第二話 お祭りの前 其の二
「髪型はどうする?」
「少女衣装だから一部を編んで流せばいいんじゃないかな?」
「この余り布で作った造花を編み込んだら可愛いんじゃない?」
「そうだ、襟飾り用に編んだレースが少し余ったのがあったし、あれをリボンにしましょうよ」
自分達自身の衣装合わせをすっかり放り投げてライカを囲んであれこれ言い合っている少女達に強烈ないたたまれなさを感じて、ライカは頭を抱えた。
祭りはまだ先の話なのに、彼女達がどうしてここまで細かい飾りつけに熱中するのかさっぱり分からないのだ。
いや、その前にそもそもライカはミリアムの提案に了承した覚えが無かった。
「あの、俺、女の子の衣装はやっぱり」
勢いに流されぬように、ライカは断りの言葉を口にしようとする。
「ライカ、私ね、ずっとこの衣装の事が悔しくて悔しくて仕方がなかった」
ミリアムがそれを遮るようにライカの顔を見ながらそう言った。
「凄く楽しみにしていて、この衣装で私がこの街のみんなの幸せを招き寄せるんだ、って。馬鹿みたいに無邪気に思っていた。でも結局それは叶わなくて、その気持ち全部が、薄暗い片隅に押し込められたような気持ちでいたの」
彼女は小さく微笑む。
「これって私のわがままだって分かってる。私が一人で気持ちに決着を付けたいだけなの。無理を言ってるって知ってるわ。でも無理を承知で貴方に叶えてもらいたいの。どうしても、絶対嫌なら仕方がないけど、ライカもどんどん大きくなってるから来年はもう無理だなって思ったら、何としても今度のお祭りでこれを着たあなたを見たくなって。……困らせちゃってごめんなさい」
ライカは困惑して彼女を見た。
ミリアムが自らの心残りを自分に託そうとしているのだという事はライカにも分かる。
しかし、同時にまた、自分が彼女の代わりにならない事も知っていた。
「俺がこの衣装着たからって、どうしてミリアムの気持ちに決着が付くの?」
「私、ずっと一人っ子で兄弟が欲しいな、と思ってた。だからかな?ライカの事、弟みたいに感じるの。ライカならこれを託していいかな?って思うの」
「弟……」
ミリアムは、ライカがこの街に来てからずっと何かと気に掛けてくれて、一緒に仕事もやってきた相手である。
ライカからすれば人間世界で祖父の次ぐらいに親しい人間だった。
しかし、だからといって家族であるか?と言われればそれは違う。
ライカにとって家族とはそんなに軽い存在ではないし、普通の人間が思うよりも竜族の家族を持つライカにとって、家族の絆は強固で替えの効かないものなのだ。
「俺はミリアムの弟ではないし、そう思う事は出来ないけど、ええっと、その、ミリアムの気持ちを分かち合う事は出来ると思うんだ」
弟ではないと口にした途端、ミリアムが悲しそうな顔をしたのを見て、ライカは慌てて言葉を継いだ。
「分かち合う?」
「うん、ハーブ屋のサルトーさんがそう言ってた。親しい人間同士気持ちを分かち合うのはとても大事な事だって。それにね、俺の母さんがいつも言っていた事があるんだ。人間はお互いを認め合う事で始めて本当に喜びを感じる事が出来るんだって。誰とも繋がる事が出来ずに遠くから眺めているようになると、段々と喜びが痩せ細っていくんだって」
「そう、素敵なお母さんだったんだ」
「だからさ、その、俺は弟じゃないけど、これからもミリアムとは沢山の物を分かち合って、お互いに認め合う、その、友達だと思ってる」
「うん」
「それで、ええっと、聞きたいんだけど、本当にお祭りの日なら女の子の服を着てても大丈夫なんだよね?おかしく思われない?」
結局はミリアムの気持ちに押し負けた形だが、ライカの不安は突き詰めればそこだった。
不自然で目立つ事はしたくない。
とりあえず、男としての面目はこの際忘れる事にしたのだ。
「大丈夫よ、実際男が女の、女が男の格好するのは一番よくある仮装なの、全然目立たないわよ」
ミリアムの保証に、ライカは溜息を落とした。
「分かった。着るよ」
「ふふ、ありがとう」
二人の間で話が纏まった瞬間。
ミリアムの女友達二人が、なんだか変な歓声を上げた。
「いやあん、弟じゃないって、それは一人の男として見てくれって事?ね?ね?」
「こ・く・は・く?」
何か頬を染めて盛り上がっている彼女達を見つめて、ライカは今度は呆けたように目を丸くする。
意味が全く分からなかったのだ。
「え?」
「残念、私はもっと大人の男の人が好きだから、ライカは眼中にないわ」
困惑するライカを尻目に、ミリアムがはっきりと言い放つ。
そこはかとなく険がある感じがするのは、先ほどの弟じゃない発言の意趣返しかもしれない。
「あらら、振られちゃったね」
「お姉さんが慰めてあげようか?私は結構ライカくんってタイプかも」
「セシアったら、ライカはまだ子供なのよ」
「やだ、ミリアム、振ったくせに気になるんだ?」
「もう!」
(駄目だ俺、なんか全然分からない)
最近は人間関係にもある程度自信を持ってきていたライカであったが、三人の少女達の会話がまるで遠い世界のもののように聞こえていた。
肩を落としながら目の前の綺麗な色の衣装を見て、もう一度小さく息を吐き出した。
― ◇ ◇ ◇ ―
「気にするな。若い女の子ってもんは大して意味のある事を言ってる訳じゃないんじゃよ。下手に理解しようとするから疲れるぞ。理解なんぞ二の次にしてありのままを受け入れる事が大事なんじゃよ」
「ジィジィの言ってる事も良く分からないや」
何か色々落ち込んで、ライカは黙々とスープを皿に注いだ。
「じゃからお前は頭でなんでも理解しようとするのがイカンと言っておるんじゃ。理屈よりも感覚が大事な時もある。いや、娘さん相手ならば殆どがそうじゃ」
「でも感覚ってさ、結局は経験の積み重ねの結果でしょ?なら俺にはまだ無理って事なのかも」
ふう、と、ライカの祖父のロウスは息をもらした。
「お前はやっぱり父さん似なんじゃろうな。ラウスに似ておるわ」
「父さん?」
「ああ、あやつも目の前の現実より頭の中の理屈を優先する性質じゃった。なんというか、理想が高すぎたんじゃろうな。なんであんな時代にあんな風に育ったのか訳が分からんわい」
「ジィジィが育てたんじゃないの?」
「確かにそうじゃ、わしが育てた。いや、育てたのは女達かのう……」
むぅっと顔を顰めながら、ロウスはスープを掻き込む。
「父さんの事って俺は全然知らないんだけど、母さんも俺は父さんに似てるって言ってたよ」
「まぁ顔も似ておるしな。あやつは、なんというか、命よりも理想を大事にするような奴じゃったわい」
「それなら俺とは違うと思うな」
「人間、自分の事は分からんもんじゃ」
今度はライカがムッとしたように口を尖らせてスープを掻き込んだ。
そういう仕草が二人は驚く程似ていたが、当人達は気付かないまま淡々と時間だけが過ぎる。
「おお、そうじゃ」
沈黙が続いた後、ロウスはぽつりと呟いた。
「お前に祭りの仮面を作ってやらなきゃならんな」
「仮面?」
「聞いたじゃろ?祭りの時はこう、目の所を覆う仮面を付けるんじゃよ」
ロウスは手で顔の上半分を隠すような仕草をしてみせる。
「ああ、うん。仮装で仮面かぁ。それならそんなに恥ずかしくないのかな?」
「白皮の木で作るんじゃが、表面に模様を入れるのが普通じゃな。何が良い?」
「模様?それなら竜とかは?」
ロウスは喉でククッと笑う。
「お前は本当に好きじゃな」
「うん。大好きだよ」
「よしよし、まぁ楽しみにしておるんじゃな」
「うん。ジィジィありがとう」
皿を水桶に片付けながら、ライカは小さい声で言葉を継いだ。
「今度さ、父さんの話、もっとしてもらえる?」
ロウスの口元に笑みが浮かんだ。
「いくらでも」
思い出は、語られる度に光を増すと、昔誰かが言っておったわと、ロウスは口の中で呟いて、少しだけその笑みに寂しさを纏わせたのだった。