第十二話 事件
「や、やめてください!」
その声の必死な響きだけで、すがりつくような思いが汲み取れる。
しかし、言葉を向けられた相手の方はそれを全く受け付ける気がないようだった。
「ああ!?なにか言ったかぁ!」
言葉と同時に何かを蹴ったと思われる土を抉る音と軽い金属がぶつかる音が届く。
近道とばかりに、道に出ないまま巨木の周りを回り込んで、やっとライカにも全体の様子が見て取れた。
そこでは彼のよく知る細工物の装飾品を売っている男が頭を守るように抱えて座り込んでいる。
後ろではロバが歯を剥きだして盛んにいなないていた。
その正面に二人の男、それはたぶんライカが初めて目にする人間で、年齢はライカには判別が難しいのだが、若いとはもう言えないがあまりに年寄りでもない範囲だろう。
その男達の体は、その相手をしている露店の主人とは違い、筋肉の筋がはっきりと浮かぶくらいに鍛えられていた。
急いで近付くその瞬間にも、彼らは露店の主人である細工物売りの顔に靴底を押し付けている。
匂いと声から察せられたように、そこでは一瞥しただけで分かる一方的な暴力が振るわれているようだった。
ライカはちらりと周辺へ目を配ったが、他に人間が見当たらない。
それも当然で、市場街は店ばかりで、そこに住む人が少なく、この時間に店を開ける所もあまり多くない、そもそもこの広場の周りにある店は、のんびりと時間を掛けて見る為の店ばかりなので、早朝に開ける必要がないのだ。
(警備隊に知らせは行ってるのかな?)
この街の治安が良い理由の一つに警備隊の見回り時間の正確さがある。
突発的な事柄がない限り、警備隊は4小隊がそれぞれの地域を決められた時間に回っており、何かが起きても事が悪化しない程度の時間で駆けつけられる体制になっていた。
住人は誰もがどの時間にどの辺りに行けば警備隊がいるかを知っている。
ともあれ、あれこれ考えるよりも眼前の行為を止める事が先だとライカは判断した。
「何をしているんですか?」
今まさに店主の頭を蹴り飛ばそうとしていた男に、拍子抜けするぐらいに穏やかな声が掛けられる。
男たちは一瞬相手を確認する為に振り向き、暴力とは縁のなさそうな少年を目にして、判断に迷うように目を細めた。
むしろ、咄嗟に反応したのは、今まで暴力を受けていた男の方だった。
「ライカ坊!危ないからこっちへ来ちゃいけない!逃げな、グッ、」
言葉の途中で男の一人が彼の腹部に蹴りを入れる。
ライカはそれを見て、はじかれたように走ると、倒れた露店の店主の前へ滑り込む。
「何の理由があってこの人に暴力を振るうのですか?」
露店の主人を背後に庇いながら、ライカは再び静かな声で問いを発した。
男たちはその行動で、ライカを新たな獲物だと判断したらしく、たちまち獰猛な、相手を威嚇する表情をライカに向ける。
「ああ?なんだガキ、お前には関係ないだろ?」
「もしかして殴って欲しいってか?そういう趣味の人?」
男達は自分達の言葉にゲラゲラ笑った。ライカは静かに疑問を呈した。
「あの、よかったら教えて欲しいんですけど、どうしてそうやって意味の分からない威嚇をするんですか?」
「ああ?」
ライカの冷静な問いに、彼らは笑いを収めて代わりに冷え冷えとしたまなざしを投げかける。
「何言ってんだ坊主?おまえの言ってる事の方がわかんねぇよ」
「つまんねぇんだよ、ガキが!」
男の一人が思いっきり振り上げた足でライカの腹を蹴り飛ばした。
ライカはそのまま露店の主人の目前まで飛ばされる。
店主は慌ててライカを支えた。
「坊、逃げるんだ!さっき仕立て屋のご隠居が警備隊を呼びに行った。だからもう大丈夫なんだ」
(仕立て屋のご隠居さんって、確か杖をついてゆっくり歩いてるおじいさんだよね)
あまり頼もしい情報とも思えない。
「でもその間我慢をしていたら、大事な商品もダメになるし、おじさんも大怪我をしてしまいます。俺はこういうの慣れてますから」
言われた内容の後半部分に露店の主人は眉をひそめたが、実際、そんなのんびりと会話をしている状況ではなかった。
「おおう?何仲良くおしゃべりしてんだ?ガキ!」
蹴った男が今度はライカの長い髪を掴み引き寄せる。
「お上品な坊や。俺は理屈っぽいガキを見るとものすごく殴りたくなるんだぜ、ちょいと前の俺ならそんな口を利く前にとっくに口の利けない体にしてやってたのになぁ。だが安心しな、俺は親切だから、剣が無いなら拳でそういう大事な事を体に教えてやるからな」
「大人の義務ってやつだ」
もう一人がまたゲラゲラ笑う。
「俺を殴ってあなたに良い事があるとも思えませんが、どうしてこういう振る舞いをするんですか?」
男達の顔が今度は目に見えて歪んだ。
「なんだ?本格的に殺して欲しい訳か?ガキ」
一人が言う間にあと一人が勢いをつけてライカの足のふくらはぎを後ろから蹴りつけた。それは下手をするといや、普通なら確実に骨を折っているような力である。
恐らく相手を逃がさない為に最初に足を折ってしまうのだろう。
彼らはこういう一方的な暴力に慣れているのだ。
だが、慣れていると言えばライカの方にも、この程度の暴力は問題なく受け流せる慣れがある。
なにしろライカは幼い頃から力量差など考えるも馬鹿馬鹿しいような強大な相手とじゃれ合いながら育ったのだ。
人間の暴力などに危機感を抱けるわけが無い。
そしてライカは今、純粋に相手の行動の意味を知りたかった。
こうやって他者を圧倒しようとする彼らが何をしたいのかがよく分らなかったのである。
非力な露店売りの主人が彼らを攻撃したとかはありそうもないし、彼らはやみくもに攻撃的になってしまう程に身体的に切羽詰った状態、飢えや痛みに苛まれている訳でもなさそうだ。
「坊や、大人に生意気な口を利いてごめんなさいって言いなよ」
ライカの髪を掴んだ男が、蹴られた足をもう一人の男に踏みつけられて、ひざまづいた状態のライカの背中を更に踏み、そこへ徐々に体重を乗せて行く。
その酔ったような表情から、相手の体を破壊する事に楽しみを覚えているのが明らかだった。
さすがのライカも、この力を他へと逃がし難い攻撃にはうめき声を上げる。
「やめんかおまえら!子供相手に!」
激昂した露店の主人が、ライカを踏み付けている男の足にしがみついた。
「けっ!ガラクタ屋が一人前に俺らに意見か?」
しがみつかれた男は全く意に介さないかのように、そのまま足を蹴りだして主人を弾き飛ばす。
「ガラクタなんかじゃない!あなた達こそおじさんに謝るべきだ!」
足が離れた隙に体を起こしたライカは、男の言葉に今度は猛然と抗議した。
「ああん?元気だな坊主」
言葉と同時に男はライカのこめかみを狙って殴りつける。
普通なら意識を奪う程の強打だ。
徹底的に、少ない労力で相手の抵抗力を殺ぐ攻撃を彼らは繰り出している。相手が子供だろうと容赦の欠片も無いやりようだった。
直前にしゃべっていたライカは、うっかり歯を噛み締めるタイミングを誤って口の中を噛んでしまった。
口の中に血の味が広がると、さすがに気分が悪くなる。
「おいおい、相棒、その坊主売り物になりそうな感じじゃね?顔を殴るのはよそうぜ」
「あ~?なるほど、暇と金を持て余した病気持ち連中が喜んで買いそうなガキだな」
血を飲んで気分の悪さに黙り込んだライカを、意識が朦朧としておとなしくなったと思った男達は既に警戒するそぶりも見せずに、狩った獲物をぶらさげるように髪を掴んだまま吊り上げると、顔を仰向かせた。
「まぁったく最近は、戦奴の需要がなくなっちまって手持ち無沙汰でなぁ。昔はここでも狩りをして使えそうな連中を捕まえて売っぱらったもんだが、肝心の戦がなくなっちまっちゃおしまいだ」
男は髪を離して腕を掴むと、後ろ手に捻り上げてニヤニヤ笑う。
「でもまぁ労働に対する対価は今の方がいいかな?戦奴なんて結局使い捨ての道具だから二束三文にしかなんねぇ、それに比べて金持ちは自分の道楽の為なら金を惜しまないからな。女子供をいたぶるのが何より楽しい病気持ちの金持ちはそれなりにいるし、しかも連中は大金を払って買った玩具を結局壊しちまうもんだから、需要も減らないと来たもんだ。これこそが商売ってやつさ。ガラクタ売ってるような馬鹿とはものが違うのさ。なぁ坊や」
「き、貴様ら!人狩りか!」
露店の主人はいきり立った。
この街でも古い住人程、人狩りに身内や知り合いを連れ攫われ、奴隷として戦場で殺された経験を持つ者は多い。
「薄汚い肥溜めの蛭野郎め!その子を離せ!」
「うひゃひゃ、なんだ、今時しょぼくれた男なんざ売り物になんねぇから死んじゃっていいんだぜ?まぁ街に入るのに剣預かられちゃったからさ、気の毒だけど殴り殺さなきゃなんないんだけどね」
「そりゃいてぇや」
ゲタゲタ笑いながら、突っかかって来た主人を突き倒す。
「やめてください」
更に蹴りを入れようとして男の動きが止まった。まるで何かに引っ掛かったようなぎこちない停止だ。
男達はその声の主である少年を見やって、それぞれに違和感を感じる。
なぜこの少年は恐怖に泣き叫ばないのだろう?ただ暴力を受けるしかない弱者がこんなに冷静なままでいた事が果たして今まであっただろうか?
そしてなぜ自分はこの声と同時に急に動けなくなったのだろう?
だが、その思考は先へと続けられる事はなかった。
「お前達、おとなしくその少年を離して両手を広げて地面に伏せろ」
突然に、空気を切り裂くような圧力を内包した声が響いたのである。
黒の上下に朱の肩布、この街の警備隊だ。
既に抜刀している隊員が4人、立ち姿や目配りから油断や隙が全く伺えない。
まともな人間なら相手より少人数でこれに立ち向かおうとは思いはすまい。
しかし、この人狩りの男達は、この手の駆け引きにすら慣れているようだった。
瞬時に、ライカを捕らえている方ではない男が懐から細いナイフを取り出して相方に渡す。
「んん、お勤めご苦労さまですね。検問所では剣を奪ってくださって、本当に嫌になる程お仕事熱心な事で。だが、こういった生活に必要なナイフは持ったままでいさせてくださったんで助かりました」
ナイフを渡された男はそれをライカの首筋にヒタリと当てた。
軽く滑らせるだけで頚動脈の上を横切る事の出来る場所。
「剣を持った人が脅かすから、怖くて震えてこの坊やの首を切っちゃうかもしれないなぁ、俺って小心者でさ」
明らかに馬鹿にした声音で告げる男を、警備隊は動揺なく見ている。
「愚か者、その子供を放せ」
そのまま小揺るぎもせずに相手に勧告した。
「あぁ!?わかんない野郎だな!街の外まで出たらガキを開放するから手を出すなっていってるんだよ!」
「嘘をつけ!そのままその子を攫う気だろう、人狩り野郎め」
背後から露店の主人が怒鳴りつける。
「うっせぇな、せっかく命拾いしたんだから黙っとけよ」
ギロリと男がねめつけた。
と、その時。
「市場で揉め事を起こすとは、無知とは時として恐ろしいものですね」
彼らの真後ろから静かな声が聞こえた。
男達が瞬間凍りつく。
そこから急速に時間が加速したかのように、全てが連続して起こった。
「な!」
硬直から立ち直った男達が声の方を振り向こうとした時、ライカを拘束していた男の、ナイフを持つ右の手首に何か細長いものが、とすっという、びっくりする程に軽い音を立てて突き刺さった。
それを本人が目で確認する前にナイフが彼の手から落ちる。
ライカはごく自然に、思わずのけぞって足を滑らせたかのように後ろへ倒れた。
男がそれに気付いて引き戻そうと掴んでいた手に力を込め、もう一人は、背後から何かを仕掛けた相手を見定めようとする。
二人の男の意識が完全に背後へと移った。
その懐へ黒い影が走り込む。
鈍い輝きをその場に残し、ガツンという堅い音と共に、ライカの手首を掴んでいた男の手が異様な角度に折れ曲がった。
更に連続するように、ドン、ガガッ!という重い音が響く。
その全てを動きとして実際に見て取れた人間は僅かだった。
そう、それは警備隊の一人が繰り出した攻撃だったのである。
幅の広い長剣の平で一人の腕を掬い上げるように叩き折り、そのまま手首を返して堅い柄飾りで隣のもう一人のこめかみを殴りつけ、同時に最初の男の横っ腹を蹴り飛ばして、残った一人が脳震盪を起こしてふらついているのを体当たりをして仰向けに倒し、その肩を踵で踏み砕いた。
バキリという鈍い音が響いて、唐突に始まった捕り物は、再び唐突に終わる。
それこそ、瞬きをする間に男達は二人共が地に伏せていた。
蹴り飛ばされた男は残った警備隊の手によって既に縛り上げられ、もう一人は剣を振るった当人が肩を踏みつけて押さえ込んでいる。
「だから愚か者と言ったんだがな」
警備隊の男は一人呟き、視線の先にいる人物を睨むように見た。
そこには痩身に灰色の上下とマントを纏い、風にも揺らされるような風情の男が立っている。
こんな場だというのに、警備隊の男の仏頂面に、彼はニヤリと笑ってみせた。
「余計な手出しは無用に願いたいものだ」
警備隊の男がひそりとその相手に告げる。
「余計はそちらだと思うがね、ここらは俺の管轄だし」
「馬鹿を抜かせ、街の中は全て俺達の管轄だ」
「まぁそういう事にしとくさ、それに俺、剣抜いてないっしょ?」
離れた場所でうめいている男の右腕を彼はちらりと見る。そこに突き刺さったままになっているのはどうやら木の串のようなもののようだった。
「腱を切断したのか」
相手の男はそれには答えずに軽く肩をすくめると、ゆっくり立ち去った。
「班長、あいつ帯剣してますよ」
先ほどまで不敵に笑っていた人狩りの男達は、かなり傷が痛むのか今では絶えず情けない悲鳴を上げている。
一人を縛り上げ終わってもう一人に取り掛かる為に歩いてきた隊員の一人はわざとらしく耳を塞ぎながら、去って行く男の後ろ姿を目で追った。
「まぁあんまり表に出てこないから知らんのも無理はないが、あれが商組合の用心棒だ」
「ああ、あれがあの全地域での帯剣許可を持ってる輩ですか」
彼は言ってぺっと唾を吐いた。
「気に入らんのは俺も同じだが、諍いを起こすべき相手じゃあないぞ」
「分かってますよ。ところで班長、そろそろ足をどかしてやっちゃあどうです?なんかもう違う世界を見てるみたいですよ、こいつ」
あー?と声を上げ、どうやら無意識にやっていたらしい班長と呼ばれた男が足を上げてみれば、脳震盪を起こした上に砕かれた肩に全体重を掛けられていた男は、泡を吹いて痙攣を起こしていた。
「後はまかせた、俺は被害者の様子見てくるわ、怪我してたら大変だ」
彼はそそくさとその場を後にする。
「それは、こいついたぶるより先にやるべきでしたね」
「うるせえよ、わざとじゃねぇし」
「言葉使い、善良な街の人たちに聞かれると怖がられますよ」
「お前がいちいち煩いからそうなるんだろうが」
ライカは倒れこんだ時に駆け寄った露店の主人から助け起こされて、そのままなるべく離れた場所で一緒に事の顛末を見守っていた。
一件が落着したと判断して、二人は散らばった商品を集めだす。
「酷いや」
バラバラに千切られた繊細な鎖や綺麗に並んでいたはずの小粒の輝石を見て、ライカは溜息をこぼした。
「それはいいんだよ、それよりおまえさんが飛び出した時こそ心臓が止まりそうだった。子供が無茶するもんじゃない」
首を振りながら店主に言われて、ライカは頭を下げた。
「すいません、あの人達がどうしてああいう事をするのか知りたかったからつい」
「理由ったって、ああいう輩は自分より弱い者をいたぶるのが心底好きなんだよ。頭で考えて何かをやってるんじゃないんだ、自分が気分が良ければそれでいいのさ」
露店の主人は呆れたように、しかしちゃんと説明してやった。
暴力沙汰の度に飛び込まれてはたまらないと思ったのだろう。
「本当に他人に暴力を振るって気分が良くなるんでしょうか?」
ライカは首を捻った。
「ああ、戦争中はそういうのはいっぱいいたよ、そういうやつらは他人に暴力を振るっている時に嬉しそうに笑っていやがる。やつらが言ってたじゃないか、他人をいたぶるのが好きな病気を持っている人間がいるって。それはやつら自身にも当て嵌まっているんだ」
ライカは手の中の壊れた首飾りを見つめた。
「やっぱりなんだかよく分からないや」
(食べる為に殺すのだったり、怒りで傷つけるのだったら理解出来るんだけど)
胸中で呟いて溜め息を吐く。
「二人共怪我は大丈夫か?」
ふいに彼らに声が掛けられた。
振り向いた二人の目に特徴のある黒の隊服が映る。
先程助けに駆けつけた警備隊の中の班長と呼ばれていた人間だった。
「詳細を聞きたいが、その前に殴られた所とかあったら言ってくれ。腹や頭の打撲の場合は後から来る事があるから気を付けんといかんからな」
「あいつら、この子をさんざん殴ったり蹴ったりしていたぞ、だ、大丈夫かな?」
言われて、急に不安になったのか露店の主人は彼に訴えた。
「ん?どこやられた?見せてみろ」
「え?いや、大した事ないですよ」
ライカは首を振った。
「馬鹿か、素人が勝手に判断するな、いいからどこだ?」
相手の有無を言わさない迫力に負けて、ライカは頭と腹部と足を示す。
「悪党っぽいやり口だな、んー、どうだ?痛いか?」
彼はライカのこめかみを押してそう聞いた。
「ええっと、少し」
「吐き気とか、腹がもたれるような感じとかは?」
「いえ、それはないみたいです」
「ううむ、とりあえず治療所行っとくか、事件の怪我はお上持ちで治療して貰えるから良い薬使ってもらえ」
なんだかそれでいいのか?という感じの発言をして男はにやりと笑った。
「え、はい。あ、でもおじさんも確か蹴られて」
「ふむ、どこかやられたか?」
「いえ、私は突き飛ばされたり、蹴られたと言っても腹を少しですし、大した事は」
「ああ、だから腹はいかんと言っただろ?あちこち怪我もしてるじゃないか。よし、一緒に治療だ」
見ると、露店の主人は顔と膝を酷く擦り剥いているようだった。彼自身あまり痛がってない所を見ると、ショックで痛さを忘れていたのかもしれない。
「んじゃ、城の治療所行って、その後で今回の事の詳細を聞くから頼んだぞ。荷物も一緒に持って行った方が良いだろう。移動出来るように纏めとけ」
二人に向かってそう言うと、彼は背後を振り返って大きく叫んだ。
「おおい、ロン、本営にひとっ走りして護送馬車と人手を借りて来い。ジルとカイはそれが来るまでそいつら見張っとけ」
「はい」
「あーそれまで生きてればいいですねぇ」
「こら、蹴るなよ、こんくらいで人間死なねぇって」
「馬車なんてもったいないからこのまま引きずっていったらどうだ?色々削れていい感じになるんじゃないか?」
「いやいや、あの護送馬車も凄い乗り心地だからなあんまり差はないと思うぞ」
なんだか微妙に犯人に同情したくなる光景だったが、とりあえず被害者二人は店の片付けを急いだ。
「ところで班長さん、どうしてあんたが出てきたんですか?」
店の主人が不思議そうに聞いた。
「じいさんがな、詰め所に来ちまってよ、仕方ないから途中でやつらを拾って駆けつけたって訳だ」
「ご隠居、詰め所までいっちゃったんですか。どうりで時間が掛かったはずだ」
詰め所というのは街の入り口の検問所の詰め所の事である。
どうやら老人は見回り隊を見つけるより、少し遠いが誰か必ず常駐している詰め所に知らせに走ったらしい。
ライカはその足の悪さを心配していたが、ご隠居は実は健脚なのかもしれなかった。
「お前も怖かったな」
最近すっかり仲良しになったロバを撫でながら、ライカはちょっと自分の失敗に沈んでいる。
(もう少しちゃんと怪我しとけば良かった)
一人は気絶したが、まだ一人がわめき続けているその声を聞きつけたのか、元々そろそろ店を開ける為にやってきただけなのか、徐々にその場には人が集まり始めていた。
ライカはそんな人々をぼんやり眺めながら、もっと人間の事を、そして普通であるとはどういう事なのかを知りたいと思うのだった。