三章一話「観光」(1)
青い空の河の上を白い雲が流れていた。
太陽は天高く昇り、眩しい日差しが眼下の世界に降り注ぐ。
眼下の世界にはいくつかの色があった。
森と平原が作る緑色。大地が作る茶色。川や水が作る青。そして……遙かなる昔に生み出された建造物が作る紺色。
それがこの世界の色だ。
そんな世界のある場所に一台の馬車が走っていた。
馬車の中では二人の人間が向い合い話し合っている。どちらも若く、少年と少女と呼ぶべき年頃だ。
「リアフォーネはね。ゲートが通じたときは誰もいない無人世界だったの。だけど、どいういう訳か人口の建造物があちこちにいくつもあってね。それがリアフォーネを遺跡世界と呼ぶ所以という訳」
そう説明するのは赤銅色の長い髪をした少女だった。席に座る膝の上に金色の杖を載せている。
「どういうことだ? なんで誰もいないのにそんなものが建ってる?」
その説明に疑問を返すのは黒髪の少年だ。彼の腰には刀の収まった鞘が吊り下げられている。
「それがリアフォーネ最大の謎なの。今もその謎を解こうと調査隊が遺跡を調査しているって訳。でも、この世界がゲートに繋がってから一〇〇年以上過ぎてるけど、未だ解明できずの状態」
少女、リア・リンスレットはそう言うと同時に両手を上げてお手上げのポーズを示した。
「解明はできなくても、いくつか説ぐらいは出てるんだろう? どういう説があるんだ?」
少年の名前は風野刀弥。彼はリアの話を聞いてそんな質問を返す。
「えっとね。一つ目は自分たちの文明が原因で絶滅しちゃったっていう説。二つ目は空に上がったって説。で、三つ目はゲートでどこかに行ってそのゲートが閉じたという説」
覚えのある説を上げながら左手の指を折っていくリア。
それを聴いて、刀弥が反応を返す。
「ここの遺跡って最初の説がありえそうなくらいレベルが高いのか?」
「う~ん。どうなんだろう。私も初めてくるし、話も他の人から聞いた程度だから詳しくはわかんないし」
刀弥の問いにリアは考え込むが、わからない以上答えなど出るはずもない。
「それで、今はどこに向かってるんだ?」
こちらに辿り着いて早々、リアが刀弥を引っ張って駆け出し、気が付いたら馬車の中に連れ込まれていた。
この馬車が一体、どこに向かっているのか刀弥は全く知らないのだ。
「この馬車はワートってところに向かってるの」
「ワート? どういうところなんだ?」
刀弥の疑問にリアは待ってましたとばかりに笑みを浮かべる。
「ワートはすっごい高い塔の遺跡なの。聞いた話じゃ最上階は一帯の景色を一望できるんだって」
「高いってどれくらいなんだ?」
刀弥では精々、自分の国にあるテレビ塔程度の高さしかイメージできない。
「う~んとね。あれくらい」
そう言って彼女は馬車の窓を指差す。
それに従って刀弥が馬車の窓へと顔を向けると……
雲にまで届こうかというくらい高い塔が窓の向こうに映っていた。
「…………」
想像以上の高さに刀弥は絶句してしまう。
そんな彼を見てリアが彼の耳元で囁いた。
「どう? 驚いた?」
――――――――――――****―――――――――――
そうして馬車が塔の手前に到着すると、二人は馬車を降りた。
改めて塔を見上げる。
塔は円柱形で壁の色は紺色。それが遥か上のほうまで伸びている。
よく傾かないなと変な感心が刀弥の頭を過ぎった。
「ほら、早く早く」
リアの声に気付いて視線を前に戻せば、彼女はかなり先から刀弥を呼んでいた。まるで初めて海に来た子供のようだ。
早足で彼女のもとに向かう。
そうして二人は塔の中に入った。
中は結構広い空間だった。
壁が紺色なのは変わらないが、天井は高く、柱一つない。
唯一の例外は中央にある細長いもの。それが天井へと伸びていた。
しかし、それはエレベータのようだ。その証拠にドアが開き、そこから人が出てきた。彼らが出ていくと今度はそれを待っていた人たちが中へと乗り込んでいく。そうして全員が乗り込むとドアが閉まった。
「あの中央ので上へ行くのか?」
「うん。あれでそれぞれが望む階へ転送するの」
「ふうん」
彼女の説明を聞いて刀弥が相槌を打つ。
しかし数秒後、彼女の説明にあった意外な言葉にようやく彼は気が付き、戸惑いの声を上げた。
「……待て。今、転送って言ったか?」
「うん。言ったよ」
首肯するリア。どうやら聞き違いではなかったらしい。
エレベータでなく転送装置とは、さすがに刀弥も予想していなかった。
「……凄いな」
頭に浮かんだのはそんな一言だけだった。それだけ彼にとって驚愕の事実だったのだ。
「そうだね。魔具や魔術でも人を別の場所に転送させるなんて事は無理なのに、ここの文明はそれを叶えてるんだもん」
一方のリアは、かなり興奮しているらしい。どこか熱の篭った口調で刀弥に語っている。
「という訳で、まずは最上階に行こっか」
「……当然、あれでだよな?」
中央の転送装置を指さす刀弥。
「もちろん。どんな風に転送されるのか楽しみだね」
笑顔を浮かべて、心躍らせるリア。
一方の刀弥は不安を感じていた。
「刀弥、どうしたの?」
「あ、いや……」
目聡く気付いたリアが尋ねてくるが、刀弥は言葉を濁すだけでそのことを語ろうとしない。
けれども、彼女はわかったしまったようだ。突然、ニヤニヤと笑みを浮かべて刀弥に語りかける。
「さては、ゲートのときみたいに心配してるんでしょ?」
「……ああ、その通りだ」
もはや誤魔化しても仕方ない。素直に刀弥はそのことを認めた。
「大丈夫だって、本当に問題があるんだったら、そんなのに人を乗せないだろうし」
「あえて、不祥事を隠すところもあるんだがな……」
安心させるように言ってくるリアに、刀弥がそんな皮肉を返す。
「ええと……と、ともかく、長年使っていて何も問題が起きてないんだから大丈夫だって……」
「……そうだな」
刀弥としても先の皮肉は冗談のつもりだ。長年、やっていて悪い噂がないというのであれば信用しても大丈夫だろう。
とはいえ、頭で理解していても感情まではどうすることもできない。それで不安な心情が消えるという訳ではないのだ。
内心ドキドキしながら、刀弥はリアと共に転送装置の中へと入っていく。
やがて、他の人たちも乗り終わり、ドアが閉まった。
すると、それと同時に床から光が溢れ出してくる。
光の色は翡翠色。それが徐々に室内を満たしていく。
一瞬、刀弥の顔に緊張の色が走るが、その瞬間リアが刀弥の腕を掴んだ。
刀弥が彼女の顔を見ると、彼女は彼を安心させるように笑みを見せてくる。
それで若干の緊張がとれた。と、同時に光が部屋を埋め尽くす。
眩しさに目を瞑る刀弥。
やがて、何かが開く音と共に人々の歩く音が聴こえてきた。
「着いたよ」
それと同時にリアが声を掛け刀弥の腕を引く。
それで刀弥はまだ腕を掴まれていることに気が付いた。
慌てて目を開けて腕を振りほどくが、周囲の人たちが送ってくる生温かい視線についつい顔が赤くなってしまう。
ともかく刀弥は転送装置から出ることにした。
そんな刀弥の後をリアが笑いながら付いてくる。
「笑うなよ。リアが原因なんだから」
「まあまあ、それより早く行こ」
怒る刀弥をリアがなだめながら、二人は進む。
そうして二人は部屋の端まで来た。しかし、そこにあるのは紺色の壁ではなく透明な壁だ。
「うわあ……」
「絶景だな……」
感嘆の声を漏らす二人。
二人の目の前には、まるで天から世界を見下ろしているかのような景色が広がっていた。
雲が手を伸ばせば届きそうなくらい近い。眼下には茶色と緑色の混じった大地がこれでもかというくらい広がっている。
「凄い凄い!!」
そんな光景を見てリアは興奮した様子で叫んだ。
「落ち着けって。他の人たちが見てるぞ」
その声で周囲の視線が自分たちに向いたことに気が付き、慌てて刀弥が彼女を注意する。
「あ、ごめん」
刀弥の言葉にようやくリアも周囲の視線に気が付いた。恥ずかしがりながら彼に謝る。
「でも、凄いよね」
「それに関しては同意だな」
叫ぶのはどうかと思うが、彼女の心情に関しては理解できる。
それだけこの光景に感動したということだ。
「折角だから、オーシャルで撮ったらどうだ?」
「そうだね」
刀弥の言葉にリアはそう返事を返すと早速、首元に下げていたオーシャルを取り出し、撮影を始めた。
「撮れてよかったな」
撮影が終了すると、刀弥がそう言ってリアに声を掛ける。
「うん。あ、見て。あそこに絵や写真を売っているところがあるよ」
彼女が指し示す先、確かに絵や写真を並べて売っている露店があった。
リアには風景の絵や写真を集める趣味がある。そんな彼女からすれば、さぞ興味のある店だろう。
予想通り彼女はその店に向かって駆け出していった。そんな彼女の後を刀弥はゆっくりと追いかける。
刀弥が追いついた頃には既にリアは何か買った後だったようで、お金を店の人に支払っているところだった。買った物は既にスペーサーの中に入れてしまったらしい。
「いいのがあったのか?」
「うん」
満面の笑みでリアが頷く。どうやらかなり良い物があったようだ。
「それじゃあ、次は地下に行こうか」
「地下? ここには地下もあるのか?」
高さだけでもこれだけ高いのに、さらに地下まであるという事実に刀弥は驚くしかない。
そんな彼の反応を見てリアは微笑を浮かべた。
「うん。地下は、かなり広いみたい」
「広いってこれ以上に広いってことか?」
それに対してリアがコクリと首を縦に振る。
正直に言って刀弥としてはここや一階でも十分広いと感じていた。
にも関わらず、さらに広いとなると一体どのくらい広いのかイメージすることもできない。
「……行ってみるか」
結局、刀弥は想像するのを諦め実物を見ることにした。
「それじゃあ、行こー!!」
それにテンションの上がったリアが応え、二人は地下へ降りるため転送装置へと向かうのだった。
――――――――――――****―――――――――――
「……広すぎだろ」
それが刀弥の目の前の現実に対する正直な感想だった。
刀弥の目の前には膨大な空間が広がっていた。
ドーム状の壁と天井。塔の一階や最上階と比べてみても、広さでは間違いなくこちらが上だろう。
「本当、広いね」
そう言いながらリアはオーシャルでこの光景を撮ろうとしている。
それを視界の片隅に収めつつ、刀弥は辺りを見回した。
ドーム状のこの空間の中には、いくつもの建物らしきものが建っていた。
――町みたいなところだな。
それが刀弥のここを見た印象だ。
ふと気付くとリアの姿がない。視線を巡らしてみると、遠くのほうにそれらしい姿があった。どうやら撮るのに夢中で刀弥のことを忘れているらしい。
仕方なく彼女の後を追いながら、建物を眺めていく。
建物は外から見る分には構わないが、入るのは禁止されているようだ。入り口と思わしき部分には紐やテープらしき物が張り巡らされていた。
加えて周囲には係員と思わしき者の姿もある。これではまず侵入するのは無理だろう。
「ただいま」
しばらくすると、撮り終えて満足した様子のリアが戻ってきた。
「十分撮ったのか?」
「もちろん」
ご機嫌な声でリアが返事を返してくる。その態度から十分満喫したことが伺えた。
「そうか」
そんな彼女を見て、つい刀弥も顔をほころばせてしまう。
「ねえ、刀弥はここを見てどう思った?」
すると今度はリアがそんなことを訊ねてきた。
「そうだな……俺は町みたいなところだなって思ったな」
周囲に視線を巡らしながら、刀弥は己の感じたことを正直にリアに話す。
「町? こんな地下に?」
その内容にリアが反応を示した。
「まあ、俺にはそんな風に見えただけの話だ。そう言うリアこそ、ここを見てどう思ったんだ?」
その問いにリアが考え込むそぶりを見せる。やがて彼女は苦笑と共にこう答えを返してきた。
「ごめん。凄いっていう感想しか思い浮かばなかった……」
「いや、別に謝らなくてもいいだろう」
別に彼女の感想に刀弥はケチを付けるつもりはない。どう感じたかなんて人それぞれだろう。
改めて刀弥は建物を見る。塔の壁と同じ素材を使っているのか、建物は塔と同じ紺色をしていた。
これが本当はどういう建物なのか刀弥としても興味がないわけではない。
これだけの建物だ。まず間違いなく建てた存在がいる筈だ。にも関わらずその痕跡は未だ見つかっていない。
中々面白い話だと刀弥は思った。
建てた者がいるはずなのに、その建てた者がいないという矛盾。この謎はかなり強烈だ。
なにせ当たり前であるはずのことが否定されているのだ。興味のある者ならこの謎を解こうと躍起になるだろう。
それが遺跡を調べている人たちの原動力なのかもしれないなと、そんなどうでもいいことを刀弥は考えていた。
「さてと、時間も時間だし、そろそろここを出て町に行こうか」
そんなことを考えていると、リアがそう言って町に行くことを提案してきた。
「ああ」
刀弥としてもそろそろ町へ行って、宿屋で休みたいと思っていたところだ。
そうして二人は転送装置で一階に戻ると、エルゲスという町行きの馬車に乗ってワートから去っていくのだった。
ようやく3章の開始です。
読んでくださる皆様。また、よろしくお願いします。