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彼の王国  作者: ニカ
4/5

星屑スターダム

3


 それから、練習はあと二回ほど行われた。部活の合間を縫って参加していたため、二回目の練習の後はそれぞれの部活へみな足を急がせた。ルイはバスケ部へ、セナは吹奏楽部へ、わたしは美術部へ、セシルくんは合唱部へ。四つの小さなキーボードはルイとセシルくん二人の腕で抱えるのに十分で、二人は紳士に振舞ってすべて片付けてくれた。わたしは空き教室を出て一回の美術室へ向かう間に、ギターを背負ったリズとそのバンドメンバーとすれ違って、手を振って挨拶した。


 美術部の部室へ向かうと、もうそこにはいつもの半分ほどの部員しか残っていなかった。美術部はどこの部活よりも自由で、課題さえこなしていれば帰ってもいいし別の場所で描いたっていいし、そもそも部室へ顔を出さなくたってよかった。とはいえ、数々の絵の具や筆など、部費でまかなっているものを借りることができるので、わたしの場合は外でスケッチを取るにしても一度部室に寄らないといけない。いけない、というか、お財布の事情的に、ぜひそうさせてください、というのが実情である。

 中には、大学のグループ展にも呼ばれる先輩もいた。そういう先輩は何かしらから援助を受けていて、わざわざ部室へ顔を出すことも少なかった。それでも部活内の課題はこなし、複数校集まる展示にも絵を描き下ろし、我が校の評判を吊り上げている。その先輩を羨ましいと思うと同時に、わたしは手を伸ばしても届かない、雲をつかむような話だと思っている。


 結局その日、作業は大して振るわなかった。他の部員も「今日はもういいかな」なんて適当なことを言って帰っていく。大方の部員がこのように適当である。もちろん、わたしも含めている。

 わたしもほんのすこし前回の続きをおこなって、帰ることにした。本当にすこしだけ絵の印象を強めただけの作業だった。

 まだ二、三名のメンバーが残って作業をしている部室を、わたしは控えめな挨拶をして抜けた。窓の外はもう暗い。どちらにせよ、もうじき残った部員たちも用務員によって追い出されることだろう。わたしは蛍光灯がかちかちと点滅した廊下を行った。

 外へ出ると、空には星が一つまた二つ瞬いていた。わたしは小走りになって、ローファーを鳴らしながら野道をくだった。石像の横を通ろうとすると、右目の端に暗がりの中でも輝く金色を見た。思わず足を止めてそちらを見ると、そちらのほうもわたしを見た。その金の主、セシルくんは、ふわりと気だるげな笑みをして

「やあ、こんばんは」と言った。

「また、捨ててたの」

 わたしは侮蔑も賞賛もしない声色で問うた。セシルくんは困った様子で顔を背け、「やだな、フェイちゃんたら」と言った。セシルくんは後ろの手で残りの花をぱっと蒔いた。こっそりやったつもりなのだろうけど、その白い花びらはわずかな光を跳ね返してわたしの目へまっすぐ飛び込んできた。

「いっしょに、帰ろうよ」

 誤魔化すようにはにかんだ彼の誘惑に、わたしはなす術も無く肯くことしかできなかった。


 セシルくんとわたしは二人肩を並べて歩いた。セシルくんの身長はわたしの頭一つ分上に突き出ていて、彼のその長い足は、わたしの歩調にあわせゆっくりと彼の身体を運んでいる。しばらくの間、会話はなかった。

「フェイちゃんは、どうしてアルトへ?」そのセシルくんの問いかけがされたのは、肩を並べ始めてからかなり久々のように思われた。

「どうしてって」

 わたしは問い詰めるかのようなセシルくんの真っ直ぐな瞳に射抜かれてしまう。わたしは観念して

「目立ちたくないからだよ」そう答えた。

 セシルくんは「ふうん」と言って前を向いてしまう。横から見ると、より睫毛が長いことがよく分かる。程よく高い鼻の先はほんの少しだけ上を向いていて、生意気なティンカー・ベルのようだった。くちびるは薄く、血色がよい。赤に肌色を滲ませて塗ると丁度いいかもしれないと思った。絵を描くとしたら、の話である。

「ぼくは」セシルくんが形のよいくちびるに言葉を乗せた。「きみの声はソプラノだと思う」

 え、とわたしは訊き返した。おどろかないで、とセシルくんは微笑む。

「きみの紡ぎ出す音はきっと、もっともっと高く響くほうが似合う。スターダムに登れる声さ。ぼくは、そう思うよ」

 そのとき、一際強い風が吹いた。後ろから背中を押すように吹いた風は、わたしとセシルくんの髪を前方へ薙ぎ倒す。髪の隙間から見るセシルくんの横顔はほとんど隠れてしまっていたけど、上から順に長い睫毛、ほんの少し上を向いた高い鼻、そして薄いくちびる……に笑みをたたえている。

 セシルくんほどではないよ。それが、わたしの口から放り出すことのできる最大の威勢だった。彼は笑った。それこそ、緑の服を着たおとなにならない少年のように、高くて無邪気で、どこか寂しさをもった声で。

 星は素知らぬ顔で燦然と輝いている。


 わたしたちは合計三回の練習を重ねた。その三回で、本当はもっと必要なくらいだけれど、それなりに聴けるものにはなったと思う。セシルくんからしてみたらきっと物足りない出来だと思うけれど、これがこのときのわたしたち四人の精一杯だったし、この音が四人の始まりだったとも言えるだろう。



 風の強い日のことだった。飛行機が空を突き抜けるような轟音とその巨大な風圧には、有無を言わさない緊迫した雰囲気があった。白いちぎれ雲がとどまることを知らず流れてゆく。もうすぐたくさんの雨が降るらしかった。

 わたしとセシルくんとルイとセナは、第一音楽室のグランドピアノを背に並んだ。先生が鍵盤を叩いて初音を示してくれる前に、ごうと風がうなって窓をがたがたと揺らした。わたしもルイもセナも少し怯むが、セシルくんはアンニュイな笑顔を浮かべたまま右手の指をぱちんと鳴らした。わたしたちはそれが合図であるかのように、すっと背すじを伸ばしてぐらつきそうな身体を保った。

 いち、にい、さん、はい。

 わたしたちの時間が、動き出す。



 評価はおおむねよく、わたしはその学期の成績表で初めて最高評価をもらった。

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