短章五~六「過ぎ去っていった時間の大切さ」(5)
それから数日……
相変わらず刀弥達は和馬の小屋を行ったり来たりする生活を送っていた。
あれから片手で数えられるほどしか日は経っていない。にも関わらず和馬の容態は日を超える毎に弱体化していっている。恐らくこのペースだと医者の見立て通りの流れとなるだろうというのが刀弥達の見解だ。
話はと言うとこの頃は和馬が何かを伝えるかのように己の旅について語ることが多くなっていた。
彼の旅は基本的に無限世界を調べている施設や伝承、場合によっては自分と同じような境遇に陥った人を尋ねるためにそこを目指すといった旅の流れだ。
目的の達成に必死になっていたせいもあるのだろう。旅は一人でしており、人との交流や世界の体感は必要最低限しか行なっていなかったのが話を聞いているうちに自然と理解できた。
そうして医者が見立てた五日目がやってくる。
「……お、おお……………………きた……か」
小屋に入ってしばらくしてから響く弱々しい声。声の主は当然ながらこの小屋の主だった。
最早、別人としか聞こえないほどかすれてしまった声に最早骨だけと見てもいいほどやせ細った体。彼の姿は最初に見かけた時と比べてすっかり変わり果ててしまっていた。
「どうじゃ? この体。どうやらいよいよのようじゃよ」
笑っているのだろう。声なきかすれた呼吸音が僅かに曲がった口の中より発せられる。
そんな彼を刀弥達は複雑そうに見つめる。
ただ一つの願いのためにその半生を費やしてきた老人。しかし、思い虚しくその願いは叶えられぬまま一生を閉じる。そんな彼の人生が痛ましく思えてしまったのだ。
無意識に同情的な視線を向けてしまう刀弥とリア。
けれども、和馬はそんな二人の視線を感じ取ったのか。目を細めこう言ってきた。
「そんな目で見るでない。確かに願いは叶わなかったが、最後の最後に同郷の者と出会えた。お前さんにとってどうかはわからんが、儂にとっては少しばかりの慰めになったのは確かじゃ」
「それならよかったです」
その言葉は建前ではない。心残りはあれど刀弥はこの世界に来たことを不幸な事とは決して思っていないからだ。その上で誰かの慰めになるのなら、それは彼にとって喜ばしいことである。
「……ところでじゃ。死の間際にきて少し気になることができたのじゃが……」
「なんですか?」
一体何の疑問ができたのだろうか。
せめて、今叶えられるものは叶えてやろうという思いもあって刀弥はその疑問について尋ねてみる。
彼の質問に和馬は目を細めると、それからゆっくりと口を開き疑問の内容を口にした。
「仮に『あの世』というものがあったとして、そこはどの世界の者でも行き着けるものなのじゃろうかと気になっての」
「…………」
一瞬、何でそんなどうでもよさそうな事を気にしたのだろうか。ついそんな事を刀弥は考えてしまったが直後、その理由に見当をつける。
彼は死後の世界ならば会いたかった女性に会えるのではと考えているのだ。
「お主はどう思う?」
再度問い掛けてくる和馬。
それに刀弥は少し考える素振りを見せてからこう応えた。
「あるとしたら、そうかもしれませんね」
考えてみれば一つの世界に一つのあの世があると考えるよりも一つだけあの世があって、そこに死後の魂が集うと考えたほうがスッキリする――そういくつもあの世があってたまるかという反抗じみた思いもないわけではなかったが――。
世界同士が繋がっているという事は全ての世界――当然、刀弥達の世界や他の閉鎖世界も含む――は一つの集合体を成す構成要素であるという可能性もあるはずだ。
その集合体にあの世というものが付随しているのなら、全ての死後の魂はその場所へと集うこととなる。
無論、単なる個人の想像でしかないので本当にそうなのかはわからない、というか確かめようがない。そもそも刀弥本人とすれば死後の世界など全く信じてなかったりする。
けれども、再会を夢見て必死に旅を続けていた和馬の事を考えるとなんとなくそうであってほしいと思わずにはいられなかった。
「すまんの」
気を使わせてしまったと思っただろう。
そう言って和馬が謝ってきた。
「いえ、気にしないでください」
それに刀弥は苦笑気味に返事を返す。
「……ここに来て――地球の時間で――七五年……あまり、気にしていなかったが人生の半分以上はここで過ごしているという事になるのじゃな」
今更ながらの発見なのだろう。漏らした呟きには驚きが含まれている。
「こうなると、最早儂は無限世界側の人間と呼んでいいのかもしれんの」
確かに住んだ時間で言えば無限世界側の方が圧倒的に長いので、そう見てもいいのかもしれない。
「帰ることに必死だったせいで周りを見る余裕はなかったが、今思うと儂の旅はいろんな人に助けられたの……」
そうして和馬は名前とどんな事を助けられたのか。一つ一つ声に出しながら届かぬ礼を口にしていく。
それに黙って耳を傾ける刀弥とリア。
やがて、和馬はここにいない皆に礼を言い終えると一度大きく息を吐き、それから刀弥の方へ視線を向けた。
「お前さんの旅もきっといろんな人達に助けらているはずじゃ。決して儂のようになるでないぞ」
「もちろんです」
思い出そうとすればすぐに思い出せる出会いともたらされたもの。特にもたらされたものは様々だ。
意思や夢、厳しい現実に想い、形あるもの、ないものに加え言葉にできるものとできないもの。いろんなものを刀弥は彼らからもらった。
人は一人では生きられない。実際、元の世界でも無限世界でも多くの人に助けてもらっている。
だからこそ、その事に感謝し同時にその分だけ何かを返せるようにならなければならないのだ。
「俺も受けた分の恩ぐらいは返したいですから」
強くはっきりとそう宣言し顔をほころばせる刀弥。
そんな彼を見て和馬はゆっくりと目を細めた。
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強い意思を含んだ刀弥の顔を見ていた和馬。
そこからは何が何でもやってみせるというような必死さは感じ取れない。が、その変わりそうありたいと願う彼の決意を感じ取ることができた。
それくらいが丁度いいだろう。目を細めながら和馬は心の中でそう思う。
強い意志はいかなる困難が立ち塞がろうと突き進み続けられるが、逆を言えばその意思が変わることも難しいという事も意味している。
旅は多くの出来事を経験し己自身を変化させていく。自分はその機会をふいにしていたのだ。
この少年には自分がしてしまった失敗を繰り返してほしくない。そういう想いが彼の中にあった。
だが、その心配は杞憂だったようだ。彼は帰ることに拘ることなくこの世界を楽しんでいる様子だった。
「…………そうじゃな……儂も少しくらいは周りを見渡しておくべきだったのかもしれんの」
そんな言葉が自然と口から漏れる。
先程思い返していた情景。それが自然と頭の中で再生された。
境遇に同情されたり、同じ目的地だからと手伝ってもらったり、そして別れ際に帰還が叶うことを祈られたり……
今更ながらに彼らに感謝してしまう。それと同時にすまないとも……
いろいろと話しかけられたのに戻ることに一生懸命でそういった事にぶっきらぼうに返していた自分。今思えば情けない限りだ。
ここに至るまでの旅。自分は多くの人に助けられていたにも関わらず、その事に気が付かなかった。気が付いたのは病が発覚してからだ。
先代の酒場のマスターが度々顔を出していろいろと面倒を見てくれた。それで和馬は己が今もそしてかつてもいろんな人に助けられていたという事に気が付いた。
まぶたが重くなってくる。
たゆたうような意識の揺らめき。眠りの淵の中で感じるような感覚だった。
どうやら夢の時間がやってきているらしい。その事に気が付いて和馬は瞳を閉じる。
今度の夢はかなり長くなりそうだ。意識が自然と深くへ深くへと沈んでいく。
現実ではないどこかへと運ばれていく感覚。そんな中で和馬はこれまでの人生を振り返った。
いつまでも続くと思っていた元の世界での人生。再会を願い必死に旅を続けた無限世界で人生。夢叶わず悲しみにくれていた寝たきりの人生。けれども、最後に同郷の者と出会えた僅かな時間。
帰還を果たせなかった後悔は確かにある。果たしたかった己の想い、晴らしたかった彼女の心配。それができなかった事は間違いなく心残りだ。
けれども、その一方で悪くない出来事もあった。人の親切や見慣れぬ光景。かなり遅いが、それでも最後の最後で気が付くことができた。
自然と満足感が込み上げてくる。沈んでいく意識は徐々に薄れやがては闇へと消えていくだろう。
しかし、そんな中で和馬はこう思う。
『ああ、悪くない人生だった』と……
抱いた想い。それと共に和馬は永久の夢に落ちていったのだった。
大きな部分はこれで一段落です。
後はその後の部分の話をしてこの短章は終わりとなる予定です。