第二十九話 レンガ地区の子供達 其の五
「泥が軟すぎる、もう少し堅めに練るんだ」
五、六人の少年達が群がるように集団で作業をしていた。
よく見ると流れ作業に近い手際で、全体を大柄な少年が指図しているようである。
「こっちが元から使っていたレンガで無事だったやつ、そっちが新しいやつだ、古いレンガの方が堅くなっているから下の方に使うんだ。混ぜるなよ」
「アニキ、泥がそろそろ足りなくなって来た、レンガの作り置きの分もギリギリみたいだぜ」
「泥は森熊のやつが掘ってくる手はずだから大丈夫だ、レンガはあるだけ使うしかないだろ、今朝干した分が使い物になるのは5日後ぐらいだ。壁が屋根を支えられるぐらいに補修しておけば危険は減るから、やれる所までやっておかなきゃな」
「泥だけじゃなくて繋ぎを入れたらもっと丈夫になるんじゃないかな?ここらの家の庭にはたくさん芋蔓が積んであるけど、あれを干して刻んで入れるとかなり強度が上がる気がする」
「芋蔓は食い物が足りない時に食ったり、種を撒いたばかりの土の上に被せたりして使うからそんなに無茶な使い方は出来ねえよ」
答えてから、彼は相手の声が仲間のものではない事に気付いた。
同時にその相手が誰かに思い至り、苦々しい思いで振り向く。
「なんだお前、まだ殴られ足りなかったのか?」
彼の想像通り、そこに立っていたのは昨日彼が本気で殴り殺しかけた相手だ。
「あ、いや、そうじゃなくて、その、昨日は俺もちゃんと話をしてなくて悪かったと思って」
そんな事があったにも関わらず自分を恐れもせずに普通に話しかける少年を、彼は呆れたように見て、思わず噴き出した。
「お前、その顔、すげぇ男前になったじゃねぇか。そういやミリアムのとこで働いてるんだろ?人気者になれたんじゃねぇの」
ニヤニヤと、いかにも嫌味に満ちた言葉を放ったが、
「ああ、うん。お客さんがすごく盛り上がったよ。なんだかみんなてんでに若い頃の喧嘩の話をしてくれて、賑やかだったな」
にこやかに返されて、呆れた顔になった。
実際、少年の顔は凄いもので、左目の周りから顎にかけて青紫の斑に染まり、一番酷い目の周りはまだ腫れが引いていない風で、やや盛り上がって目を半分塞いでいる。
十人いれば十人が驚いて振り向くような状態だ。
「そうか、悪かったな、お前はどうやら本物のバカらしい。そんな奴に真面目に怒った俺がどうかしてたんだ」
「そういう風に最初から突き放されてしまうとさ、話が出来ないから、ちゃんと話をさせて欲しいんだ」
そろそろまたもイライラし出した彼へ、思い掛けない程静かに話しかけて、少年は真剣な顔でじっと答えを待つ。
彼は、そのライカという少年をジロジロと無遠慮に見やると、顎をしゃくってみせた。
「いいぜ?聞くだけなら話も聞いてやるさ」
そう言って、周りで様子を窺っている仲間を振り向いた。
「ちょっとこいつと話して来るから作業を進めとけよ」
「……兄貴」
何か言いた気な仲間を置いて、彼はさっさとそこから移動すると、その空き家の反対側の壁に移動した。
ライカも当然のように無言で後に続く。
「で、なにが言いたい?」
ニヤリと、何かを期待する風に彼はライカに促した。
「俺がここに通うのを許してほしい」
「やっぱり殴られ足りないって話か?」
「違う、俺はセヌと約束したんだ。あの子の弟に本を読んであげるって。だからその約束を守りたい」
「セヌね」
彼、レンガ地区の子供達の集団のリーダーであるノウスンは冷笑を浮かべた。
「なに?お前あんなガキが気に入ったのか?そりゃ世の中には若けりゃ若い方が良いって奴はごまんといるが、いくらなんでも若すぎないか?それともその年でガキじゃなきゃヤレないって特殊な趣味に走っちまったのか?」
ゲラゲラと笑って手を叩く。
「きめぇやつだな、お前はよ」
「そういうのは止めて欲しい」
ライカは揺ぎ無く彼を見据えると、前と変わらない静かな声で続けた。
「彼女はあなたの守るべき相手の一人のはずだ、そういう態度は彼女は元よりあなた自身も貶めるような言い方だと思う」
「それで?」
ノウスンも又、全く怯まずに答えた。
「今度はどんな説教をしてくれるんだ?」
ライカは小さくため息をつく。
「俺は頼んでいるだけだ。彼女との約束を果たしたいだけ。それ以外あなた達の中に土足で踏み込むつもりはない。それだけを認めて欲しいだけなんだ」
「頼んでるにしちゃ態度がでかいと自分では思わないのか?」
「俺は人と付き合うのに慣れていない。俺の言い方が悪いのならそう言って欲しい」
「そうだな、全部悪いな、俺の目の前にいる事自体が悪い、どっかへ消えてくれれば俺もありがたく思うかもしれないぞ」
「なんでそうまで交流を拒むんですか?人と人は繋がり合ってこそ何かを成し遂げられるはずだ。何もかも拒んでいては新たな道も開かれないんじゃないですか?」
ノウスンの眼差しに険が混じる。
「うるせぇな、なんにも分らねぇ坊ちゃんのくせに知った風な口を叩くな!他人を受け入れるのは良い事ずくめってか?ふざけるなよ!」
ボコっと鈍い音を立てて彼らの横の家の壁が抜けた。ノウスンが左手を力任せに打ち付けたのだ。
様子を窺いながら反対側の壁を修復していた少年達がぎょっとした顔をしたのがそこから丸見えになる。
「アニキ~」
「あ~わりぃ、ここも後で直そう」
ライカはなんとなく形を崩さずに零れたレンガを集めると壁の端に並べた。
「お前はなにやってんだ?」
「あ、え?さっきみんながこうやって選り分けてたみたいだったから」
ノウスンは己の髪をがしっと掴むと何かに耐えるように顔を顰めた。
「だめだ、お前を見ているとイライラが増してくる。ちょっと場所を替えるぞ、壊すもののない場所へ行く」
「分かった」
二人は再び移動をした。家の密集地帯を抜け、街の外壁近くの木々が生い茂っている場所まで歩く。
「お~ノウスン、可愛い娘じゃの、やっと彼女を作ったか?」
「なにいってんだ!ばあさんボケすぎだろ?男だぞこいつは!」
「照れんでもええのに」
移動中、のんびりひなたぼっこをしたり何か手仕事をしているらしき老人がノウスンに挨拶をしてくる。
中にはあからさまに少年達をからかう豪傑すらいた。
「好かれてるんですね」
「煩いからだまってろ」
その森は人の気配がなく、風が木々を揺らす音や鳥の鳴き声に満ちていて、大人の出払った家々とはまた別の静けさに覆われてた。
「ここらでいいか」
下生えを足で蹴散らして歩いていた彼は、やや開けた場所で足を止める。
「お坊ちゃん、お前にいい話を聞かせてやるよ。御執心のセヌの話だ」
「セヌの?」
「ああ、あいつはまだ六つのくせにいっちょ前に肩肘張って突っ張ってるだろ?なんでだと思う?」
「セヌは六歳なんですね。俺が初めて狩りに出たのと同じぐらいだ。それならもう一人前と認めてあげて良いんじゃないですか?」
ノウスンは片眉をびくりと上げたが、ゆっくり息を吐くとライカを睨んだ。
「お前の住んでいた地の果てがどんな風習か知らねぇが、ここらでは一人前と思われるのせいぜい十六ぐらいからだ」
「そうなんですか!」
ライカは心底驚いたように声を上げた。
「そういえばじいちゃんもそんなような話をしていた気がします」
「それで、セヌの話だが」
ノウスンはライカの呟きを無視して強引に話を続ける。
ついでに何か耐え難かったのか、鬱憤を逸らすように手近な木を蹴りつけた。
「あいつのじいさんはどっかの国のえらいさんだったらしくてな、まぁ要するに貴族だったんだ。ここへ逃げてきた最初はそりゃあ苦労したらしい。今でも貴族に恨みを持つ奴も多いし、その頃はまだまだ戦をガンガンやってる最中だ、誰も彼もが気が立ってる。無理もない話だったんだろう」
ライカがうなずくと彼は「わかりゃしねぇくせに」と鼻で笑ったが、そのまま話を続けた。
「それでもじいさんはへこたれずにみんなに井戸の掘り方を指導したり、栽培するのに合った食い物を探し出したりと、知識の豊かさを惜しみなく生かしてみんなを手助けした。そうしてじいさんは仲間の信頼を勝ち得ました。めでたしだ」
「凄い人だったんだね」
「知識があってそれを惜しまないじいさんだった。頭の良い奴ってのは他人を見下しがちだがそうじゃない人だったのさ。俺もじいさんには懐いて色々教えてもらったもんだ。で、そのじいさんには娘がいた。それがセヌのかあちゃんって訳だ」
一瞬、ノウスンの険しい顔が和らいだ。
「元々が貴族だからか、その人は明らかに俺らと違って垢抜けてべっぴんだった。おまけに優しい人だったから、俺達ガキはこぞって彼女の所に遊びに行ったもんだ、まぁ鼻の下を伸ばした野郎共も来てたけどな」
「ええっと、ごめん。垢抜けてべっぴんって?」
「すげぇ美人って事だ!」
「なるほど」
「……これだから育ちが違う奴は、まぁいい。ともかく俺達はいつだって飢えていたし、逃げてくる奴らは増えるしで、しょっちゅうゴタゴタはしてたが、まぁそれなりにやっていた。ところが、戦が終わったって事でここもどっかの国に属さなきゃならんって話になった。いや、そもそもは国に属していたのが戦の混乱で放置状態になってたって話だったかな?ともかくここを収める領主が来て、それに伴って新しい住人がやってきた。貴族やその取り巻き連中だ」
「うん」
「だが当然俺達はやつら貴族がどの程度信じられるか不安だった。だったら最初からそれなりに権利を主張しようと、そのセヌのじいさんを折衷役に立てて話合いに行く事になった。だがな、やつらは門前に俺らを立たせて笑うだけ笑ってこう言った。『奴隷崩れが交渉ごととは面白い見世物だった』とね」
ノウスンは地面に唾を吐き捨てる。
「やつらは続けて言い放った。小汚い場所も人間も始末して、さっぱりとしたこぎれいな街にするとな。俺もその場にいたが、今でもその言葉も光景もはっきりと覚えている」
その時の怒りを思い出したのか、その手がぶるぶると震えた。
「尚も食い下がろうとしたみんなをセヌのじいさんが止めた。じいさんはみんなに言った。この国の王は英明と評判の王だ、直訴をしよう。と、……直接話を王様に持ち込もうとした訳だ」
またもライカがもの問いたげな顔をしたので言い直し、今度は話の腰を折られる事態を防いだ。
「どうやって?王様って遠い所に住んでいるんでしょう?」
しかし、ライカは更に突っ込んで聞き出す。
「戦争が終わってこの土地に最初に入り込んできた商売人が荷運び人だった。こいつらは身分も何も関係なしにどこにでも頼まれ物を届ける資格を持っていた。だからそれを使って書状を直接王様に届けようと考え付いたのさ、全く肝の据わったじいさんだったぜ」
「そんな仕事もあるんですね」
「呆れたな、今までどこで生きてたんだ?とにかくじいさんはその昔覚えた貴族らしい作法に則った書状を書いて王様に送った。俺達は俺達を追い出そうと嫌がらせをしてくる連中に耐えながらもとりあえずはおとなしく結果を待った」
ノウスンは目を閉じた。
「やがてある日城に早馬が駆け込んでいったという話が広まり、結果が出たと俺たちは思った。どういう結果かは分らないままその後の動きを息を潜めて待っていた訳だ。そんな時だった、……じいさんとその娘の姿が消えたのは」
「消えた?」
「家の中が荒らされていて二人の姿が見えなくなっていたって話だ。まぁそんときの事は俺も詳しい話は後から聞いたんだがな、近所の奴らは何か大勢の足音を聞いたらしい。だが声は誰も何も聞かなかったという事だ。そして、みんなが心配して探し回った次の日だ」
言って、彼は改めて周囲を見回した。
確かに人の気配がない事を見定めると続ける。
「二人はこの地区の入り口に放り出されていた。酷い姿になって」
「酷い、姿?」
「俺もあの時二人を探して走り回っていた。だから隠される前の姿を見たんだ。二人とも両手両足を折られ、誰だか分らないぐらい全身が腫れ上がってた。反抗する力も無い老人と女を誰かがそんな目に合わせた」
ライカは声もなく顔をしかめた。ノウスンも当時を思い出したのかギラギラとした目をして押し黙る。
「その後大人たちは二人を治療だと言って女子供の目から隠し、家の周りには若い男達が見張りに立った。皆がぴりぴりして、子供心に今にもっと恐ろしい事が起きるんじゃないか?と、そう感じたもんだ。だが、その後は拍子抜けする程何事もなく。その領主はここから去り、新しい領主が変わりにやって来た。それが今の領主だ」
「それをやった相手は罰を受けなかったんですか?」
当然のようにそう聞いたライカに、ノウスンは呆れたように軽く言った。
「貴族が何の罰を受けるんだ?石っころ同然の貧乏人を怪我させた程度で。それにその頃にはもうここの連中は城やその関係者には全く近付かなくなってたし、馬鹿馬鹿しい事に大部分の大人は怖気をふるって物を言う気力を無くしていた。もっと呆れる事に中にはじいさんが悪いと言い出す奴までいたという始末だ」
「それは哀しいですね」
「セヌはその時の子供だ」
「え?」
ライカは彼の言う事を全く理解出来ない風でじっとその顔を見ている。
「セヌの母親は暴力と一緒に望まぬ子供まで与えられたって事さ。そしてあいつは自分が望まれない子供だった事になんとなく気付いている。だからあんなに突っ張ってるんだ」
いっそ晴れやかな口調で説明すると、彼は冷ややかな目をライカに向けた。
「人ってのは自分が見下している相手にはどんな事をしても平気なんだよ。劣っていて踏み付けるのが当然な存在だと思っているのさ。だから俺は余所者をここに近付けさせない。やつらを決して信用しない。もちろんお前もだ。決して理解し合えない相手と力を合わせるなんて、お綺麗な語り手の詠う物語の中だけで起こる出来事なのさ」
「それで、なぜ俺にその話を?それはセヌの家族の傷なのではないですか?」
相手の変わらない、むしろいっそう静かな口調にノウスンはやや眉を顰めながらも応える。
「あの、男を汚物のように思ってるセヌがお前に心を許してるようだからな。知らずに傷付けるより先に教えてやっておいた方が良いだろう。まぁ、お前は男と思われてないだけかもしれないがな」
ククッと喉で笑ってライカの全身をジロジロと見渡した。
「確かにあなたは過去から学んで行動した。それ自体はきっと正しい事なんだと思います」
ライカは強くはないがはっきりとした言葉で告げる。
「でも、あなたは現実に目の前にあるものを見ていないのではないですか?酷かった過去の領主の罪を今の領主様にすり替え、助けの手を差し伸べなかったかつての人々への失望を今の隣人に押し付けている。本来は今ここに確かに存在する相手をこそ、ちゃんと見極めるべきなのではないですか」
「なんだと?」
気色ばんで、ノウスンは拳を固め、そして下ろした。
「そうだな、所詮お前は余所者だ。言うだけなら好きなだけ言えるさ。どうせお前は俺たちの場所にはいない」
「それを言うならあなたもセヌではないし、彼女の家族ではない」
「ああ?」
「あなたにはセヌの家族の傷を俺に晒す権利はなかったはずだ。それにあなたには見えていない事もある」
ノウスンは、なぜ自分がこうまでこの少年に苛立つのかをふいに理解した。
彼は、このライカという少年は、聞きたくない言葉ばかりを正面から投げつけて来るのだ。
「なんだ?」
「セヌの家の書物を読んで分った事です。彼女の、いや、彼女のおじいさんの故郷では、セヌとは朝を指す言葉です」
ライカはにこりと笑った。
「暗い夜に飽いた者は夜明けを望むものです。暗闇を越えた先の新しい朝を。だから、経緯がどうであれ、その名を持つ彼女は望まれない子供ではないはずだ。あなたにはセヌを憐れむ権利はないんです」
ライカはキッパリとそう言い切る。
ノウスンは反論しようとして口を開いた。
お前にこそ何が分かる?知った口を叩くな!と。
しかし、その言葉は喉から先へと上がっていく事はない。
何故なら既にノウスンは気付いていたのだ。
自分が過ちを犯した事、そして目前の気に入らない相手の言葉を打ち崩す物など何一つ自分が持っていない事に。
ノウスンはこれまで何度となく暴力によって膝を付かされた事がある。
だが、決して負けを認めた事はない。
さやさやと木々が葉擦れの音を響かせ、世界が静かに時を刻むその場所で、ノウスンは自分が初めて、暴力によってではなく、自分自身の矜持において敗北した事を悟ったのだった。