一章二話「新たな生活」(4)
森の中を歩いているときだった。
遠くのほうから、こちらへと向かって走ってくる足音が聞こえてきた。その足音に二人は足を止め、耳を澄ませる。
足音は複数。方角は全方位。どう考えても、先程とは比べ物にもならない程の数が迫ってきている。
逃げることはできないと、判断した二人は互いに背中を預けて身構えることにした。
やがて、フォレストウルフたちが姿を現す。予想通りその数は先の時と比べると馬鹿馬鹿しいと思えるほどの数だ。
そうした大集団の中、一匹だけ異彩を放っているものがいた。
他のフォレストウルフと比べて倍ほどもある巨大な体軀。己が王者だと言わんばかりの傲慢なその瞳は、値踏みするかのように二人に注がれている。
こいつらのボスだ。
自然と刀弥はそう確信した。
ボスのフォレストウルフはそうしてしばらくの間、二人を見下ろしていた。が、やがて興味を失ったのか周囲の仲間たちに聞こえるように大きな声で吠え始める。
それが合図となりフォレストウルフたちが、一斉に襲いかかってきた。
その瞬間、リアの魔術が発動する。
『ウォールストーム』
突如、竜巻が生まれ、それがフォレストウルフたちの接近を阻む壁となる。
その竜巻を強引に突破しようとするフォレストウルフたち。だが、竜巻は近付いてきたものたちを次々と飲み込むと、遥か彼方へと吹き飛ばしてしまった。
――どうやら突破できそうにないな。
そのことを確信した刀弥は安堵の息を吐く。
「助かった」
そうして刀弥は自分を守ってくれた仲間に感謝の言葉を述べた。
さすがに、あの数を対処するのは厳しい。リアの魔術がなければ物量で押し負けていただろう。
「礼を言うのは助かってからにしよ」
「そうだな。で、問題はこの数を相手にどうするかだな」
あれから、相手が飛び込んでくる様子はない。恐らく切れるまで待つつもりだろう
「この魔術。どのくらい持つんだ?」
「術者の精神力次第。私の場合、九ティムぐらいかな」
ちなみに朝方、時計と携帯の時間を確認し計算した結果、一ティムが三分四五秒という比率だとわかっている。
すなわち、約三〇分ほど持つということだ。
「なるほど。とりあえず全部を相手にするのは無理。となると、自然と狙いはあいつを倒すことになるな」
あいつ、つまりボスのフォレストウルフのほうを見て、刀弥はそう告げる。
それに対してリアも頷いた。
「そうだね」
「問題はこの群れを突破して、どうやってあいつを倒すかだな」
「一撃で決めないとまずいよね?」
倒すのに時間を掛ければ、他のフォレストウルフたちに襲われてしまう。当然の判断だ。
「それ以外にありえないな」
問題はその具体的な方法だ。
ただ突っ込んだだけではフォレストウルフたちが邪魔になって、ボスのもとに到達するのに時間が掛かり過ぎてしまう。
「何かいい魔術はないのか?」
魔術に頼りすぎているような気もするが、自分の力ではどうすることもできない以上それを利用するしかない。
「エアロブラストならフォレストウルフたちを押しのけてボスに届くとは思うけど、殺傷力は低いから一撃という保証がないんだよね。フレイムブラストも同じようなことはできるけど、遅い分避けられる恐れがあるし……」
「つまり届かすことはできるけど、仕留めきれる確証はないということか」
「ごめんね」
「謝ることじゃない。それを言ったら俺のほうが役立たずだし……」
とはいえ、生き残るためには今ある手札を上手く使って切り抜けるしかない。
刀弥は思案する。
届かす方法はある。難点は仕留め切れないということだ。
仕留めることができなければ、待っているのはフォレストウルフたちの一斉攻撃という痛みの地獄。
「エアロブラストの連続発動とかっていうのは無理なのか?」
「技術があれば並行して魔術式を組むとかできるようになるけど、今の私には無理かな。一応やってみてもいいけど……」
「いや、さすがにそこまで負担を掛けられない」
本当に自分は役立たずだなと刀弥は思った。
出来る事なら自分でどうにかしたい。
しかし、フォレストウルフたちが邪魔でボスのもとに行くことすら……
そこまで考えて刀弥はふと、あることに気が付いた。
「リア、エアロブラストなら他のフォレストウルフたちを押しのけて、ボスのもとまで届かすことはできるんだよな?」
「え、うん。でも、一撃で倒せる保証はないよ?」
刀弥の確認の問いに、リアは残念な事実で答えを返す。
だが、その言葉を聞いて刀弥が笑みを見せた。そうして彼は、次のようなことを言い返してく。
「問題ない。追撃は俺がする」
「え?」
一瞬、何を言っているのかわからず、彼女は呆けた顔をしてしまった。
「リアがエアロブラストを撃って、その直後に俺がボスのもとに突っ込むということだ」
「そんな!?」
「邪魔な連中はエアロブラストで退かせて、ボスまで一直線に向かう。足には自信があるから穴が埋まるまでにはボスのところへ辿り着けるだろうし、ボスが倒れていなくてもエアロブラストで傷ついているはずだから、勝機は十分にある」
彼女が何を言いたいのか大体わかる。
空いた穴が埋まってしまう前にボスのもとに行けるのか? そして、ボスと一対一で勝てるのか? そう言っているのだ。
だから、先にその反論を潰してしまう。
「でも……」
それでも何かを言おうとして、彼女は口ごもってしまう。
「どの道このまま何もしなくても結果は一緒だ。心配するな。やれるさ」
安心させるように刀弥は笑う。
それを見て、それまで不安そうな表情だったリアが決心した顔を見せた。
「……わかった」
「よし、タイミングは任せた」
いつでも飛び出せるように姿勢を整える刀弥。
「魔術式は準備完了。ウォールストームを解除したら、すぐに撃つね」
それに対して刀弥は頷く。
直後、竜巻の壁が跡形もなく消え去った。
風の壁が消えたことで、それまで見えづらかった壁の向こう情景がより鮮明に見えるようになる。
周囲には虚貌な顔つきを見せるフォレストウルフたち。
だが、刀弥は彼らを見ていない。
彼が見ているのは、倒すべき相手のみ。
そして遂にリアがエアロブラストを発射した。
エアロブラストは獣の壁を突き抜け、彼のための通り道を作り出していく。
それに合わせて刀弥は走り始めた。
足に自信があるのは、嘘ではない。風野流の剣術の真髄は足、すなわち移動速度にあるのだから。
重い剣を持った姿勢のまま、彼は短距離選手並の速度で走る。
既に道には、フォレストウルフたちが空いた空白を埋めるように押し寄せてきていた。
だが、彼は気にせず、ただひたすらゴールへと向かって駆け抜ける。
恐怖がない訳ではない。
どんなに自信があっても、不安や恐怖は付き纏う。
だがしかし、それ以上に彼の内にあるのは必ず成功させるという強い意志だ。
視線の先、エアロブラストがボスのフォレストウルフと衝突する。
大気のぶつかる音と共にボスが吹き飛ばされる。だが、ボスはすぐに体勢を整え直すと綺麗に地面へと着地した。
やはり、リアの予想通りエアロブラストでは仕留め切れなかった。
しかし、だからこそ自分が走っている。
既にボスは、己に迫る刀弥の姿を認識しているようだ。
彼を返り討ちにするべくボスは飛び上がると、その左足の爪を彼の眼前へと迫らせる。
けれど、刀弥もまたそれを迎え撃つべく動いていた。
剣を水平に腰を使って左後ろへ回し、そして、右足が地に着いた瞬間……
彼は大地を強く蹴った。
風野流剣術『疾風』
視界の流れが早くなり、ボスの左足が左へと通り過ぎていく。
僅かにかすったのか、頬に傷が生まれるが彼は止まらない。
――悪いが死ぬつもりはない。
そうして、その先にあるのは無防備なボスの胴体。
迷わず彼は、そこに己の全てを叩き込んだ。
胴体の半分以上を切断されたボスは、痛みの咆哮を上げる。
されど、かのものにできたのはそこまでだった。
後はただ力を失い、倒れていくだけ。
ボスが倒れたことで他のフォレストウルフたちは動きを止め、一斉に己の主の方へとその首を向ける。
けれども、かのものが再び起き上がることはなかった。
それを確認すると、フォレストウルフたちは一目散にその場から去っていく。
後に残ったのは、物言わぬ遺体と少年と少女の姿だけ。
「刀弥!!」
フォレストウルフの姿がなくなったのを見計らって、声を上げて刀弥のもとに駆け寄ってくるリア。
その呼び声に刀弥は振り返った。
「大丈夫だ。怪我はない」
「……頬。怪我してるよ」
「え?」
その指摘に慌てて、左手で頬の辺りをさする刀弥。
それを見てリアは失笑した。
それから彼の傍まで歩み寄ると、魔術でその頬の傷を治す。
「悪い」
「気にしないで。それで、これも一応持って帰る?」
そう言って背後、ボスの方へと視線を向ける。
「そうだな。一応持って帰るか。できれば賞金とかも増えてくれればいいんだけど……」
「その辺は、私が交渉してあげる」
そうして二人はボスの首を回収すると、町へ戻るべくその場を後にするのだった。
07/25
できる限り同一表現を修正。