へと繋がれたそれは意識するだけであらゆる操作を可能にする。遠くの誰かと会話したり、ネットを介して情報を見る事ができたり、SNSを利用できる。そして細かな情報、例えばニュースや速報、などは眼球に装着された薄い膜を介して表示される。また同時に、これらの機器を利用してバイタルチェックを常に行っておりいついかなる時も健康状態を監視されている。規定値異常の数値をたたき出せば即座に通称NHCと呼ばれる国家主導の機関へと通報され、レベルに分けられた対応が行われる。

 その結果、平均寿命の伸びはそこまでではないが国民全体の体が健康に保たれている。

しかし、これらの活動によって私の、私たちの活動は制限された。

活動と言うほどの物ではないが、私たち喫煙者、スモーカー達の喫煙スペースがこの地上から消し去られた。

国民の健康意識を高める、という名目で今まで存在していた喫煙場所は全て違法となり、二十四時間開放型小売店前のスペース、喫茶店喫煙場所、これらのありとあらゆる場所は潰された。それと合わせ、煙草の販売も禁止され流通品は全て回収、そして国民の所持は違法とされてきた。煙草製造工場は全て国に買い取られ潰され、煙草の原料を製作していた農家達は国からの莫大な資金提供と引き換えに廃業したという。

なんたる所業か。

こうしてこの国は世界で唯一の禁煙国家となった。

紫煙燻らすこともできなくなったこの国で私たちのできることはなんなのか。

こうした国の禁煙運動に合わせ、発展した文化が一つある。それは裏煙草のやり取りならびに闇喫煙所の生誕だ。

この地上で、電波の届く範囲で煙草を一口吸おうものなら即座に通報され、仮想空間に設けられた口座から罰金が即座に引かれる。

そんな監視下でいかにして私たち、スモーカーズは自身の欲求を満たそうとしたか。欺く事にしたのだ、体に埋め込まれた機械を、NHCを。

国の監視下を逃れるためにどうしたか、私たちはアナログな手法でやり取りを交わした。

便所の落書き、とまでは行かないが、ネットの掲示板も通信回線を経由してデータを見られている恐れがあったので喫煙者には分かるような隠語で、それとなく普通の掲示板でやり取りをした。そして具体的な名称は避けつつ、現実の公園の人目につかない場所などで交流をした。といっても万が一音声ログが残るとまずい、と判断しメモでのやり取りが主だった交流だ。

そして私たちは我らが楽園を見つけたのだ。この地上ではなく、地下に。

 

 未だ、開発の遅れている地域はいくつか存在する。都市圏から少し外れた郊外などだ。

そういった地域の道路にあるマンホールをあけ、中へ入ると即座に警告音が脳の中に響く。味気のない電子音がピーピーと。

その警告を無視し、降りていくと楽園が待っている。電波の届かぬ喫煙者達の地下帝国。下水道という名称が正しいんだが、ここは電波が届かないため監視の目がない。そもそも監視する必要がそこまでないのだ。

そして下水道に降りて少し進み、一見ただの壁に見える場所を決まったリズムで5回ノックする。すると壁の一部がズレて中が解放される。

そこには自動排煙装置、空気清浄機、換気扇、そして今は亡き自販機が存在する。薄暗い照明の中、おっさんどもが紫煙を吹かしながら、ただただ心地よい沈黙を続ける。

そう、喫煙所だ。

電波の監視から逃れたこのサンクチュアリにて私たち、スモーカーズは存在する。

 さっそく私も一服しようと、自販機にバラ売りされているお気に入りの煙草を一つ、購入する。今はめっきり使われなくなった小銭を使って。

電子マネーでは聞けない小銭特有のちゃりんちゃりん、と小気味よい音を聞きながらボタンを押す。

この煙草だがもちろん国内では生産されていない。スモーカーズの中でも特に物流に強い人間が独自のルートを使い、海外煙草を輸入しているのだ。

頭文字に密という文字がつくが。そうして海外より入ってきた煙草を監視下を逃れながらこうして自販機に補充してくれているわけだ。

無論一本当たりの値段は以前と比べかなり高いが、危険な橋を、というか海を渡ってきているのだ。それぐらいの価値があると私も思う。

そんな高価な煙草を小さな取り出し口から一本の煙草が出てくる。そいつを取り出して、コートのポケットを漁る。しまった、ライターが無い。

今時ライターを使う機会がめっきり減ってしまったせいと、持っているだけで怪しまれるおかげでおいてきてしまった。

あたふたとしていると近くのおっさんが無言でライターを差し出してきた。ありがたく拝借する。

 口に煙草を咥え、その先端にライターで火を近づけ、そのまま息を吸う。

たちまち煙草の先端に火がつき煙を燻らせる。おっさんにライターを返してもう一度吸う。今度は深く、ゆっくり、肺が満たされるように...

それと同時にインストール済みの欺瞞ソフトを用いて体内の機械を騙す。これは正常な行為だと。

十分にニコチンが摂取できたら今度はそのまま吐き出す。口からくらくらと煙が排出され、部屋の上部に備え付けられた換気扇へゆっくりと向かっていく。

ここには洒落た喫茶店のようなBGMもテレビも無い。あるのは煙と、薄汚れた照明と、数人のおっさんだけだ。

それがいい。現代のシステマチックな社会にはない懐かしさがある。

そんな感傷に浸りながら煙草を一本吸いきった。

こんな社会になる前よりは本数は激減した。が、それと同じぐらいの満足感がある。

 一服を終えた私はまだ吸っている喫煙者達に軽い会釈をし、そのまま喫煙所を出た。

このまま地上に出ればたちまち煙草の匂いが感知され、通報され即座に電子錠を手首にかけられる。そいつはごめんだ。

喫煙所の隣にもう一つ、部屋がある。下水道に出てその部屋へとまた同じように入る。ここでは全身の消臭が可能だ。

部屋の中に分けられた個室ブースに入り、コートを洗濯機に入れる。乾燥機までついており洗浄消臭乾燥の三工程がほんの数分で終わる優れものだ。これも、喫煙者の技術屋が開発した物らしい。性能を少し変えて一般にも流通させているとの話で飛ぶように売れているとの事だ。

 コートなどの衣類をぶち込み、素っ裸になる。壁面のバルブを捻ると特殊な成分を含んだ液体がシャワーとなって出てくる。これは速乾性があり、全身くまなく浸す事で消臭することのできるものだ。これを髪、顔、口、指先、体、足全てにくまなく塗り込むようにして浴びる。

こうすることで全身の煙草臭を消し去り、シャワー後には乾いている衣服を着て、地上へ戻るという手順だ。

 

 シャワーを終えた私は地上へ戻り、職場へと向かった。

電磁誘導により移動する電車に乗り込みながら郊外から都市へ向かう。

窓を見ながら景色がだんだんと、高度な建築物に変わっていく町並みを見るのが少し好きだ。

最初は存在した木などの原風景が徐々に小さなビル、家、そして最終的に大きなビル群へと。

目的の駅に到着し、リニアを降りる。そしてビル群の中でも一際大きなビルへと向かう。

街中を歩きながら私の子供の頃とは大きく変わってしまったな、と感じてしまう。

監視カメラが四六時中街を見渡し、清掃ロボットが街に存在するゴミを全て取り除き、人の形を模したロボット達が街を闊歩し、犯罪行為を未然に防ぐ。

店に目をやれば、視線を読み取ったこの手首のリストバンドがその店の商品情報をいちいち見せてくる。左手、十メートル先にある店は珈琲の評判がいいらしい。視線を外して上を見上げれば今日の天気予報、といっても毎日晴れか曇りか、ホログラムで見せてくる雪のようななにかぐらいだが。

嫌になって機能を一時的にオフにする。溜息をつきながら歩いていると、私の職場に着いた。

 

 大きなビルの前には大きく国民健康対策本部、National Health Centerと書いてある。

何の因果か煙草が大好きでスモーカーを自称する私の職場はここなのだ。

再度溜息をついて、職場であるビルの入り口に向かう途中声をかけられた。

「主任!おはようございます!」

 振り向くとこちらへ向かって走ってくる一人の女性がいた。私の部下である。可愛らしくウェーブのかかったその髪が激しく揺れている。

息を切らして私の元にやってきたとこで声をかける。

「あぁおはよう。あんまり走るものではないよ、転んだら危ないだろう」

 そう言うと、えへへとでも言いたげなにやけ顔で頭をかきながら照れている。

「いやー、主任と朝から会えるなんて思ってなかったので焦っちゃいましたよ!」

「私はあれか、見たら一日ハッピーになる縁起物かなにかなのか」

「縁起物なんて目じゃないですよ!仕事は完璧、若くして主任を任され、その辺の男性職員よりも優秀な女性職員!もう全女性職員の憧れなんですから!そりゃもう朝一緒になって会話できたら一日中元気ですもん!」

「興奮剤か何かじゃないか?遅刻してもあれだ、さっさと行こう」

「はいっ!」

 

 憧れとは照れくさいが反面ばからしい。私が優秀なのは、あらゆる内部情報に精通しないと喫煙所が設立できなかった、ただそれだけの理由だった。

それが気づけばこのような扱いで、気づけばこんなことになっていた。全職員の憧れが喫煙者とバレたらまずいよなあ、となんとなく不安に思いつつも明日は煙草の銘柄をたまには変えてみようか、そんなことを考えながら私を慕ってくれる彼女とともに職場へ向かった。

折角だ、昼は彼女とあの珈琲の評判の良かった店でも覗いてみよう。


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