第九十九話 相容れない者達
誰もがあまり寝ていないので当然ながら寝不足気味だったが、準備は手早く進んでいた。
昨夜からの門前の集落地の騒ぎはまだ燻っているようで、このまま愚図愚図していると下手をするとこの商隊のほうまで火種が飛んで来そうな気配だったのである。
現在、ウーロスの街の門は開かれていたが、それは焼け出された人々を収容する為でも、争いごとを調停する為でもなく、門前にまるで人による壁のごとく、槍を立てて並べる騎士を増やす為のものだった。
火事と争いで興奮冷めやらぬ人々も、感情を見せず身動きもせずに整列する騎士達も、双方の陣営共に殺気立っており、何かことあらば互いに衝突するに違いないと思わせる物がある。
いや、もし、本当にことが動けば、衝突ではなく、一方的な蹂躙になるだろう。
長年戦いの訓練をしてきた騎士に普通の民が敵うはずもない。
そのような状態の場所で、余所者である彼等の商隊は、投げ込まれた一投の小石として、争い勃発のきっかけそのものに成りかねなかったのだ。
そういう訳で、素早く静かに出立の準備が進むのは、むしろ当然だったのである。
「どうしてあんなことになっているんでしょうか?」
ライカが、自分の荷物は既に背負い、サッズの適当に積んだ荷を、見た目おかしくないように整え終わり、ついでとばかりに隣で慌てたせいで敷布を膨らませて巻いてしまったマウノを手伝いながら、唐突に聞いた。
「え?何が?」
マウノは手伝いに礼を言いながらも、ライカの問いの意味を受け取り損ねて首をかしげる。
「えっと、うちの街で火事があった時は、お城に街の人達を集めて、兵隊の人達が火を消しに行ったんです。それなのに、どうしてここの領主様は眼前の集落の火事や騒ぎを放っておくんだろうって思って。どうしても自然に人が集まるならそれをむしろ良いほうに使って、お金を稼ぐことだって出来るはずですし」
「そりゃあ、また」
マウノはライカが土を被せた野外炉の跡を足で踏んで固めながらそれへ返事を返す。
「立派な領主様だな。ライカのところって、こう言っちゃなんだけど凄い僻地だし、場所柄から持て余された貴族のボンボン辺りが飛ばされそうな領地なのにな。どうせ聞いたってわからないだろうけどさ、領主様はなんていう方なんだい?」
「ラケルド様ですよ」
ふと、マウノの動きが止まった。
「え?ええっ?もしかしてそれって戦鎮めの竜騎士様?」
ライカと、傍らで話を聞くとはなしに聞いていたサッズが、その言葉の表す偉大さと領主本人とが噛み合わずに首をひねる。
「ラケルド様です。確かに竜騎士ですけど」
「驚いた!戦わずに敵を沈めたっていう英雄様じゃないか?ライカの街って、あの、食う物もなんにもなかった場所に、最近流民が勝手に集まって出来たっていう西の果ての街だろ?どうしてあの方が領主になってるんだ?」
やや興奮気味に言われ、ライカは困惑した。
確かにラケルドが英雄と言われてるのは知っているが、それでなぜマウノがこんなに騒ぐのかがわからないのだ。
「マウノさんはラケルド様に会ったことあるんですか?」
「まさか!でも詠い語りはうちの村落にも時々やって来るからね、彼等の詠いを聞いて憧れたものだよ」
それを聞いて、ライカは納得した。
以前ライカも当のラケルドと一緒に詠い語りの詠いとやらを聞いたことがあるが、なんというか、本人も呆れる程に輝かしい物語を語っていたのである。
本人を知らずにあれを聞けば、確かにあの物語の相手に憧れてもおかしくはないだろう。
「じゃあ、普通はそんな風に街の人を保護したり兵隊さんが火を消したりしないんですか?」
「へ?ああ、火事の話か。普通は火事はその周辺の住民が協力して消すものだし、領主様は間違っても城内に平民を避難させたりはしないさ」
「そういうものなんですか?でも、火事が広がったら領主様だって危ないんじゃないでしょうか?」
「いや、だって、領主の館って普通石造りだし、壁はあるし、類焼とか滅多なことじゃしないだろうからなぁ。もちろん、街の消火がおっつかない場合は兵も出すだろうけど」
「そうなんですか」
ライカは緊張感漂う街の門のほうへ目線を動かす。
そこにあるのはまるで敵同士のような険悪さだ。
「まぁ確かにここの険悪さは特別だけどね。ここも最初はそうでもなかったらしいんだ。領主様も自然に出来た集落に最初は秩序立った関わりを持とうとして、定住者から献上金を徴収しようとしていたらしい。でも段々話がこじれて、結局今みたいになったそうだよ」
「大変なんですね」
ライカは教えてくれたことに礼を言うと、出立を始めた商隊と共に歩き出した。
マウノも少し先のほうに進み、それぞれの間隔を空けて移動が始まる。
『人間もまた感情の生き物だってことだな』
そんな中、サッズが心声でそんなことを言った。
『どうして感情が関係あるの?』
『理屈で済む話ならとっくに終わっている。未だにお互いが引かないのは感情がこじれているからだろ』
『もしそうでも、どうしてそうなったのか知っておきたいんだ』
ライカの胸中にはレンガ地区の知り合い達のことがあった。
彼等もまた、歳月の中で中央地区の住人と関係のこじれてしまった人々だ。
何かそのこだわりを解きほぐすヒントなりと見付かれば、それは彼等をもっと豊かにするに違いない。
『はいはい、お前も融通きかないよな』
彼等の進む道は、緩やかな上りの岩場になっていて、振り返ると丁度あの街からその岩棚が続いているのがわかる。
右手側の奥にはささやかな林があって、どうやらその一部が街壁と接しているようだった。
「立地でわかるだろ。本来あの街は砦なのさ」
ゾイバックが訳知り顔で説明する。
ちゃっかりとライカとマウノの会話を聞いていたのだろう、顔には面白がるような色があった。
「前もその言葉を聞いたけど、砦って兵隊さんがいる所って以外に何があるの?」
「おいおい、意外と物知らずだな。砦といえば戦における堰みたいなもんさ。いったんそこで敵の勢いを止めて、自分達が反撃しやすくする為に作るんだ。元々この国はあのストマクの街周辺の農園地帯までを治める小さな国だったんだぜ。岩棚と南東側の川の源流地に抱かれた肥沃な大地である王都のある周辺と、北西側の二つの川が交わる周辺の平野にして大穀倉地帯、その中間にあって最も守るに適したのがあの場所だ。だからこそ代々王家の信頼も篤い古い騎士の家柄が守りに就いてるって訳だ。まぁ、要はそんだけ誇り高い連中でもあるってことなんだろうな」
ゾイバックの言葉にライカは疑問を投げかけた。
「失礼かもしれないけど、昨日野営地に来た騎士様達はそんなに立派な人達には見えなかったけど」
「お前も結構辛辣だな。まぁ確かにお前らは絡まれてたみたいだし、良い印象があるわきゃあないか。それもどうも掻っ攫われる所だったらしいじゃないか。なんでも噂によると、連中、あの粗末な集落から女子供を攫って行って決して戻さないって話なんだぜ。閉じ籠って世を呪ってる間にすっかりドロドロと腐っちまったんだろうさ」
偉い立場の人間の転落が楽しいのか、ゾイバックは嬉々として語る。
だが、一方で、ライカは話を聞く内に、その、国を守る要だったという騎士達の変化に疑問を感じた。
そして、一つのことに思い至る。
「ゾイバックさん、騎士の制度が無くなったのはどうしてなのか知っていますか?」
「ほう、いいところを突いてくるじゃないか。だが、俺も詳しくは知らないな。まぁ金食いだし、色々面倒だったからじゃねぇかな?騎士は国が養うし、自分の判断で行動が可能だ。国がデカくなった分、食わせる相手が増えた上に、目が届き辛くなったんだろうからな」
「ふん、お前はろくでもないことばっかりやらかすが、それなりに自分の頭に自信があるようだな」
それまで黙っていたサッズが、称賛なのか牽制なのか、ゾイバックに言葉を投げる。
「そりゃあどうも。色んなことを知って、その知った知識で物事を解いていくってのは最高の娯楽だぞ。時にはその流れになんらかの干渉をして流れを変えるなんてことが出来たら更にいい。せっかく人として生まれて来たんだ。面白く生きなきゃ甲斐が無いってもんだ。そうだろ?」
ゾイバックは悪びれないし、逆にサッズに好奇の視線を向けた。
「俺としちゃあ、お前のようにいかにも『特別』な野郎が、こうやって荷を運んでいたりするのを見ると、好奇心が疼いて仕方がないんだがな」
「好奇心も過ぎればそれはお前を害すると、以前も言ったよな」
丁々発止と、二人の間で言葉の刃が交わされる。
しかし、彼等のそんな様子を無視して、ライカは自分自身が気になることを考え続けていた。
「騎士の人達が、制度が無くなっても騎士を名乗っているのは、抗議の意味があるんじゃないかな?きっと、騎士であることがあの人達にとってとても大事だったんじゃないかと思うんだ」
ライカの言葉をゾイバックはせせら笑って見せる。
「だが、結局は自分たちで名誉を傷つけている訳だ。ふん、なるほどそう考えれば傑作だな。どんなに立派な考えも、時間が経てば腐っちまうのさ、変わらない物なんか何も無い。それがわからない連中が馬鹿なんだよ。その点、えらぶってても最下層のお仕事をやってるお坊ちゃんは立派だぜ」
ゾイバックは偽りの騎士達への皮肉の最後にさらっとサッズへの皮肉を混ぜてみせた。
「はっ、俺はえらぶってもないし、お坊ちゃんでもないぞ。それに自分達の仕事をそんな風に言うのはどうかな?お前が腐ってるという騎士達のほうが、自分達の仕事に誇りがある分マシなんじゃないか?」
サッズはサッズできっちりと切り返し、あまりにもさまになる冷ややかな目付きでゾイバックを見る。
「へっ、そういう処がえらぶってるって言うのさ。坊や」
ニヤニヤ笑うと、ゾイバックは二人から離れた。
サッズはその姿をむっつりと見送りながら小さく零す。
「どうしようもない奴だが、あれはあれで己を貫いてる。潔いと言うべきかもな。だが、俺がえらぶってるとか言い掛かりもはなはだしいだろ」
「サッズは言葉の一つ一つに確信を込めてるから、人からすれば偉そうに聞こえるんじゃないかな?人は言葉と想いが違うことが多いし、そんなに確かな想いで言葉を発してないことがほとんどだから」
ライカの評価に、サッズは目を瞬かせてちょっと考え込んだ。
「そうか、ええっと、うん、なるほど。つまり人間の言葉は軽いんだな」
「うん。全部がそうじゃないけどね。その場限りの言葉は多いよ。でも、それは日常を過ごすのに丁度よく出来てるんだと思うんだ。上手く言えないけど、それはきっと必要なんだと思う」
ライカは、既に遠くなったウーロスの街を見る。
あまりにも人同士の繋がりは日常的で煩雑だ。
だから言葉が軽くないと日々を過ごすのが辛くなる。
だが一方で、その言葉の軽さ、信頼の無さが人々を争わせる元になっているかもしれないともライカは思うのだ。
(領主様はどうやってあのレンガ地区のわだかまりを解いて行くつもりなんだろう)
彼が言った「人の望み」というもの。そこに大事な何かがあるのだろうとはライカも思う。
本来は全くそんなつもりではなかった旅だったが、ライカはこの旅で、もしかしたらそんな複雑な人の世の沢山の問題を解いていける何かがわかるかもしれないと感じていた。