四章五話「全開の牙」(3)
瞬く間に接近してくるレン。そんな中で特徴的なのは彼女の足運びだ。一歩の距離よりも足の回転の速さを重視した足運び。一歩一歩に力強さはないが代わりに動きが軽やかで速く、それ故に安定した速度を維持しているのが特徴だ。
そうして彼女は己の間合いまで近づくと、刀弥目掛けて両手に持っていた槍を突き込んできた。
速度をのせた一突き。これを刀弥は右へと一歩動くことで回避する。そして一気に刀の間合いまで飛び込むとその背に向けて刀を振り抜いた。
けれども、レンは右後方へ飛ぶことで攻撃から退避。向きを刀弥の方へと合わせるとすぐさま槍の連射を繰り出してきた。
一撃一撃に威力はない。が、その代わりに連射故の数がある。そのため、刀弥は思わず正面から飛び込むのを躊躇ってしまった。
それならばと行くのは側面だ。行く方向は刀弥から見て右側。そこにはレンの背中がある。さすがに背中側は槍を突けないだろう。
槍の雨を避け捌きながら刀弥は右へと走る。相手に左側を晒す事になるため右利きには不利な向きだが、それでも行かなければならない。
相手はこちらの意図を察し突きの連打で妨害しようとするが、刀弥はその突きの一つを刀で左へと弾くこと対処する。
弾かれた事で槍が右へと大きく振れ、相手が僅かにバランスを崩した。それが刀弥の方に背中を晒す形となる。それを見逃す刀弥ではない。迷わず彼はそこに返す刃を打ち放った。
裂け風に乗っていく布の破片と破片のあった場所にできた赤い線。彼の攻撃がレンの背中の衣服を裂いたのだ。ただ彼女の反応がよかったせいもあって傷は想定よりも浅い。
それを残念に思いながら刀弥はその場から離れようとした。
「この……お返しだ!!」
そこへ石突きが襲い掛かる。
振られた勢いを利用して身を回したレン。石突きの突きはその回転を利用して放たれたのだ。
左側面から迫る打撃。即座の判断で刀弥は縮地で前方へと飛ぶ。
背後を過ぎ去っていく石突き。その感触を感じながら刀弥はレンの方へと振り返った。そして振り向きざまに斬波を放つ。
姿勢を立て直したレンはこれに迎撃と反撃で対応。用いたのは突きのラッシュによる残波の雨霰だった。
刀弥の斬波がレンの一滴によって相殺される。力を失い消失しあう両者。そうして後に残ったのは無数とも言える数の突きの雨だった。
すぐさま刀弥は右へと駆ける。縮地で逃れないのはそれを見越した斬波攻撃を警戒したためだ。そして、その予感は当たっていた。
彼の移動先。そこに貫きの力が一つだけ飛んできたのだ。走っていたため速度を落とすことで対応したが、これが縮地での回避だったならばこの対応はできなかっただろう。
そんな感想を抱きながら刀弥は走り続ける。
幸いというべきか、斬波の雨はそれ程長く続かなかった。どうやら短い時間にあれだけの数の突きと斬波を放つにはかなりの集中力が必要らしい。
その事を頭の片隅に収めつつ彼は走る方向をレンへと切り替える。
それを見てすぐにレンが待ち構える姿勢を見せた。
そうして先に仕掛けたのはレン。やはりこういう状況では間合いが広いほうが先に攻撃できてしまう。
穂先が狙うのは刀弥の胸部だ。ならばと刀弥は左足で地面を蹴りながら体を右肩を前にした半身の状態にするとその体勢で右の方へと僅かに体をずらした。
レンの槍がかすめるように通り過ぎていく。胸部に感じる鋭く冷たい感触。その感触にヒヤリとしながらも、しかし刀弥はそのまま正面を見据えていた。
攻撃が外れた事を察知したレンは既に構えを槍を引く姿勢に変えている。
けれども、この速度ならば槍が戻り終える頃には刀の間合いだ。そのため刀弥はそのまま接近を続行した。
そうして己の間合いまで近づくとすぐさま左から右へと刀を振り抜く。
これをレンは戻した槍の穂先で受け止めた。それから穂先を刀弥の方へと向ける。
それを見て急ぎ後方へと跳躍する刀弥。直後、彼のいた場所を槍が貫いた。
ギリギリで回避に成功し内心ホッとする刀弥。けれども、レンの攻撃はこれで終わらなかった。
なんと、レンは斬波を放っていたのだ。槍が伸びきったと同時に貫通の力が穂先より飛び出し刀弥のもとへと飛んでいく。
回避先を読まれていた。この流れに刀弥はそう判断した。右へは刀が槍で防がれているせいでいけない。左へと飛んでも穂先の修正は容易。ならば、後は後ろだけだ。
ともかく飛んでくる斬波を対処しなければならない。空気を歪めながら進む力の向こうではレンが一歩を踏み出し始めている。恐らくこちらが防ぐなり左右に回避するなりしたらなんらかの追撃を掛けてくるつもりなのだろう。
なので刀弥はそれを裏切る選択を選ぶことにした。
左足を軸に左から右へと刀を振って斬波を放つ。
放たれた斬波は――しかし、レンの斬波を撃ち落とすためのものではなかった。なんと、斬波は曲線軌道をとってレンの斬波を避けたかと思うとレンへと向かって飛んでいったのだ。
迎撃ではなく攻撃。この意外な選択にレンは意表を突かれ思考が停止してしまう。けれどもそれも一瞬、すぐさま己の槍で迎撃した。
槍によって撃ち落される斬波。だがこの間に刀弥は新たな動きを見せていた。
彼は着地と同時に斬波を放ったため、体勢が後ろ寄りのままだ。けれども構わない。振った体の勢いを利用して刀弥は体を回す。
回る刀弥の体。当然、それに右足も追従する。そして右足が後方つまり地面に一番近いところまで回った時、彼はその右足で地面を蹴りつけた。
回転の援護を受けた右足の強い踏み込みは彼の身を右へと押し出す。
結果、彼の選択は貫きの一撃から逃れることに成功し、さらに相手の追撃を妨害することにも成功した。
その上で刀弥は再び刀の間合いへと近づく。
これにレンが反応した。彼女は槍を振りかぶり右から左へと大きく振り抜いてきたのだ。
点でなく線の攻撃。そのため横へ回避という選択肢はない。必然刀弥は後ろに飛ぶこととなった。
目の前を通りすぎていく槍の刃。それを見送った刀弥はすぐさま地面を蹴りつけ攻撃を仕掛ける。
風野流剣術『一突』
レンが振るっているのは長く重い槍。切り返すにも時間が掛かるだろう。だからこそ、切り返す頃には一突の突きがレンの右肩を捉えている。そう考えていた。
けれども、その想定とは裏腹に刀弥の身が右へと吹き飛ばされる。彼は左からレンの攻撃を受けたのだ。
一瞬、何が起こったのかわからなかった刀弥。槍の穂先はまだ右側にあるはずなのだ。実際視界にも映っている。
しかし、飛びレンから離れていく最中、刀弥は相手の攻撃がなんだったのかに気付いた。彼女は槍の石突き側を刀弥に叩きつけたのだ。
恐らく穂先を左へと振り切った時に左右の手を持ち替えながらそのまま振り回したのだろう。結果、槍が半回転し石突き部分が刀弥を横から叩いたのだ。
油断した。そう己に叱咤しながら刀弥は姿勢を整え着地する。と、そこにレンが槍を振り下ろしながら飛びかかってきた。
それを見て急ぎ刀弥は刀を上方向の右から左へと振るう。攻撃するためではない。レンの振り下ろしを凌ぐためだ。
振り下ろされる槍に刀が横からぶつかる。横からの力を受けて槍の軌道が逸れた。
そのまま当たらないところまで軌道をずらすと前進しながら返す刃で振り上げを放つ刀弥。それをレンは後退することで回避した。
後退直後、レンはすぐさま刀弥に向け槍を打ち込んでくる。それを右へと体を逸らして躱した刀弥は反撃とばかりにすぐさま縮地を用いた。
接近のためではない。そのまま体当たりするためだ。
速度の乗った刀弥の体がレンとぶつかる。その勢いに彼女は思わずたたらを踏んでしまった。
そこに刀弥は一閃を見舞う。左下から右上への速さを意識した一閃は、しかしさらに下がったレンの頬を僅かに赤に染めるだけに留まった。
そんな彼女はお返しとばかりに再び槍の穂先を突き放ってくる。
狙う先は刀弥の胴体。それを刀弥は膝を曲げ伏せることでやり過ごした。その上で彼はレンに迫り前に出ている左足目掛けて剣戟を繰り出す。
だが、この攻撃をレンは飛び上がることで対処した。そうしてがら空きになっている刀弥の背中に狙いをつけると身を回しての突きを打ち出す。
「もらった!!」
勝利の雄叫びとも言える声を叫ぶレン。しかし、その一撃で決着がつくことはなかった。
刀弥が右へと体を傾け転がったためだ。おかげで彼女の一撃は外れてしまった。
そうして刀弥はどうにか攻撃に対処すると、そのまま転がり続けある程度距離をとったところで起きがる。
レンの方はというと刀弥が起き上がった辺りのところで地面に着地。深追いは危険と判断したのか以降はせめて来る様子を見せなかった。
そうして生まれた小休止。
呼吸を整えながら刀弥は思考する。
やはり、レンは強い。現状、リーチで勝っている彼女はそれを上手く活かした戦い方で刀弥を攻めている。おかげで中々に攻め辛い。
対するこちらはその攻撃をかいくぐりなんとか反撃に転じているが、入った一撃は浅いものばかりだ。
互いに致命打はなく状況は一進一退ながらも膠着状態。恐らく勝負は決定打を与えた時点で決着となるだろう。
負ける気はない。確かにレンは強いがこれまでの互角の戦いを見る限り十分勝てる相手だ。もっとも例え相手が勝てる望みのない相手だったとしてもこの気持ちは変わりなかっただろうが。
そんな気持ちを再確認しながら刀弥はこれからどうするかを熟考する。
致命打を狙うなら相手の攻撃をかいくぐりその上で対処不能の一撃を狙うしかない。
けれども、最初のかいくぐるのはともかく対処不能の一撃は中々に難しい。相手も様々な方法で防御、回避をしてくるからだ。時には思いもしなかった方法すらとってくる。
そんな状況で対処不能の一撃を狙うというのはかなり至難の業だった。下手すれば相手の反撃で終わる可能性すらあり得る。
しかし、そう考える一方でそれぐらいのリスクを背負う覚悟でなければレンには勝てないという予感もあった。
安全を確保してからの攻撃ではどうしても選択の幅が狭くなりがちだ。その上、相手の動きに反応するために意識を五感に向けられているせいで体の制御が疎かになり結果、相手が対応できる攻撃を放つことになってしまっている。
そこで刀弥はその逆をやってみようと考えた。
体の制御の方に意識を傾けることで対処困難の攻撃を繰り出していく。
無論、問題もあった。体の制御に意識を傾けるので相手の動きを感知する五感が疎かになるのだ。それは守りが薄くなることを意味する。だが、それも覚悟のうえだ。
肉を切らせて骨を断つ。それが彼の狙いだった。
「まだ攻めないの?」
と、どれ程の静寂が経ったのだろう。不意にレンが問いを投げ掛けてきた。
その問いに刀弥は応答を返す。
「様子見だ。そっちこそ攻めないのか?」
「あたしは呼吸を整えているからいいの!!」
一瞬、ムッとした表情を浮かべるレン。けれども、すぐに元通りの顔に戻るとすぐさま反論を返してきた。
確かに彼女の言う通り呼吸は既に元通りになっている。考えもまとまった今、後は開始の隙を伺うだけだ。
そうして対峙する両者。刀弥は相手の隙を見つけるためにレンは相手の動き出しを見逃さぬためにただひたすらに睨み合う。
一拍、二拍……
時間の経過とともに刻まれる呼吸音。その音すら互いにとって見過ごすことのできない情報だ。
そんな中でレンの呼吸が整っていくのを刀弥は耳を通じて感じていた。
一呼吸。レンの姿勢が僅かに動いた。
二呼吸。彼女の視線が強くなる。
三呼吸。レンの全身に力が入り、そして――
次の瞬間、両者は同時に駆け出した。