三章二話「斬波」(5)
翌日の昼過ぎ頃、刀弥とリアはリリスに案内され彼女の自宅にやってきていた。やってきていたのだが……
「……酷いな」
そう呟いて呆れる刀弥。
それが彼女の家を見た彼の感想だった。
今、彼の目の前にあるのはリリスの家の玄関――のはずだった。
はずと付いたのは書類やパーツなどがそこら中に散らかっているせいで、足元が見えないためだ。
彼女の家の中は酷い有様だった。
そこら中に物が溢れかえっており、もはや足の踏み場もない。
異臭がないのは不幸中の幸いだが、むしろなんでないのかと逆に疑問を抱いてしまうくらい酷い惨状だ。
「ちょっと、散らかってるけど、気にせず上がって~」
己の自宅の惨状に自覚がないのか二人の唖然とした表情すら気にせず、リリスはそう言うと己が作った障害物と軽々と避けていく。どうやら自然と体が覚えているらしい。
とはいえ、刀弥達にそんなスキルはない。当然のように障害物を避けるのに四苦八苦する羽目になった。
「きゃっ!?」
「っと!」
書類を踏み、足を滑らしたリア。そんな彼女を刀弥が支える。
「大丈夫か?」
「うん」
「紙の下にも何かあるかもしれない。気を付けて歩かないといけないな」
溜息と共に刀弥はリアに注意を促すと、一人先に進んだ。
「俺が先に歩くから、リアは俺が踏んだ所を歩いてくれ」
「わかった。ありがとう」
笑みを浮かべたリアはそうお礼を言って、刀弥の言った通り、彼が踏んだところを歩いて行く。
そうしてようやく二人はリビングに辿り着いた。
「リビングに来るのにも一苦労だな」
「え? そう?」
意外という顔を見せるリリス。それに対して刀弥は睨みつけたい衝動に駆られるが、なんとか自制を効かせて嘆息で我慢する。
それに気が付かないリリスはそのままソファーまで近づくと、その上に載っていた物を床に落としていった。
「じゃあ、ここに座って待ってて」
そうして彼女は二人に着席を促すとリビングのさらに奥へと入っていく。
それを追いかける気にもなかった二人は彼女に言われた通りソファーに座って待つことにした。
しばらくしてリリスが戻ってくる。
「おまたせ。はい。これが報酬」
そう言って彼女は布袋を差し出してきた。
すぐさま刀弥は中身を確認してみる。すると、かなりの金額が布袋の中に入っていた。
「確かに。でも、なんでまた自宅なんですか? 報酬を渡すだけなら宿屋に来た時でもよかったような気がしますが?」
布袋を閉じながら首を傾げる刀弥。
それは昨日、話を聞いた時から思っていたことだった。
昨日はゴーレムとの戦いで疲れていたこともあって尋ねなかったが、やはり気になる。
故に、今尋ねたのだ。
そんな彼の疑問にリリスは苦笑交じりに答えを返した。
「まあ、そうなんだけどね。でも、それでお別れもなんか寂しいかなと思って……いろいろと話聞いてみたかったし」
その答えに刀弥は納得する。
恐らく本音は後半部分なのだろう。
リアの方を見ると彼女は『どうするの?』という感じの視線を刀弥に向けて投げ掛けていた。
その視線に刀弥は肩をすくめて答えると、そのままソファーにもたれる。リリスの招待を受け取ることにしたのだ。
それを見てリアもまたソファーに体を預ける。
「それで、お茶くらいは出てくるのを期待していいんでしょうか?」
「……ああ!?」
どうやら忘れていたらしい。再びリリスは奥へと走っていく。
そんな彼女を見て、刀弥はリアと顔を見合わせ微笑み合うのであった。
――――――――――――****―――――――――――
「ごめん。おまたせ~」
しばらくして、リリスがカップを載せたお盆を持って現れた。
そのまま障害物をないかのように歩き抜けると、お盆に載せていたカップを二人の前に差し出す。
そうしてから彼女は向かい側のソファーに回り込むと、そのままそのソファーに座り込むのだった。
「で、なにが聞きたんだ?」
「ぶっちゃけると他の世界の文明かな? どんな仕組みなのか知っているなら、なおいいわね」
どこかワクワクした様子を見せるリリス。かなりこちらの話を楽しみにしているようだ。
「そうなるとリアに頼むしかないな。俺が知ってる世界はここで三つ目だしな」
「だね」
刀弥の言葉にリアが同意した。
そんな二人のやり取りにリリスは首を捻る。
「どういうこと? 刀弥君って旅を始めてそんなに経ってないの?」
「えーと……まあ、そうですね」
一瞬、渡人のことを言おうかとも思ったが、なんだか変に食いつかれそうな気がしたのでそのまま黙っておくことにした。
「それじゃあ、リアちゃん。お願いね」
「はい」
笑みを見せて応えるリア。
そうしてリアの話が始まった。
リリスの要望通り、各種の文明の特徴や仕組みなども覚えている限り彼女は話していく。
刀弥としても面白いと思える内容で、自然と気になったことや疑問に思ったことをリアに尋ねていた。
リアは丁寧に推測や私見であることを断った上で答えていく。時たま、自分の出会った出来事などを話しては二人を楽しませた。
かなり話し上手だ。彼女の話を聴きながら刀弥はそう思った。
性格が明るいだけでなくここまで話し上手だとこれまで彼女が出会った人たちは皆、彼女に好意を抱いただろう。
無論、男女間という意味でなく他者への評価という意味でだ。最もそういう感情を持った人がいないとは言い切れないが……
無意識のうちに刀弥は複雑な表情を浮かべてしまう。
そんなこんなで時間が過ぎていき、リアの話も終わりを迎えた。
「以上が私が話せる全部です」
「ありがとね~。リアちゃ~ん」
手を合わせてリリスがリアに感謝する。
「いえ、どういたしまして」
そんな感謝をリアは笑顔で受け取った。
「俺としても面白かったな。しかし、やっぱりゴーレムはいろいろなタイプがあるんだな」
マナで動く物、電気で動く物、液体燃料で動く物から、術式回路を用いた思考機関、無論、電子的な機関ももちろん存在する。
広い世界故に様々な物が生まれ利用される世界。改めて刀弥はその世界の広大さを実感した。
それはリリスも同じだったようで、何度も頷きつつ口を開く。
「私としても興味深かったわ。あまり外のことには興味なかったけど、私の夢のためにもいろんな知識をつけておくべきなのかもね」
「夢、ですか?」
彼女の漏らしたその言葉にリアが反応を示す。
「そう、夢。私の夢はね、この世界の謎を解いてみせるっていう夢なの」
そう語るリリスは声色はどこか熱を帯びており、その夢を本気で叶えようとしていることが二人にもすぐわかった。
「私ね。小さい頃からわからないことがあったら、自分で調べて答えを見つけてきたの。魔具の仕組みとかゴーレムで使われている機関の構造とか……」
と、そこまで話したところで、リリスは一旦カップに口を付けてお茶を飲んだ。そうして一息ついた後で彼女は話を再開させる。
「でね、ある日自分の世界について知りたくなったの。でも、調べても調べても答えが見つからない。当然よね。その時、何にもわかってなかったんだもの。それでね、思ったの。『なら、このわからないことは私自身の手で調べて解いてやる』って」
「それ以来、ずっとその夢を叶えようとしていたんですか?」
その問い掛けにリリスが頷きを返した。
「私の努力のおかげか、ある程度は前進はあったのよ? ただ、全てがわかったわけじゃない。だから、まだ夢は叶ってないと言えるかな」
「……なんて言うか、素敵な夢ですね」
笑顔でそんな言葉を返すリア。その返答にリリスは少し恥ずかしくなったのか少しだけ顔が赤に染まった。
慌ててそれを隠すように彼女は新たな質問を投げ掛ける。
「そう言う二人の夢は何?」
それにいち早く答えたのはリアだった。
「私はいろんな世界を巡ることですね。見知らぬところを旅するのが好きなので」
「へ~。旅人らしい夢というべきなのかな? すっごい楽しそうな夢ね」
「リリスさんの夢には負けますよ」
そんなやり取りで話が盛り上がっていく二人。
それを刀弥はなんとも言えない顔で見つめていた。
正直に言えば、刀弥は夢を抱いたことがなかった。
元の世界にいたとき、将来は剣術を活かせる道に就きたいとは思っていたが、刀弥にしてみればそれは将来的な打算であり夢とは違うという意識を持っている。
そもそも刀弥にとって夢とは現実性のない過大な願いみたいものと思っていたので、それを真面目に考えたことなど一度たりともないのだ。
ただ、楽しそうに夢について語る二人を見ていると少し、ほんの少しだけ夢を持つ二人が羨ましいと思ってしまった。
と、その時、リリスが刀弥の方を見る。
「で、刀弥の夢は?」
「え? ええと……」
突然、振られたその問いに刀弥は我にもなく戸惑ってしまった。
夢を持っていない以上、ないとしか言えないはずだ。
けれども、先程の二人を見ていて、そう答えることに何故か刀弥は躊躇いを覚えてしまっていた。
「……すみません。正直に言えば、夢と呼べるようなものを持ったことがありません」
散々迷った後、結局刀弥は正直に告げることにした。告げる顔にはどこか申し訳なさそうな感情がある。
彼の答えを聞いたリアとリリスはすかさず刀弥にフォローを入れてきた。
「謝らない謝らない。気にする必要なんてないんだから」
「私もリリスさんと同意見かな。夢なんて、意識して見つけるものじゃないし」
リリスの告げたその言葉にリアが同意を入れてくる。
「そうそう。夢なんて、勝手に抱くものだもの。さっきの私の夢だって最初は私自身の夢だなんて全く思っていなかったしね~」
「私もそうだったな~。両親やお婆様の旅の話を聞いて私もいつか行ってみたいという思いが募って、それが夢になった感じだね」
「……なるほど」
彼女達の口から次々と出てくるそんな言葉を聞いて刀弥は頷いた。
確かに夢がないからと言って、無理矢理夢を持つというのもおかしな話だ。ここは彼女たちの言う通り、あまり気にしない方がいいのかもしれない。
「まあ、それは置いといて……ところで二人共、夕食はここで食べていかない?」
そんな彼の内心を知ってか知らずか、リリスがその話を横に置く。そうした上で彼女は唐突にそんな提案をしてきた。
「ここで、ですか……」
お茶程度なら我慢できるが、さすがにここで夕食というのは何と言うかいろいろと避けたい。
と、いうか客人を招くなら掃除ぐらいはしろと刀弥は心の中で注意を入れる。
「いえ、折角なので外で食べませんか? 少し気になるお店を見つけたので……」
とりあえずリリスの提案にそう返す刀弥。
完全に作り話という訳でもない。気になる店があったというのは本当のことで、折を見て行ってみようという思いは確かにあった。折角なのでそれを利用することにしたのだ。
「じゃあ、そうしましょうか」
しばし考え込んだ後、リリスは刀弥の提案を了承することにした。
「それじゃあ、早速行きましょう」
そうしてリリスはすぐさま立ち上がると、そう言って一人さっさと家の出口へと向かうのだった。
「客人を置いていくのかよ。っていうか、無用心に俺たちを家に残すほうが問題だろうが」
既にいない相手にそう愚痴をこぼしつつ、彼女の後を追いかける刀弥。その後ろをリアが付いて行く。
こうして三人は夕食のためにリリスの自宅を後にするのだった。
――――――――――――****―――――――――――
「ん~。ようやく終わったか」
書類仕事が一段落し、背筋を伸ばすカイエル。
窓から差し込む星と月の明かりが優しく彼を労う。
彼が今いるのは軍の本部だ。彼がいる部屋は他に誰もおらず、あるのはいくつかの家具だけだ。
よく見ると部屋の中にある家具類は高そうな物で構成されており、そのせいか部屋はかなり特別な雰囲気を作り出していた。
そこに部屋の外からノックの音が反響する。
「入ってきたまえ」
「失礼します」
その言葉と同時にドアが開き、そこから一人の若者が入ってきた。
服装はカイエルと同じ茶色と深緑の色をつけた革の上着と白のシャツに栗梅色のズボン。
部屋に入るとすぐさま若者はカイエルに敬礼を見せた。
「司令。リアクスのほうから緊急連絡です」
「緊急連絡?」
連絡と同時に手紙を渡してくる若者に司令と呼ばれたカイエルは疑問を返す。
「なんでも研究情報の盗難騒ぎのようで、こちらも気をつけよということのようです」
「なるほどな」
手紙を開き、詳細を確かめるカイエル。一方の若者は敬礼だけ見せると、すぐさまその場から去っていった。
「……ふむ、これは中々厄介な事態だな」
手紙を一通り読んだ後、カイエルは目を細めてそんな呟きを漏らした。
手紙によると狙われた研究情報は主に遺跡の技術に関連する情報が主だったようだ。
当然、そういった情報は兵器などに転用される可能性が高いので、かなり厳重に管理されているはずなのだが、相手はそれを易々と突破したことになる。かなり実力のある相手に違いない。
「急いで各所に連絡を入れて警戒を促さなければいけないな」
念のため自分が直接行ったほうが説得力が増すだろう。そう考えるとカイエルは溜息を吐いた。
やることがまた増えてしまい、忙しくなってしまった。これでは刀弥の修行を見にいくのはまたお預けになるかもしれない。
「この埋め合わせはいつかしないといけないな……」
そうこぼして彼は窓の外の月を見上げるのだった。
二話終了