相談
ジンの恋の相手が、私だった。
まさかの出来事に、私の頭はいつまで経っても混乱を生じている。
時間の感覚が無くなるほど考えても、私が答えを見つけれるはずもなく、情けないことに、ただ混乱し続けただけだった。
だめだ、と思い直す。
私だけでは何も見つからない。
何も分からないまま時間が過ぎていくだけだ。
落ち着け。まずは落ち着かないと。
まず、なにをすればいいんだ?
今まで足を引っ張ってきた、ろくに役に立たない記憶をたどる。
今の私には、これぐらいしか縋るものがなかった。
友達が告白されたとき、なんて答えていた?
しかし、考えて数秒。
友達がそんなことを教えてくれるはずがなかったことを思い出す。
教えてくれたのは、ただ告白されたことと付き合い始めたという報告と結果だけ。
ああ、もう、どうすればいいんだろう。
こんなときになっても相変わらず私の記憶は足を引っ張るだけで、ちっとも役に立たない。
私は頭を抱えたい衝動に駆られながら、母がいる手前、平然を装って椅子の上で人形のように座っていた。
母は、夕食で使ったお皿を洗っている。
私はそんな母の後ろ姿を見つめた。
いや、改めてその存在を意識したと言った方が正しいかもしれない。
母。
何時かに見た、父を見て頬を染める、恋をし続けている、母。
母はどうやって、父を信じることができたんだろうか。
いや、そもそも、この世界の人は日常会話と告白の違いぐらい、分かるのだろうか。そういうのに疎いのは、私だけで。
そうだとしても、母と父にも告白という行為があったから今があるわけで。
そう考えると、意外と恋というものが身近にあることに気付く。
母に相談したら、何か答えが見つかるかもしれない。
彼女は、“経験者”であるわけだから。
そう思うけれど、また私の悪い癖が出てきた。
母であれど、そういう話をするのは、恥ずかしいのだ。
なら、関節的に話したら、どうだろうか。
私に起こったことではなく、アリッシアに起こったことにすれば。
あまり親身に相談に乗ってくれないかもしれないが、何かいい答えを教えてくれるかもしれない。
私は椅子から立ち上がると、母へ近づく。
母も、近づいてきた私の気配を感じて、振り向いた。
「どうしたの?真剣な顔して、なにか心配事?お母さんが相談にのってあげましょうか?」
私が言葉を発する間もなく、微笑む彼女は察しているようだ。
私は、そんなに深刻な顔をしていただろうか。
確かに私は、表情に出やすい方だと思っているが、それも照れや恥だけだと思っていた。
彼女の言葉に驚きながらも、私は頷いた。
母は少し目を細めて、意地悪そうに笑った。
お互い向かい合って座った後、母はだしぬけに私に詰め寄った。
興奮した様子で少し頬が赤くなりながら、そっと私に顔を寄せる。
そういうしぐさがまだ若くて、母の若かりし頃を想像させるのに十分だった。
「あなたの相談は、つまり、恋の相談でしょう?」
ずばりと言い当てられてしまって、私は驚いてたじろいでしまった。
母親は偉大というが、ここまで察せられてしまうともしかしてエスパーかなにかと疑いたくなる。
母はやっぱり、とどこか嬉しそうに、鼻を鳴らす。
「あなたも、もうそれぐらいは普通の歳になったものね。でも、あなたが好きな人に告白できるとは思えないから、誰かから告白されたの?」
その声は興味津々とばかりにはずんでいたが、視線だけは私を捉えて、ずっとほほ笑んでいる。
気恥ずかしさにますますたじろぎながらも、私は何とか笑いを浮かべて、嘘を吐いた。
「違うよ。告白されたのは、アリッシア。アリッシアが私に相談したのだけど、私、ちっともいい助言ができなくて。お母さんだったら、なにかいい助言ができるんじゃないかなって。お母さん、お父さんのこと大好きだから」
その一言に、母はたちまち照れくさそうに笑って、照れくさそうに反論する。
が、どれをとっても母が父を好きなことを示す証明にしか見えなかった。
「そうなの?残念。アリッシアちゃんは、誰に告白されたの?私でも、知ってる人?ラピスも知ってる人?」
「う、ううん。知らない人。・・・隣町の人で、たまたまこの町に来た時、ひとめぼれ、された、って」
嘘を重ねていくうちに、ぎごちなくなっていく言葉づかい。
母は目を細めて、相槌を打つ。
「なるほどね。じゃあ、しばらく様子見、がいいじゃないかしら。相手のことが何一つわかっていないなら、試しに付き合ってみて、相手を理解するのも大切なことよ。いきなり断ってしまうのも、相手が可哀そうだしね」
「か、可哀そう?いきなり断ってしまうのは、可哀そうなの?」
予想外の言葉に、私は狼狽を隠せない。
試しに付き合うの?好きでもないのに。
でも、前世でも、そういう人はいた。
私は蚊帳の外で、全く関係がないことだと思い込んでいたけれど、改めて言葉に出すと、ものすごく勇気がいる行為だ。
だって、気に入らなければ、別れてしまうんだ。
相手を試す、または相手に試される行為。
私がそんなことをされたら、もう気が気でなくなってしまうだろう。
「そうね。まぁお互い、分かり合おうとすることが大事よ。アリッシアちゃんなら分かってると思うけど」
そう言って、母は用意したコーヒーを口に運んだ。
その間も、視線だけは私に向けられていて、まるで戸惑う私を観察して、楽しんでいるようだ。
けれどそこに、どこか大人の余裕というものを感じさせられる。
やはり、経験者は違うのか。
私は、思わず自分の思いをぶつけてしまう。
「で、でも、もし分かり合えたとしても、信じることはできるの?みんなに言っているような愛の言葉を、好きな人にも同じように、言うの。そういうのは・・・・」
信じられないよね。
最後の言葉は、口の中に溶けていった。
まるで、言ってはいけないことのような気がして。
母は、コーヒーを片手に、考える。
眉を顰め、私に尋ねた。
「それって、日常会話で使われる言葉を、私以外に使われたくないって意味?そういう愛の言葉は私だけに使ってほしい、という」
確かに、言い換えてしまえば、そうなのかもしれない。疑問符が頭の中に浮かび上がるが、大体そんな感じだ。
日常会話で使われる言葉で告白されたって、信じることはできないのだ。
逆に言ってしまえば、愛してるなら、その言葉を自分だけに使ってほしいということである。
私が頷くと、母はひどくバカにした様子で、私を鼻で笑った。
そんな母を見たことがなくて、いつもの優しい笑みを浮かべる母の欠片もなくて、私は唖然としてしてしまった。
そして、母はコーヒーを机の上に戻すと、言い切った。
「そんなの、もう好きに決まってるでしょ!」
鶴の一声ならず、母の一声。
脳内で母の言葉がぐるぐる回る。
好きに決まってるでしょ!好きに決まってるでしょ!好きに・・・
フリーズした私に対し、母は興奮した様子で、私に捲し立てた。
「相手の告白を信じられないのは、日常的に使われる愛の言葉に嫉妬してるから!私が好きなら、私だけに言ってよ、ていう、ジレンマ・・募る不信感・・燃え上がる恋。お母さんも経験あるわ・・・。信じる信じない以前に、もう好きになのよ。好きだから、信じるかどうか迷うの。信じたいのに、不安で仕方なくなっちゃうのよ」
硬直し混乱する私に思い出話を始めた母は、いつもの落ち着いた母とはかけ離れていて、どこか恋にはしゃぐ少女の姿と似通っていた。
まあ、私は母の話を聞きながらも、意識はあらぬ方へ飛んでいたのだが。
とりあえず、母と相談してわかったことは、母は恋愛話になると興奮しだすということ。
ジンとは『お試しの付き合い』をした方がいいかもしれないこと。
それと、ジンの告白を信じることができなかった私は、もしかしたら、ジンのことが好きなのかもしれない、ということ。
全く自覚できていない私には、それは混乱を呼ぶものでしかなかった。