最終話 なべて世はこともなし
西の街の実家のような安心感。
西の果ての僻地ニデシスの街を象徴する物はいくつかあるが、最近新しく評判になっている場所がある。
それが街の北西にあるレンガ地区だ。
以前は薄茶色の日干しレンガで出来た、半分崩れかけの廃墟だか家だか分からない塊のような場所だったのだが、最近は焼きの入った赤みの強いレンガを土台に使い始めて壁を白漆喰で塗り、鮮やかな色合いのコントラストで人の目を惹き付けていた。
更に似た家が重なり合うように続く独特の風景が美しいと、旅行客から人気の場所となって来ているのだ。
この街で焼きレンガを使い始めたのは火持ちの良い炭を焼くための窯を作ってからだった。
この炭焼きの方法は王都に勉強に行っていた領主の養子の青年が持ち帰った方法だったのだが、窯を作るのに使ったレンガが硬くなっている事に作業をしていた者が気付いて、レンガ地区の建材を崩れやすい日干しレンガから焼きレンガに変えたのはレンガ地区の青年達だ。
また、そこに漆喰塗りを加える事を提案したのは領主の養子の青年である。
結果として地面から大人の腰ぐらいまでが赤く、壁が白い家が立ち並ぶ事となった。
元々家の建て替えのサイクルの短い地域だったのだが、この変化は驚く程急激だった。
出来上がった家を見て、周辺の住人が真似をして建て替えたせいだ。
そもそも壁と壁が接しているような地域だったので、全体建て替えとなれば数軒を巻き込む事になる。
おかげでほとんど一区画が丸々様変わりする結果となった。
複雑だった道も整備され、ついでとばかりに城から派遣された職人が井戸を新たに掘り、道を整理して空いた空間に広場が出来た。
「ノウスン兄!ライカ先生今日どこにいるか知らない?」
その広場を荷物を抱えた背の高い青年が通り掛かると、一人の少年が呼び掛ける。
「フォム、お前な。なんで俺が奴の居場所を知ってなきゃなんねえんだ?」
「だってノウスン兄はよく先生と難しい顔で話し合いしてるじゃん!」
少年の名前はフォム、このレンガ地区では一番有名な家族の一員だ。
母はフォスと呼ばれる美しく上品な婦人で、父はにオムと言う働き者の男、そして姉のセヌは聡明で美しい少女として、地区はおろか街中の人間に知られている。
と、言うのも、セヌはこの街に新たに建立された教会付属の孤児院で働いていて、時折教会で子供たちと歌を歌うのだが、その歌が評判となっていたのだ。
とは言え、両親と姉が有名と言ってもその家族の一員である最年少のフォム少年は、現在ではまだ何者でもない。
「けっ!仕方なくだ!仕方なく!悔しいがこの街であの野郎ほど知識がある奴は他にいねえんだよ!都で立派な学校とやらに行って勉強して来たんだから当然だがな。せっかくお勉強して来たんだから俺達のために役立ててもらわねえと」
「ノウスン兄は子供が産まれるって言うのに全然ガキ大将気分が抜けないよね」
「てっ、てめえ!何抜かしてるんだ!」
「って、近所のおばちゃん達の評判だよ」
「くそったれ!」
「うわっ、汚い言葉遣いして、ミリアムお姉ちゃんに言いつけちゃえ!」
「てめえいつの間にかひねたガキに育ちやがって。それもこれもライカの野郎がお前に勉強なぞを教えるから」
「またそういう風にものの見方を歪めるのは良くないよ」
「ちっ、まぁいい、こっちはガキなんぞに構ってる暇はねえんだよ」
「ねー先生は?」
「知らん!城だろ」
「ちぇっ、頼りにならないなぁノウスン兄は」
ガウッと凄んだノウスンを見てフォムと、周囲に一緒にいた子供達が「きゃー!」などと声を上げながら走り去って行く。
それを見送ってノウスンはため息を吐いた。
子供たちは揃って高価ではないが小奇麗な服装をしている。
親たちが子供たちのために丹精込めて織った布で仕立てているのだ。
昔のように織った布の全てを売らなければ生活出来ないという事は無くなった。
ノウスンはフォム少年に話し掛けられて一度は地面に下ろした樽をもう一度肩に担いで歩きだす。
片足をやや引きずりがちではあるが、その歩みに不安定さは無い。
そのまま水路に出たノウスンは、水路沿いに北へと更に歩いた。
やがて城門から少し離れた水路広場の一画に待ち合わせの相手を見付けると、眉根を寄せて足を早める。
「よぉ……」
声を掛けようとしてノウスンは固まった。
「ああ、ノウスン良かった。ちょっと怒られちゃって、早く用事を済ませてしまいたかったんだ」
「てめぇ!ぐぬっ、なんだぁぞの臭いは!」
ノウスンはドスン!と音を立てて樽を下ろすと、慌てて鼻を摘んで後退る。
待ち合わせの相手が酷い臭気を放っていたのだ。
レンガ地区もひと昔前まではけっこう臭うと評判の場所だったが、この相手の臭いは汚物をそのまま塗りたくったような酷さだった。
「そうなんだ。それでさ、門番の人にも洗濯に来ていた女の人達にも怒られちゃって、早く着替えて体を洗ってしまいたいんだよ」
「ぼまえ!いつも臭いのはだめだって言ってたぐせに、なんでケロッとしてやがるんだ!」
「最初はよく倒れてたんだけど、人間って凄いよね、慣れたよ」
「慣れたって、おい」
「だってちゃんとした堆肥にするには汚物を太陽に晒して土に混ぜて毒を抜きながら育てないと駄目だって言うし、他の人は誰もやりたがないし」
「ああ、例の堆肥畑ってやつか」
言いながら、ノウスンは相手の傍らにある樽に目を向ける。
「まさか、それも」
「ああ、これは大丈夫。育て終わった堆肥だから生もの程には臭わないんだ。と言っても俺の鼻おかしくなっているから、今の状態だとどう違うのかさっぱりだけどね」
はははと笑ってみせる相手に、ノウスンははぁと脱力する。
「まぁいい。こっちが山の畑で特別作物の育ちが良い場所の土だ」
「じゃあ、こっちの堆肥と交換だね。いい結果が出ると良いけど」
「色々やってみりゃあ良いだろ。別に失敗したって樽一杯分の土で作れるものなんてたかが知れてるし」
「ノウスンって前向きだよね。そういう所は尊敬するよ」
「ケッ!てめえに尊敬されても何もうれしかねえよ」
二人の青年がそんなやり取りをしていると、にわかに大通りの方が騒がしくなったのに気付いた。
この街は構造的に城に向かってなだらかに上りになっていて、開けた水路沿いの広場からは大通りをある程度見渡せる。
「ん?ありゃあ早馬か?」
ノウスンが体を緊張させた。
早馬となれば良くない知らせというのが常識だ。
最近はずっと平穏が続いているが、それだって永遠のものではない。
この街の住人の大半は戦争難民だった事もあって、そういった危険に対しての意識の切り替えは早かった。
「二頭、かな?ん?あれ……は」
ノウスンと向かい合っていた青年、ライカは、城に駆け込もうとして止められている騎馬の人物を見て息を呑んだ。
門番である兵士は大柄な馬に今にも蹴られそうになりながら巧みに馬の勢いを殺して相手を押しとどめるのに成功していた。
そしてその馬上の人物と何やら揉めた後、その視線がライカ達の方へと向く。
兵士の視線を辿った騎馬の人物とライカの視線が合った。
「なんだありゃあ、全身鎧かよ。本当に戦が始まったのか?」
独りごちるノウスンを他所に、ライカは固まったように動かない。
そして、唐突に馬から飛び降りた鎧の人物が彼らに向かって突進して来た。
「うおおっ!なんだ!やろうってのか!」
ぐっと険しい顔になるノウスンだが、次の瞬間我が目を疑う事となる。
その鎧が、ライカにぶつかるように抱き付いたのだ。
「あっ!」
「ライカ!会いたかった!」
面貌を上げた下にある顔は涙でぐしゃぐしゃだ。
金属の鎧で覆われた姿で、ひょろっと細長く見えるライカに抱き付いていると、なんだか絞め殺そうとしているようにも見える。
「臭い!」
「うおっ!」
唐突に傍らで声が聞こえて、ノウスンは驚きにのけぞった。
見れば傍らには旅装の貴族らしき青年がいる。
どうやら鎧の突進に気を取られている間にやって来たらしい。
「なんですかこの臭い。僻地はこんなに臭いんですか?」
「失礼だな!臭いのはライカの奴であって、この街じゃねえよ」
見ればその貴族の青年は漆黒の髪と黒い目という珍しい色合いで、おまけにぞっとするような美しい顔立ちをしていた。
不吉さを感じてノウスンは更に一、二歩下がる。
だが、その青年はその様子にフッと微笑んでみせた。
その微笑みは酷く邪気が無く、人の心にするりと入り込むような気安さがあった。
「あなたはライカのご友人ですか?初めまして、私はメラースと言います。出来れば気軽にメランと呼んでください」
「はぁ?あんたお貴族様だろ?一体だれが貴族を気軽に呼んだりするんだよ馬鹿か」
ノウスンの言葉にメランは笑い出す。
「愛称は呼べないが罵倒はいけるというのは斬新な考え方ですね。さすがはライカの友人だ」
「待て!誤解だ!俺はあいつの友人なんかじゃねぇ!」
「えっ、それじゃあ親友ですか?残念だな。ライカの親友は俺だけかと思っていたんだけど」
「ちげえし!他人だ!てかてめえライカの知り合いかよ、道理で変な野郎だと思ったぜ。てか、あれはなんだ!」
ノウスンはメランの言葉を適当にいなすと、目前で繰り広げられている光景を指差した。
「ライカ、愛してる。ずっと、そう言いたかった」
「えっ、ほ、本当に?」
「うん。私ね。この間手柄を立ててね。お父様がなんでも望みを言うが良いって言ってくださって。それで、ライカと結婚したいって望んだの」
「ミアル……」
見つめ合う二人の目に涙が浮かぶ。
それを見守る二人の目にも涙が浮かんでいた。
主に刺激臭のせいで。
「なんだあのアマ。頭がおかしいのか?なんでクソの臭いの中で告白かましてるんだ?しかも女から」
「まあまあ、ずっと我慢してたんだから勘弁してあげてよ。しかし本当に臭いね。俺、ずっとミアル様を尊敬してたけど、ますます敵わないなと思ったよ。まさかこの臭いに全く動じないとはね」
固く抱き合い、見つめ合った二人は感極まって口付けを交わした。
それを目撃してしまったノウスンは酷い臭いと、女が男に対して激しく貪るように求めたその口付けの衝撃が重なって気分の悪さが最高潮に高まる。
なんだかんだ言ってもノウスンも僻地育ちの人間だ。
古い常識の中で生きているのである。
「やべえ、吐きそう」
「あ、大丈夫かい?なんだったら旅の為に持って来た薬をあげようか?」
「なんなんだ、全く。ったくあいつが関わるとホント、碌な事がねえな」
ノウスンはげっそりと、そう心から呟いたのだった。
このお話で本当におしまいです。
長い長い間、応援してくださった読者の方にはどんなお礼の言葉も軽いような気がしますが、本当に今まで読んでくださって、心からありがとうございました。




