第八十九話 盤上の風景
ストマクの街は一言で言えば人の手で作られた街だった。
もちろん、街というものは全て人の手で作られているものなのだが、この街はその作られているという規模が違った。
足元の道は真四角に計ったかのように切られた敷石が敷き詰められていて、その中央部分には馬車を通す為なのか、剥き出しの地面が残してある。
一般的な荷馬車の幅を考えると、そこは余裕で二台がすれ違える広さがあり、脇の敷石部分もまた、かなりのゆとりを持って幅を取ってあった。
道と建物の間には一段高くなった土盛りがあり、そこにはライカの知らない小さな白い花が整然と咲いていて、家畜の鈴に似た形のその花が、揃ってゆらゆらと風に揺れる姿は優しげで可愛らしい。
道の交差する箇所は大きな広場となっていて、そこには巨木が高く育ち、青々と葉を揺らしていた。
この木についてはライカもよく知っている。
ライカが祖父と初めて出会った場所である、山の作業小屋の周りに植えられていた木だ。
なんでも幹に大量の水を溜める性質のある木で、別名火消しの木と呼ばれているらしい。
彼等の住む街の周りにもある程度育ててあったが、どうやらあの辺りでは育ちにくい木らしく、ここまで大きく育ってはいなかった。
この街にある木はほとんどがこの種類で、しかもみな、かなりの大木である。
道と同じく、家並みもそうだ。
倉と同じように、まるで線を引いたように、住居たる家までが整然と並んでいるのだ。
「びっくりしたね」
「確かにこりゃあ凄いな」
正しく田舎者であるところの二人、ライカとサッズは、ぽかんと口を開けて周囲を眺めながら歩いていた。
時間帯のせいもあるのか人出は多く、道を行くのも人や荷馬車だけではなく、人が牽くようになっている平らな板に車を付けただけの台車と呼ばれる物も多い。
本来ならこの混雑の中だ。
ただぼんやり歩いていれば、人混み独特の流れを作って動いている他人やら馬車などにぶつかりそうなものだが、二人はその持ち前の感覚を駆使して、周囲を見ずとも上手くそれらを避けながら進んでいた。
そこが少し普通の田舎者との違いだ。
とりあえず進んでいる方角的には教わった場所を目指していることに間違いはないはずなのだが、あまりにも同じような風景が続くせいでなんだか場所に対する自信がなくなってきたライカは、エスコ青年の親切な助言の通り、そこここに見掛けた剣を帯びた人、警備の兵らしき相手を呼び止めることにする。
この国では街などの居住地のほとんどが、その内部での兵士以外の帯剣を認めていないので、帯剣しているのは兵士か件の用心棒かという証明にもなるのだ。
「あの、すみません」
ライカは二人組で厳しい顔をして街角に立って辺りを見回している兵士の片方を呼び止める。
「ん?なんだ?」
ライカの地元である所の西の街の警備隊の兵士のように気安くは無いが、かといってさほど高圧的でもない態度で彼等は応じてくれた。
「宿屋のある通りはこちらでいいんでしょうか?」
「ああ、その先を右手に曲がれば宿屋通りだ。お前達は下働きか?なら白鐘一輪の宿だぞ」
「白鐘一輪ってどういう事ですか?」
兵士は横手の白い花の咲いた地面を示す。
「この街の象徴の花でな、白鐘草という万年草だ。この花の絵が店の格付けに使われているのだ」
「あ、花が一個だったら一番安い宿って事ですか?」
「そうだ。労働符を持っているのだろう?それが使えるのが白鐘一輪の宿だ」
「わかりました。ありがとうございました」
斜めに頭を傾げる礼をすると、相手はやや目を細めただけで無言で頷いた。
「労働符ってなんだ?」
「きっとこの割符だよ」
「ややこしいな、呼び名を統一するべきだろう。そもそも心声が使えれば言葉の違いとかで面倒が無いものを」
「無いもの強請りをしても始まらないだろ?とにかく宿に行こう。暗くなるまでまだ時間があるし、その後ちょっと周りを見て回ろうよ」
「こんな人ごみを歩き回る気か?正気か?」
「サッズは嫌なら別に付いてこなくていいよ。でも、この街って、まるでじいちゃんが作ってた箱細工みたいなんだよね。だから不思議な感じがするんだ」
几帳面な人間が線を引いて並べたように整えられた街に、ライカは興味津々だった。
「わかったわかった、俺も行くよ。俺だって面白い物に興味が無い訳じゃないしな。と、これが点鐘か?」
カラーンカラーンと鳴り響く音色は、今まで聞いたどの鐘よりも音色が深く重厚だった。
「八、九、っと九つか、終わり鐘だね」
日中最後に鳴らされる鐘を終わり鐘と言う。
これが鳴れば日が落ちるまであまり間が無いという印だ。
宿屋通りは壮観だった。
通り沿いの両脇はほぼ宿屋ばかりがずらりと並び、様々な意匠の看板が宿の印の寝台と格付けの花を盛り込んで下げられている。
中には鉄細工で作られた物があり、そのあまりの大仰さはライカを呆れさせた。
鉄製の道具類はそれなりに普及しているが、柔らかい銅と違い、鉄を細かく加工した物などは桁違いに高価ということが知られていたからである。
その鉄製看板の宿には、入り口に兵士ではなく宿の人らしい立ち番がいて、扉にはこれまた精緻な象嵌細工が施されていた。
優美に加工された鉄製の看板には五輪の花があしらわれていて、ライカとしてもとても高級な宿なのだろうな、という感想しか出て来ない。
そのような華やかな宿を通り過ぎた更に先、古めかしい宿が増えて来ると、今度は格付けの花の数はぐぐっと減って一輪宿が並び始めた。
ライカとサッズは、宿を匂いで決めることにした。
近づくと、カビと苔と汚物の匂いにまみれた古い宿などもあり、それは二人を心から戦慄させたからだ。
やがてあっさりとした木彫りの看板に美味しそうな食べ物の匂いが漂う宿に辿り着く。
『日宿り亭』と書かれた看板の横を通って扉を開ける。
「ごめんください」
「あいよ」
ライカの声にすぐに応えて恰幅の良い男が顔を覗かせた。
その店はミリアムの所と同じように入り口の所は食堂になっていたが、宿の方の入り口は店の入り口の並びにではなく、食堂の奥にあるらしい。
奥のくぐり口の上に宿のマークが飾ってあった。
「おう、坊主達どうした?飯か?」
「あ、宿をお願いします。泊まりです」
「割符か?賃宿か?」
「割符です」
「おう、宿でいいんだな?買取も出来るぞ」
「買取ってなんですか?」
「そうか、坊主達は新人だな。買取ってのはここには泊らない奴の割符だけを買い取ってやることだ。そうやって買い取りの手間賃を引いた金を支払ってやるのさ。割符は登録された宿でしか使えないからな。そうやって宿代を浮かして手に入れた金で酒場で一晩過ごしたい連中や花娘の所で、っと、ああいや、まぁ子供が考えるようなことじゃないか」
ハハハと一人笑って、宿の主人は話を打ち切る。
ライカは話の内容を考えて、少し驚いた風に言った。
「そんなことも出来るんですか?」
「おおよ、俺等からしてみりゃ何もせずに手間賃は貰える訳だからそう悪くはない話だし、労働者連中にしても宿でただ寝るよりはお楽しみに回す金が欲しいってんで、暗黙の了解みたいな商売だなあ。その割符じゃ晩飯代は出ないから、食いたきゃ自分の懐から出さなきゃならんしな。そういうのが我慢出来ない野郎が多いのさ」
「面白いですね」
「そんなことが面白いのか?変わってるな、坊主」
主はもう一度ハハハと笑うと、宿の説明を始める。
「今空きがあるのは十人部屋と六人部屋だな。十人部屋には賃宿の家族連れが五人一組と割符の客が二人、六人部屋には割符の客が三人入ってる。どっちにする?」
「ええっと、どっちが良い?」
ライカはサッズに聞いたが、サッズはうんざりとしたように首を振った。
「どっちもあっちもあるか、俺から見ればどっちも同じだ。お前が好きに決めろ」
「まぁそうだろうね」
ライカも苦笑すると、宿の主に向き直る。
「じゃあ六人部屋のほうでお願いします。それとちょっと外に出たいんですが、大丈夫ですか?」
「この街は犯罪はそうそう起きないが、それでも夜は危ないぞ。それにあまり遅いと表を閉める」
「暗くなったら見物もありませんし、そうなったらすぐに戻りますよ」
「遅くならんのならいいぞ、だがま、あんまりあちこち行くなよ?この街はどうも初めての人間は迷いやすいらしいからな」
「ああ、わかります。こうきっちりしすぎててどの通りも同じに見えるんですよね」
「このきっちりした所が俺等の自慢ではあるんだがな」
にやりと笑う主に、ライカは頷いた。
「本当にびっくりしました。それじゃあ割符を、ほら、サックも」
「ああ、宿札を書くから名前を言ってくれ」
ライカ達が取り出した木札に二人の名を記すと、主人はそれを上の引っ掛けに並べて掛ける。
「じゃあ行ってきます」
ライカは手続きを済ませると、その主人に挨拶をしてサッズと二人で外へ出た。
外の通りは相も変わらず人が溢れている。
「とりあえず道を全部右に進んでみようか、そうすれば迷わないだろうし」
「道なんか気にせずに真っ直ぐ戻れば迷うはずもないだろ」
「うんそうだね、でも人目があるから飛んじゃダメだし、建物を壊して直進するのも当然ダメだから」
迷うという言葉に対して竜としての持論を主張するサッズに、ライカはにこりと笑ってそう答えてみせたのだった。