四章三話「天馬の魔術師」(5)
四章三話は次のラストの予定です。
眼前の天馬を追い掛ける刀弥。
現在、天馬は翼を僅かに広げた状態で疾走している。
翼を完全に畳んでいないのは恐らく、左翼に刺さった多目的ナイフのせいだろう。
完全に翼を畳むとナイフが畳んだ翼や体に当たって天馬の痛覚を刺激する。それで僅かに広げた状態にしているのだ。
完全に畳んだ状態と比べると空気抵抗のせいで間違いなく速度は落ちている。だが、それでも速度は向こうの方が上だ。
その証拠に両者の距離は徐々にだが確実に離れていっていた。
そうなるとどうにかして相手の足を止めるしかない。
単純に斬波を撃ったところでセレンに迎撃されるのは目に見えている。そうなると相手の隙を見つけてそこを突くしか手がないだろう。
状況的には未だ厳しいことには変わりない。で、あるというのに何故か心は高揚していた。
まるで物語の佳境を見ている時のようだ。話が盛り上がり、次はどうなるのか、その行動に対し登場人物がどう動くのか、そう思いながら次へ次へと動く視線。今の状況はあの時の気分によく似ている。
あれと違うのは、行動を決め結果を体験するのが自分という点だ。さらにいえば得られる結果が必ず良い事になるとは限らないという点も違うといえるだろう。
この内にある思いはなんだろうか。
瞬く時間の中でそんな疑問が刀弥の頭に浮かぶ。
熱く、燃えるような、けれども、凄惨な感じではなく、むしろ坂を駆け下りるような爽快な感覚。
そんな感覚が今は言語化できない。
だが、それでも――
それは確かに心地良いと思えるものだった。
と、そこへ天馬の上からセレンが風の矢を放ってきた。
散弾状に散らばる風の矢。これだけ広いと範囲の外へ逃れるのは難しい。どうやらこちらに防御をとらせることで足を止めるのが狙いのようだ。
だが、刀弥はあえてその選択肢を選ばない。彼が選ぶのは回避だ。
風の矢の散弾である以上、狭いながらも隙間は確かに存在する。ただ、その隙間が人の大きさほどないだけだ。
で、あるならばその隙間を大きくすればいい。
飛び上がり体を回して斬波を放つ刀弥。着地と同時にすぐさま走るのも忘れない。
放たれた斬波は風の矢の一つとぶつかり相殺。散弾の壁に小さな穴が生まれた。
だが、それでもまだ足りない。人が通れる隙間を作るなら、後二つ風の矢を撃破しなければならないからだ。
すぐさま二撃目、刀の投擲を始める。
回転しながら目標へと飛んでいく刀。その先には当然風の矢がある。
結果は見るまでもなかった。刀が風の矢を撃墜。その衝撃で刀は放物線を描き、逆回転しながら刀弥の方へと戻ってきた。
そんな刀を刀弥は右手で掴み取り前を見据える。
彼の正面、そこには避けるために落とさなければならない風の矢があった。
高さは腰辺り。微妙な高さのせいで潜ることも飛び越すこともできない。
姿勢はまだ整っておらず、そのせいで斬波や投擲は難しい。けれども、迎撃する宛なら既にあった。
直後、鈍い音が刀弥の足元から響く。
音の正体。それは刀弥が何かを蹴った音だった。蹴った物の正体は戦いの中でできたバトルフィールドの残骸。大きさとしては拳より一回りほど大きいそれを刀弥は風の矢に向けて思い切り蹴りあげたのだ。
風の矢は勢い良く飛び上がった残骸と衝突。残骸を砕き、それと共に消滅したのであった。
これで入り込むための隙間ができた。迷わず刀弥はそこに体を飛び込ませる。
上左右を通り過ぎていく風の矢群。と、何を思ったのか突然、刀弥は身を振り回し始めた。そのまま彼は傍らを過ぎ去ろうとしていた右の風の矢を刀で振り抜く。
衝撃が刀を伝って走ってきた。腕が痺れを訴えてくるが、その衝撃の反動で体が押され彼の速度がさらに上昇する。
そうして彼はそのまま空中で体を正面へと振り向かせると、その速度の状態で地面を踏みしめた。
外部からの加速の干渉によって体の動きが速度についていけず、体がバランスを崩し前へと倒れる。
迫る地面。しかし、刀弥は構わず足を踏み切った。
衝撃による加速、重力による加速、さらに踏み切った足による加速。三つの加速が一体となってこれまでにない速度を生み出す。
一瞬だけ拮抗する速度。だが、それはほんの一瞬のみだった。次の着地時には再び距離が離され始めてしまう。
そして刀弥の方も着地の際に己の速度を体で制御しきれず前転。己自身の速度によって前方の宙へと投げ出されてしまった。
この失敗に心の中で悔しがる刀弥。当然相手もそんな隙を見逃すはずがない。
すぐさまセレンが振り返り風の矢を放ってきた。
数は九つ。転がる事を想定してか低空を横一列に並んで飛翔してくる。
そんな攻撃を刀弥は逆さの背中越しに感知していた。
現在、体は腰を軸に回転しているという状態だ。高さとしては体一つ分が地面と体の間に入れるかという位置。このままだと腰から下をまともに打ってしまうだろう。
そうなれば立ち上がる間もなく風の矢を受けて負傷。勝てる確率が大幅に減ってしまう事は間違いない。
だが、刀弥が何かをする様子はなかった。
彼はそのまま腰から下を打ちつける。
すぐさま起き上がろうとする刀弥。そんな彼へ直線上にあった風の矢が襲いかかった。
最早、起き上がろうとしたところで間に合わないだろう。闘技場の誰もがそう思った。
しかし、その予想は意外な形で裏切られる。彼に迫っていた風の矢が突然、障害物にぶつかり消え去ったからだ。
障害物の正体は両者の間に回転しながら落ちてきた刀弥の刀。
なんと、彼は背中越しに攻撃を感知した瞬間、両手で持っていた刀を放り投げていたのだ。耳にした音から攻撃の位置を正確に把握。そこから自分に当たりそうな風の矢に当たりをつけると、その間へ落ちるように刀を上へと放棄。
観客は前転という無様さが印象について、セレンの方は刀弥の体のせいでその感知に遅れてしまったのだ。
衝突の反動で逆戻りように返ってくる刀弥の刀。その頃には刀弥は既に起き上がっており、右手を伸ばしてそんな刀をしっかりとキャッチする。そうして素早く左手を添えると顔を上げ正面、戦うべき相手へと向かってすぐさま走り始めた。
セレン達の方はというとバトルフィールドの端に到達し右へと向きを変える最中。どうやら以降は外周を回りながら攻撃をするというらしい。
そうはさせじと行き先に斬波を放つ刀弥。しかし、それは相手も想定済みだったようだ。セレンが風の斬撃を放ち、斬波を迎撃した。
それを気にすることなく刀弥は天馬を追い掛ける。けれども、やはり天馬に乗っている相手のほうが速い。内周をとっているにも関わらず両者の距離は離されていくのが視界からでもわかってしまう。
どうするかと刀弥は思案する。
このまま追ったところで追い着かないのは目に見えている。けれど、足を止めればそれこそセレンに逃げる以外の行動をさせることになってしまうだろう。
バトルフィールドはそれなりに広いのでショートカットしたところで簡単に追い付けるものではない。逆走などしても対面する事などまずないだろう。
と、そこまで考えた時だった。ふと、刀弥の頭の中に奇策が思い浮かぶ。
こちらを気にしているセレンだからこそ、通じるかもしれない策。しかし、そのためには向こうにあるものを気付かれない必要があった。
セレンが風の斬撃を撃ってくる。
相手の動きを妨害するように最短距離場を走る風の斬撃。
それを刀弥は現在の軌道から後の軌道を推測し、安全地帯に飛び込むことで回避した。
この間も彼の思考は続いている。
勝負をしかけるのに理想的な状況、そこからの流れ、そしてその理想的な状況を起こすために必要となる下準備。
奇策を成功させるために必要な要素をクリアするべく、刀弥は分析を元にした試行錯誤を頭の中で繰り返す。
失敗、失敗、第一段階クリア、失敗、第一第二段階クリア、失敗……
繰り返される仮想の敗北。それに挫けることなく彼は思考を続ける。
と、今度は風の矢が刀弥に迫ってきた。
今度のは数が多い。合計五〇本。それが頭上へと昇り、そして雨のように降り注いできた。
確実な対処は安全地帯を見つけてそこで足を止めること。だが、それこそが相手の狙いだ。距離を離し、その上でさらに攻撃を見舞う。足止めと本命のための仕込み。それがこの攻撃だ。
故に刀弥は足を止めないという選択肢を選ぶことにした。
彼は掻い潜るように風の雨の中を通り抜けていく。
体を傾けたり、ステップで横へと移動したり、身を低くしたりして攻撃を避けていく刀弥。
そうして彼は風の雨の中を抜け出たのであった。
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セレンはそんな刀弥を見て厳しい表情を浮かべる。まさか今のを無傷で抜けられるとは思ってもいなかったからだ。
どうやら攻撃の軌道をかなり精確に把握しているらしい。そうなると数に頼った面攻撃では今後も抜けられてしまう可能性が高いだろう。と、なるとトランプルエアのような隙間のない範囲攻撃で攻撃するしかない。
けれども、それには問題があった。
セレンが取得しているその系統に属する魔術はそのほとんどが長い魔術式構築時間を必要とするのだ。
攻撃は天馬が避けてくれるとはいえ、それは生存本能から来る考えなしの回避。下手をすればそれを悪用され追い込まれる可能性もある。下手な使用は避けたいのが本音というところだった。
どうするかと思案するセレン。そんな時だった。
突然、刀弥が視界から消えたのだ。
用いたのは瞬間移動術の類なのはすぐに理解できる。しかし、それなら移動後の彼の姿が視界内に映らないのはどういうことか。
いきなりの事態に戸惑うセレン。だが、その疑問はすぐに晴れた。自身に近づいてくる足音が聞こえたからだ。
それで彼が己の死角、天馬の右翼の向こうにいるのだと理解する。なんてことはない彼は瞬間移動術でこちらの影に隠れただけなのだ。
完全に畳むと左翼に刺さった短剣が体に当たると思い僅かに広げさせたままにしておいたが、それが裏目に出る形となった。
ただ、場所がわかれば見えていようといまいと関係ない。すぐさまセレンは風の矢を放った。
その直後、回避のために死角から刀弥が飛び出してくる。
右へと飛んで回避した彼は再び疾走。その最中に再び斬波を放ってきた。
セレンは天馬を飛び上がらせ、これを避ける。
天馬の下を潜るように通り抜けていく斬波。
それをしりめにセレンは新たな魔術式を構築した。
放たれるのは風の砲撃。しかし、刀弥は発射の直前にそれを察知し縮地で左へ移動。悠々と風の砲撃を回避した。
魔術が見切られ始めていることにセレンは内心焦る。
別性能の魔術を使用すれば多少は対処に時間を食わせることはできるだろう。だが、それも恐らくできて初見だけ。二度目はまず通じないに違いない。
些細な情報を見逃さず捉える観察力。その高さにセレンは感嘆する。
けれども、そうなると相手はその観察力を武器にこちらの攻略を考えているはずだ。守りばかりではいずれは倒されてしまう。
早々に反撃の手を考えなければ現状が有利でも敗北するのはまず間違いなく自分だ。かといって下手に撃てばその分だけ相手に情報を与えることになる。
守るだけでも敗北、無用な攻めでも不利になっていく。彼女にしてみればどちらが有利な立場にいるのかわかったものではない。
妙案が浮かばずセレンの顔は厳しいものに変わっていく。
と、そこに刀弥が再び斬波を放ってきた。
今度の斬波は直進後、直角に左へと折れ曲がり左翼の影へと入っていく。恐らく影に入った瞬間に軌道は再びこちら、左翼の影に隠れながらセレンに迫る軌道へと変わったはずだ。
視認させないことで軌道をわからなくし回避のタイミングを掴めなくさせる。飛べない現状では確かに有効な策だ。
けれども、それは左翼に隠れている間だけだ。ならば、左翼の影から出してしまえばその策も無意味とかす。
故にセレンは手綱を引き、天馬の速度を緩めることにした。
速度が落ちれば当然、相対速度が変わるわけなのだから斬波は速度が合わず翼の影から飛び出してしまう。
そう考えてのセレンの行動。だがしかし、その考えは失敗に終わった。なんと斬波は左翼から飛び出ず天馬の動きに追従してきたのだ。
斬波の原理上、魔術のように誘導などできるはずもない。考えられる理由としたら放った刀弥がこちらの動きを読んで事前に残波の動きを制御したという一点のみ。
しかし、そうなると既に刀弥はセレンの動きのタイミングや思考まで見切っているという事になってしまう。
背中を伝う寒気。けれども、そんな事に意識を囚われている場合ではない。すぐさまセレンは新たな対策で対処しようとする。
次に行ったのは風の矢による範囲での迎撃。
どこにあるのかは大体わかっているのだ。ならば、後はその場所全域に目掛けて攻撃を放ち撃ち落せばいい。
その通りのことをセレンは実行した。
風の矢群がバトルフィールドを砕くように貫いていく。そしてそのうち一つが他とは違う反応を起こした。どうやら見事迎撃に成功したらしい。
だが、安心はしていられない。このままでは敗北も時間の問題だ。何とか反撃の手を考えなけれならない。
そうしてそのための思考を行おうとするセレン。
しかしその時、天馬が突然飛び跳ねたかと思うと着地の瞬間、右へと倒れ始めたのだ。
突然のことにセレンは困惑するしかない。
傾いた天馬はそのまま横転。投げ出される形となったセレンは右肩から床にぶつかったのだった。
急ぎセレンは起き上がろうとする。理由はわからないが自分は今倒れているのだ。ならば、相手は追撃を仕掛けてくるに違いない。
その通りの事が起きた。刀弥が追撃の斬波を放ってきたのだ。
斬波はただ真っ直ぐ迫ってくる。小細工なしの攻撃で一気に決めようという腹だ。
セレンは転がるようにして飛び込み、それを避ける。彼女の足の裏を刀弥の斬波が通り過ぎていく。
そうして攻撃を躱したセレンはすぐさま反撃の魔術を撃とうとした。
魔術式は起き上がっている最中に既に構築を開始している。追撃を回避した後の反撃。それが即興で彼女が組み立てた戦略だった。
放つのは最少の早さで撃てる単発の風の矢。見ると刀弥はこちらに接近しようと全速力で走っている。距離も近い今ならば反応、回避という流れも難しいはずだ。
けれども、刀弥は放つ直前の着地で既に動いていた。
速度を落とさず急速方向転換。これにはセレンも追い切れなかった。放たれた風の矢は刀弥のいない進路を飛んでいく。
慌ててセレンは体を刀弥の消えた方向、すなわち左手側へと向けさせた。
所々、ボロボロになったバトルフィールドの床。その上を刀弥はこちらに向かって走ってきている。
既に刀は水平に大きく構え、いつでも振り抜ける態勢だ。
そして彼女が刀弥の構えを認識した瞬間、刀弥はセレンに向かって文字通り飛んできたのだった。
風野流剣術『疾風』
痛みはなかった。当たる直前で失速し止まっているのだから当然だ。
セレンとしても言うことはない。どう見ても結果は明らかだからだ。
そしてそんな彼女の思った通り、審判が刀弥の勝利を叫ぶのであった。
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試合の結果が響くと、観客達は様々な反応を返してきた。
勝利を祝い拍手を送ってくる者、賭けに負けたのか溜息を吐いて席から立ち上がる者、試合の内容に満足して帰っていく者。
そんな彼らを横目に見ながら刀弥は歩いている。目的地は鞘の落ちた場所だ。
そうして鞘の元に辿り着くと刀弥それを拾い、紐を腰に回す。そうした後で彼は右手に持っていた刀を鞘の中へと納めていった。
「なるほど。死角に隠れた理由はこれだったのですね」
と、そこでセレンが話し掛けてくる。彼女の視線は天馬の右前足に向けられていた。
天馬の右前足にあるのは切傷。これが天馬が転倒した理由だった。
「死角に隠れた瞬間、後ろに斬波を放ち正面へと回りこませる。追い掛けるのではなく、逆走させることで先回りしたわけですか。それも天馬が跳躍で避けることも前提にした上で」
「まあ、そういうことです」
彼女の確認の問いに刀弥は肯定を返す。そう、それこそが刀弥の狙った奇策だった。
追い付けないのであれば先回りするしかない。しかし、問題は気が付かれれば簡単に避けられてしまうという点だ。
そのため、刀弥はどうにかして相手に斬波を気取られないようにする必要があった。故に彼は翼の影に隠れたのだ。
後はただ相手の意識を自分に集中させればいい。
残波の攻撃はそのためのものだったのだ。
そうして彼の狙いは成功した。斬波は正面に回り込み、天馬は跳躍で回避しようとするがそのタイミングで残波の軌道が上へと変更。見事天馬の右前足を負傷させて転倒を促したのだ。
「なんといいますか。見事としかいいようがありませんね」
「ありがとうございます」
褒められて悪い気はしなかったので、素直に礼を返す。
「それとすみません。大切な相棒を傷つけてしまって」
「お気になさらずに、ここに出場する以上は覚悟してますので」
と、そんなやり取りをしていると、闘技場の入り口から荷台のある乗り物がやってきた。
どうやら負傷した天馬を運ぶためのものらしい。
それを見てセレンは刀弥に頭を下げる。
「では、私はあの子に付いて行くので失礼します」
そう言うとは彼女は足早に乗り物の方へと駆けていった。
刀弥はそれを少しの間見送っていたが、別にここに居残る必要がないことに気が付くと入口の方へと振り向き歩き出す。
きっと、選手控室を出たところでリアが待っているだろう。
開口一番に彼女が掛けてくる言葉は何か。それを想像しながら刀弥はバトルフィールドを後にしたのだった。