第二十二話 城の中の三悪人
部屋の中は食べ物の匂いに占拠されていた。
この土地特産のはちみつを塗られ炙り焼かれた燻製肉が、崩されるのを待つ山のように大きな木皿にドンと盛られ、綺麗な三角に作られた平たい白いパンが赤い色が付けられた素焼きの皿に花びらのように盛られている。
各人の前には深鉢にたっぷりとした玉ねぎベースのスープが、とろりとした照りをろうそくの灯りの元で輝かせていた。
椅子にどかりと座るそれぞれの手にある杯にも麦酒が溢れんばかりに注がれている。
「ううむ、こうして見るとどうも無法者の集まりのようだ」
主人席の男が嘆息して言った。
「なに言ってるんですか、今更」
一人の男が手をギトギトに汚しながら、骨にこびりついた肉を歯で削ぐと、今度は骨を噛み割って中の髄をすすり上げる。
「意地汚いな、見ろ、ベスの恨めしそうな顔を」
「人間さまだって肉が不足してるんだよ、飼われてる獣の分際で態度がでかいぞ」
「態度がでかいのはきさまだ。ここにいる人間で一番地位が低いのはきさまだろうが」
気品を感じさせる美貌の男が、その眉間に皺を寄せて温和な顔立ちを台無しにしながら唸るように言うと、それをなだめるように主人席の男がとりなした。
「いやいや、一番身分の高いのも彼だから」
「捨てたものは数に入りませんよ」
「確かにな」
間髪置かない反論に、言われた本人自身が大きく同意すると、空になった自分の皿をちらりと見て、肉の山に手を伸ばそうとする。
その彼を目で制し、主人席に座っている男がキラリと光るナイフを手に立ち上がった。
怖い程に磨き上げられた銀製のナイフだ。
当然庶民の手に入るような品物ではない。
彼はそのナイフで器用に肉の山から薄すぎず厚すぎない肉の一片をいくつか切り取ると、取り皿にパンを敷き、むしろこの場では浮いてしまう程に上品に盛り付けて相手に差し出した。
差し出された方は、手に持っていた骨の残りをぽいと投げ出してそれを受け取る。
すかさず、机の下で待ち構えていた毛並みのいい狩猟犬が床に落ちる前の骨に飛びついて銜えた。
「こいつめ、今年の狩りは私に任せろとでも言ってるつもりか」
骨を捨てた男は鼻を鳴らして犬をちろりと睨む。
「領主殿、食事の席で料理を取り分けるのが主人の仕事であるのは、農場の主人とか商家の主人の場合だと思うのですが」
「そんな事を言って、長年の俺の夢を奪うつもりか。お前も酷い男よな」
「あなたの夢はやたら多い上に価値観が我らから外れているのでどうにも理解しかねます」
「分かりにくいが今のは褒められたのかな?」
「俺は説教されているんだと思いましたが」
主と会話しながらもガツガツと尚も食べる事に精を出していた男は、ふと思いついたように呟いた。
「そういえば、ちっと前は城の会食の時は、なんかやたら見栄えがいい食い物ばっかり出てたような気がするが、最近は見た目を全く気にしないものになってきたな」
主が肩をすくめてみせた。
「それは主にお前のせいだ。以前料理長が精魂込めて作った料理を『ドレスを脱がしたら期待外れの淑女のようだ』とか大声で言っただろう」
「そんな事言いましたか?俺が?」
「野蛮人ですね」
「料理長はカンカンになって、そんな下品な輩に繊細な料理を出す必要はないって事で、それ以来、お前の来る会食は質より量になったのさ」
「ふん、そんな訳の分からん料理より、実のあるこういう食い物の方が良いに決まってる。俺にはありがたい事ですよ」
他の二人は思わずため息をついた。
「とても王に次ぐ大貴族の当主になる予定だった男とは思えませんね。実現していたらと思うと恐怖に体が震えます」
「なんだ、そういう事をいつまでもネチネチと。誰だって生まれは選べないだろうが、貴族じゃないはずのハイライ殿がここで一番貴族らしく見えるようにな」
「私は母が一応どこぞの貴族の姫君だったらしいですからね、それを攫って私を生ませた父は盗賊でしたが」
「こらこら、お前たち。今日は楽しくみんなで食事をしようと集まったんだろう?そういう重たい話はよせよせ。なにか明るい話題はないのか?赤ん坊が生まれたとか今年は渡りの鳥が多そうだとか」
段々と険悪になって来ていた二人を見かねて、この街の領主、ラケルドがにこやかにそう言った。
彼は笑うと邪気を払うようなほっとする空気を周囲に与える人物で、彼の補佐官などは「笑ってれば大概の事は片付く」とかさりげなく酷い評価を下していた。
「そういえば、ほら、ロウスさんのお孫さんが帰ってきたとか」
「ああ、ライカという名前ですよ。暮れ始めた夕日のような綺麗な色の髪と目をした可愛らしいよく目立つ子で、それもあってこないだはとんだ事件に巻き込まれていましたが」
「お前が罪人を半分死人のようにしたという一件だな」
すかさずハイライがさらりと嫌味を混ぜる。
「むぅ、だが、今回は骨を一箇所ずつ折っただけだぜ?俺も随分穏やかな性格になったな、と自分でも感心したぐらいだ」
「穏やかという言葉が泣いているでしょうね」
「ほらほら険悪になるのはやめような」
二人を宥めるように杯に酒を注ぎ足す。
「それで、その子は無事だったのか?」
「ええ、まぁけっこう殴られたようですが、相手も人狩りですし、商品に無茶はしなかったんでしょうね。怪我自体はほとんどなかったという事ですが、どうもショックが大きかったようで、その日は倒れたとか聞いています」
「ふうむ、繊細な子なんだな」
「噂ではどこかの没落した王族の隠れ里で育てられたとか言われてますよ。確かにここらじゃ見ないような上品な雰囲気がありますね」
「ほう、王族ね、まぁ先の戦で国を失った王族はかなり出ただろうから、あながち無い話でもないな」
「今はほら、市場の所の宿屋の、バクサーの一枝亭で働いているんですけどね。動きに無駄が無いっていうか洗練された動きをしますね、あの子は」
「騎士みたいな?」
「いや、そんな感じじゃないですよ。例えば貴族の立ち居振る舞いってのはいかに美しく見せるか?というのが基本なんですが、最近の成り上がり連中なんかはそれを意識しすぎて無駄な動きが多くなっちまってるんです。でも、実際人間の動作で一番美しいのは無駄のない繋がりの断ち切れない動きなんですよ。そういうのが無意識に出来てる感じです」
「ほほう、とすると噂の信憑性も高まったという事か」
ラケルドはしばし神妙に考えている風だったが、やがてポンと手を叩くと、
「よし、一度ケツを触りに行って来るか」
真剣な顔でそう宣言した。
肉を咀嚼していた男は思わずその肉を噴出し掛けて慌てて麦酒で流し込む。
「いや、あの子は男ですから!」
「なんだ、お前の話を聞いていたら女の子としか思えなかったぞ」
「馬鹿ですからね、ザイラック殿は」
「いや、そこで俺に問題をぶつけるのはどうなんだ?補佐官として主に忠告すべきじゃないか?もし女の子でも、いや女の子だったらそれこそまずいだろ?領民の尻を触りに街に繰り出す領主ってのは?」
「まぁ世の中には領民の婦女子を夜な夜な攫う領主もいるらしいですし、それに比べれば」
「最悪と比べてどうするよ?良き領主になってもらうんだろう?」
「何言ってるんですか、大体、本当はどこかの田舎でひっそりと牛でも飼って暮らすというお約束だったんですよ?領主なんて面倒なだけの仕事を押し付けられて」
「愚痴るなよ、付いて来なくていいと言ったじゃないか」
「俺と一緒に来れば平穏な暮らしが出来る場所に連れて行ってやるっておっしゃったじゃないですか、逃げようったってそうはいきませんよ」
「俺には一言も付いて来いなんて言ってくださらなかったけどな」
「嫉妬ですか?見苦しいですね」
「やめろ、お前たち。聞いてる方が恥ずかしいぞ」
ラケルドは頭を抱えた。
「とにかく尻を触りに行くのはやめてください。第一なかなか難しいですよ」
「ほう?」
「あそこは酒は二杯までしか呑ませないんですが、それでも酔っ払う奴はいるし、体力仕事の理性の働かない連中も食事に行くでしょう。ミリアムはまぁ長年の経験でそういうやつらをあしらうのは慣れているんですが、坊やはちょくちょくからかわれててね。ふざけて触ったり抱き付いたりする馬鹿がいたりもするんですよ」
「男の子なんだろ?」
「男の子なんですけどね。雰囲気の柔らかい可愛い子なんですよ。馬鹿共はおとなしげで上品となると、からかわなきゃ失礼だと思うみたいですからね。それでまぁそういう連中を軽く捌いて悪戯を成功させた事がないって評判ですよ。しかも相手を怒らせないで丁寧に貴族様でももてなすみたいに接してくれるからって逆に常連客が増えたって」
「ほほう」
「きさまは責任を取れよ」
ラケルドの顔をみて、ハイライがザイラックにぼそりと言った。
「う?」
「なかなか楽しそうだな」
ラケルドの声を聞いて、ザイラックの中で漂っていた酒精が霧散した。
それは、今まで何度も聞いてきた本気の声だ。
「話を聞いていて、少し前に中庭で見た不思議な雰囲気の子を思い出した。そういえばあれはその事件の日だったな。連れていたのはお前の部下だったし」
「あ、主殿?我が君?」
呆然と主君を見る彼の足元では、猟犬のベスが次を催促するようにさかんに尻尾を振っていたのだった。