第十八話 事件の終わり
「ご苦労だったな。うちはこういう調査書類の手を抜くと煩いんで、面倒掛けた」
それ程長くは掛からなかった聞き取りの後、とりあえず帰るタイミングが分からずにお茶の残りを飲んでいた二人の下へ警備隊の班長が顔を出した。
「いえ、助けていただいたんですから」
「俺らはそれが仕事だからそこは気にするな。そういう事で手間賃出るから貰っておくように」
応えて言ったザイラック班長の言葉に、ホルスは驚いた。
「え?お金が出るんですか?」
「うむ、協力費とかなんとかいう名目で、まぁ大した額じゃないが仕事の時間を奪う訳だからその分は補填するようになっているのさ」
「なるほど、ご親切なものですね」
ホルスがすっかり感心したように言った。
「いやいや、考えてもみろ、日銭で食っている奴には数刻奪われるって事は手酷い痛手だ。そんな事に付き合いたくないと普通思うだろ。そうなると俺らが困る訳だ」
「ははあ、というかそんなにぶっちゃけていいんですか?班長さん」
「いいんだよ、事実だし。という訳で帰る前に事務官の所に寄ってくれ、金の管理は奴らの仕事なんでな」
その時、いきなり部屋の扉が開け放たれ、先ほど調書を取っていた女性が再び顔を出した。
「班長!こんな所にいたんですか!こういう仕事は部下に任せてくださいよ」
「お前が『忙しい』とか『なんで私が』とかブツブツ言いながら床を拭いていたから気を利かせたんだろうが。そもそも用が済んだからって被害者を放置するなよ」
「私だって放置するつもりはありませんでしたよ。ジルの馬鹿が床を水浸しにしたって苦情が来て、後始末せざるを得なかったんですから」
「先にこっちに顔を出せ、全くお前は混乱すると目の前の事しか見えなくなるんだから」
「そもそもはジルが!……そうだ!あの男はどこに行ったんですか?」
「あのまんまうろつかせる訳にはいかんから着替えに戻らせた」
「……そうですか」
彼女はぶつぶつと『後で奢らせる』とか呟いていたが、ふいに思い出したようにザイラックを振り向く。
「ああ、そうだ、班長、隊長がお呼びですよ」
どうやら怒りのあまり伝言をしばし忘れていたようだ。
「ん?隊長にはそれこそジルが報告に行ったはずだろ」
「ええ、確かに執務室にも水溜りがありましたね」
彼女は引き攣ったような笑いを浮かべた。おそらくそこも掃除をやらされたのだろう。
「でも呼んでいました」
「そうか、なら隊長に犯人の治療の立会いに行くので遅くなると伝えておいてくれ」
「え?ちょ」
片手を胸にかざす簡易の礼を彼女にしてみせると、ザイラックは座ったまま唖然と彼らのやり取りを見ていた二人に笑顔を向けた。
「それでは事務どころに案内するんで付いてきてくれ」
ホルスは行動に迷うように女性隊員と班長をおどおどと見比べていたが、ライカがさっさと立って班長に付いて行こうとしているのを見て、そのまま呆然としている女性から視線を逸らせて後に続く。
「あの、よろしかったんでしょうか?」
「ああ、犯人連中の治療に立ち会わなきゃならんのは本当だ。やつらが暴れだして先生達に被害が及んでは大変だからな。まぁあの状態でそんな気力があるならそれはそれで大したもんだが」
負傷していた罪人が乗せられた護送馬車は、二輪で安定が悪く、恐ろしく揺れる上に床板が硬い木で敷布も無い。
なので地面の凹凸による衝撃がダイレクトに、より荒々しく伝わるという代物だ。
スピードを優先させる為に、庶民の使う乗り合い馬車にすら付いている車軸と車体の間の衝撃を緩和する仕組みを付けなかったので、護送馬車は御者さえ嫌がる乗り物として有名なのである。
ゆえに、捕まった男達は人が経験出来る最悪の状態にあるはずだった。
「班長さんの仕事って忙しいんですね」
ライカは感心して言った。
「それがな、おかしいんだよな。最初にこの仕事を任された時は何も考えずに悪い奴を懲らしめとけばいい楽な仕事とか言われたはずなんだが」
「部下がいる仕事に何も考えない仕事なんてないですよ」
ホルスが思いっきり呆れたように言葉を挟む。
「正にその通りだ。しかもうちにはなぜか若くてはねっかえりの連中ばっかり配属されるんだよな。おかしいだろ?」
かなり真面目に不思議そうに呟く彼を気の毒そうに見つめている内に、ホルスが何かを思いついたのか、恐る恐るといった風に問いを発した。
「班長さんは本当はどっかの大きな領地の領主様になるはずだったとか聞いた事があるんですが、本当ですか?」
「なんだ?そんな噂がいつの間にか伝わってるのか、仕方ないな」
班長はたちまち不機嫌そうに眉をしかめて文句を言った。
「まぁこんな僻地ですから話題に飢えてますからね、みなさん」
ホルスはめげない。
「本当と言えば本当だが、だいたいが俺には向いてなかったと今となってつくづく思うぞ。たいした人数じゃないはずのうちの班を纏めるだけで四苦八苦してるしな」
ぽりぽりと無精ひげの生えた顎を掻きながらザイラックは肩を竦めた。
「はぁなるほど、規模が大きいのか小さいのか計りかねる結論ですな」
ホルスは思わず苦笑する。
ライカは別段なにも口を挟まずに、ただ、興味深そうに彼らの会話を聞いていた。
ライカが自然に大人達に可愛がられるのは、こういう一歩控えた様子が思慮深さを感じさせる為だろう。
身近な人間同士が会話をしていれば、自分もその会話に混ざりたいという欲求には、大人さえなかなか抗えないものなのだ。
ましてやまだ子供と言って良い少年が自らを律しているとなれば、感心するのは当然だろう。
しかし、ライカにしてみれば本や数少ない母の言葉、ある程度の竜王達の経験から学んだ以上の人間社会の事柄は分からない事だらけなので、こういう彼らの何気ない会話から色々学びたいと思っているだけなのである。
この辺り、良い具合に買いかぶられているに過ぎない。
それでも、分からない事は全て聞きまくる程子供ではない事は評価してもらっても良いかもしれないが。
薄暗い廊下を更に奥に進んでいた一行は、程なくして大きく開かれている両開きの扉の部屋へと到着した。
そこは来客用の部屋とは違い、西向きで入る日差しは少ないものの、外向きの壁に多くの嵌め込みのガラスを使っていて、外からの光と、吊られたランプのおかげで十分に明るい。
しかし、明るさは良いとして、働く環境として見ると、どう見ても人が立ち働く場所よりも、棚が占める割合の方が多そうで、広い部屋であるはずなのにやや窮屈に感じられた。
「金庫番、協力者を連れてきたから手間賃出してやってくれ」
「誰が金庫番か!」
班長の言葉に憤慨したような言葉が返り、机の上でなにやら書類の山を作っている男が、今書きかけていた何かを中断して顔を上げた。
そしてザイラックをひと睨みした後に、外部の者であるライカとホルスに微かな笑みを向ける。
「こんにちは、お話は伺っております。事務官のセニスォウルトです。こちらの受け取り書に指印を押してくださいね」
「指印?」
聞きなれない言葉にホルスが問い返す。
「こちらの練りインクに指を付けてこの書類に押して、本人証明にするのです。書類を読み上げますので疑問や問題点があれば指摘してくださいね」
淀みのない説明に、誰もあえて言葉を挟む事もなく、ホルスとライカはおとなしくその説明を受けた。
ホルスなどは、書類と聞いて面倒臭い手続きを覚悟していたのだが、予想に反して書類の内容はとても簡潔だった。
大事な時間を削って協力した事に感謝して謝礼を出すという文章に本人達の名前が書いてあるだけなのだ。
文字が読めないホルスは、肩を一つ竦めるとそのまま書面を見る事もなく、説明された通り自分の名前らしき文字の横にぺたりと人差し指の指印を押した。
ライカもそれに習い、その下に指印を押す。
その書類と交換に手渡されたのは、一人につき小さな銀貨が1枚だった。
日常で使われる銅貨より二周り程小さく(銅貨は中央に穴が開いていて紐を通せるようにしたものが多いので、基本大きめではある)、天女草と言われる花の刻印が刻んであり、その刻印で、作られた場所が分かる。
天女草はこの地域の刻印で、ほんの一年前に造幣許可を受けた両替商が銅貨と小銀貨を発行していた。
「おお、銀貨なんか久しぶりだ、記念に取っておこうかな?」
ホルスが年甲斐もなくはしゃいだように言うと、班長が横で笑った。
「王都銀貨でもあるまいし、地方銀貨なんか珍しくもないだろうに」
「地方銀貨をバカにしちゃいけませんよ、ここらでは王都銀貨なんぞより信頼度は高いんですからね」
むきになったようにホルスが言うと、事務官のセニスォウルトも「そりゃそうだが」と更に笑った。
大人達のやり取りの間に、ライカは事務官に教えてもらって戸口に用意された手桶で手を洗う。
練りインクは時間と共に落ち難くなると聞いたので、早めに洗っているのだ。
ザイラックが、今度はそんなライカに話を振る。
「ライカは字が読めるんだな」
「はい、でもなんで分かったんですか?」
ライカは驚いて答えた。
書類を声を出して読んだりはしていなかったのである。
「文字を目で追ってたからな」
「そっか」
単純な種明かしに照れたような笑いを見せるライカを、ザイラックはどこか懐かしむような目で見ると、
「何か学びたい事とかあるんじゃないのか?」
そう訊いた。
「色々知りたい事はありますけど、まだ今は今いる場所に慣れる事で手一杯です」
「なるほど」
「人があんまり多いんで目が回りそうなんですよ」
苦笑するライカへザイラックはにやりと悪戯っぽい顔を向ける。
「ここでそんな事を言っていたら都へ行ったら倒れるぞ」
「じいちゃんと同じような事を言いますね」
「事実だから仕方あるまい」
ライカの祖父と同じと言われて一瞬ムッとした顔を見せたザイラックだったが、すぐにニヤニヤ笑いを取り戻した。
「確かに都はもの凄い人の数と聞きますからね。私だってもし行ったら目を回してしまいますよ」
ホルスがライカに助け舟を出して、大きく口を開けて自らを笑い。
「まあ確かにここは田舎だから仕方ないな」
ザイラックも釣られたように一緒に笑い出す。
「班長さんは王都に行った事あるんですか?」
ライカは逆にザイラックに問い掛けた。
「そりゃあな、まあでも面白い場所じゃなかったな。人が多いだけだ」
「へー」
用事を終えた彼等は、それぞれ事務官に挨拶をすると、力の象徴である軍の本営の中を気軽に散歩でもしているかのように賑やかに突っ切って行く。
その様子を眺めていた事務官、セニスォウルトは、呆れたように苦笑いを浮かべると、彼らが訪れるまでやっていた片方の書類の山を崩して文字を書き入れ、別の片方の書類の山を増やすという、他人が見れば面白味のないであろう作業へと戻ったのだった。