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竜の御子は平穏を望む(改訂版)  作者: 蒼衣翼
第一部 西の果ての街
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第二十六話 レンガ地区の子供達 其のニ

「海の神様の3人の兄弟はそれぞれに自分の贈り物こそが一番素晴らしいと主張し合い、とうとう争いになってしまいました」


 古い皮紙の独特の匂いと、保存の為に包んであった香油に浸した布の匂いが混ざり合って鼻を突くが、構わずにライカは丁寧に絵本を読み進めた。

 どうやら古い神話を纏めたらしいその本はセルヌイの書庫でも見た覚えがあるもので、表紙に絵柄を織り込んだ布を貼った板を使い、見た目にも綺麗に装丁してある。

 おそらくセヌの祖父というのは元々はそれなりに豊かな生活をしていたのだろう。

 セヌの家には驚く程たくさんの書物が保管されていたのだ。

 考えてみれば、これだけの蔵書を持ってこの街まで戦火を逃れて来たのは驚くべき事だ。

 実際の戦を知らないライカですら、それがとても大変だっただろう事は漠然と分る。

 だが、本をこれだけ持って来れたのなら、もっと小さくて軽い、価値のある宝飾品や衣類等は持ち出せなかったのだろうか?

 それがあればこの一家はそれなりに豊かな暮らしが出来ているはずだ。

 ライカはそう疑問を抱いてセヌに直接聞いてみた事があった。が、

「そういうのもたくさんあったんだって。でも全部、売って食べ物に換えたり、盗まれたりしちゃってすっかり無くなったってことだよ。書物なんて重いだけで殺し合いの最中に読みたい人もいなかったみたいで、なんの価値もないからって盗人だって欲しがらなかったから残ったってわけさ」

 そう教えて貰って、ライカも成る程と思ったものだった。

 どうやら当時の人間達はライカを育てた白の王セルヌイとは全く逆の感性をしていたらしい。

 

 実は、ライカはこの地区のボスといわれている少年に、結局のところ会わないままになっていた。

 既に時々この少女、セヌの家に訪れては、彼女達姉弟や親のいない間のひと時に集まっている子供達相手に本を読んであげるようになってからもう数日が過ぎている。

 ライカが筋を通して挨拶をしようと言うと、セヌを始め、そのボスの仲間であるはずのネズミの尻尾と呼ばれる少年と地走りと呼ばれる少年まで、揃って凄い勢いで止めにかかったので、結局は押し負ける形で挨拶の無いまま、出来るだけ姿を見られないように訪れるという約束をしていたのだ。

 ライカ自身よりもその子供達が胸を撫で下ろしている事に、もうそれなりに日が経っているにも関わらず、ライカの来訪は、まだボスの情報網に引っ掛かっていないようだった。

 しかし、どう考えても、この件がいずれ露見するのは確実で、子供たちは嫌な事を先延ばしにしているに過ぎない。

 ただ、当のライカは全く心配らしい心配はしていなかった。

 それは楽観的というよりも、竜的思考をする癖のあるライカは、人間特有の、未来を予測して不安に思うという思考方法にあまり慣れていないのだ。


(力で支配するタイプのボスなんだろうな)

 彼らのボスに関しては、そうライカは推察したが、その仲間の少年達に特に暴力が振るわれた痕跡も無かった為(もちろんどこかにぶつけたような普通の痣や草や何かで切ったような切り傷はいっぱいあった)身内に辛く当たるタイプでもないようだ。

 身内に頼もしく外敵に恐ろしい種類のボスならば、ここの子供たちにとっては怖い相手ではなく、むしろ頼りがいがあると思えているに違いない。

 実際、ライカは子供達が怯えているというよりも、日常が変化する事を嫌がっているという印象を受けていた。

 単に問題ごとが嫌なのか、まだ知り合って間もないはずのライカの身を案じてくれたのかよく分らないが、ライカに怪我をして欲しくない、或いはボスに暴力を振るって欲しくないと思っている事は確かなようだった。


「にいちゃ、その海の宝玉はどうなったの?」

 本を途中まで読み、食道の手伝いへ行く時間が来たので続きはまた今度と伝えてから、少し考え込んでいたら、集まって来ていた近所の小さな子供の一人が続きを催促して来た。

 どう言えばいいのかとライカが考えていると、セヌがつかつかと寄って来てぴしゃりと告げる。

「ちょっと、あんた達!続きはまた今度だよ。このにいちゃんにだって仕事があるんだからね」

「おしごとじゃあしかたないね」

 子供らしい回らない口調ながら、大人っぽく納得してみせるその子の言い様に微笑ましい思いをしつつ、ライカはセヌに尋ねた。

「君たちは俺より年下だよね?今の言い方だとみんな仕事がどういうものなのか知っているみたいだけど、もしかしてもう働いているの?」

 ライカの問いにセヌは軽く答える。

「そりゃあこんなちっこい子は大した事はしてないけどさ、みんな水汲みとか家の掃除とかぐらいはやってるよ。あたいはもっぱらうちの弟の子守だけどね」

「水汲みって、こんなに小さいと大変だろう」

「小さい桶にほんの一、二杯だよ。ここらじゃ自分の使う分は自分で汲んで来るのが習慣付いてるから、別に大変とは思わないんだ」

「なるほど、そうなんだ」

 軽く言うが、まだろれつも回らない子供に、どんなに小さくても水の入った桶は重いはずだ。

 しかし、ここではそれが普通なので誰も気にしないのだろう。

「あ、ううぶ」

 セヌが抱っこしている小さな子供がなにやら要求するように手を伸ばして来た。

 このセヌの弟は、幼すぎてどうやらまだ言葉が話せる段階ではないらしい。

 そういう子供に絵本を読んであげて理解出来ているのかと疑問にも思うが、セヌの話では「結構覚えてるもの」との事なので、ライカはその辺は気にしない事にした。

「マンマはもう少し後だからね~」

「もう乳離れしているんだね?」

「う~んホントはまだ早いのさ。だけどかあさんがいつまでもあかんぼに構っていられる程うちもゆとりはないからね。歯が生えたらもうお乳は卒業になるんだ」

「ふうん」

 小さい人間の子供、幼児というものを見るのはこの子が初めてだったライカは、いつもはセヌがしっかり抱いていて良く顔が見えないその子をしげしげと見た。

 少しむずがっているようだが、自分を見ているライカの顔を見つけるとじっとそのまま見つめて来る。

「ちょっとこの子抱いててよ」

 いきなりセヌがその幼児をライカに押し付けて来たので、顔を近付けていたライカは驚いて思わず後ろに下がった。

 セヌがそれを見てケラケラと笑う。

「何びびってんのよ、ちょっと炭を起して来るからさ、その間抱いててほしいだけなんだから」

「いや、でも仕事が」

 自分で彼の仕事を理由に子供達を諭したくせに、セヌは時々こうしてライカを引き止める事があった。

 大概は自分の仕事の手伝いを無理やりやらせる為であったが、それでなくてもライカが帰る頃にいきなり不機嫌になるのはいつもの事である。

「いいじゃない、ちょっとだから。こら、どこ持ってるのよ」

 思わず赤ん坊の首の根元の皮を抓もうとしていたライカは、怒られて困惑してしまった。

 ライカの困り顔を見たセヌはニヤリと笑うと、「真っ直ぐ両手を出して!」と命令口調で指示を出す。

「全く男ってのはみんな、勢いがいいのは腕っ節で済む事ばっかり、赤ん坊を抱かせると決まっておろおろ慌てるんだからね」

 到底ライカの身長の半分程度の小さな少女の言う言葉ではなかったが、そこは普通という事がよく分からないライカである。謝りながら素直に両の腕を差し出した。

「こうやって頭の下に手を添えて、お尻を支えて、うん、そうそう」

 厳しい指示を貰って、なんとか小さな子供をおっかなびっくり抱えたライカは、なんとはなしに自分の育て親達の苦労を想った。

 ライカ自身がこんな具合に危なっかしい生き物だった頃に、あの強大な存在がどれだけ苦労したかは想像に余りある。

 それに比べれば、自分がこの小さな壊れ物を少しの間預かるぐらい大した事はないのだろう、と。

 なので、手の中の子供がやたらと手を振り回すせいで何度も落としそうになりながらも、ライカは耐えた。

「ありがと、さあ、さっさと行かないと仕事に遅れるよ!」

 宣言通り、さっと帰ってきたセヌは、今度は自分で引き止めたのを忘れたかのように、ライカを叩き出す勢いで送り出そうとする。

「うん、また暇を見て来るよ」

「毎日でも通って来るよ、ぐらい言えないのかい。甲斐性なしだね」

「さすがにそれは無理だからね」

 ライカはにこりと微笑むとセヌに軽く手を振った。

 この地区の小さい子供達がやたら人懐っこいのは、大人が長時間家を空けて寂しいからだろうとライカは思っていた。

 ライカ自身、以前は家族と精神的に深く繋がっていたせいで、今の状態は繋いでいた手を突然離してしまったようで、時々たまらなく寂しくなる事がある。

 ましてこのぐらい小さい頃などライカは家族の誰かと片時も離れず必ず一緒にいたものだ。

 その点でライカが特別だった訳ではない事は、この街で見掛ける家族の様子を見ていても分かる。

 セヌくらいの小さい子供は、必ず母親か自分より大きい家族と一緒にいるのが本来は普通なのだ。

 外で子供だけで遊んでいるのは、もっと大きい、ネズミの尻尾や地走り達ぐらいの大きさの子供達で、もはやその運動能力や判断能力も大人に近い。

 言葉も不自由で判断能力も高くないこの家にいるような大きさの子供たちだけで出歩くのは、ライカが出会った人狩りの例を見るまでもなく、危険でもあった。


「もう少し頻繁に来れるといいんだけどな」

 セヌに言った事とは裏腹な事を考えながら、ライカは、全く周囲に注意も払わずに、ゆっくりと迷路のようなレンガ地区の道筋を辿っていた。

 今までも、ライカはここを歩く時に周囲に注意などした事はない。

 もし、その少年たちのボスという相手に出会っても、ライカにとってはそれはそれで一つの問題が解決するだけの話なのだ。

 あまりに知り合った少年達やセヌが嫌がるので、自分からその相手を訪ねないと約束はしたものの、あまりにも長期間挨拶をしないまま過ごすのは、どうにも不作法を働いているようで嫌だったし、下手にこそこそすると却って不審者に思われてしまいトラブルの元になるだろうとも思っていたのである。

 そういう訳で、これまでライカが少年達のグループの目に留まらなかったのは、一重にあまりにも堂々としていたのと、最初に出会った少年達が、彼らなりの理由からライカとボスとが鉢合わせないように気を使っていた為であった。

 だが、さすがにそういつまでも幸運が続き、ライカの存在が知れないままである訳が無い。

 なにしろ最初の訪問からもう既に、一つの季をまたぎ、更に次の季まであと少しという頃合になろうとしていたのだから。


「そんで?訳のわからんガキが俺らの縄張りを大手を振ってうろうろしてるってのはどういう事なんだ?」

「あ~、あの辺はちびっこばっかで面白いもんもないし、俺らあんまり行かねぇから盲点でしたね」

「ガキどもを締め上げてみたらどうっすか?」

 取り巻きの少年達はボスの言葉にそれぞれの意見を述べる。

 しかし、彼らの気楽な態度もそれまでだった。

「バカかお前ら!俺が聞いてるのはお前らの目ん玉はどこについてたんだ?って話だよ!」

 怒鳴り声に一斉にびくりとして、少年達は神妙に彼らのボスを見た。

 彼らのボスは人一倍大柄で、まだ15歳なのに既に大人の男の風貌をしている。

 腕っぷしもその見掛けを裏切らずに強く、よく力仕事の手伝いをしては大人なみに稼いでいたし、また手伝いを喜ばれてもいた。

 しかし、彼はまた、人一倍余所者嫌いでもあった。

 死んだ父親からさんざん苦労話を聞いて育ったせいでもあるし、今まで酷く貧しい中、肩を寄せ合って細々と生活していた所へ我が物顔で大勢の余所者が現れてたちまち豊かな暮らしを始めた。その事が心の奥底にしこりとなっているのだ。

 決して生来の乱暴者ではないが、そんな気質のせいで喧嘩騒ぎは日常茶飯事だったし、他地区の少年達とやりあって負けた事などないという剛勇の主なのである。

 一度などは、仲間を逃がす為に警備隊とまともに遣り合って無事だったという武勇伝の持ち主ですらあった。


「まぁいい、今度そいつが現れたらすぐに知らせろ。ちゃんと片をつけてやる」

 彼の勇猛さについていける者ばかりではないし、荒事を専門とする少年達以外は警備隊を酷く恐れてもいた。

 なので、言い放った彼の顔を見て、二人の少年がため息を吐いたとしても、それは自然な反応で、特に気にする者は誰もいなかった。


「やべーよ、ボス、カンカンじゃん」

「そりゃそうだろ?もう仕方ないだろ」

 ネズミの尻尾と地走りと呼ばれている少年達はこそこそと囁き合う。

 まずいと思っても、彼らにどうする事も出来はしないのだ。

「あいつよわっちそうだったもんな」

 二人はすっかり顔馴染みになった変な少年を思い出して、再びため息を吐いたのだった。 

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