一章一話「無限の世界へ」(2)
出掛ける準備といっても刀弥がしたのは、財布を持って黒の上着を白のシャツの上に羽織っただけの簡単な準備だけだ。
紋乃も服装はそのままで、白いハンドバックを持っただけの簡易なもの。
今、二人は並んで歩いていた。その横を車が何台か通り過ぎていく。
今日は二〇二〇年五月三日。ゴールデンウィークの初日だ。
そのせいか、車や人の行き交いは多い。
空は大きな雲が多いが、概ね晴れで間違いないだろう。
「そういえばお前はどこに行く気なんだ?」
ふと、紋乃の行き先を知らないことに気付いた刀弥。彼は隣を並んで歩く彼女に訊いてみることにした。
「えっと……化粧品です」
少し恥ずかしそうな表情で、彼女はそう返事を返す。
「場所は?」
「本屋とスーパーの間ぐらいにあります」
記憶を探ってみると、確かに思い当たる店があった。
「じゃあ、俺、紋乃、母さんの順番で回るか」
「はい……ところで兄さんは一体、何の本を買うつもりなんですか?」
首を傾げながら紋乃は刀弥の方を見る。
「何の本って普通にライトノベルだけど」
「棚に並んでいる中で、何か新しいのがでたんですか?」
ライトノベルと聞いて紋乃が関心を持つ。彼が買っているライトノベルのうち、いくつかは彼女も読んでいるためだ。
「いや、面白そうなのが出たから買ってみるだけだ」
「では、機会があれば読ませていただきます」
それについて刀弥から特に返答はなかった。これはつまり別に構わないという意味だ。
貸し借りについて、二人の間に遠慮はない。
先程の会話のように彼女が刀弥のライトノベルを読むこともあれば、彼が紋乃の少女漫画を読みあさることもある。
もちろん、丁寧に使うことが大前提ではあるが、二人とも他人の物を適当に扱うほど大雑把な性格ではないので今のところ問題は起こってない。
「それにしても、兄さんはそういうのをよく買いますけど好きなんですか?」
「まあ、俺的にはかなり面白かったしな。設定や登場人物の内面がわかるのもよかったし……」
刀弥がライトノベルに興味を持ったのは、中学二年生の頃からだ。なんとなく表紙に惹かれて買って読んでみたところ、翌日にはそのシリーズを全部買ってしまった。
そうして中学三年になった今では、数も増えて今や棚を埋め尽くそうとしている。
これでも飽きた本は古本屋などに売りに言ってるのだが、実際はそれよりも買う本のほうが多いので棚の本の数が減らないのだ。
紋乃の質問はそんな状態を見て、『自分の兄はライトノベルがそんなに好きなのか?』と言っているのだと刀弥は解釈した。
しかし、彼女は首を横に振る。
「いえ、そういう意味ではなく……兄さんが買う本は戦闘ものが多いので、そういう内容が好きなのかなと……」
「ああ、なるほど」
それを聴いて、刀弥は先の質問の意味を理解した。
事実、刀弥が購入するライトノベルの内容は、そういうものが多い。好きか嫌いかと訊かれれば好きだと答えるだろう。
「まあ、好きだな」
「それは、物語で実際に戦う登場人物たちに自分を重ねているからですか?」
新たな問いに、少し熟考する。
その指摘通り、そういう面がない訳ではない。しかし、正直にそのことを言うのも何だか恥ずかしい。
「……まあ、ないとは言えないな」
しばらく刀弥は悩んだが結局、正直に話すことにした。
とはいえ、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。口に出しながら、顔が赤くなっていくのを感じる。
そんな彼に、紋乃が新たな問い掛けを投げ掛けてきた。
「兄さんは将来、剣術が活かせる道にいきたいと考えてるのですか?」
「は?」
いきなり話が大きく変わったような気がして、思わず刀弥歩みを止めてしまう。
それを見て紋乃もまた足を止めた。
「何でいきなりそんな話がでてくるんだ?」
落ち着きを取り戻し、再び歩みを進める刀弥。
ライトノベルの話が将来の話とどう繋がるのかわからず、彼は首をひねるしかない。
そんな彼の疑問に紋乃が恐る恐る答えた。
「その……兄さんがそういう内容の本を買うのは、兄さんの理想がそこにあるからだと思っていたので……」
「つまり、お前は俺が『剣術で大暴れしたい』とかそういう感じの願望を抱いていると思ってたわけか?」
自然と目が半目になっていく。
そんな刀弥を見上げながら、紋乃が申し訳なさそうな顔をしながら頷いた。
その反応に刀弥はついつい溜息が出てしまう。
「別に俺はそんなこと、思ってないんだがな」
「ですが、どれだけ剣術の才能があろうとも何の意味も成さないのが今の現実です」
そうこぼす紋乃の顔はどこか悔しげだった。
それを見て刀弥は苦笑してしまう。
「それはそれで平和なことなんだから、いいことだと思うけどな」
「それはわかってます」
とはいえ、その表情は納得しきれていないという様子だ。
仕方なく刀弥は話に付き合うことにした。
「まあ、剣術は好きだし、せっかく磨いてきたものだ。それを活かせる道にいきたいという思いはある」
そこは否定しない。それが率直な気持ちだからだ。
「しかし、だからと言って『剣術で大暴れしたい』とは思っちゃいない」
「そうなんですか?」
その問いに刀弥は首を縦に振る。
「大体、お前はどうなんだ?」
「え?」
「『え?』じゃないだろ。お前だって俺ほどじゃないけど、いろいろ読んでるじゃないか。そう言うお前のほうが、そういうことを考えているんじゃないのか?」
「そ、そんなことは……」
慌てた様子で紋乃が否定を返した。
「なら、俺だってそんなこと考えちゃいない。これでこの話はおしまいだ」
「……はい」
何とも言えない表情のまま、彼女は承諾する。
そんな雰囲気を払拭する意味もあってか、刀弥は新たな話題を振ることにした。
「大体、将来の職業よりも今は高校受験の心配のほうが先だろう?」
「それもそうですね」
今更ながらそのことに思い至り、思わず紋乃は苦笑してしまう。
中学三年生の今年、刀弥は高校受験が控えていた。
勉強はそれなりにでき成績も悪くはないが、やはり人生の大きなイベントということもあって多少の緊張はある。
「確か、近所の高校を受けるつもりなんですよね?」
「ああ」
できれば公立へ行きたいと刀弥は考えている。あまり両親に金銭的な負担を掛けたくないという思いがあるからだ。
「部活動は何かやるつもりなんですか?」
「できたら、剣術の訓練に専念したいんだけどな……」
その辺は少し悩んでいる。
そういう思いがある一方で、部活動に興味がないわけではない。
――もし入るとしたら、剣道部だろうか。
他の部活にも興味はあるが、やはり剣に惹かれるものがある。
二人が通っている中学校には剣道部がなかった。もっとも、あったとしても入っていたかどうかはわからなかったが。
というのも中学に入った当時は剣術の訓練が厳しく、部活に通う余裕などなかったからだ。
今でこそ、それらも余裕でこなせるようになったが、あのときはかなり大変だった。
訓練自体は小さな頃からしているが、中学に上がったと同時にいきなりその量と難易度が上がったのを刀弥は覚えている。
紋乃のときはまだマシだったが、刀弥はかなり厳しい訓練を課せられていた。
恐らく、それだけ期待されていたのだろうと今になって思う。
「もし、入るとしたら何部ですか?」
「剣道部のような気がする」
思ったままのことを口に出した。
すると、紋乃は予想通りという顔を浮かべる。
「そう言うお前だったらどこにするんだ?」
その反応に少しむっとし、仕返しとばかりに尋ね返す。
「私もきっと剣道部ですね」
「なんだ。同じじゃないか」
その指摘に、紋乃もむっとした顔を見せる。
「いいじゃないですか。別に……」
「別に馬鹿にした訳じゃないんだけどな……ただ、考えることは同じなんだなと言いたかっただけだ」
「……そうですか」
その言葉を聴いて彼女は機嫌を直した。
やがて、紋乃が新たな話題を振ってくる。
「そういえば兄さんは休みの間、ご友人たちとどこかに出掛ける予定はないのですか?」
「ないな」
はっきりとした口調で刀弥は断言した。
「……思うんですけど、兄さんってあまり交友関係が広くありませんよね?」
「ほっとけ」
そのことについては、刀弥自身も自覚している。
剣術の訓練を優先していたせいもあって、刀弥はあまり人付き合いが良くない人間だと周囲から認識されていた。
本人もそれをどうにかするつもりがなかったので放っておいた結果、今の状況と言う訳だ。
現状、友人と呼べるような付き合いのある人間は数えるほどしかいない。
「第一、全くいない訳じゃないだろう?」
「私の知る限り、兄さんと交友関係があると言えるほどの付き合いがあるのは、幼馴染の双葉姉妹と従姉の高峰さんぐらいなんですが……どちらも女性なのはわかってますよね?」
「…………」
どちらも付き合いは長いのは厳然たる事実なので、一応間違ってはいない。しかし、女友達しかいないと思われていたのは刀弥としては不本意だ。
「他にもいるぞ。神永の奴とか……」
「……ああ、父さんの友人関係の子ですね」
少し思い出すそぶりをした後、紋乃がそう返してきた。
時折、刀弥たちは父、源治に連れられて彼の武術関係の友人に会いにいっている。その目的は剣術の訓練もあるのだが、相手方の子供との交流もその中に含まれている――どちらかと言えば、従姉の高峰もこちら側の付き合いと言える――。
歳の近い者同士、仲良くなって互いに切磋琢磨しあう。それが大人たちの考えた目論見だ。
実際、そうやって仲良くなって個人的に交流している人もいる。先程、名前を挙げた神永という人物もその一人だ。
ただ……
「そういえば、そちら関係では兄さんは人気者でしたね」
「まあ、意味は違うがな」
その言葉の意味を考えながら、刀弥は苦笑気味に答える。
その理由は、刀弥が彼らと行った試合の戦績と関係があった。
全試合全勝。
刀弥は、今まで同年代相手の試合では負けなし連勝を維持している。そのため、次こそは勝とうと多くの者たちがリベンジに燃えているのだ。
源治やその友人たちにとっては目論見通りの展開なのだろうが、当人としては少し困りものだ。
なにせ会えば毎回『勝負だ!!』と仕掛けられるのだから……
「……っと見えてきたな」
そんな話をしているうちに、目的地である本屋が見えてきた。
「さて、さっさと買って他の用件も終わらせるとするか」
「あ、待ってください」
これ以上、この話題でからかわれるのも嫌だったので刀弥は話を切り上げ、本屋へ急ぐことにした。
そんな彼の後を、紋乃が慌てて追いかける。
そうして兄妹は本屋の中へと消えていくのであった。
07/05
文章表現を若干修正
07/24
できる限り同一表現に対して修正を実行。
12/18
指摘された箇所を修正。




