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竜の御子は平穏を望む(改訂版)  作者: 蒼衣翼
第一部 西の果ての街
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第二十話 竜の思い、人の想い

 濃密な血の匂いがする。

 体内に留まる事を許されず大地に放たれたむせかえる臭気。

 大気を引き裂くような、長い尾を引く竜独特の雄叫びが、途切れる事を知らぬ気に世界に響き渡っている。

 それにかき消されそうになりながらも、共に聞こえて来る儚き人という生き物の悲鳴。


 だが、そこで起こっている事柄を明確に示すはずの風景は一切見えない。

 夜の闇よりも尚暗くそこは在った。

 いや、それは明るさを感じる事など出来はしないただの虚無。

 その、あるべきものを欠いた場所へ、巨大な存在が、ばさりと風を巻いて降り立つ音がした。

「酷いありさまだな」

 それは感想のようなものをポツリと呟く。

「どうしても見えないんです。見なければいけないものなのに」

「それは仕方あるまい、誰しも自らの知らぬ物を見る事は出来ない。人間種族得意の想像だとて、元となるものがあってこそ成り立つもの。どうあがいても辿り着けない光景もあろう」

「でも、見なければ。過ちがあるならばそれを知らなければ、同じ過ちに落ちる危険すら知らないままになってしまいます」

「ふむ、我らの親が寝物語に繰り返しし話よな。我らはその言葉と共に過去に起きた過ちを教わって育ったものだ」

「ええ」

「しかし、そなたには少々荷の重い教えではないか?王の御子よ」

 ライカは前を見据えていた顔を頭上の見えない相手に向けた。

「どうしてですか?」

「我らにとって自らの経験したものでない過去の出来事は現実味のないものだ。単なる記録であり、触る事も出来ず、心動かされる事もない彼方の事象だ」

 ふわりと気配が動き、命の鼓動を内に秘めた懐かしい闇が周囲を満たす。

「我は長く人と生きて来たが、人は詩謳いや語り部のもたらす自らは知らぬはずの物語にすら、泣き、笑い、怒る。その時の彼らは、その言葉の中にしか存在しない出来事を、あたかも目前で起きている事のように感じていた」

 いつの間にかはっきりと聞こえていた喧騒や、絡みつくような血の臭気が遠くへ去っていた。

「御子は竜のように思い、人のように想う。それは一つの存在が抱え持つにはあまりに重い荷ではないかな?」

「でも、俺はみんなが教えてくれた事は種族などに揺るがされない不変の摂理だと思うんです。過ちは決して忘れてはならない。同じ道筋を辿らないように、恥ずべき過去こそ正しく鮮明に引き継ぐべきなんだと」

 その頑なさが再び忌まわしき事象を呼び寄せる。

 地面があるかすら分らぬ足元にも、何者かのうめき声が響いていた。

「御子よ、そなたは正しい。だが、正しさで傷付くならば、それもまた過ちの道。ここはそなたより先に成りし者の言を入れて、あまりに鮮明に全てを自らに刻もうとするのは止めておく事だ。出来事は出来事の記録だけでいい。その事実に心を添わせる必要はないのだ。事実とは結局は事象にすぎない。現実として世に現れるまで、そこに感情が入り込む必要はないのだから」

 今目の前にある現実と、過去に起こった事象は違うというその言葉は、すとん、と、ライカの胸に落ち着いた。

「ああそうか。これが見えないのは俺が感情を込めすぎたせいだったんだ」

 呆れたような声が応じる。

「確かにそうだが、我が言いたかったのはそれではないのだがな、御子よ」

 笑いを含んだ言に、ライカは自分を守るように包むその温もりの源を見上げる。

 姿は見えないが、そこにある独特の鼓動を感じ取れた。

「あなたは過去を現実として見てきたのですね」

「確かに色々と見てきたな。事実が必要ならばその内我からも話を渡そう。だが、今は意識を表層に戻すがよい、御子よ。生きる者には現実に対する責務がある。今を生きるのだ」

 ライカは小さくうなずくと、一度瞬きをして意識を切り替えた。

 竜族は強大な力を持つようになると自らの感情を封印していくが、雛の内は成長の妨げになるのでそのような術を施す事は出来ない。

 代わりに、親竜が我が雛たる者に最初に教えるのが意志による感情の調整だった。

 竜王達に我が子として育てられたライカも、当然それを習い識っている。

 なので必要に応じて感情を抑える事は可能なのだ。

 感情を眠らせた変化は劇的だった。

 虚無に塗り潰されていた風景に彩りが施される。

 折り重なるように押しつぶされた、かつて人だったであろうモノ。

 悲痛な、しかし意味を成さない叫びを上げる地上種のか弱い竜達。

 現実ではないが、言葉として伝えられた情報から生成された光景。

 それは酷く陰惨たるものだった。

「頑固者め」

「ちゃんと戻りますよ」

 感情の動かない仮面のような顔が天を仰ぐ。

 ばさりと、傍らに在ったなにものかが飛び立つ音がする。

「竜のように思い、人のように想う。か、……我がもし御子の親ならば、その命尽きるまで巣穴から出さないものを」

「過保護ですよ」

「親とはそのようなものだ。我が子に苦しい道を歩んでほしい親などおるまい」

 そして、そこに在る全てが急激に圧縮され始める。

 まるで深淵の底に吸い込まれるように、唐突に全てが消え失せた。



 ふとライカが目を開けると、そこは暗闇で何も見えず、ぼんやりと何も見えなかった事だけは覚えている夢の続きかと思ったが、よくよく目を凝らすとどこかの室内である事が見て取れた。

 自分はベッドに寝ているが、自宅のベッドではない。

 周囲の暗さはどうやら夜のもののようだ。

 夜目の利くライカはゆっくりと周りを見回して、そこに祖父の姿を見つけた。

 自分の寝ているベッドに寄りかかりイビキをかいて寝ている。

 ライカは、体内の感覚から今の時刻を計ってみたが、どうやら城にホルスと一緒に行ったその日の夜、いや、夜明けも近い時分のようだった。

 ライカは状況を把握すると、そっとベットを降り、足音を殺して部屋の出口へと向かう。

 廊下から建物の出口はあっさりと見つかり、人の気配もあまりない。

 しかし、知らない場所をうろうろすると目立つ可能性があるので、ライカは念の為、他人から認識し辛くなる無価値のまじないを使った。

 外へ出て、ライカは自分がいた所が治療所の一画だった事に気付いた。

 行きたい場所はそこからは本城を挟んで反対側にある。

 飛び越える事も考えたが、あまりにも目立つ事をやると、勘の良い人間にはこの程度のまじないは見破られる可能性があった。

 仕方なく地上を移動する為に、表門のある前庭方向へ向かって歩き出す。

 白い寝巻きに裸足という格好なのだが、元々靴など履いたのは極最近なので大して気にならない。

 それよりも彼が閉口したのは、髪がほどかれてバラけている事だった。

 木々の枝や建物の隙間等にやたらと引っ掛かる。

「ああ、もういいや」

 すっかり物陰を移動するのに嫌気が差し、ライカは堂々と道の真ん中を歩いて移動する事にした。

 まじないは単純だが、だからこそ日常をはみ出さない範囲ではまず見破られない強力なものだ。

 こそこそするよりはいっそ普通に行動する方が、見えない効果を上げるだろうとライカは自分自身にそう言い訳をしたのだった。


 綺麗に整えられたレンガ敷の小道を通り、正門や建物の入り口等の要所に配備された警備の人間を横目に、ライカは無事目的の場所へと辿り着いた。

 人間用にしては巨大な扉と、脇に小さな通用口を持つ大きな建物、竜舎である。

 堂々と直進すると、相変わらず閉じられていない通用口を通って容易く中に入った。

『名を預かりし空の勇者よ、未だ光射さぬ夜の刻に訪れる失礼をお許しください』

『思うに、御子はしつけが行き届きすぎているのではないか?竜族のしつけが厳しいのはそもそも我らが奔放な性格であるからなのだから、そうも四角四面に行動する必要はないと思うぞ』

 その砕けた言葉を許可と取って、ライカは笑いながらその足元に寄った。

『影を飛ばして癒しの術を施してくださったのですね。ありがとうございました』

 寄せられた巨大な顔に頬を摺り寄せて、ここへ来た目的である礼を言う。

『なにやら大騒ぎだったぞ。うちの“騎士の中の騎士”殿がそなたの祖父殿と激しくやりあったらしい』

『ええっ!』

 ライカは目を丸くして思わず大声を発し、慌てて自分の口を塞いだ。

 とはいえ、人語で話していた訳ではないのでそれを聞いた者がいたとしても、寝ぼけた鳥がなにやら騒いでいるとでも思っただろうが。

『じいちゃんが?ところでその騎士の中の騎士というのはどなたですか?』

『ここらでは珍しい金の髪で、筋金入りの怠け者。街を担当している兵士の纏め役の一人だ』

 ライカはしばし考えて警備隊の班長を思い浮かべた。

 現在彼の知る限りアルファルスの言葉に相当する人物は彼のみである。

『ああ、あの方ならじいちゃんと仲が良いみたいですから』

『そうだろうとも、以前もよく一緒に騒ぎを起こしていたよ。だが今回は御子の事での争いだ。おかげで我も何があったか知れたという訳だ』

『そうだったんですか。助け手を本当にありがとうございました。実は以前も昔の王が狂乱に陥った話を聞いていた時に同じような状態になった事があったんです。どうも俺は感情の切り離しが下手なようで』

『御子のその身は人間なのだから仕方あるまい。人とは感情と共に生きるものだ』

 その言葉にライカは微笑んだ。

『人として生きるのはなんだか俺には難しい事ばかりのように思う時もあります。むしょうに巣穴いえに帰りたくなる時もあるんです』

『帰りたいのならば帰るのもまた道だ。御子の母御とてみすみす苦しませる為に望みを託した訳でもあるまい』

 しばし互いに無言のまま刻が過ぎる。

『俺、甘えてますよね。別の巣穴の相手に甘えるなんて恥ずかしいですね』

 自覚して、真っ赤に頬を染めたライカの頭上に硬い皮膜に覆われた羽根が差し伸べられた。

『自ら暖めていようとなかろうと、雛を守るのは成りし者の勤め。ましてやいと尊き竜王の御子ならば』

 ライカは益々赤くなって膝の間に顔を埋めた。

『うう、勘弁してください。もっとしっかりするように精進します』

『若者をからかうのは年長者の楽しみ。またいくらでも泣き付きに来るが良い』

 ため息を付いて肩を落とすと、ライカはそのままアルファルスの硬い鱗に覆われた体に寄りかかった。

『本当は俺、もう今は自分が人間である事も、じいちゃんや街の人達と過ごす事も凄く大事に思っているんです』

『そうか、まあどちらかしか選べない訳ではないし、どちらも選ぶというのも悪くはないのではないかな。迷う事も悪い事ではあるまいしな。弱音を吐かれるのも我は嫌いではないぞ』

 ライカはもう一度力なく笑ってみせる。

 そしてそのまま相手の鼓動を体に感じながら、ゆっくりと全身から力を抜くと、竜舎の片隅に挿してある淡い花の香りに包まれ、その目を閉じたのだった。

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