第十三話 間
「あ、あの、すいません」
ロバに荷物を積み終わると、ライカはふと思い出して指示をひと段落させて一休みしている警備隊の班長に声を掛けた。
「ん?どうした」
「その、この後どのくらい時間が掛かりそうなんでしょうか?」
彼はライカの問いにやや考える風にしていたが、すぐに答えを出した。
「まぁそうだな、1刻ちょいぐらいは掛かるだろうな」
先ほど六点鐘の音を聞いた所である。
という事は、とうてい昼までに店に戻れないという事だ。
ミリアムの手伝いに遅れてしまう。
「それなら仕事先に断りを入れて来たいのですけど、いいでしょうか?」
班長はなるほどとうなずいた。
「あ?どこだ、なんならうちから誰かに行かせてもいいが」
「バクサーの一枝亭です」
「お?ミリアムちゃんの店?坊主、あそこで働き始めたのか、よくじいさんが許したなぁ」
彼はライカの答えに目を丸くしてみせた。
「え?うちのじいちゃんを知ってるんですか?」
ライカもまたその答えに驚く。
「何言ってるんだ、前に会っただろうに。そんなに印象薄いかね、俺」
「あ」
ライカは相手の雰囲気から記憶を探ってやっと思い当たった。
言われてみれば初めて街に入った日に検問にあたった祖父の友人である。
ここに来て、ライカはさすがに人間の見分けが苦手な自分に焦燥を感じ始めた。
慣れれば大丈夫だろうと軽く考えていたが、この人間が多く、互いの関わりが深い、街という場所の中で、人の区別が付き難いのはかなり辛い。
今後は他人を記憶する努力をしなければと、ライカは心に決めた。
「す、すいません、この街に来た日にお会いしたじいちゃんのお友達ですね」
班長はなぜか咳き込んだ。
「いや、お友達というのは違うんじゃねぇか、まあ俺が一方的に迷惑を掛けられていた関係だな、うむ」
「迷惑ですか?」
ライカは驚いたように言う。
班長は慌てて言葉を継いだ。
「う、まあじいさんもあれで荒れてた時期もあったのさ、うん、その、なんだ、ああ、そうだな、お前が帰ってきて良かったよ、本当にな」
彼はライカの頭に手を置くと、壊れ物を触れるような手つきで軽くそれを撫でた。
「これはじいさんには内緒だが、あれでたった一つだけ尊敬出来る所があってな。ありゃあ諦めるって事を絶対しないじいさんなんだ。誰がなんと言おうとずっと家族が戻ると信じ続けていてな、それまで決して街には住まないと譲らなかった。馬鹿みたいだがな、そういうのが叶うってのは、いいもんだよ」
「そうだったんですか」
ライカは胸の奥に鈍い痛みと温かみを同時に感じた。
どれ程祖父が望んでも、もう決して戻らない家族もいる。
「お、増援がご到着だ。……ジル!こっちはもういいから隊長への経過報告と、この二人を治療所に連れて行ってくれ」
「へいへい」
暇そうに捕まえた男達を見張っていた青年は、肩をすくめるとそう返事をして歩み寄って来た。
「何だその返事は、俺を馬鹿にしてんのかぁ、仕立て屋のマニカちゃんを俺が口説いちまうぞ、こら」
班長はその様子へ片眉を上げると、まくしたてる。
「っと、班長、ナニいきなり偉そうなんですか!てかひとの彼女に何する気ですか!」
一方ジルと呼ばれた青年も半ギレである。
「馬鹿かお前、俺はお前の上司だぞ、元から偉いんだ。とっとと行け、頭と腹殴られてるらしいから早く診てもらった方がいいんだよ。ぶうたれてないで早く行け!」
その班長の顔をまじまじと眺めて、青年はにやりと笑った。
「ははん、そこのかわいこちゃんにいい所見せたいんですね、班長意外とガキが趣味だった……」
ガキン!と凄い音が響く。
班長が篭手の硬い手甲部分で青年の頭を殴ったのである。
「ぼけが、こいつは男だ、ロウスじいさんの孫だよ」
「ぐほっ!死、死ぬ…俺は死ぬぞ」
ジル青年はのたうち回った。
班長はそれを冷ややかに見る。
「死ぬ前に治療所に辿り着くように祈ってるよ。という事で、ライカ、ミリアムんとこには俺から言っておくからちゃんと治療しておくんだぞ」
「あ、はい。あの、班長さん俺の名前ご存知なんですね」
名乗ってもいないのに自分の名前を呼ばれた事にライカは少し驚いた。
「ん、ああ、酒場でじじいが聞かれもせんのにしゃべっとったわ。ちなみに俺はザイラック・オル・ラオタ、見ての通り警備隊の街回りの班長だ。よろしくな」
微笑んだその目が暖かいものを含んでいるのを見て取って、ライカもまたにこりと笑う。
「よろしくお願いします」
そう、自然と頭が下がった。
「んじゃ、行ってまいります」
それまでのやりとりが嘘のように、ぴしりとした敬礼をジルと呼ばれた青年はザイラックに向け、二人を伴い歩き出す。
「頼むぞ」
ザイラックも軽く答礼して三人と一頭を見送ると、直ぐに新たに到着した隊員に指示を出し始めた。
頭をさすりながら先導する青年にライカは話しかけた。
「あの、大丈夫ですか?すごい音がしましたけど」
「ああいや、慣れてますから」
なぜか照れたように笑う。
「なるほど、マニカの彼氏とはおまえさんだったのか。最近えらくおしゃれを気にするようになったと思っておったが」
露店の店主はうなずくと、青年の肩を叩いた。
「え?いや、今は仕事中ですからその話は」
ジル青年は真っ赤になって、慌てて話を遮る。
「いやいや、恋愛というのは人生の一大事だ。仕事にも大きく影響するからな。それでだが、このペンダントをプレゼントにどうだね?彼女は淡い紅染めの服がお気に入りでよく着ているが、これはあの服に良く映える。そうするとだな、彼女はお前さんが自分をよく見てくれていると感激するだろう」
店主は、深遠な真理を語るようにジル青年に告げた。
ジルは引き込まれるように彼と、その手の綺麗な色のペンダントを見る。
「そ、そうでしょうか?」
「うむ、女性というものは常に自分を見てくれる相手を信頼するもんだ。これを忘れた時に破局が訪れる」
ジルはすっかり感心したようにそれに聞き入った。
商売の損は商売で取り返す。
どんな場合でも商人の魂は逞しい。
そんな二人のやりとりを聞きながら、そういえば城に行くならアルファルスに会えるかな?とのんびり考えたライカであった。