四章四話「その者強者」(5)
最初に目に入ったのは見慣れない白い天井だった。
「あ、気が付いたんだ」
次に聞こえてきたのは聞き慣れた少女の声。視線を向けると予想通りの人物が椅子に腰掛け座っていた。
「……リア」
開いた口から出てきた言葉はそれだけ。後の言葉は全身に回る気怠さのせいで声にするのも億劫だった。
それでも刀弥は思考を巡らす。
何故、自分がここにいるのか。疲労感のある頭はその思考を破棄し眠れとでも言うように倦怠感で誘惑してくるが、それを振り払って彼は必死に頭を回転させる。
そうしてようやく刀弥はここが闘技場で自分は勝利宣言と同時に気を失ったことを思い出した。
「どのくらい経ってるんだ?」
「今は夕方。結構寝てたね。あ、それと明日の分は延期だって」
そう言いながら刀弥の胸部と左腕を見るリア。それにつられて刀弥もその方向へ視線を動かす。
現在、刀弥の左腕と胸部には白い布が巻かれていた。肌に温かい感覚があるのと、布が僅かに発行している様子からそれが魔具だとわかる。恐らく、リアが持つ治癒系の魔術と同じような効果を持っているのだろう。
「まあ、これじゃあ無理に出ても仕方ないしな」
「だね」
刀弥の応答にリアは苦笑、そうして彼女は立ち上がると刀弥の傍までやってきた。
刀弥は横になっているので、立ち上がった彼女を見上げる状態となる。
首筋からこぼれ落ちるリアの長い赤銅色の髪。川のようにしとやかな曲線を描いてたなびくそれは彼女の細い首に纏わりついており、どうしてかそれが刀弥には魅惑的に映ってしまう。
慌てて視線を上へと上げると、そこには不安の色を浮かべた彼女の瞳があった。不安の理由については考えるまでもない。
「……もしかして……また心配させたか?」
骨折による負傷。闘技場にしてみればよくある負傷の類で怯えたり驚くような事でもない。けれども、やはり親しい者からすればいろいろと不安にはなってしまうのだろう。
「ちょっとだけ……ね。やっぱりあんな怪我をされると万が一の事が起こるんじゃないかなって思っちゃうから」
「悪い。もう少し楽に勝てたら良かったんだが」
そんなリアの正直な返答を聞いてつい刀弥は謝ってしまった。
「まあ、相手も強かったからね」
「そうだな」
思い返してみても確かにエドガーの強さしか印象に残っていない。長い年月によって培われた身体能力と技術、そして経験。それがあの強さを生み出しているのだ。
と、そこで刀弥はこの場所にエドガーの姿がないことに気が付いた。ここが救護室ならば彼の姿があってもおかしくないはずなのだが……
「そういえばエドガーの姿がないが……」
「あ、エドガーさんなら個室の方。右腕の治療で安静中だから」
何気ないリアの一言。その一言で刀弥は自分が彼に何をしたのか思い出した。
「……ああ、そうだったな」
戦っている時は夢中だったからなんとも思わなかったが、自分はエドガーの右腕を斬り落としたのだ。今更ながら随分と思い切ったことをしたものだなと自分に感心してしまう。
「確か骨折や腕を斬り落とされたぐらいなら治せるんだったか?」
「うん。世界とか国とかにもよるだろうけど、少なくてもここは治せるみたい」
医者か誰かから説明を聞いたのだろう。リアは思い出すそぶりもなくそう答えた。
「俺の骨折はどのくらい掛かるんだ」
「とりあえずそれを巻いたまま大人しくしていれば明日には治る予定。だから、大人しくしているんなら宿屋で休んでも構わないって言ってたよ」
刀弥の世界なら医者もビックリの治りの早さである。今更ながら、刀弥はこの世界の技術に驚くしかない。
「それと完治の判断は治った翌日にするらしいから、それも忘れないで。あ、後レンから伝言。『楽しみにしている』だって」
「何をだ?」
なんとなく想像が付いているものの、一応問い掛けてみる刀弥。無論、リアもそれが何の事かわかっていたらしい。
「たぶん、試合に当たった時のことじゃないかな」
当然のようにリアは刀弥の想像していた内容を口にした。
「まあ、それだろうな」
しかし、何故今更そんな事を言ってきたのだろうか。それがわからず刀弥は首を捻るしかない。
「……ともかく二日ほど、大人しくしてないといけないのか」
「だね。ただ、試合は結果を見てからの判断みたいだから、たぶんさらに数日は空く事になると思よ」
嘆く刀弥。そんな彼へリアがさらに追い打ちを掛けてきた。
「つまり、しばらくの間暇になる訳か」
「いいんじゃない。ここの所、体を動かしっぱなしだったんでしょ? だったら、折角だから体を休ませようよ」
「……まあ、それもいいか」
幸い、暇つぶしには事欠かない。旅の途中で買っていた本が闘技場の特訓に時間を割いていたせいでほとんど読み進んでいないためだ。そういう意味ではこの機会にできる限り読み進めておきたいところではあった。
「とりあえず少しの間はのんびりできそうだね」
「だな」
嬉しそうに笑みを見せるリアに同意しつつ刀弥は窓へと目を向ける。
窓の外は既に朱に染まっていた。夕食の時間がもう時期なせいか主婦らしき人々が通りを行き交っているのも見える。
「さて、それじゃあ宿屋に帰ろうか」
「いいのか?」
「うん。別に説明は私が全部聞いたから先生を待つ必要はないしね」
それにそうかと応じる刀弥。
そうして刀弥がベッドから起き上がると、二人は部屋を後にしたのだった。
――――――――――――****―――――――――――
いくつもの線が宙を走っては消えた。
空を突く音はいくつも重なり、生み出される線は直線、曲線と様々だ。
そうして、ひとしきり槍を突いた後、レンは槍を止め休息に入った。
息を整える。涼しげな空気が体に入り込み熱を帯びた体を冷やしていく。
体を芯から冷やしてくれているようなそんな気分に浸りながらレンは先の刀弥の試合を思い返すのだった。
一割。それがレンの予想した刀弥の勝率だった。
相手があのエドガーである以上、かなり苦戦する。実際、レンも初戦の時は見事に惨敗だった。
能力が違う、経験が違う、なにより戦いに対する気概が違いすぎる。
突き出した槍は全て拳で弾かれ、そうしてできた無防備な胴体に放たれる重い一撃。それを何度か受けて倒れてしまったのだ。
今ならばあの時よりもマシな試合内容になる自信はあるが、それでもまだ苦戦はしてしまうだろう。
ともかく、そういった事もあってレンはこの試合刀弥が勝つのは厳しいと考えていた。
そして試合の序盤はレンの予想通り、エドガーが圧倒的に押していた。
威力もそして刀弥が得意とする速度すら上回るエドガー。策を弄しようとしても経験の差が逆に圧倒的な溝を露呈させていく。
予想通りの結果。それがそれまでの流れを見たレンの感想だった。刀弥の体にエドガーの必殺の一撃が入ったのは丁度そんな時である。
倒れていく刀弥の体。けれども、彼はいきなりそこから復帰し再び戦いを始めた。
初見の技を用いた対応不能の攻撃。攻撃を敢えて受けての反撃。勝つために無茶とも思える行動を用いていく刀弥。そういった手段を行った結果、彼は勝利を手にすることに成功した。
この結末にはレンも驚くしかない。どう考えても厳しいと思っていた相手に刀弥は勝ったのだ。つい、自分と彼との違いはなんだったのだろうかと考えてしまう。
最初に浮かんだのは初見の技を用いるという策を浮かべた頭脳とその技術。だが、レンはこれを即座に否定する。彼のあの時の強さの秘密はそんな理屈的なものではないと直感したからだ。
けれども、そこから先、考えど考えど何も思いつかない。遂には考えることを諦めてしまうほどだ。
結局、彼女は彼と戦う日がくればわかるんじゃないかという結論に落ち着いた――そういうことにして考えることから逃げだした――。昔から己の練磨以外のことで深く考える事は得意ではないのだ。
空を見上げる。自分の世界とは違う、けれどももはや見慣れてしまった星空がそこにはあった。
強くなるために旅立ち、それなりの年数が既に経過している。その間に幾度もの出会いと別れがあった。
今回の彼との出会いは自分の強さにどのような影響をもたらすのだろうか。
浮かぶそんな思考。そう考えると彼と戦える日が楽しみになり、ついにはじっとしているのが我慢できなくなってしまう。
既に十分な休憩はとっていた。なら、迷う必要はない。
そうしてレンは立ち上がると、すぐさま練習を再会するのであった。
四話終了
これにて四章四話は終了です。
次回は四章五話となります。
そして四章はこれで最後の予定です。