七章三話「潜入」(6)
「うぉっと!?」
驚きの声を上げて刀弥が後ろへと下がる。直後、彼の居た場所を鋭利ななにかが通り過ぎていった。
鋭利なものの正体はスライムの触手が刃状の形状をとったもの。
硬度が変わるという事はないようだが、極細に細められた軟体の刃はそれ故にしなり圧倒的な速度を持って床を斬り裂いたのだ。
「このスライム。でかい割に器用なことができるのね~」
そんなスライムの攻撃に感心するレリッサ。彼女はというとリアや自分に襲い掛かってくる触手を短剣で迎撃している。仕方ない。現状、スライムに有効打を与えられる攻撃手段が彼女にない以上、防御に集中するしか選択肢が存在しないのだ。あるとすればスライムのコアに攻撃できるようになるまでその体を削り切るという方法ぐらいだろうか。だが、それも削られた体をすぐさま回収されることで叶わぬ手段となっていた。
そんな中で唯一スライムに攻撃を与えられる可能性を持つリアが炎の砲撃を放つ。
空気を熱し突き破りながら飛んで行く炎の砲撃。そうしてスライムに炎の砲撃が直撃した。
砲撃の威力に押され後ろへと下がっていくスライム。けれども、砲撃を受けて起こったのはそれだけで体に穴が開くこともなければその熱に身を焼かれることもない。
「うわあ、こいつ耐熱まで持ってるの?」
そんな光景を見て呆れるレリッサ。
スライムは炎の砲撃を受けて多少堪えたのすぐに動き出すことはなかったが、やがてノッソリと体を進めると次の瞬間、己の形を変え始めた。
「今度は何をする気だ?」
身構えつつ相手の動きを注視する一同。スライムの変形は己の中央に大きな空洞を作りを空気を吸い込むことから始まり、体を各部に小さな穴の通り道を作ることで終わる。
通り道と空洞は弁のようなもので栓をしているのか通り道から吸い込んだ空気が抜け出すことはなかった。が、それは弁を外すことで何かが起こることを意味する。そして何が起こるのか刀弥達はすぐに見当がついた。
反射的に彼等は耳を塞ぐ。
直後、大音響が第二演習場内を駆け巡った。
震える空気、殴られたような衝撃を放つ音。それらを刀弥達は肌を通じて感じ取る。一瞬、訪れる意識の停止。だが、もしも耳を塞いでいなかったらこの程度では済まなかったはずだ。よくて気絶、最悪、耳の器官が壊れてしまってもおかしくはない。
まだ耳に残る残響の錯覚を振り払い刀弥は耳を塞いでいた手を離す。スライムは既に形を元に戻している。ならば、新たな攻撃に備えて身構えなければならない。
見ればリア達も防御の体勢に入っている。それに安堵しながら刀弥は牽制の斬波を放った。
攻撃がまともに効かないのはわかっているが、だからといって何もしないというのは主導権の取り合いの観点から見た場合いいとは言えない。多少でも相手の威勢や注意、攻撃意識を削げるのなら効かない攻撃でも放つ意味は出てくるのだ。
スライムの核を目指して飛翔する斬撃の力。当然、それはスライムの切り込んだが体内を進む途中で消滅してしまう。
しかし、それでも意識を刀弥の方へと向けることには成功した。スライムが向きを刀弥の方へと変えたのだ。
大きく沈み込んだ後に飛び跳ねる。当然、刀弥は回避するしかない。飛び込むように前方へと跳躍した。
スライムの巨体を避けた後に前転し後ろへと振り返る刀弥。直後、スライムの触手が彼へと向けて伸ばされた。
真っ直ぐに刀弥へと迫る触手。これに対し刀弥は残った振り返りの力の流れを利用して旋回による回避を試みる。
鮮血が飛び散る。眼前を通り過ぎて行く触手の行き先を刀弥は確認しない。すぐさま刀で触手を断ち切った。
左手で頬を拭い彼はスライムに接近する。
迫り来る敵にスライムは迎撃を選択。触手の雨を刀弥へと見舞った。
次々と襲い来る触手の雨を刀弥は避けたり斬ったりしながら突き進む。だが、数が多い。段々と捌ききれなくなり遂には刀を取り落としてしまう。
それをチャンスと見たのかスライムの体が脈打つ。恐らく次の瞬間には大多数の触手が一斉に刀弥へと向けて放たれるのだろう。
刀を落とし防御を失った刀弥。だが、スライムの攻撃が放たれることはなかった。
直後、スライムが巨体を右へと飛ばす。
折角の攻撃チャンスを不意にする行為。しかし、狙われていたはずの刀弥はといえば悔しげな表情を浮かべて舌打ちをしていた。
次の瞬間、スライムがいた場所を風の砲撃が駆け抜ける。
砲撃を放ったのはもちろんリア。刀弥はスライムの攻撃を自身に向けることでリアの魔術式の構築と狙いのための時間を稼いでいたのだ。
砲撃を避けたスライムは向きをリアの方に変えると再び形体を変え始める。空気を吸い風船のように大きく膨らんだのだ。
こうなると何をしようとしているのか、刀弥達はすぐにわかった。リアはすぐさま防御のための魔術式を構築。一方、レリッサはスライムの背後に回りこんでいた。
大きく膨らんだためにスライムの核たる球体はかなり外側に寄っている。故にレリッサはここがチャンスだと踏んだのだ。彼女は最初に斬波を放つと後は持ちうる短剣を連続で全て投じる。
軽い風切音を鳴らし突き進む短剣。ただ腕を振るっただけなのにこれだけの速度が出るのだから恐ろしい技量だと言わざるを得ない。
だが、それでも人の力と技術のみでは限界があった。スライムに向かって飛んでいった最初の短剣は斬波で斬り込まれた所からスライムの体内に入ったのだが少ししてから止まってしまったのだ。
けれども、レリッサもこうなる事は最初から想定済み。そのために短剣を全て投じたのだ。
直後、二つ目の短剣がスライムの体内に侵入した。入り込んだ短剣は最初の短剣と寸分違わない軌道をとっており、当然最後は最初の短剣をぶつかることになる。
ぶつかりあった衝撃で最初の短剣が少しだけ進む。そこへ三つ目。
後はもう先程の連続だ。ぶつかっては進みぶつかっては進み、それを繰り返しながら最初の短剣が核に迫っていく。
そうして後短剣一本分の距離まで最初の短剣が核へと迫る頃、最後の短剣がスライムへと接近していた。
しかし、さすがに時間が掛かり過ぎたのか斬波で切り開かれていた傷が元に戻り始めようとしている。
届くのか。そんな思いが皆の胸中に木霊す中、最後の短剣がスライムの体内に入り込み前方の短剣とぶつかった。
進む短剣。だが、先頭の短剣は剣先が核に刺さるか刺さらないかというところで止まってしまう。傷口が元に戻り始めていた分、威力が減衰しきるのが先の短剣よりも早かったのだ。
その様子に思わず舌打ちするレリッサ。一方、スライムは届かなかったレリッサの攻撃に構わずリアへと向けて吸い込んだを大気を砲撃として放った。
轟音を立てて突き進む大気の砲撃。性質としてはリアが撃った風の砲撃となんら変わらないが若干、スライムの砲撃のほうが幅が広い。
この攻撃にリアの防御は間に合った。彼女の周囲に竜巻が巻き起こり壁となって彼女の身を守ったのだ。
ぶつかり合う竜巻の壁と大気の砲撃。両者は互いに互いを弾き飛ばそうと大気を震わせ押しのけあう。
せめぎ合う両者だが術者が持つ限り展開し続けられる竜巻の壁と違い大気の砲撃の方には時間制限が合った。やがて、大気を撃ち尽くし砲撃は終りを迎える。
消え行く大気の砲撃。それを見送ってリアは風の槍を生成。そうしてそれをスライムへと向けて飛翔させた。
この風の槍をスライムは器用に体を変形させて回避する。
その様子を見て刀弥はふと思った。
先程からスライムは風の攻撃に関してだけは避け続けている。炎や雷は平然と受けていたにも関わらずだ。
恐らく風の砲撃や風の槍はそのまま受けては核に届くと本能的に理解し避けようとしたのだろう。逆を言えばその攻撃なら防がれたり避けられたりしない限り倒せるという事だ。
「ただ、普通に撃ったんじゃ避けられるんだよな……」
先程の反応と動きを見る限り避けることをミスするのは期待薄。場合によっては大気の砲撃で撃ち落としを狙ってくるかもしれない。
と、なればそのいずれも封じる必要がでてくる。
刀や短剣では捕まえることさえままならない。そうなると候補となるのはリアの氷の鎖。あれなら動きそのものを封じられるかもしれない。
しかし、どうにも嫌な予感が頭の中を掠めた。その予感を確かめるために刀弥はリアに声を送る。
「リア。氷の鎖を試してみてくれないか?」
その言葉にリアはすぐさま応じた。魔術式を構築してすぐさまスライムに向けて氷の鎖を飛ばす。
飛んでいった氷の鎖はスライムに触れることでその部分を凍りつかせ次の瞬間にはあっという間に周囲に拘束の面を増やしていった。
けれども、上手くいったのは途中まで。そこから先は凍りつくことなく逆に凍った部分も元の状態に戻っていく。
「自身の体温を上げて凍ったところを溶かしたわね」
そんな様子を見てそう分析したレリッサ。やはりというべきか簡単にはいからないらしい。
「どうにかして動きを止めれればリアの風の砲撃でどうにかできそうなんだけどな」
「ふ~む。動きを止めれれば……ねえ」
そんな刀弥の呟きを拾って何やら思案顔になるレリッサ。
やがて、彼女はニヤリと笑みを浮かべたかと思うと刀弥に向かってこんな事を言ってきた。
「……ひょっとしたら怯ませることくらいなら出来るかも」
「本当か?」
半信半疑な表情で尋ねる刀弥にレリッサは笑みを浮かべたまま頷く。
「状況によっては使うかもしれないと思って持ってきたものなんだけれど……それが役に立ちそうなの。適当なところで仕掛けないでよかったわ」
「……ああ、そういう事か」
なんとなくそれが何か予想がついた刀弥。
潜入、状況によっては、仕掛ける、これで想像できるのは一つしかない。
なんというかこういうのってお決まりなのだろうかと思わず自問自答したくなるが、今はそれどころではない。
方針としてはレリッサのそれで怯ませリアの風の砲撃で仕掛ける。と、なれば刀弥の役割は相手の注意を一旦、リアやレリッサから外すことだ。
「んじゃあ、頼んだ……ぞ!!」
台詞を吐き終えると同時に駆け出す刀弥。その眼前にはスライムが悠然と待ち構えていたのであった。




