六章三話「進撃する怒りの元凶」(3)
リア達がドラインと戦っているその頃――
刀弥達はと言うと彼女の予測通り丁度道の中間地点にいた。
刀弥がいるのは集団の後方、最後尾と言ってもいい位置だ。
そこに彼がいるのはやはり街の方に後ろ髪を引かれる思いがあるからである。
少し前から戦いの音は聞こえてきていた。距離はそれなりに離れているのだが、やはり周囲が静かなせいだろう。人々の歩く音や川の音、枝や葉が擦れる音。そういった小さな音を押しのけて響いてきている。
その音に時折、避難民の何人かが音の方へと振り返っていた。やはりというべきか、皆それぞれに心配してしまう人がいるらしい。
その事実につい口元が緩んでしまう刀弥。そうしてから彼もまた戦場の方へと視線を送る。
考えるのはリアの事だ。愚行をするような性格ではないためそう心配する必要はないはずなのだが、目に見えていないというだけでどうしても心配になってしまう。
「……考えてみるとここまで離れたのはかなり久しぶりじゃないか?」
ふと、口に出してしまうそんな自問。
記憶を探ってみても大半はリアと一緒にいるのだ。基本的に姿を見ないタイミングがあるとしたら寝る時などぐらい……
――もう一緒にいるのが当たり前って事か。
出会ってから一体どれだけの時間が経ったのかわからないが、それが当たり前だと思えるほどには彼女の存在を容認している。
最早、彼女といるというのは刀弥にとって日常的な事であるのだ。
それを再確認して『そんな彼女がいない』という非日常の今を実感する。
と、その時だ。前方の方が急に騒がしくなった。
戦う術を持たない人々が最後尾の方へと逃げ出し、戦える者がその流れに逆らって進んでいく。どうやら獣に襲われたらしい。
刀弥はというと現場には向かわずその場に留まっていた。聞こえてくる足音からして数はそれ程多くない。先程向かって人数で十分対処できるだろう。
それよりも後方から聞こえてくる複数の足音のほうが気になっていた。
徐々に近づいてくる足音。それと共に獣の特有の口から発する息音も聞こえてくるようになる。
刀弥は刀の抜いて迎撃の構え。その彼の反応に周りにいた人達が怪訝な顔を浮かべた。
「おい、刀を抜いてどうしたんだ?」
その中の一人が刀弥に向かって尋ねてくる。だが、刀弥は答えない。代わりと言うように彼はいきなり駆け出すと、茂みから飛び出してきた茶色の豹のような獣に向かって抜刀の一撃を与えた。
最初、何が起こったのか理解できなかった周囲の人々。けれども、時間が経ち状況をゆっくりと把握できるようになるとその途端、彼等は騒ぎ出した。
「ひゃあ、こっちにもベルガが現れたぞ!!」
どうやら前の方で暴れているのもこの種類の獣だったらしい。
とりあえず刀弥は茂みからさらに現れたベルガと呼ばれる獣の元へと向かう事にした。
ベルガに近づいてすぐさま抜いていた刀を右から左へと振るう刀弥。
刀の刃によってベルガの体を裂いていく刀弥だが、そこへ背後から別のベルガが飛び掛ってくる。
けれども、彼は身を回す事で回避。そうしてから回転ざまにその体を背後から切り裂いた。
仲間が二匹、あっという間に倒されたことで警戒度を強めたのかベルガ達の動きが僅かに止まる。
そこへ前に向かっていた護衛達が戻ってきた。ベルガと避難民との間に壁のように立ち塞がった護衛達。そうやって彼等はベルガが避難民へと迫るのを防ぐと今度は掃討のために前進を開始する。
彼らの戦術は単純だ。接近攻撃を得意とする者達が近づいてくるベルガだけを迎撃しその彼らの隙を遠距離攻撃ができる者達が穴埋めする。
何の工夫もない基本的な戦術。しかし、だからこそいろんな場面で用いられ活躍する。
数はいれど特に連携のないベルガ達はこの戦術に対抗できるわけもなく徐々にその数を減らしていった。
刀弥もまた近接攻撃者として襲い掛かろうとするベルガ達を斬り倒していく。
そうして幾ばくかの時が経った頃――
避難民を襲い掛かっていたベルガ達は全滅した。負傷した幾匹かは命からがらといった感じで逃げていくが避難民を守ることが最大の目的である以上追撃する意味は全くない。
刀弥もまた脅威が去ったと判断し刀を納刀。そうして一息ついて辺りを見回していた時、ふと見知った顔が避難集団から離れて森の中へと入っていくのを見つけてしまった。
周囲の護衛達はベルガを倒したことで気が緩んでしまっているのか気づいた様子はない。
知らせるべきか、それとも急いで連れ戻しに向かうか。一瞬迷ってしまう刀弥。
けれども、影がどんどん遠ざかっていくのを見て知らせている時間はないと判断。護衛達に見咎められないように一旦、近くの茂みの中へと身を潜ませると護衛達の死角をつきながら影の後を追うのだった。
最初、影の方も護衛達に見つからないようにか木の影や茂みの隙間を縫っていたが、やがて距離が十分に離れるとすぐさまダッシュ。その距離を一気に離し始めたのだった。
これを見て刀弥も急ぎ足で追いかけ、護衛達と距離を開くと影と同様に一気に駆け出す。
影も刀弥も足音はできる限り抑え姿勢も低姿勢を維持している。これは獣に見つかるのを避けるためだ。
さすがにこの状態で数を武器に襲われるのは影にしても刀弥にしても絶対に遠慮したい事態。そのため、両者はそんな姿勢で走っているのだ。
走り方としてはペース重視の持久走型。相手の目的地が目的地だ。当然そうなる。
刀弥もまた同様の走り方だが走ることを得意としている分なのか、彼の方が若干早い。二人の差は僅かずつではあるが時間の経過と共に縮まっていった。
そうして急な坂を下り終えた時、影が刀弥の方へと振り返る。
「しつこいわね」
「何をしているんだ? ミレイ」
そう言って走っていた影、ミレイに話しかける刀弥。すると、ミレイはため息を吐きこう答えた。
「草原に向かうのよ」
「……やっぱりか」
今度は刀弥がため息を吐いてしまう。彼女の答えがあまりにも予想通りのものだったためだ。
「お前、マグルスに止められていただろ? やめとけ」
「……見てたの?」
怒りの混じった声を発するミレイ。どうやら見られていたことがお気にめさなかったらしい。
「まあな」
睨んでくるミレイに目をそらしつつ刀弥は頷く。
「だから、嫌がっても無理矢理連れて帰るぞ」
ミレイの気持ちはわからなくもない。けれども、マグルスの理屈も最もである。復讐に囚われた者が冷静でいられるはずがない。必ずどこかで周囲への注意を怠ってしまうものである。
強力な相手ほど一度のミスが致命的になるものだ。だからこそ、マグルスはミレイの参加を認めなかったのだろう。
脅す意味も含めるために少し怒気を混ぜた宣告をミレイに告げる刀弥。しかし、当のミレイはと言うと涼しい顔でこう返してきた。
「どうやって連れて帰るの?」
「? どうやってってそりゃあ……」
もときた道を――と言いながら振り返る刀弥。が、そこでようやく刀弥はその事に気が付く。
彼の目の前にあったのは登ることも難しそうな急激な斜面だった。下るだけならバランスに気をつけ飛ぶように降りていけばどうにかなるだろう。だが、登るとなると両手両足をしっかりと使わなければならず、抵抗する少女を無理やり引っ張って登るとなるとどう考えても不可能という答えしかでてこない。
「回り道をして道に戻る?」
返答に詰まった刀弥にさらに問いを重ねてくるミレイ。だが、その選択肢がないというのは彼女なら知っているはずだ。
刀弥にとって見知らぬ場所の上にこの暗闇だ。地図は持っているが現在地がわからない以上、きた道を戻る以外の選択は遭難の可能性すら有り得る。
ミレイなら現在地も道がある方向も知っていよう。だが、草原に戻りたがっている彼女が大人しくその場所を教えてくれるわけがない。つまり、現状刀弥は彼女の後に大人しく付いていくという選択肢しか存在しないのだ。
「……だからここで待ち構えていたのか」
ここまでくれば連れて帰ることはできない。それを確信していたからこそここで足を止めたのだ。
「さあ、どうかしら」
恨みがましい刀弥の視線をミレイは涼しい顔で受け流す。
「それで……どうする?」
「…………わかった」
苦渋の決断。けれども、それ以外の道はない。
こうして刀弥はミレイの目論見通りリアやマグルス達の戦っている草原地帯へと向かうことになってしまったのだった。