第六十一話 事故
白く柔らかい生地の布を畳んで、高い場所にある棚に仕舞う。
治療所でどちらかというと雑用係であるライカの仕事としては別におかしな物ではないが、周囲の人達の不安げな視線が普段とは違っていた。
このような仕事をしているのは、別にライカが一番背が高いからという訳ではなく、むしろ一番小さいのだが、この治療所にある踏み台の足がガタガタで、バランスを崩して倒れ落ちる人が続出したのを見かねて、ライカがやり始めたのがきっかけなのである。
「やっぱり軽いからかな?」
一番親しくなったスアンが、それでもやはり心配なのか踏み台を支えながらそう言う。
「コツがあるんです。支えなくて大丈夫ですよ」
言われて、恐る恐る手を離し、踏み台の足がふらふらしない事を確認すると、彼女はうなずいて自分の仕事に戻った。
この治療所は結構色々と忙しい。
掛かりっきりで治療する為の泊り込みの患者さんもいれば、自宅へ往診に行かなければならないような患者さんもいた。
当然、突然やってくる飛び込みの患者さんもいる。
難しい治療が出来るのはユーゼイック先生一人だけなので、先生はいつもあちこち飛び回っていて一番忙しい。
細々した雑事は助手の人達の仕事だが、その助手も五人しかいないのだ。
しかも内三人は女性である。
特に力仕事の人手が足りないのだが、いかんせん子供であるライカにはそこを埋めるだけの力は無い。
ただ、ライカは仕事が手早く、小器用なので、それなりに便利に思ってもらってはいるらしかった。
と言っても、今やっている仕事でライカが踏み台を倒さないのは、単にライカが自身の体の重みをどれだけ足場に掛けるかを調節出来るからなのだ。
特技と言えば特技だろう。
他人には到底無理なやり方だが。
「ライカちゃんが来ると人手が増えるのも助かるけど、みんなが明るくなって良いわ。患者さん、お年寄りが多いから若い子が来ると喜ぶのよね」
「俺も色々教えて貰えるんで、楽しいですよ」
「本当?若い子にはこういう病気を治す場所とか陰気で退屈なんじゃないかと思って心配してるのよ」
笑いながら同意する気配が広がり、ライカは苦笑した。
「楽しいからしょっちゅうお邪魔してるんですよ。むしろ俺、あんまり役に立ってない気がして、実は迷惑なんじゃないかと心配してました」
「またそんな大人みたいな口を利いて、お利口さんすぎるとおやつ抜きにするわよ」
「ええ~」
「ちなみに今日は草団子です。団子の粉は粉屋のおじいさんが差し入れてくれた白玉粉です」
「白玉粉ってなんだ?」
土間口で草敷きを編んでいた男性の助手が思わず口を挟んだ。
恐らく殆どの者にとって聞き慣れない材料だろう。ライカも知らなかった。
「凄い高級なお菓子の材料なの、つるつるしててもっちりしてるのよ」
「分からん」
「それって、貴族ぐらいしか食べられないようなお菓子の材料じゃなかったっけ?」
別の、女性の助手が呟く。
「そうなの!私ほら、王都で貴族のお屋敷に働いてた事あったでしょ?そこでこれを使ったお菓子の作り方覚えたの。まさかまた作れるなんて思わなかったわ」
「おいおい、えらく奮発したんじゃないか?あのおじいさん」
「まぁ大店だからそのぐらいは平気なんじゃないかしら?それによっぽど先生が親身に治してさしあげたのが嬉しかったみたい」
「先生は骨惜しみされないからなぁ。ちょっとはゆっくりする時間とか作った方が良いと思うんだが」
「そうよね、ほんと」
と、そんな風に手仕事の合間のたわいないおしゃべりが盛り上がってる時、表から人が駆け込んでくる気配があった。
普段は入り口に誰もいなければ呼び鈴を鳴らすか、そういうものに慣れない人は声を掛ける。
いきなり上がり込むなど普通の様子ではなかった。
「先生は何処でしょうか?」
その出で立ちを見れば明らかに城の兵士だ。
いつもの隊服とは少々違って重厚な皮防具を付けていたが、基本装備は守護隊のものである。
その慌てた様子に、何事かと、助手の一人が応対した。
「先生は患者さんの宿所の方ですが、どうなさったのですか?」
「それではそこまで案内願います。実は狩場で事故がありました」
「え!」
さっ、と。周囲の気配が引き締まる。
さすがに人の生死に深く関わっている職場だけあって、彼等の切り替えは早かった。
「入所されている患者さんの中には騒ぎがお体に響く方がいらっしゃいます。先生をこちらにお連れしますので、しばしお待ちいただけますか?」
「あい分かりました」
兵士は疲れを見せながらもぴしりと背筋を伸ばして答える。
彼女が先生のユーゼイックを迎えに行った後、残った助手が兵士に詳しい内容を問い掛けた。
「それでけが人の数は?獣にやられたのですか?」
「いや、それが待機場所の崖が崩れたのだ。何人かまだ埋まっている」
「ええっ!」
助手達と共に、ライカも思わず声を上げた。
ライカは同時に昨日セヌから聞いたばかりの話も思い出す。
「あの、確か今度の狩りには街の人達もかなりの人数が参加していると聞きました。みんなは大丈夫なんでしょうか?」
兵士はライカの問いに苦痛に耐えるような表情を浮かべた。
「待機場所にいたのは殆どが追い込みの為に待機していた一般の民だ」
どこからか低い唸り声が聞こえる。
助手の一人が無意識に発している声だ。
「まずい、ありとあらゆる外傷、痛み止め用の薬がいるぞ。保管分で足りるかどうか」
「とにかく現地に持っていけるだけ持って行きましょう。あっちへ行ってから足りないでは済まされないわ」
一瞬呆然としていたライカも、彼等の声に我に返った。
「手伝います」
「うん、それじゃとりあえずさっき仕舞ったばかりの布をありったけ出して」
そこへ慌しく二人分の足音が近付いた。
「事故だそうですが?」
ユーゼイックはさすがにいつもの穏やかさを消した、緊張した声で聞く。
「うむ、礫場で崖が崩れた。下に何人かいた事は分かっているが正確な人数は不明だ。急いで付いてきてもらいたい」
「礫場、足場が悪い所ですね」
ユーゼイックは暫し額を押さえて考え込むと、助手に次々と指示を飛ばす。
「スアンとイージィは血止め、痛み止めの薬を出来るだけと消毒用の松皮、蜂巣薬、それに布を持って来てください。ニクスは大鍋と薪と火種を、クアンは出来る限り綺麗な水を大量にお願いします。水は兵士の方々にもお願いします」
助手への指示と併せ、彼は隣に立つ兵への指示も織り交ぜる。
兵士は無言でうなずいた。
「サーナはここの留守を頼みます。デシアニさんが下痢をしていますので水を定期的に飲ませてあげるのを忘れないように」
「はい」
最後に留守を任されたサーナ以外は、既に皆、無言でうなずきを返すのみで自分の仕事に掛かっている。
そこへライカはたまらず声を掛けた。
「先生、俺も手伝わせてください!荷物運びぐらいは出来ます!」
ちらりとライカを見たユーゼイックは微かに目元を綻ばせると、うなずく。
「それではスアンとイージィを手伝ってください。二人で持つのは少々多い量になりそうですから」
「はい!」
ライカは慌てて自分が下ろした布を抱えると助手の女性達の指示を仰ぐ為に彼女達の後を追った。
薬庫の場所は覚えているので、少々先に行かれていても心配はいらない。
許しを貰ってほっとしたライカだったが、ふと振り向いて見たユーゼイックの顔が、酷く固い表情を浮かべていた事が、胸に冷たいしこりとなって残った。
「スアンさん、先生が手伝って良いって」
「ライカちゃん、でも、知り合いがいたらきつい事になるかもしれないわよ?大丈夫?」
「でも何もしない方がきついんじゃないかと思うし」
「そっか、じゃ、この背負い籠をしょって、これには血止めと化膿止めの材料が入ってる、上にその布を詰めて紐を掛けるわね」
「あ、はい」
言葉より早く準備を進める彼女達の手際にライカの入り込む隙はない。
ライカはおとなしく言われた通りにした。
「とにかく重傷者がいる場合は一刻を争うわ、出血が多すぎると怪我を治しても助からなくなってしまったりするの、そうだ、血を失うと体温が下がるから毛布も必要ね」
どこにこれだけの量が入るのかという程に詰め込まれた籠を背に負ってみる。
ぐっと後ろに引っ張られる感じがした。
「大丈夫?重すぎるなら減らすけど」
「あ、大丈夫です。コツがあるんです」
ライカがニコっと笑うと張り詰めていたスアンの顔が少し緩む。
「うん、慌てず無理せず迅速に、よ、礫場は知ってる?」
「ええっと、実は行った事ないんです」
「実は私も。じゃ、さっきの兵士さんに案内を頼みましょう。先生は場所を知っているらしかったし、私たちが先に行って準備出来る方がいいもの」
「スアン」
薬庫の中からやや低めの女性の声がした。
もう一人の助手のイージィである。
「まずいわ、痛み止めが少ないの。ここの所の気温の変化が激しかったから関節が痛くなったって人多かったでしょう?」
「困ったわね、山で何か代わりが見付かればいいのだけど」
言葉の合間に残った二つの籠も詰め切った彼女は、それを背負って立ち上がった。
奥から出てきたイージィも薬庫の厳重な扉を閉め、同じく籠を背負う。
「水も問題ね、こっちから持って行くのでは量も限られるわ、近くに水場はないのかしら?」
「山の水場で知られてるのは貴婦人の泉と底なしの滝ですけど、礫場は聞いた話では街の北側なんですよね?そっち側の水場は分かりませんね」
ライカも一緒に考えるが、よい知恵は浮かばなかった。
そこへ、周りを確かめるように知らせに来た兵士が現れる。
「準備はよろしいか?先にあなた方を連れ行くようにと指示をいただいた。先生は場所をご存知との事だ」
「あ、はい、丁度よかった、お願いします」
兵士は、傍らのライカを見ると怪訝な顔をしてみせたが、余計な問いは口にしなかった。
一礼をすると、先へ立って歩きだす。
「あ」
三人の声が重なった。
「どうした?」
「そこの廊下は違います。右の入り口を入ってください」
兵士はなんとも言えない顔をする。
「迷路か?ここは」
答える者は誰もいなかった。




