第百十三話 戦いを望む者
ライカは首を傾げてその女性を改めて見た。
白っぽい焼いた土のような色の髪に深い枯れ葉の色の瞳、全体の顔の作りは美しいと言っても良いのだが、彫りの深い顔立ちのそこここに削げたような影があり、獲物を前にしたような今の表情があまりにも尖りすぎて、むしろ素顔を見た今の方が女性らしさを見い出すことが難しかった。
「えっと、その、動き方が、女性の動きだったので」
彼女はライカの言葉に獰猛に笑ってみせる。
「ほう、とんでもない慧眼だな。今の騒動で無傷だったことといい、どこぞの達人の弟子ででもあるのか?」
「まさか!俺、戦いとか全然やったこともありませんよ」
ライカは慌てて否定した。
否定しないと危険と判断したのだ。
「面白いことを言う奴だな。それに、いいことを教えてやろう。この国に私以外に女の兵などいないのだ」
「そうなんですか、知りませんでした」
ライカは素直に驚き、その驚きが真実のものと理解すると、途端に彼女は興味を失ったようにライカから視線をそらす。
「まあいい、肩慣らしにもならなかったが、まあまあ楽しかったしな」
装備の確認が終わり、マントを翻してそこから立ち去ろうとする彼女を、ライカは慌ててもう一度追った。
「待ってください。助けていただいたお礼をちゃんとしていませんでした。もう一度お礼を言わせてください」
ライカの言葉に相手はさも面白そうに笑う。
「この私に礼だと?いいだろうどんなことをしてくれるのかな?」
「あ、はい!」
ライカは喜色を浮かべると、急いで相手の正面に回り込み、その目を見つめてにこりと笑った。
そして領主譲りの正式な礼式で、胸の前で手を交差させて膝を折る。
「心からの感謝を。強き女性」
ライカの礼に、相手は一瞬虚を突かれたように固まったが、すぐに愉快そうに笑い出した。
「あ、あれ?おかしかったですか、俺の礼。ちゃんと領主さまには大丈夫だって言っていただいたんですけど」
「いやいや見事な礼だったぞ。私なぞ生まれてこの方虚礼ばかりを見て来たからいささか感動を覚えた程だ」
彼女はいたずらっぽく微笑むと、ライカの胸元へと手を延ばした。
「え?」
ライカが何をされたか認識する前に、相手の手には既に領主札が握られている。
正に目にも止まらぬ早業だった。
そしてその札を、彼女は素早くひっくり返す。
「それで、お前のようなおかしな奴を用いている奇特な領主殿とはどのような御方であるのかな?」
そう言いながらその女性兵は札を一瞥すると、たちまちの内に顔をしかめた。
「……なるほど英雄殿ね」
呟く声もどこか冷たい。
「領主さまが嫌いなんですか?」
その様子に、ライカは心配そうに聞いた。
「まさか、お会いしたことすらないのに嫌う理由がないな」
そう言って、彼女は自嘲するように顔を歪め、ライカの手にポンと札を投げ返す。
「ただこちらが一方的に身勝手にもお恨み申し上げているだけのこと」
「会ったことが無いのに恨んでいるんですか?」
ライカは理解出来ずにキョトンとした。
「なんだ?私に興味があるのか?それとも主君への忠誠か?」
「えっ?」
ライカは思わず赤くなる。
そんな風に正面切って異性から揶揄されたことなどなかったライカは、その言葉で逆にたちまち相手を意識してしまったのだ。
「そこで赤くなるのか?本当におかしな奴だ。私など男のなりそこない、騎士ごっこをする愚かな男もどきと噂される程度の者でしかないぞ。男では無いのは仕方がないがどうやら女ですらないらしいからな」
確かに、彼女は女性らしさとは縁がなさそうではあった。
ライカより頭一つ半は高い身長、がっちりとした肩幅、その体のほとんどが鎧に覆われていてわかりにくいが、合間合間の鎧下の覗く部分にはくっきりと筋肉のうねりが見える。
だが、その顔立ちには無骨ながらも間違いようのない美があった。
全体的に荒削りではあるが、枯れ葉色の大きな目は神秘的で、本人の言動とは違ってどこか優しげですらある。
唇は大きく厚く、きゅっと引き結ばれた様は、戦いの余韻でやや赤く、情熱を感じさせた。
少なくとも、ライカはその女性を美人だと思ったのである。
「だが、なりそこないでも手柄を立てれば認められようもあっただろうに、既に戦は終わってしまっている。だから戦を終わらせた英雄殿に対して愚かな恨み事を言ってしまうのだよ。どうだ?身勝手も極まれりだろう」
ライカは少しの驚きで彼女の話を飲み込んだ。
ライカの暮らす街は戦から逃れて来た者が多いせいか、戦いを厭う人が多い。
自然、ライカは人間は戦いを嫌う生き物だと思っていたのだ。
しかしそれならばそもそも戦いなど起こるはずもない。
戦いが起こるからには戦いを必要とする人間もやはりいるのだ。
そのことを今この場で理解したのである。
「なんだその顔は、血なまぐさいと呆れたか?しかし言葉を飾っても仕方があるまい。女に生まれたというだけで私には存在する価値がないのだ。女ではない何者か、そう、英雄にでもなるしかあるまいよ」
笑って再び面覆いを着けたその相手に、不思議と別れがたい物を感じて、ライカはついまたも引き止める言葉を掛けた。
「女でも、俺の母さんは傭兵でした。強かったって聞いています」
「ほう」
振り返った相手にライカはほっとした。
だが面覆いから覗く相手の口許は皮肉な笑みに歪んでいる。
「それは残念だったな。息子は男のくせにならず者に反撃も出来ない腰抜けで、さぞやお母上もがっかりなされたことだろう。そのような母君ならば弱いというのがどういうことかご存じだろうからな」
さすがのライカもこれにはカチンと来た。
それと同時に彼女の言う弱さとはどういうことなのかも気になった。
ライカは、そう言う彼女の中にこそ、無理矢理自分を偽る弱さがあるように思えたのだ。
「貴女の言う弱さってどういうものを言うんですか?」
食らい付くライカを意外なものを見るように見やると、彼女はライカの足元の小さな花を示した。
「お前、さっきその花をかばうようにしていたが、そんな草、今は無事でもすぐに踏みにじられてしまうだろう。逃れることも我が身を守ることも出来ない。それこそが弱さだ」
ライカは驚いた。
まさか自分でもほとんど考えずに咄嗟に取った行動をこの女性が見て取っていたとは思わなかったのだ。
「それが貴女の考える弱さですか?」
「私が、というより世間一般の感覚ではないかな?だからこそお前はやつらに襲われて、逆にやつらは私からは逃げた。お前が弱く、私が強いからだ。違うか?」
「でも、貴女がたとえにしたこの花は薬草なんですよ。傷に触りが入るのを防ぎ、小さな傷なら癒してくれるんです。それに……」
言い掛けて、ライカはびくりとして相手の顔を見直した。
語る内に段々と強い敵意のようなものが彼女から放たれ始めていたのである。
「それで?」
先を促す声が冷ややかだ。
ライカはごくりと喉を鳴らした。
「それに、この草はたとえ踏みにじられても根が残っている限り、数日でまた若葉を延ばすんです。それは、強さではないのでしょうか?」
はっきりそう言ったライカをぎろりと睨んで、その女性は殺気を纏ったまま一歩ライカへと近づいた。
ライカはギョッとしたが、その場に踏み止まり動かない。
そのまま間近まで近づくと、彼女はライカの顔を覗き込んだ。
彼女の目の枯れ葉の色が、陽を受けた翡翠のように深い色合いをしていることがライカにはっきりと見て取れる距離だ。
「確かに弱くは無いようだな。私の威圧を受けて顔を伏せなかったのはお前ぐらいだ。ふ、そもそも私に威などなく、立場に頭を下げられていたのやもしれんがな」
獰猛な獣のような笑いを見せ、彼女はそのままライカに顔を寄せた。
ぞくりと、寒けを感じたライカは足を引こうとしたが、今度は逆に竦んだように身動きが取れない。
「お前、面白いな。少し私と付き合わないか?」
「え?でも」
どきりとしたライカは反射的に否定の言葉を口にした。
自分の別れがたい気持ちが相手に見透かされたような気がしたのである。
「助けた礼だと思えばいい。ちょっとだけ話を聞いて欲しいだけだ」
助けた代わりと言われてしまえばライカに断る術はない。
「わかりました」
ライカは覚悟を決めて頷いた。