六章一話「道すがら」(3)
そこは刀弥達がいる街道とは違う場所だった。
場所は森の中であるが、位置としては刀弥達の場所から遠く離れた場所だ。
時間は夕方。そのため、森の中は一面朱色の光に染まっている。
そんな森の中に少年の影があた。
山鳩色の髪に青緑の瞳。小さな体躯と幼い童顔は彼が子供であることを指し示しているが、その性格は子供が持つ無邪気さをより悪い方向へ強大化させたような性格である。
そんな少年、ルード・ネリマオットは暇そうな顔で目の前の作業を眺めていた。
彼の眼前で行われているのは実験のための作業である。現在、彼が手を結んでいる相手であるレグイレムの研究者がルードのゴーレム達によって取り押さえられた獣に向かって小さな魔具を埋め込んでいるのだ。
必死に抵抗する獣。けれども、それを抑えこむゴーレム達の方がその力も数も上だった。ほとんど動けないまま魔具を体内に埋め込まれてしまう。
埋め込まれた場所は頭部、脳付近。体内へと侵入した魔具は静かに己を起動させると早速その役目を果たし始めた。
「終わったのかい?」
研究者が獣から離れ何やら手元の魔具を眺めているのを見て尋ねるルード。
しばらくの間、研究者は答えないまま魔具を操作していたのだが、やがてひと通りの事が終わったのか顔を上げルードの方へと向き直り先の問いに答えを返した。
「ああ、終わった。そいつはもういいぞ」
「了解っと」
その返答にルードはすぐさまゴーレムに意思を飛ばす。
命令の内容は獣から手を放し放れること。それはすぐに実行された。
拘束から解放され自由を得た獣。けれども、先程の暴れっぷりはどこへやら、獣は動く様子を見せなかった。
どこか虚ろな瞳で前方を眺めたまま立ち上がろうともしないのだ。
その結果に研究者は予定通りとばかりに頷くと手元の魔具を操作する。
すると、その操作に反応したのか、獣がすくっと立ち上がり始めた。
「よし、こいつもいけそうだな」
そう呟き、満足気に頷く研究員。そんな光景をルードは遠目で観察していた。
彼らがやっているのは取り付けた獣を操作可能状態にした上で強化させる魔具の動作実験である。
この世界が選ばれたのは実験に向いた強力な種が多いことと、強化された能力を調べる際の質の高い対戦相手がいるためだ。
「なんていうか……同じ事の繰り返しでつまんないな~」
誰に言うでもなくそう愚痴るルード。
アイゼイルでやることがなくなったのでここイスターシャに来たルードだが、さすがに何度も同じ光景は見るのは飽きてくる。
面白そうだと思ってレグイレムに協力したが、失敗したか。
ふと、そんな考えがルードの頭に過ぎったその時だ。
突然、立ち上がり歩いていた獣が動きを止めた。
命令を受け付けなくなった獣に不審顔になる研究者。彼は思わず獣の方へと歩み寄ってしまう。だが、その判断が彼を危機に陥らせた。
次の瞬間、獣が研究者に向かって飛びかかったのだ。全身を使った跳躍。研究者は唐突の反撃に体を動かすこともできない。
研究者に向けて伸びていく獣の爪。その爪が研究者の体に届くかというその時――
突如、獣の首が宙を舞った。
研究者の眼前にピタリと止まる獣の爪。己の命を奪い掛けていた凶器が目の前で停止したことに研究者は驚き、慌てて周囲の状況を把握しようとする。だが、周囲には自分とルード、そして獣の姿しかなくそれ以外の存在は見つからない。
どういう事だと現状を理解しきれない研究者。けれども、少し時間が経ち落ち着きを取り戻すと事前に聞かされていたルードに関する情報を思い出した。
確かの彼が保有するゴーレムの中には姿や足音を消せるステルス機能を備えたゴーレムがいたはずなのだ。
その事を念頭に置き、再度周囲を見渡す。すると、獣の首の付近に僅かながら揺らめく輪郭が存在した。
研究者に種がバレたことを悟ったルードは『ばれちゃったか』というような表情を浮かべるとパチンと指を鳴らして合図を送る。別にそんな事をしなくても指示は送れるのだが、少し格好をつけたい気分だったのだ。
彼の合図と同時に揺らめく輪郭が実体を表す。姿を現したゴーレムは両手で巨大な大剣を握っていた。その迫力に思わず研究者はゴーレムと大剣を見入ってしまう。
「一応、傍に隠れさせておいたんだけど……正解だったみたいだね」
そこへルードの声が飛んできた。
「た、助かった」
油断していたところを助けられたという事もあって顔を赤くしながら研究者が礼を告げる。
そんな彼の態度にクスクスと笑ってしまうルード。
「気にしないで。面白い顔も見れたし……何より、こういうトラブルがないとやっぱり面白くないしね~」
言葉の後半、それまでの微笑ましい笑みとはうってかわって浮かぶ嗜虐的な笑み。その豹変に研究者は一瞬、身震いを起こしてしまった。
「……ところでこいつ殺しちゃったけど……良かったのかな?」
「……コントロールから逃れてしまったんだ。仕方ない。悪いがまた新しい奴を捕獲してきてくれ」
「了~解」
そう応えるルード。と、同時に彼の周囲から幾体ものゴーレムが出現した。
ゴーレム達は主の声なき指示に従いあっという間に周囲へ散っていくとやがてその姿が見えなくなる。
後は彼らが適当な獣を見つけるのを待つだけだ。見つければ周囲の仲間のゴーレムと連携をとって捕獲。そうしてここへと連れて行く手順となっているのだ。
「さてさて、今度の獣は何かな~」
鼻歌交じりにゴーレムを見送っていたルード。が、そんな彼に研究者が忠告を投げ掛けてきた。
「……忘れているとは思わないが、ここでの我々の目的は実験だけではないぞ」
「わかってるよ」
気楽な声でルードは軽く返答する。
「コードネーム『ブラッドレイン』。こっちでは『ドライン』と呼ばれている珍しい獣だっけ? それの捕獲も僕達の仕事なんだよね」
「……覚えているならいい」
しっかり覚えていた事に安堵したのだろう。言葉に混じって研究者が安堵の息を吐いているのが見えた。
彼らが探しているのはとある生物だ。今いる研究者とは違う研究者が考案した計画。その計画のためにその『ドライン』という生物が必要なのだ。
他者の計画の使い走りをされているにも関わらず、真面目にこなそうとする研究者。
その事にルードは苦笑してしまう。とそんな時、ゴーレムの一体から連絡がやってきた。どうやら適当な獣を捕まえたらしい。
「捕獲したよ」
「わかった。向かおう」
研究者がそう応えると早速、ルードが前を行き先導していく。捕獲した場所は既に送られてきた情報からわかっていた。故に後は彼をそこに連れて行くだけなのだ。
道中、研究者が他のメンバーと連絡をとる。実のところ、この実験をしているのは彼ら二人だけではない。
二人とは別の所で別のメンバー達がこの実験を繰り返しているのだ。
「他のところは順調なようだ」
「得られたデータが楽しみ?」
連絡を見て口の端を緩める研究者に何気なくルードが尋ねる。
「まあ、そうだな。先程ので支配力がまだまだ弱いことが確認できた。とりあえずそれに関する注意を促しておいた」
それに妥当な判断だと内心で同意するルード。それを知っているなら安全なターゲットを選ぶこともできるし、そうでなくても事前に対策を練ることができる。
「少々とれるデータ量が少なくなるが、現状は無理する必要はない。確実にデータを集めさせる」
「堅実だね~」
堅実すぎてつまらないとルードは思ってしまうが、それを口に出すことはなかった。自分の意見がわがままに過ぎないことを自覚していたからだ。
変わりに彼は自分達が行く先を見つめる。
「それじゃあ、せめて何かイレギュラーが起きることを祈るかな」
誰にも聞こえないくらい小さな声で呟くルード。
気が付けば空は暗闇に差し掛かろうとしていた。