四章三話「天馬の魔術師」(6)
「ふぅ、さすがにちょっと疲れたかな」
浴場の更衣室でリアは我知らずそんな事を呟く。
現在、彼女は浴場に来ていた。
刀弥と合流した後、二人は適当な食事処で夕食を済ませ宿屋へ帰宅。そこでそれぞれの部屋へと戻った。
その後、リアは寝る前の準備として浴場へと向かい、現在に至るのである。
ここの宿屋は浴場が男女別の共同と少し珍しい形をとっていた。そのため、浴場の浴室は複数人が入っても大丈夫なようにかなり広めの空間となっている。
リアにしてみれば、こういう宿屋は既に何度も経験があって慣れているので他者に肌を見せることに抵抗はない。むしろ、浴場が広い分ゆったりできるというものだ。
衣服を脱ぎながらリアは今日の刀弥の試合を思い返す。
空から攻撃ができる魔術師と地上戦の武術使い。相性として考えれば今回の対戦相手は最悪の相手だ。しかし、刀弥はそんな不利な相手から勝利することができた。
取得した斬波の応用と観察、分析を用いた戦略構築。今回の試合はそれらが最も光った試合だったとも言える。
――確実に腕を上げていってるっていう事かな。
自分も追い抜かれないように頑張らないとなと自分を奮い立たせるリア。
そうして彼女は浴場へと入り……そして固まった。
「お、リアも来たんだ」
浴場には先客がいた。レンだ。彼女は体を洗っていたようで体中泡に塗れている。
だが、リアが固まっているのはレンがいたからではない。彼女が固まったのはレンの『それ』を目の当たりにしたからだ。
「あの……レンさん。それは……」
目をそらせない。それ程までにそれはリアにとって衝撃的な光景だった。
一方のレンは一体何を驚いているんだろうという疑問を顔に出している。そうしてから彼女はリアの視線を追い……その驚きの理由を察した。
「ああ、これか」
リアの視線の先にあったもの。それは彼女の胸元に刻まれた大きな傷跡だった。
左右に一つずつ付けられたそれは、まるで――
「邪魔だったから切り落としたんだ」
その思考の続きをレンがあっさりとまるで『髪を切ってみたんだ』みたいな軽い口調で口にする。
そんな彼女の返答に苛立ちリアは思わず怒鳴り声を上げてしまった。
「何を考えてるんですか!!」
浴場に響き渡るリアの怒鳴り声。幸いここにはリアとレンの二人しかいないが、もし他の人間がいたらビクつき反射的に声の聞こえた方を振り返っていただろう。
レンはと言うと何故自分が怒鳴られたのかわかっていないのか呆然とした面持ちでリアの方を見ていた。
「ええと、リア。何で怒ってるの?」
どうやって考えても怒られた理由がわからなかったらしい。尋ねてくる顔がそんな感情を表している。
そんな彼女の態度にリアは呆れの溜息を吐いてしまった。
ともかくこんな場所に立ちっぱなしというの疲れる。なので、とりあえずリアは浴槽に浸かって落ち着くことにした。それを見てレンも泡を洗い流して浴槽へと入っていく。
湯の温度は丁度いい暖かさだった。おかげで体や気持ちから余分な力が抜けていく。
そうしてひとしきり湯槽を満喫したところで、リアは先程の話の続きを始めることにした。
「あのね。レン。やっぱり、そういう部分って女性にとって大切な部分だと思うの。だから、それを気軽に切り落としたって言うのは私的にはおかしいと思うんだ」
「う~ん。まあ、リアにとってはそうなのかもね。でも、あたしとしてはやっぱり邪魔だったしな~」
そう言って困ったような顔を浮かべるレン。
けれども、リアにしてみればレンの考えのほうが困った内容だ。
「私にしてみれば邪魔と考えられる方が驚きなんだけど……」
「そう? 槍とか振ってるとすっごく邪魔に感じたんだけど、これがなかったら『もうちょっとだけ』速くなるのになんて何度思った事か」
「……その『もうちょっとだけ』のためだけに切り落としたの?」
レンの言葉を聞いて苦笑していたリアの表情がピタリと止まる。
たった『もうちょっとだけ』の速さのために彼女はそれを切り落としたというのだろうか。
リアにしてみればそれはどう考えても釣り合いのとれる内容ではなかった。
しかし、レンにとっては違うらしい。
「ん? そうだけど?」
何、当たり前の事を聞いてくるんだという顔で答えてきた。
この返答にリアは最早脱力するしかない。
「あたしにとっては自分は戦士だからね。男とか女とか関係なく、ただ戦士としての最善を尽くしていくだけ。むしろ、性別なんて捨てたいとも思うくらい邪魔かな」
どうやらレンは自身をあまり女性として意識していないらしい。けれど、どういったところで彼女が現実女性であることには変わりない。その事について指摘してみる。
「だけど、どう言ったところでレンが女性であることに変わりはないよ?」
「まあ、そうだね。実際、継手は望まれてるしね」
すると、リアの問いにレンは素直に肯定を返した。その上で彼女の言葉は続く。
「でも、戦士としての都合と女性としての都合が折り合わない場合、できる限り戦士としての都合をとっていきたいとは思ってるかな」
「ふ~ん」
やはり、その辺の感覚はリアにはわからなかった。
リア自身、魔術師としての実力はやっぱり上げたいとは思っている。それは自分が魔術師としてやってきたという事もあるし、家が有名な魔術師家系なのでその名に恥じないようにという思いもあるからだが、レンのように大切なものを犠牲にしてまで伸ばしたいとは一度足りとも思った事はない。
けれども、やはりそう考える人はいるのだろうなと漠然とした思考でそう思いもした。
ただ強さを求める。それが目的なのか手段なのかは不明だが、確かにそういう人達はいるのだ。
強くなるためにただひたすら腕を磨き、強くなるためにただひたすら戦いに明け暮れる。時には倒すべき強者を求め、時には学ぶべき師を求める。
彼らの行動原理は基本的に強くなるためのものなのだ。
そういう意味では確かにレンもそこに入るのかもしれない。
「ちなみにレンは何のために強くなるのか理由はあるの?」
「ん~。理由って言っていいのかわからないけど、家がそういう風潮だからかな。おかげであたし自身もそういう考えを持つようになってたし……」
それって理由なのだろうかと思ってしまったが、人それぞれだと考えて疑問は無視する。
「レンの家って皆そんな感じなの?」
「う~ん。人それぞれかな。リアみたいに旅の方を楽しんでいる奴もいるし、目的があって強くなろうとしている奴だっている。正直言えばあたしみたいな感じの方が少数なんだよね」
頭を掻き苦笑するレン。
「そうなんだ」
そんなレンの返答にリアは少しだけ安堵した。
「リアは強くなりたいとは思わないの?」
「レン程最優先って訳じゃないだけかな。旅をするなら自衛手段は必要だし、それを考えたら強さはあるだけあったほうがいいからね。でも、そのために目的をおざなりにしちゃったら結局本末転倒になっちゃうし」
「あ、そっか~」
ポンと手を打つようにレンはリアの言葉に納得する。
「だから、私にとっては強くなることは『手段』であって『目的』じゃないの?」
「なるほどね」
そうして彼女は天井を仰いだ。
「そうなるとあたしは強くなることが『目的』になっちゃうのかな。実際のところさっきの理由じゃあ目的とは言えないし」
「まあ、そうかもね」
苦笑いを浮かべ答えるリア。実際あれは理由なのかと疑問に思った彼女としてはレンの言った通りの事を考えていたからだ。
「じゃあ、そうなると刀弥はどっちなんだろう?」
「刀弥かあ。う~ん」
と、レンが別の人物について問うてくる。そんな彼女の問いにリアは自然と腕を組み考え込み始めた。
思い出すのはエアゲイル戦の時に抱いた感想。あれを考えると彼は『目的』として強くなることを求めているような気がしてくる。
でも、リアの心情としてはそうであって欲しくはなかった。
目的として強さを求める人間は強さを求めるあまり他を顧みないところがある。
見ようによってはそれだけ強くなることに純粋だと言えるかもしれないが、場合によっては強くなるために倫理すらを捨て去ろうとする人物までいるのだ。
強くなれるのであれば、誰が死のうが誰が悲しもうが関係ない。実際、そういう人物は確かにこの無限世界に存在していた。
幸いリアは出会ったことはないが、運が悪ければその強さの贄にされるかもしれない。それ程までに強さを『目的』とすることは危ういのだ。
リアはレンを見る。
現状のレンは恐らく強くなるために倫理を捨てるという事はないだろう。
確かに強くなる事を女性であることよりも優先しているが、それでも日常をしっかり楽しんでいるところなどを見ているとまだ大丈夫だとなんとなくそう思えてくるのだ。
「? リア?」
一方、いきなりリアに見つめられたレンは首を傾げて声を掛けていた。
それでリアは我に返る。
「あ、ごめん」
反射的に謝るリア。
そんな彼女にレンはすぐさま気にしていないというジェスチャーを返した。
「いや、謝らなくていいから……それで刀弥は?」
先程の問いをレンは繰り返す。
それでようやくリアは先程の話の内容を思い出した。
「えっとね、ごめん。『まだ、どっちなのかわからない』っていうのが正直なところかな。無限世界に来てからそれなりに日は経ってるけど、これからの自分についてはまだ定まってないみたいだから」
レンの問いに答えながらリアは何で気が付かなかったかなと自分を心の中で叱る。
未だ世界に戸惑い、己の道すらまだ定まっていない少年。それが現在の刀弥だった。
それなりに日数は経っているが、それで新たな道筋を決められるかといったらかなり微妙だ。生きた時間に対してここで過ごした時間の方が遥かに短いのだから、それは当然だろう。同じ立場ならリアでも困ってしまうかもしれない。
けれども、気のせいだろうか。最近、彼の様子が以前とは違ってきているような気がリアにはしていた。
今まであれば常に忙しなく周囲に動いていた視線。それが最近になって落ち着いてきている。周囲の情景を眺めるだけだったのが、何か脳内で別のことを考えているのだ。
他にもある。訓練時、最近の刀弥はいろんな事に挑戦するようになっていた。内容は思いついた内容を試してみたり、自己ベストの更新だったりといろいろだ。大半は失敗したり意図通りにいかない事が多いが、それでも諦めることなく何度も挑戦し続けていた。
この他にもいろいろあるが、それらを思い出してリアは確信する。
彼は間違いなく変わってきている。
世界に触れ、人々と語り合い、様々な出来事を体験していくことで、僅かではあるがそれは確かに刀弥に何かしらの影響を与えた。
それがこの場所に来て目に見える形になってきている。ひょっとしたら新しい己の道筋を決めるのもそう遠いことではないのかもしれない。
「そっか~」
リアの返答にレンが言葉を返す。だが、リアは聞いていない。彼女は今別のことを考えていたからだ。
願わくばその道筋が彼にとって幸ある道筋であることを……
友人の言葉を聞き逃した少女は心の中でそんな事を願っていたのだった。
三話終了
毎度毎度、読んでいただきありがとうございます。
これで三話は終わりです。
次は四話です。
新たな戦い。どうぞお楽しみにお待ち下さい。