八章三話「救援」(12)
――時間をレグイレムが王都を襲撃してから少し経過した頃に巻き戻す……
「……王都は大丈夫だろうか」
とある森の奥にある洞窟前の小屋。その小屋の屋根から伸びている物見櫓にて一人の男がそんな呟きを漏らした。
「信じるしかないだろう。王都や王城にいる連中を……」
そんな彼の呟きを聞いてもう一人の男がそう応じる。
二人共、見た限り服装は地味で平凡な印象を与えるが、よく見るとその衣服は質の良い素材と高い技術で縫われている事が窺う事ができた。
「なあ、やっぱり俺達も王都の守りに付いた方がよかったんじゃないか?」
「――ここを守るという王の勅命に背いてか?」
その返事で男は言葉を詰まらせる。
彼らはラクロマの兵であった。そしてここは極秘の軍基地である。ここに基地があるのにはある理由があるからだ。
『洞窟の奥のものを死守せよ』
それがこの基地に所属する者達全員の唯一にして絶対の任務だった。
洞窟の奥に何があるのかは殆どの者達が知らない。洞窟は少し進むと巨大で分厚い壁で防がれているからだ。だから、具体的に何を守っているのかすら彼らは理解していない。
だが、彼らはそれに疑問を持たなかった。皆、この任務を王から直接承ったのだ。その時に極秘の任務である事も聞かされている。
自分達が知るべきではないものが壁の向こうにある事は想像に難くない。そして彼らの任務は『洞窟の奥のものの死守』である。壁の向こうの正体等知らなくても十分にこなせる。
けれども、そんな彼らでも『王都や王城に何があろうとも助けにこなくてもいい』という指令を聞いた時は驚き、まず自分の耳を疑った。まさか、自分達が守っているものが王城や王都よりも重要で大事なものだとまでは思ってもいなかったのだ。
ともかくそういう訳でこの施設は一人の兵も王都や王城に派遣していなかった。
しかし、命令だからといって全ての兵がその命令に納得しきれている訳ではない。むしろ、心に凝りを残している人の数のほうが多いくらいだ。
なにせ王都レイムナラットはこの国ラクロマの中心である。そんな所が狙われていると知れば気にならないはずがない。また、この任務が極秘で王の勅命である以上、兵達は王都出身やそこに住居を置いている者達が多い。ならば、家族や友人の安否が気になるのは必然であった。
「まあ、こういう状況でなおここを守れって事はそれだけここが大事な所だって事だ。だったら、俺達は命令を遵守してここの守りに専念しようぜ」
「……そうだな」
それである程度、納得したらしい。男は弱々しい声でそう答えると辺り一帯を見回した。
この一帯にはここ以外にも見張り用の櫓がいくつも設置されている。
全ての櫓は目立たないように様々な工夫がされており、例え一般人が櫓の傍を通過しても櫓の存在に気付く可能性は低い。これはここの存在を知られぬためだ。
守り手にとって一番いいのは『守るべきものの存在』が知られない事。存在を知られなければその存在に対し何かをしようという思考さえ思い浮かばないからだ。故に守り手もまた見つかる訳にはいかない。見つかれば『何を』守っているのか、興味を持たれる可能性があるからである。施設関連が目立たないように工夫されているのはそういう訳であった。
自分の持ち場の範囲を見渡し終えた後、男は定期連絡を入れる。
「本部。こちら本部直上担当。異常なし」
それに対して真下にある小屋――のさらに地下に広がっている施設の本部から返事が返ってきた。
「定期連絡、了解。そのまま警戒を続けてください」
「……それと王城や王都の方から何か連絡はないのか?」
これで何度目かわからない質問をする男――実の所、この問いは他の見張りや隊員からも幾度となく出ており、今回もその問いが出たことで通信担当が呆れのため息を吐いたのだが、当人達はそんな事知る由もない――。
彼の問いに通信担当はこう応える。
「現在の所、応援要請はありません」
「そうか」
わかりきっていた事とはいえその返答に男は落胆を隠せない。
そんな彼の肩に手を置いて励ますもう一人の男。と、その時だ。
「――緊急連絡。最東地点の見張りから定期連絡が途絶えてました。各員シフトレッドで対応に当たってください」
先程の通信担当が緊迫した声でそんな連絡を告げてきた。
その内容で男達は顔を引き締め周囲一帯を警戒する。
互いに背中合わせになる事で死角をできる限りなくし負担を軽減させる。王都や王城の不安は既に頭の隅に追いやっている。今すべきは王の勅命を果たすために警戒を怠らない事だ。
「本部。最東地点には誰かを向かわせているのか?」
「現在、偵察用の隊を編成中です。詳細情報はしばらくお待ち下さい」
それに了解と応答を返して男は再び意識を見張りに向ける。
森は澄みきったように静かだ。少し離れた王都では激しい戦いが繰り広がれているのにも関わらず……
「!! いかんいかん。任務に集中しろ」
意識が王都の危機に向いていくのに気が付き自分を叱咤する男。それを見てもう一人の男が苦笑する。
その直後だ。
瞬間、二人のいた物見櫓が黒い球体に飲まれた。
無音にして無反動。何の力もまき散らさず、それ故に風すら生じない。
黒い球体はしばらく出現し続けた後、消滅。中からは絶命して倒れる二人の兵の姿があった。
それを合図に木々の影から人影が次々と姿を現す。
本来、見張りは兵の視覚をだけに頼っているわけではない。彼らの武装には足音や熱などを検知する魔具や道具なども装備されている。
これらは本部を経由して他の兵達にも送られるようになっており、つまり誰かが不審な情報を見つけるとその途端、他の兵にもその事が伝わる仕組みとなっているのだ。
にも関わらずこの人影達は何の検知もされなかった。最東の見張り櫓を襲った時も、この地点を襲おうとした時も、そして、ある入口から仲間が地下の本部に侵入した時も……
「どうだ?」
人影の一人。若い男性が他の影にそう問いかける。
若いと言っても外観から伺える男の年齢は三十代前半。セミロングの銀髪に碧い瞳。線が細い美男子の印象を受けるがそこから発せられる気配は恐ろしく静黙だ。
気配がない訳ではない。ただ何かを発する訳でも乱すわけでもない。ただ澄みきったようにそこにあるだけ。まるで『無』という言葉をここに体現したかのような気配だ。
「敵本部に侵入した隊は制圧に成功致しました。通信偽造も完了。これでこちらの事がばれる心配はかなり低くなったと考えられます」
そんな男の問いに答える一人の女性。その女性もまた特異な気配を持った人物だった。
年齢は二十歳過ぎ。黒に染まった長い髪と無機質な瞳が特徴的でラインの整った顔立ちと光るような白い肌も相まってその姿はまるで等身大の人形を連想させる。
衣服は黒一色のボディスーツ。体に密着するタイプでそれ故に彼女の女性らしいボディラインが鮮明に浮き出ているのだが変わらない表情とそこから発する平坦な声のせいで扇情さよりも不気味さのほうが勝っていた。
「さすがだ。死神部隊第零部隊」
彼女の返答に満足気となる男。どうやら会話から察するに女性は付近に集まる者達の統率役で男はその女性の上役といった関係らしい。
「それで壁を開ける鍵は?」
「……こちらにございます。レグナエル様」
そう応えると女性は膝を付き両手を掲げる。すると、いつの間にかその両手には鍵が収まっていた。
「ご苦労だった。レナス」
その鍵を労いの言葉とともに受け取るレグナエルと呼ばれた男。
「それでは壁の向こうへと行くとするか。ついて来い」
「はい。かしこまりました」
そうして組織レグイレムのトップ、レグナエル・ニブルは洞窟の中へと入っていく。
そんな彼の後を死神部隊第零部隊隊長レナス・ヴァルキアはただ黙って部下とともに付いて行くのであった。