第十話 確執と暗躍
ここ最近、メランは自分が変わった事を自覚していた。
以前の彼の周囲は、動きのない沼の底に溜まった泥のようだった。
気付いたら降り積もったしがらみで身動きが出来ず、何かをする気力すら湧く事がない。
しかし、今の彼の周囲は、予測の出来ない混乱と、今まで予想した事もない体験に溢れていた。
それもこれも同室者のおかげである。
「まぁでも、どう贔屓目に見ても感謝すべき事じゃないよな」
メランはそう嘆息した。
同室者であるライカは、その立場を考慮しても尚余りある厄介事の種となっている。
更に面倒なのは、だからと言って彼が孤立している訳ではないという事だ。
大貴族に目の敵にされているせいで正面切って親しくして来る塾生はいないものの、一部の塾生は何かと便宜を図ってくれているようだった。
そしてまた、ライカは教師のウケが良い。
ライカは事あるごとに教師達に質問をしていて、そこで教えられた内容を更に自分なりに調べて、再びそれを確認するという学習方法を実践していた。
その熱心な授業態度は、物事を読み解く事を人生の一部としている教師達と相性が良かったのである。
おかげで塾内には少々歪な人間関係が発生していて、物事が単純な排斥や同情という方向には進んでいないのだ。
排斥派はこの状況に明らかに焦れていた。
ここに至って、メランは自ら動く事を決断した。
状況が他人によって引っ掻き回されている今の環境は、彼にとって傍観して楽しめるような状態ではないからだ。
他人の思惑によって自分の演じる役柄が決定してしまうなど、自分で思っているよりも自尊心の強い彼に耐えられる事ではなかったのである。
「平民の子が貴族然としてこのサロンで弁を弄するなど、この塾の品性も堕ちたものだな」
ライカがサロンで同じ部門の学生達と一つの命題について論じている時に、近くの席に着いた学生達が聞こえよがしに言い出した。
最近は直接の暴力よりこういう嫌がらせを仕掛けてくる輩が増えて来ている。
以前にメランが目撃した襲撃事件の他にも何度かライカは大小の暴力的な行為を受けたらしいのだが、あまり本人に効果が無いという事が周知されると、わざわざ自ら報われない労を成す者も減り、作戦を切り替えたらしい。
そもそも貴族にとって、こういう噂で相手の立場を貶めるというやり方の方が得意な手段なのだ。
直接的な暴力は、他人をいたぶる快感を得たいが為の頭の足りない三流の行う手段にすぎない。
聞こえよがしの上位貴族の言葉に、ライカではなく、ライカの周囲にいた少年たちの方が怯んだ。
ライカと普通に付き合うのはどちらかというと下級の貴族の子弟なので、こういう上位貴族の言動には敏感に成らざるを得ないのだ。
「今、聞き捨てならない言葉を耳に挟んだ気がするが、まさか王権への批判を堂々と行う者がいるとは思わなかったな」
メランは純粋な驚きを声に込めて発言した。
同時に周囲の動向を伺う。
聞き耳を立てながらもどちらの味方でもない者が半分以上。
ライカ排斥派の青年達はひとかたまりに席に纏まっていて十人には満たない程度、一方でライカとその同じ部門の学生は五人、人数でも立場でも完全に負けている状態だ。
しかし全てが敵ではない。
「な、何を言う。言いがかりを付ける気か?」
メランの言葉に青年達はギョッとしたように彼へと注目した。
メランはほくそ笑む。
保身を考える人間は扱いが楽なのだ。
「この塾は王家直々に開かれた学びの場、その品性を疑うというのは王の品性に疑問を投げ掛けたという事でしょう?」
「馬鹿な!言いがかりだ!貴様、我らを愚弄すると許さぬぞ!」
「ん?じゃあ、今のは俺の聞き間違いでしたか?それなら申し訳ありません」
メランは席を立つと、片膝を折って胸に手を当て、正式に謝罪する。
そうなると相手は怒りの矛先の持って行きようが無くなってしまう。
謝罪した相手を更になじるという行為は誰が見ても格好の悪いものだからだ。
「そ、そうだ、全く、変な言いがかりを付けるのは許さぬぞ。今回はその謝罪を持って許してやろう」
そんな具合で、上位貴族の先輩達の苛立ちの先がライカとメランに分散され始める事となる。
人の集団は同じ目的に向かって同じ目線で動いている時は強固だが、目先がブレて意識が分散するとたちまち烏合の衆となる。
メランは更に手を打った。
体術の訓練に勤しむイアース王子の所へ果物の差し入れを持ち込み、王子とその取り巻き達との談笑の中でぽろりと何気ない会話として同室者の少年がどうやら貴族として認められていないようだという事を口にしたのだ。
「まさかそのような事はあるまい。サルク卿は王直々に位官を授けた相手、そしてお前の同室者は正式な手順でその子とされた者だ。それを認めぬとなれば国の意に反するという事となる。そのような愚か者がこの誉れ高い学びの舎にいるはずもない」
当たり前の事として誰もが知っているはずの事でも、それが言葉として立場のある者から発せられるとその意味合いは重くなる。
これらのやりとりはたちまちに塾生の周知する所となり、ライカとメランの周りから面倒事は減っていった。
「やれやれだ。これで勉強に打ち込める」
別に勉強が特に好きでもないメランだったが、そんな風に呟いた。
なんだかんだで色々と暗躍した事が結構面白かったというのは今の所彼の胸の内深くに秘めた真実だ。
「メラン、最近なんかすごく楽しそうだね」
そんな裏側のあれこれを知らないライカがお気楽に言うのへ、メランはニヤリと人の悪そうな笑みを向けて答えた。
「実は俺は魔王だからな。人心を惑わすのが楽しくてならないんだ」
「格好良いね!俺、魔王って良く分からないんだけど、竜とどっちが凄いかな?」
「は、竜ってのは魔王の配下にすぎないんだぞ。魔王が上に決まっているだろ?」
「そうなんだ!魔王って凄いね!」
「クッククク……」
ライカからの純粋な尊敬の眼差しがなんだか気持ち良いのも秘密だ。
メランは段々自分が目指すべきは役者ではないのか?と感じ始めていた。
そんな時に事件が起きた。
ライカが社会学の授業を受けている時に、質問に立ち、壇上に降りようとした所を突き落とされたのだ。
その相手というのが、王都の手前の護りの砦、ウーロスの太守の公子であるポリュボテス・オル・ウーロスだった。
その瞬間、メランは「うわぁ」と声を上げてしまった。
ライカは見事に転げ落ち、しかも頭から突っ込んだように見えた。
当のポリュボテスは両足を踏ん張り、肩をいからせて聳え立っている。
なにしろ彼は塾生の中でも上から数えた方が早いぐらいに体格の良い青年である。
その継ぐべき家柄と恵まれた体格が相互に作用して、恐ろしい程の威圧感があった。
咄嗟に誰もが動けなかったぐらいだ。
しかし、メランは、以前ライカの馬鹿みたいな丈夫さを目の当たりにしていたので、あまり心配はしていなかった。
問題はこの後のポリュボテスの出方である。
「不快である」
彼はそれだけ言い放つと、説明も弁明も、当然ながら謝罪もなく立ち去った。
しかも堂々とした振る舞いで。
「あいたた」
ヤバイ体勢で落ちたライカだったが、そのすぐ後に呻き声を上げて立ち上がった。
「大丈夫か?」
「あ、うん、大丈夫だけど、なんか俺悪い事したのかな?」
ライカの相変わらずの頑丈さに少し呆れながらも「一応は痛みはあるんだな」と、どこか感心をしながら、メランは今の状況を判断した。
ウーロスと言えば国の護りの要、王の信任厚い一等の星の座の貴族である。
やっと収まっていたゴタゴタがまた再燃するのは間違いなかった。
「サルク卿、念の為に療法師に診てもらうようにしなさい」
教師がライカに忠告する。
その言動にはどこかメランのものに共通する困惑と疲れが見えた。
貴族の相手をする教師は平民の、一等市民も多い。
なかなかに神経の休まらない職場である事は間違いない。
「あ、はい!ありがとうございます!」
言われたライカは勢い良く、しかも嬉しそうに返事をした。
(なんで嬉しそうなんだ、こいつ)
いつまで経っても、なかなか同室者に対する理解が進まない事に困惑するメランであった。




