六章三話「進撃する怒りの元凶」(1)
人の声が聴こえてくる。
聞こえてくる声は一つではなく複数。多くの声は焦りを含んでおり、徐々にだが声の規模が広がっていっているのがわかった。
その音でたまらず刀弥は目を覚ましてしまう。
身を起こしベッドから起き上がる。短いが軽く眠れたためか体の疲労はある程度とれていた。
その事を軽く体を動かして確認すると、刀弥はベッドを後に部屋の扉から顔を出してみる。
通路にはいくつもの人の姿があった。種類は二種類焦りを浮かべる者と戸惑いを浮かべる者。焦りを浮かんでいる者は事態を把握している人達なのだろう。反対に戸惑いを浮かべている者は自分と同じ事情を知らない者達に違いない。
「何かあったのかな?」
いつの間にかリアが後ろからやってきていた。
それを背後に振り返って確認すると刀弥は周囲へと視線を動かす。
「みたいだな。それもこの慌てよう。かなりやばそうだ」
彼らの動きは明らかに手慣れた対応ではない。つまり、想定外の事態が起きているという事だ。
「どうしようか?」
「……」
今後の動きを尋ねるリアに刀弥は無言。少し考える素振りをしてからとりあえずといった様子で焦りを浮かべ通路を走ろうとしていた男を呼び止める。
「すみません。なにかあったんですか?」
突然の刀弥の呼びかけに男は苛立ったような顔を一瞬見せたが、すぐに冷静に戻ったのか首を振り次のように応対する。
「……外からの連絡でドラインっていうやばい獣がここイステリアに向かっているらしい。それで街中がその対応で追われているんだ」
ドライン。その言葉を聞いて刀弥はミレイが言っていた話を思い出す。確か両親を殺した獣がそんな名前だったはずだ。
「そんなに大変な事なんですか?」
後ろから付いて来ていたリアがそう問う。
「馬鹿でかい上に強いからな。毎回、退治する度にかなりの被害がでている。まあ、それだけならいつも通りなんだけどな」
自嘲の含んだ笑いを漏らして俯く男。どうやら今回はそれだけでは済まなかったらようだ。
「何か想定外要素が起こったのか?」
その雰囲気に考えるより先に問いが出てしまう刀弥。すると、その途端男の顔が苦々しいものに変わったのだった。
「……どういう訳か、今回は二体も出現しやがったのさ。こんな事今までなかったのに……」
すぐにでも悪態を吐きそうな顔でそんな内容を告げる男。
一方の刀弥達はそんな男の表情よりも気になることをさらに訊くのだった。
「それで街の対応は?」
「一応、迎撃には出るがなにせ二体だ。撃退できるかかなり厳しい。だから、非戦闘者は避難してもらう手筈なんだが……」
そこで難しい表情を男が作る。
そんな彼の表情から刀弥達は何が問題なのかを推測し、それに見当がつくと今度はそれを口にしてみることにした。
「避難者の護衛の数と迎撃の数。その割り振りで揉めてるのか?」
「…………」
返答の代わりに項垂れで男が応じる。
要するにどちらに力を割くかの問題だ。迎撃を諦めるなら避難の護衛の方に人数を割くべきだが、倒す方に人数を割けば倒せる確率は増えるし時間稼ぎにもなる。
通常なら恐らく迎撃の方に人数を割いて避難側の人数は最低限にしているか、そもそも迎撃できる見込みが高いので避難をしていないのだろう。だが、二体という前例のない事態に悲観派は無意味に迎撃に人数を割くべきではないと考えた。
そしてどうせ迎撃に失敗するのなら避難の護衛に力を増して道中の安全を確保すべきだという案を提案したのだ。
無論、戦う事を希望している側にしてみれば受け入れる案ではないし、プライドも傷付くだろう。
そうして今も終わることのない会議を続けているのだ。
「……ちなみに到着は?」
「日が変わる頃だろうという予測だ」
外を見ると既に夜遅い時間帯だという事がわかる。つまり、余り時間がもうないという事だ。
「通例通りなら迎撃はどうなってるの?」
今度はリアが尋ねる。
「希望した討伐チームと有志がでることになる」
「受付とかは始まってるの?」
「可能なら子供の手も借りたいくらいさ。連絡が来たと同時に設置されている」
「場所は?」
そうして男が場所を答える。それで聞きたいことは終わった。二人は男に礼を告げる。
礼を告げられた男は軽く頷きを返すと足早にその場を去っていった。
残された二人は顔を見合わせる。
「どうするの?」
「参加に決まっているだろ」
不安そうな顔で聞いてくるリア。それに刀弥は当たり前だとばかりの顔で答えた。
その返事にリアの不安がますます深くなる。
「その腕で?」
「…………」
目を細めじっと見つめて訊いてくるリア。その視線に、たまらず刀弥は視線を逸らしてしまう。
「その腕で無茶は絶対に駄目。今回は私だけが参加するから刀弥は避難側に回るの!!」
「しかしな……」
リアの案が妥当であることは刀弥も認めるところだ。けれども、心配とプライドの入り混じった複雑な感情がその判断を否定しようとする。
「駄目ったらだ~め」
何かを言おうとして口を開きかけた刀弥。その口をリアの人差し指が押さえつけた。
「今回は大人しくいているの」
いつになくリアの態度が厳しい。どうやら左腕の怪我で相当心配させてしまったようだ。
「……わかった」
仕方なく彼女の要求に応じることにする刀弥。
悔しいがリアの言い分も正しい上、前回心配をかけた手前もあってあまり無理を言い続けるのもはばかられたためだ。
「本当!?」
彼の返答にリアが一瞬驚く。その反応に刀弥は大人しく言うことを聞くのがそんなに意外なのかと少しむっとしてしまうが――
「よかった~」
ほっとした緩んだ彼女の顔を見てそんな不満も吹き飛んでしまう。
「……とりあえず外に出るか」
しばらくリアの安心した顔を眺め続けていた刀弥だったが、やがて我に返りその事が恥ずかしくなると顔を赤らめつつ彼女にそう提案したのだった。
「あ、そうだね。いろいろと情報を集めといた方がいいだろうし……」
ドラインについての情報に過去の戦闘内容、避難者の集合場所と避難ルートに避難中の懸案事項。確認したいことはかなりある。
早速、二人は荷物をまとめ宿屋から出ることにした。
外に出てみると予想通り街中を人々が慌ただしく動きまわっていた。
避難を決め込んでいる者達は乗り物や移動向けの獣の背に急いで荷物を詰め込んでいる。一方戦う事を決め込んだ者達はドラインの現在位置等の情報を得るためか、皆動きまわって適当な人物を声を掛け合っているところだった。
「うわ~。忙しそうだね」
そんな彼等の様子を見てリアがそんな感想を呟く。
緊張と焦りを孕んだ街。最早この街は安全な場所ではなくなっていた。
「ふざけないで!?」
そんな中、二人の耳に見知った少女の叫び声が飛び込んできた。
驚き顔を見合わせた二人は声の聞こえた方へと急ぎ足で向かってみる。
そうして少し進むと、そこには見知った顔が二つ向かい合って揉めていた。
一人はマグルス。彼は腕を組み向かいの相手を見据えている。そんな彼の視線の先にいるのは目を細めて彼を睨みつけているミレイだ。
「ふざけてはいない。もう一度言うぞ。お前の迎撃参加は許可しない。早々に避難の準備を始めろ」
「それがふざけているって言うのよ!? どういうつもり!! 迎撃への参加を許可しないなんて……」
マグルスの宣告に間髪をいれずに反論するミレイ。どうやらドラインを迎撃する方への参加を認めてもらえなかった事を怒っているようだ。
声を掛けても無視されるか怒りの飛び火をもらう可能性が高い。とりあえず二人は様子を見ることにした。
「そんな状態で戦いに出ても邪魔になるという事だ。まさか、俺達がお前の事を知らないと思っていたわけではないだろ?」
「っ……」
威圧とも言えるマグルスの言。その言葉にミレイは反撃をすることができない。
「とにかくそういう理由だ。お前の気持ちはわからんでもないが、いたずらに挑んで勝生き残れる相手ではない。ご両親もお前の死を望んではいないだろう。諦めろ」
そうして去っていこうとするマグルス。
「待ちなさい!!」
そんな彼を追いかけようとするミレイ。だが、次の瞬間背後から現れた人物の手刀を受けて倒れてしまった。
地面に落ちていくミレイを見て掛けようとする刀弥。けれども、手刀を行った人物が彼女を抱きとめたことで動き出していた足を止める。
彼女の手刀を放ったのはマグルスやミレイと同じ『ウィルバード』のメンバーだった。
「彼女を荷馬車に運んでおいてくれ」
告げるマグルスに首肯を返す仲間。それを確認するとマグルスは去ってしまう。
そんな彼を見送った後、仲間はミレイを担ぎ直すとそのままどこかへと去っていってしまった。
そんなやり取りを最後まで眺めていた刀弥とリア。
「……声掛けられなかったな」
ポツリと刀弥の口から漏れでたそんな言葉。それが二人にとっての結果であった。