短章五~六「過ぎ去っていった時間の大切さ」(4)
「すまんの。愚痴っぽくなってしもうたわ」
自分の思いを全て吐き出したためだろう。少しすっきりした顔の和馬がそう言って謝ってきた。
「いえ、気にしないでください」
元の世界にいる彼女に再び会いたいと願い戻る術を血眼になって探した和馬。その時点で彼がその彼女のことをどれだけ思っていたのかすぐにわかった。
ならば、彼にとって何の進展もない日々はさぞ不安と焦りに苛まれた時間だっただろう。
「まあ、そういう経緯で儂はここに来て現状に至るわけじゃ」
「なるほど」
そうして今の結果に至ったのだから彼にしてみれば悔しいという心情でしかないはずだ。
そんな考えに刀弥がふけっている時だ。
「お前さんはどうなんじゃ?」
「え?」
唐突に和馬がそんな問いを投げ掛けてきた。
何を尋ねてきているのかわからず思わず聞き返してしまう刀弥。
そんな彼に和馬は再び質問を繰り返したのだった。
「お前さんは元の世界に戻りたいとは思わんのか?」
「俺は……」
問われ自分の心情を見つめ直す。
最初に浮かんだのは妹や家族、そして学校のクラスメイト達だ。
確かに元の世界に未練がないと言えば嘘になる。けれども、戻るのが難しいと聞いた時点でその辺の心の整理はつけているつもりだ。それに――
「……戻ることよりも今ここにいる世界に興味を持っていますので」
はっきりと顔をほころばせて刀弥は答える。
無限世界を巡りたい。元の世界に心残りがある一方、その思いもまた刀弥にとって嘘偽りない本心だった。
いろんな姿を持つ世界。そんな世界を土台として成り立つ様々な文明や技術。それらの存在を見て刀弥は驚き同時に好奇心を掻き立てられた。
右も左もわからずこれからどうしていくか迷っていた時に誘われて始めた旅ではあるが、いざそういったものをその目で見てしまうと自然と気になってしまう。
それがどういうものなのか。それがどういう仕組なのか。知らないものに対する関心や見知らぬ場所を見て心が沸き立つのは誰もが持っているものだ。刀弥もまたその例にもれない。
恐らく和馬もそういう興味はあったはずだ。ただ帰りたいという思いが強すぎてそれらは心の片隅に隠れてしまっていたのだろう。
刀弥の口にしたのはそんな誰もが抱くであろう思いであった。
「そうか……」
彼の答えに和馬は静かに応える。心なしかその返事にはどこか安堵が含まれているように刀弥には感じられた。
応えて後に和馬はコップを手に取りお茶を飲む。
お茶を飲むのにそう時間が掛かるとは思えない。しかし、カップを置くまでの間、刀弥にはその間の時間が長く静かに感じられた。
コトン。カップの置かれた音。その音で会話が再開する。
「そいつはよかった」
出てきてのは彼の思いを喜ぶ言葉。と、その言葉を合図に和馬が表情を緩めた。
「もしお前さんが儂と同じ様に戻ることを目的としているのなら、一言言いたかったんじゃが……どうやら必要なさそうじゃな」
「言いたかった事とは?」
何を伝えたかったのか。それが気になった刀弥はすぐさま尋ね返す。
老人の言を重要視する程、年長者に敬いの心はないがそれでも経験者からのアドバイスだ。何かしたら道筋にはなるかもしれない。
刀弥の質問に目を細め彼の顔を注視する和馬。そうしてから彼はその言葉を刀弥に伝えた。
「『今を楽しめ』とそう言いたかったのじゃ」
伝えられた言葉。その言葉を刀弥は頭の中に刻みこむように反芻する。
「過去は変えられんし、未来なんて分かるわけもない。結局のところわかり変えられるのは今だけなんじゃ」
チラリと窓の外を眺める和馬。その一瞬で何を思ったのか刀弥に知る術はないが、恐らく己の過去を思い出していたのだろうと予想する。
「今という時間は見渡せばいろいろなものが見つけられる。出会い、思考、選択、結果。探せば必ず何かしら見つかるじゃろう」
そう言って和馬は大きく頷いた。
「全てがお主にとって良いこととは限らない。しかし、それらは『今』だからこそ得られる貴重なものじゃ。加えて言えばそれが良いか悪いかなんてすぐに決まるわけじゃない」
少なくても儂ぐらい生きんとな、と苦笑交じりに和馬は告げる。
軽い調子でウインク。それを見て刀弥もリアも笑みを漏らしてしまった。
「まあ、何が言いたいかと言うと、結局最初に言った通り『今を楽しめ』という事じゃ。無限世界だからこそ経験できた出来事もあるじゃろうし、お主の年齢じゃから感じられることもあるじゃろう。それは元の世界、儂の年齢じゃ得られないものじゃ。じゃから、今という中で得た思い出は大切にするんじゃぞ」
そう言って話を締めくくる和馬。
こうしてこの日の和馬と刀弥の話は終わりを迎えたのだった。
――――――――――――****―――――――――――
時間的に丁度いい事もあって、刀弥とリアは村へと向かう。
酒場に辿り着くと、丁度準備が終わったのか湯気の立ち上ったバスケットがカウンターに置かれていた。
「お、来たか」
二人の存在に気付いたマスターが声を掛けてくる。
「すいません。お待たせしました」
バスケットを受け取りながらそう刀弥。
そんな彼にマスターが『まあ、急がず座れよ』と手振りを示す。
確かに時間にも余裕があるので急いで戻る必要はない。そのため、二人は席に座ることにした。
席に座ると同時にマスターが飲み物を出してくる。
「奢りだ」
「ありがとうございます」
礼を言って二人は飲み物を口にした。
出された飲み物はジュースのようだった。酸味の強い味の後に口の中を転がるような甘さが流れ込む。
その美味しさに思わず二人はジュースを一気に全部飲み干してしまった。
「お、気に入ってくれたようだな。この様子なら商品として並べても問題無さそうだな」
そんな二人の反応にマスターは気を良くする。それで二人は出されたジュースが試作品だった事に気付いた。
「ただとはいえ何の説明もなしにいきなり試食ですか……」
何の説明もなかったことに苦笑する刀弥。それはリアも同様だった。
「ははは、一応自分でも飲んでるから酷いものじゃない事だけは確認済みだ。後は味の評価を集計するだけ……で、反応からわかっているけど味の感想を聞かせてもらってもいいかな?」
「美味しかったですよ」
「私も。これ、十分商品として出せると思います」
既にバレていることなので素直に感想を伝える。
二人の感想にマスターは嬉しそうに頷き、そうしてからおかわりを差し出したのだった。
「……と、そうだ。これはあんた達に言っといた方がいいな」
と、そんな中突然マスターがそんな事を言ってくる。
「なんですか?」
内容が気になり尋ねる刀弥。
すると、マスターは少し迷った素振りを見せてから次のような事を話しだした。
「いや、何。爺さんの診察をしている医者が今日顔を見せに来たんだが、その時に爺さんの体調の話になったんだ」
「……それでどういう内容なんですか」
大方の予想はついていたが、それでも刀弥はあえて聞いてみる。
「もう体が限界らしくてもって後五日程度だって話だ」
「そうなんですか」
その話を聞いて悲しそうな表情を浮かべるリア。それは刀弥も同様だ。
「まあ、わかっていた事ではあるが、やっぱり聞かされると辛いもんでな……悪いけど、爺さんの事頼んだぞ」
そんな二人を見てマスターもまた目を伏せるが、すぐに刀弥達の方へと視線を向け直すと託すように力強く語りかけたのであった。