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〈Ⅰ〉 銀の亡霊

こちらは本編<悪魔の御子>の番外シリーズにあたります。

この小説だけでも十分読めますのでご安心ください。

 雲間から洩れる満月の光が窓に射し込み、壁に人影をくっきりと浮かび上がらせる。

 乱れた呼吸に合わせるように激しく動く影は、ぴたりとその動きを止めた。

「な、何の真似・・・っ!!」

 突然視界に入った鈍く光るモノに男は驚いた。

 ベッドに横たわったまま、視線を自分の腹の上に移したが、次に目に入ったのは月光に照らされた銀糸と真っ赤に輝く2つの宝石のようなナニか。

 叫ぼうとした瞬間鈍い音とともに真っ白な羽根が飛び散った。

 否、白いはずの羽根は真っ赤に・・・まるで、生贄の白鳥を生きたまま捌いたかのように鮮血に染まっていた。


 「・・・・・・っかげんに、起きろー!!」

「うわっ!!」

 派手な音を立てて少年はイスから転げ落ちた。どうやらしたたかにどこかを打ったらしい。あちこち擦りながらようやく彼は立ち上がった。

「もう少し静かに起こせよな」

「夕方に寝入るなよ。人が“箱”回収してきたってのに」

「そりゃご苦労さん・・・ていっつも僕がやってるんだぞ。たまにやったからって偉そうに言うなよ!!」

 少年は口を尖らせ仰ぎ見た。彼らの放課後はいつもこんな調子で始まるのだ。

「で? 何か記事書けたのか?」

 少年をイスから落とした張本人――エーリッヒ=シュナイダーは金髪の長い前髪を掻き揚げた。その下からは灰青色の瞳が現れる。

「書けてたら寝てないよ」

 イスから落ちた少年――ペーター=シープスは癖の強い黒髪を掻き毟った。

「だと思った。箱の中身見たほうがネタがあるぜ、きっと」

 エーリッヒは先程回収してきたと言う箱の蓋を開け、中身を机の上にぶちまけた。ドサドサッ、と言う音ともに出てきたのは紙束の山だった。

「投書箱なんてガセばっかだ」

 溜息をつきつつもペーターはエーリッヒに習い紙の山から一枚づつ中身を確認した。

「わはははっ、まじかよ!!」

「なに?」

「数学のハイネ先生の頭はヅラだ!! だとよ。傑作だね!!」

「真面目にやれ! 新聞の締め切りは間近なんだぞ!」

 ペーターは思わず本気でキレそうになった。

 彼ら2人は西ドイツの、とある寄宿学校の13歳3年生だった。選択科目もほぼ同じ、生活する部屋も同室の2人の放課後は新聞部の部室で書く記事に費やされていた。

 スイスの小さな村出身のペーターは入学当初かなりの差別に遭遇した。

 この学校の生徒はドイツ中から集まった、所謂『良家のご子息様』ばかりで、政治家の甥や大企業の社長子息とかの肩書きがつく。育った環境での差別は自然と発生するもので、特に小さいくせに機転が利く上に気配り上手、上級生の受けも良かったペーターは目の敵にされた。そんなペーターに最初から気さくに声をかけてきたのがエーリッヒ=シュナイダーだった。

 エーリッヒはフランクフルトに実家があり、家の資産や父親の仕事などに興味はないらしく、一度も自慢らしい話をしなかった。むしろ、親の七光りを軽蔑している様でもあった。

 だからこそ、ペーターはエーリッヒと自然仲良くなっていた。

 そんな2人の将来の夢が同じだったことから2人だけの新聞部は発足した。

「まったく、そんなのでジャーナリストになれるかよ!!」

「どんな小さなネタも取材してこそジャーナリストだ! 新聞が出なかったらますます意味がない!!」

 2人の言い合いも日常茶飯事だった。これもなくては記事は書けない。

「・・・おい、ペーター」

 エーリッヒがやたら厳重に糊付けされていた封筒を開けていたときだった。

「このネタ、取材したほうがいいぜ」

 エーリッヒから回ってきた手紙をペーターは開いた。

「・・・これ、3日前の理事長殺害事件のことじゃないのか?」

 ペーターは余りに意外なタレコミに目を丸くした。

 3日前、彼らが生活する寄宿学校の理事長が殺害された。

 この寄宿学校は授業スペースと4つの寮の他、教員宿舎と来賓宿舎がある。都心から離れた片田舎にある学校のため、来賓や父兄が来校する場合日帰り出来ないことが多い。

 父兄や卒業生からの多額の寄付で賄われている学校だけあって、来賓宿舎のほうはさながら一流ホテルにも劣らないと評判だった。その父兄には各界の著名人が多いので必然的に宿舎が豪華絢爛になっただけなのだが。

 その来賓宿舎の一室で理事長は殺されていた。銃で一発、心臓をぶち抜かれていたという。

「問題はその殺されたときの状態だな」

 投書を片手に、彼らは警察の捜査が続く来賓宿舎の前に立った。

 エーリッヒは来賓宿舎の一室、理事長が泊まっていた部屋の窓を指で示す。

「状態? つまり、寝込みを襲われたわけではないと?」

「そういうこと。あの理事・・・」

「エーリッヒ!!」

 突然背後から名前を怒鳴られ、驚いて二人は振り返った。

「ゲ・・・ゲオルグ叔父さん」

「グーデン・ターク、シュナイダー警視」

 エーリッヒはバツが悪そうに、ペーターは嬉しそうにその名を呼んだ。

 警視、と呼ばれた40歳半ばの男は呆れたように2人を見比べた。

「こんなところで何をやってるんだ。ここは立ち入り禁止だぞ」

「取材に決まってるでしょう、叔父さん。ちょっとインタビューさせてよ」

「バカモノ。ただでさえ捜査がやりにくいってのに、おまえらに構ってられるか。」

「そういわずに・・・お願い!!」

 エーリッヒは両手を組んで、『お願いします』と必死に頼み込んだ。

 このゲオルグ=シュナイダー警視はエーリッヒの父親の弟にあたり、エーリッヒが心底尊敬してやまない叔父だった。ゲオルグ自身も子供がいないせいか甥をずいぶん可愛がっていてエーリッヒの頼みは結局断れないのだ。

 だが、今回ばかりはそうもいかないらしい。

「生徒には決して洩らすなと学校側から言われているんだ。捜査も極秘に・・・と上層部から圧力がかかってる。わかるだろう、この学校の生徒の親がどういう連中か。」

 誰かに見咎められる前に部屋に戻れよ、と言い置いてゲオルグは宿舎の中へ消えていった。

「・・・仕方がない。今日は戻ろう。で、一度事件を整理しよう」

 ペーターの提案にエーリッヒは仕方なく頷いた。

 確かにこれ以上ここにいても得るものはないだろう。そう思って寮に戻ろうとしたところだった。

 アイツに見つかったのは。


「こんなところに連れ込んで、俺たちと“ナニ”したいんです? 先輩」

 エーリッヒの舐め切った台詞が終わった瞬間、彼の身体は本棚にしたたか打ちつけられた。

 来賓宿舎からの帰り、彼らは偶然会ってしまった生徒に何処かの一室へと連れ込まれたのだ。

 殴られた頬が赤くなり、唇の端から赤い血が流れた。

「エーリッヒ! 大丈夫か!!」

 ペーターは殴られたエーリッヒに駆け寄ろうとしたが、羽交い絞めにされて思うように身動きが取れなかった。

「この程度で気絶するかよ、ペーター。監督生ともあろう人がすることとも思えませんねぇ。え? アドルフ=エールリヒ先輩?」

 エーリッヒは皮肉たっぷりの笑みで目の前に立ちはだかる長い髪の少年を仰ぎ見た。

「君たちが最近こそこそと嗅ぎまわっているようなのでね。何をしているのか監督生として聞いておかなくてはね」

「で、手下の2人を連れて俺たちを拉致したわけですか? 相変わらず横暴ですねぇ。6年生ってそんなに暇・・・ぐふっ!!」

 今度は言い終わらないうちに腹に一発蹴りを喰らった。

「・・・痛っー・・・」

「叫び声を上げないのはさすがだね、エーリッヒ=シュナイダー君。話す気になったかい? ペーター=シープス。」

「何を話せと言うんです」

 ペーターはこれでもかというぐらいアドルフを睨みつけた。

 そんなペーターの顎を掴みアドルフは嘲笑した。

「理事長の何を探っている。何を掴んだ? 洗いざらいはかないと、君の親友はもっと痛い目に遭うよ?」

「何故あなたに話す必要が? ニュース・ソースは明かせませんね。エーリッヒもヤワじゃないからちょとやそっとじゃ壊せませんよ? 第一貴方たちが彼に今まで手を出さなかったのも、彼の叔父さんが警察の人間だったからでしょう?」

 ペーターの言葉にアドルフの小奇麗な顔が醜く歪んだ。

 パシッ、とペーターの左頬を平手打ち、胸倉を掴んだ。

「田舎者の貧乏人のくせしてこの名門校にいること事態僕はむかついているんだ! 言え!! 理事長の何を探っている!!」

「何故そうまで理事長にこだわるんだ? アンタ。惚れてんのか?」

 エーリッヒの軽口にアドルフの表情が一瞬にして変わった。焦るような表情に。

「あんた・・・まさか・・・」

 エーリッヒにはアドルフの動揺の理由に心当たりがあるようだった。

「エーリッヒ?」

「どいつもこいつも・・・僕に楯突きやがって!! 僕の父は政治家でこの学校の理事だぞ! 貴様らなんてどうとでもしてやれる・・・そうだ、どうとでも、何をやっても揉み消せるんだぞ。」

「今度は脅迫かよ。殴られようと俺はあんたに何一つ教えてやんないね」

「僕もだ。権力になど屈しない。田舎者だと笑いたければ笑え。蔑みたければいくらでもしろ!」

 エーリッヒの言葉にペーターが続いた。

 今度こそキレるかと思ったが、アドルフは不気味に微笑んだ。

 エーリッヒは寒気を覚えた。

「これ以上殴りつけても何も話しそうにないね。だったら・・・他の手段に変えようか?」

 アドルフの言葉が合図かのように、ペーターはいきなり床に背中を叩きつけられた。

「痛っ!!」

 そのまま腕を押さえつけられたペーターはもがいて脱け出そうとするが、アドルフの手下の少年はペーターの倍もある体格だ。脱け出せるわけがない。

「僕の言うことを聞かないなら、身体でわかってもらうしかないよね? 殴るよりもより効果的だ。どうする? エーリッヒ=シュナイダー。今、この場で君の親友を僕が汚してやるよ。おまえが喋らないのならね!!」

「よせ! やめろ!! アドルフ!!」

 エーリッヒは必死で止めようとしたがもう一人の手下がそれを遮った。

「く、離せ! ペーター!!」

「離せーっ!!」

 叫んだペーターのシャツにアドルフが両手をかけた瞬間だった。

 ペーターを押さえつけていたアドルフの手下が壁に吹っ飛んだ。

「なっ!」

「そこまでにしてもらおうか? アドルフ=エールリヒ。」

 ペーターの目に最初に映ったのは蹴り上げられた右足と揺れる黒髪だった。

 アドルフは怯えたように後退りペーターを解放した。

 エーリッヒを遮っていた少年はとっくに逃げたらしい。アドルフは顔面蒼白だった。

「大丈夫か? ペーター、エーリッヒ。2人とも寮に帰ってこないから心配して探しに来てみれば・・・。」

 黒髪の少年はアドルフを睨みつけた。

「うちの寮生は返してもらうぞ、アドルフ。いくら監督生とは言え、他所の寮生を連れ込んで私刑を加えたとあっては理事会も見過ごすわけにいかないぞ。」

「ここって、第二寮だったのか・・・?」

 エーリッヒが今更のように驚くのを少年は呆れるように見た。

「大方裏口から連れ込まれたな、おまえら・・・。3年もいて寮の場所も覚えられないのか?」

「面目ないです、ウィリアム会長」

 会長、と呼んだ少年に支えられてペーターはようやく立ち上がった。

「・・・ダービッド、僕を押し退けて会長になったからってつけあがるなよ」

「アドルフ、おまえが5年生の頃から立候補しているのは知ってるが、選挙に勝てないのはおまえの人望の無さの表れだ。監督生も理事長のコネでなけりゃ誰がおまえなんかにするかよ。第二寮じゃなかったことに俺は感謝するね。」

 ダービッドの言葉にアドルフは唇を噛んだ。

 そんな彼に背を向けて、ダービッドは両腕に2人を抱えて部屋から出て行った。

 エーリッヒは少しアドルフを振り返る。

 彼の美貌が屈辱で歪むのを見て思わず目を背けた。

 ぞっとするほどの醜悪な表情が、そこにはあった。


 ダービッドの個室で傷の手当てをした2人を待っていたのは、生徒会長による尋問だった。

 もちろん洗いざらい吐かされたのは言うまでもない。

 なぜならダービッド=ウィリアムは6年生にして生徒会長、さらに第一寮監督生を務めるツワモノだ。さすがのペーターとエーリッヒも助けてもらった手前逆らえるわけがない。

「で? その投書に書いてあったことを調べるつもりで来賓宿舎に行って帰るところを、アドルフに見つかったと?」

 ダービッドは興味深げにペーターたちの話に聞き入った。

「それで、一から整理しようと思うんです。」

「なるほどね。じゃあ、今やってみろよ。俺も情報提供してやるよ」

 ダービッドの言葉に2人は思わず立ち上がった。

「なんだってっ!!」

「何か知ってるんですか!? ダービッド」

 興奮する2人をなだめてダービッドはさらりと一言言った。

「だって俺校長と仲いいもん。あれ? 俺言わなかったっけ? 校長と出身一緒だって。」

「じゃあ、僕と同じ村の出身なんですか!?」

「あれ? 知らなかった?」

 ペーターは激しく首を縦に振った。

 なんでもダービッドはペーターと同じ村に住んでいた。だが、孤児だった彼は教会の孤児院で過ごし校長の計らいでこの寄宿学校に入ったという。

 入学当初はペーターと同じく陰湿な虐めに遭い、特にアドルフは自分の下僕にしようとしたらしい。それに抵抗した彼はアドルフを派手に殴りつけ、一般生徒の人気者になった。

「まぁ、それは置いといて、問題は投書に書いてあった『銀の亡霊』だろう?」

 ダービッドは投書文を読み上げた。

「拝啓 新聞部の皆様。僕は2年生です。名前はご容赦ください。・・・えらくご丁寧なヤツだな。」

 別の所でダービッドはいたく感心した。

「・・・先日理事長が殺された夜、僕は来賓宿舎にいました・・・」

 ―――正確にいえば、僕は理事長にその夜の11時に部屋を訪ねるよう言われました。正直僕は怖かったのでお断りをしようと思いました。ですが、監督生アドルフ=エールリヒに勧められるまま仕方なくその時間の15分ほど前に来賓宿舎を訪ねました。でも怖くて仕方がなかった僕は廊下の隅で理事長の部屋の扉を見ていました。そこまで行く勇気がどうしても出なくて。すると、カタッ、という音とともに扉が開きました。

 僕は目を疑いました。中からすぅ、と白い影が出てきたのです。廊下の窓から射し込む月光に照らされて影は銀色に光っていました。

 間違いありません、あれは噂の『銀の亡霊』です! 『銀の亡霊』が理事長を殺したんです!! お願いします。どうか真実を確かめてください。僕はこの3日まともに眠っていません・・・。

 ダービッドは手紙を折りたたみペーターに返した。

「なるほどね、理事長に呼び出された挙句『銀の亡霊』を目撃。しかも翌朝には理事長が死体で発見されおちおち寝てもいられないわけだ。しかも相談相手がアドルフということはこの手紙の差出人は第二寮の2年生だな」

「僕その手紙を読んでずっと気になってたんだけど・・・」

 ペーターがエーリッヒとダービッドを交互に見比べた。

「『銀の亡霊』って何?」

「はぁ?」

「おまえ・・・知らないのか!?」

 この発言に二人は呆れた様子だった。

「・・・おまえオカルトネタは絶対無視だったもんな。」

「3年にもなって幽霊が怖いのか? ガキだねぇ」

 エーリッヒとダービッドはこれ幸いとからかう。

「う、うるさいな!!」

「いいか、『銀の亡霊』てやつはな・・・」

 エーリッヒは寄宿学校で囁かれている噂話を始めた。

 『銀の亡霊』はここ2年ほど来賓宿舎に出るようになった亡霊で、大昔に自殺した生徒の霊が夜な夜な彷徨っている、というのが大体の筋書きらしい。

「まぁ、亡霊がいるのかどうかはともかく理事長は実際に殺されている。」

「まず考えるべきはこの2年生が何故理事長の部屋に呼び出されたかだよね・・・? エーリッヒもダービッドも変な顔して。僕何か変な事言ってる??」

 2人の苦笑気味の表情をペーターは訝しんだ。

「・・・ソドミィだ、あの理事長。」

「は?」

 ダービッドの言葉をペーターは聞き返した。言われた言葉を理解し切れなかったからだ。

「だから、ソドミィ・・・つまり同性愛嗜好者。特に10代の綺麗どころが大好物ときたもんだ。この学校にも愛人が数名いたんだが、今じゃただ1人になったな。もっともそいつが他の連中を痛めつけて独占したんだが」

「そのただ1人がもしかしてアドルフ=エールリヒ?」

「ご名答」

「信じられない!!」

 ダービッドとエーリッヒの会話を遮るようにペーターが叫んだ。

「信じられない!! ここは敬虔なカトリック系の寄宿学校だよ!! 敷地内には教会もある。なのにその理事長と生徒が・・・教義に反するなんて・・・そんな穢れた・・・」

「信仰と嗜好は別次元ということさ。今更驚くことじゃない。・・・でも、だからか」

「なにが?」

 ダービッドが何か思い出した様子だった。エーリッヒが問い掛ける。

「理事長が死んだ夜のことだ。俺は自分の部屋から外を見ていたんだ。そこをちょうど通りかかったやつがいた。消灯10時を過ぎたら誰であれ生徒は外出禁止だ。この俺でもな。・・・誰だと思う?」

 エーリッヒとペーターは揃って首を横に振った。

「アドルフ=エールリヒだ」

 3日前の夜、ダービッドはレポート作成に追われていた。監督生の仕事でもある点呼作業を消灯間際に終えて、レポートを終わらせたのが11時少し前だった。部屋の空気を入れ替えようと窓を開け、何気なく下を見たときだった。4階からだったが、その日は満月で夜でも意外と明るかったからその人影が誰かも判別がついた。「この時間に何を・・・」とダービッドは思ったがアドルフ=エールリヒのこと、何かよからぬ事を考えているかもしれないと思い彼はアドルフを尾行をした。

 だが、アドルフの行き先を見てさすがにダービッドも驚いた。

「やつが来賓宿舎に入り、理事長の部屋に行ってノックもせずに入っていった。多分合鍵を渡されていたんだろうな。」

 しばらく廊下の死角から様子を窺っていたダービッドは真っ青な顔をして出てきたアドルフを目撃した。身体をぶるぶる震わせて顔は恐怖でひきつっていた。

「で、あいつは逃げるように寮に戻っていった。俺も理事長の部屋の中を見もせずにアドルフの後を追っていったから事件の夜のことはこれぐらいしか知らない。」

「まさか、アドルフが・・・?」

 エーリッヒが遠慮がちに口を開いた。

「あいつが・・・理事長を?」

「ちょっと待って!!」

 ペーターが思わず叫んだ。

「待って。ちょっとまとめさせて。理事長が死んだ日の夜11時。この手紙の2年生が理事長に呼び出されて部屋に行ったけど、彼が見たのは中から出てきた人影・・・『銀の亡霊』だった。アドルフ=エールリヒが来賓宿舎に向かったのが11時少し過ぎ・・・ですよね?」

「あぁ」

 ペーターの言葉にダービッドは頷いた。

「理事長の部屋の前にアドルフが立ったのは11時15分頃。腕時計を見たから良く覚えてる。」

「その時2年生らしき人影は?」

「まったくなかった。人っ子一人いなかったな」

「アドルフが部屋に入って出てくるまで時間にしてどれくらい?」

「5分・・・いいや、3分ぐらいだったか。」

「・・・アドルフはきっと僕らに対して思い違いをしたんだ・・・」

「どういう意味だ? ペーター」

 話し疲れたのか、エーリッヒがコーヒーを3つ持って戻ってきた。ひとつをダービッドに手渡す。

「ダンケ、エーリッヒ。ペーター、思い違いってのは?」

 一口コーヒーを飲み思わず顔をしかめた。「これはペーターのじゃないか」といって彼に手渡した。どうやら砂糖入りのコーヒーをダービッドに渡したらしい。彼はブラック派だ。

「アドルフ=エールリヒが言ってたんです。『理事長の何を探っている?』と。アドルフと理事長の関係が・・・その・・・アレなことは皆知ってるみたいだからアドルフが今更知られて怯えることとは思えない」

「確かにな」

「憶測に過ぎないけど・・・アドルフはあの日、自分が理事長の部屋に行ったという事実を誰かに知られるのを恐れているんだと思う。もし、彼が理事長の部屋に行ったことがわかれば第一級容疑者になる。アドルフはダービッドが尾行したことは知らないだろうしね。」

「なるほど・・・俺たちを拉致し、暴行してまで吐かせようとしたことはそう言うことか・・・」

「理事長とアドルフのことは周知の事実だ。部屋に行ったことがばれれば痴情のもつれで殺したと思われても不思議じゃない。しかも、第二寮の生徒から呼び出しの相談を受けている。愛人の自分の知らないところでまた他の生徒に手を出していることを知って・・・。三文芝居にもなりゃしないな」

 ダービッドは呆れたように溜息をついた。

「この2年生がやっぱり殺っちまったんじゃないのか? 『銀の亡霊』なんてデマを隠れ蓑にしようとして。」

「それはないな」

 エーリッヒの推理をダービッドが遮った。

「そう考えるほうが自然だが、来賓宿舎の理事長の部屋からはアドルフと俺の指紋しか検出されなかった。あの部屋が念入りに掃除されたのは4日前。3日前に理事長をあの部屋に案内したのは俺とアドルフの2人だけだ。他の生徒の指紋は出なかった。」

「何でそんな警察しか知らないことを知ってるんだよ!!」

 エーリッヒでさえ叔父から聞けなかった情報だ。ダービッドはさも当然のような顔をして、「言わなかったっけ? ゲオルグ警視は校長の同級生。つまりここの卒業生。そして俺は校長と仲良しさん」と言った。

「他言無用だからダメだ! て言ったくせに!! 叔父さんの馬鹿野郎ー!!」

 エーリッヒの雄叫びを無視してペーターは1人窓の外を眺めた。

 あの日の夜にあの部屋の傍にいたのは3人。

 ダービッドはもちろん論外。 

 指紋が出なかったことと、行くことを知っててアドルフがまったく意に介さなかったことからいっても2年生はシロ。あの時間にアドルフが理事長の元へ行ったのは、ワザと2年生を行かせて浮気現場を押さえる算段だったのではないだろうか?

 そして11時15分頃に部屋に入り、3分ほどで出てきたアドルフに犯行はできたか?

「3分じゃ無理だろう?」

 ペーターの疑問にダービッドはあっさりと答えを返した。

「何で?」

 エーリッヒは疑わしげにダービッドを見た。だが、彼はそれを無視してペーターに言った。

「理事長は腹上死していたんだ。わかるか? 情交中にクッションを防音道具にされて・・・胸と銃口の間に挟まれて心臓を撃たれていた。銃で一発、な。」 

 

 翌朝、起き抜けにペーターの顔を見たエーリッヒは思わず絶句した。

「な、なんだその顔」

「結局寝付けなかった・・・」

「どうせ事件の事考えていたんだろう」

「・・・当たり」

 両目の下にくっきりと隈を作り、ペーターは大欠伸をした。

 昨夜はベッドの中に入ってからも色々事件のことを考えていた。だが、怪しいと思う人物は全て行き止まりになってしまう。こうなると本当に『亡霊』が殺したことのほうが真実味が増す。

「何の騒ぎだ?」

 昼食を終え、昼休みに玄関の傍を通った2人は人だかりの廊下に行き当たった。

「新しい理事長がいらしたんだ」

 背後から掛けられた声に2人は振り返った。そこにはダービッド=ウィリアムが珍しく制服を規定通りに着て立っていた。

「今日は理事長として学校を視察に来たんだそうだ。もっとも彼・・・ルートビッヒ=ヴィクトール=フォン=アーレンマイヤー伯爵はこの学校の卒業生だから敢えて視察する必要性はないんだがな。俺はいつもどおり新理事長を来賓宿舎に案内するんだ。・・・一緒に来るか?」

「え?」

 唐突なダービッドの言葉に2人は驚いた。

「いいんですか?」

「今週の新聞の一面は新理事長就任記事だろう?」

 ようは取材をしろ、と言っているのだ。普通なら理事長に一般生徒が直接会うことなど出来ない。この機を逃せばチャンスは潰れる。

 ネクタイを締め直し、ペーターとエーリッヒは揃ってダービッドの後ろをついて生徒でごった返す廊下を抜け階段を下りた。

 ダービッドに気付いた校長は新理事長に生徒会長を紹介した。

「ようこそ、アーレンマイヤー伯爵。生徒会長のダービッド=ウィリアムです。彼らは後輩で新聞部の部員です。不躾で申し訳ございませんが、今週の新聞記事で理事長のご紹介をさせていただきたいので取材に応じていただけませんでしょうか」

「構わないよ、ウィリアム君。」

 伯爵は端正な顔に微笑を浮かべた。

 ペーターは観察するように伯爵を見た。

 線の細い顔立ち、黒い髪を後ろに流し紳士然とした姿だった。丸々と肥え太っていた前任の、あの理事長とは正反対のタイプといって言い。が、眼鏡の奥の深緑の瞳は表情とは裏腹にまったく笑ってなどいなかった。

 その眼にペーターは思わずたじろいだ。

 怖い、と思ったのだ。何故か。

「実は今回の視察は就任の挨拶ともうひとつ目的があってね・・・ユリウス、来なさい」

 伯爵に呼ばれて1人の少年がホールのソファーから立ち上がりこっちに来た。

 その姿にペーターとエーリッヒは・・・いや、ダービッドでさえも言葉を失った。

「私の息子でね、ユリウス=アルフォルト=フォン=アーレンマイヤーだ。歳はウィリアム君と同じだが、事情があってずっと邸で勉強していてね。1年ぐらいは集団生活を経験させないと可哀相なのでね」

 伯爵に促されて少年は初めて顔を上げた。

 生きたビスク・ドール。ペーターは本気でそう思った。

 見事なまでの銀色の長髪をひとつに束ね、肌は透けるようだった。真っ白なスーツを身にまとい、長い前髪に隠れて瞳は良く見えないが、顔の中心にある形のよい鼻、紅色の唇は人形めいていた。

 廊下の人だかりの理由はこれに違いない。

 『これ』を息子だと言い切る伯爵とは似ても似つかない。

 ダービッドは平静を装って伯爵とその息子を宿舎に案内した。ペーターとエーリッヒの2人は歩きながら伯爵へインタビューをしたが、気さくに応じる伯爵とは違って生き人形のような息子はペーターたちを一瞥しただけでにこりともしなかった。

「あぁ、そう言えば校長に話すことがあったのを忘れていたよ。すまないが息子を部屋に案内してやってくれないかな? ウィリアム君」

「構いませんが、校長室へご案内は・・・」

「私はここの卒業生だよ。上の息子もね。案内は不要だ。ユリウス、いい子でいるんだよ」

 父親の言葉に、銀髪の息子は少し顔を上げただけだった。

 伯爵は子供たちに背中を向けると来た道を戻っていった。その姿を見送ってからダービッドはユリウスを彼の泊まる部屋に案内した。

 その部屋にペーターたちは三度驚いた。

「ここって・・・」

「理事長が殺された部屋・・・」

 ほんの4日前に人が死んでる部屋だ。さすがのペーターたちも気味が悪かった。

 ダービッド曰く、この部屋を今日から使うため理事会側が警察の捜査を強制的に昨日終わらせたらしい。その後徹底的に清掃された部屋に殺人事件の痕跡は跡形もなさそうだった。

「この部屋で人が殺されたんだって?」

 ビスク・ドールの唇から初めて言葉が洩れた。

「そ、そう。4日前にね。・・・やっぱり気持ち悪いよ・・・ねぇ?」

 ペーターが遠慮がちに訊く。けれども、ユリウスの表情は変わる様子もなかった。

 もっとも、表情と言える顔はまだ一度も見ていないが。

「別に・・・。見たいんだろう?」

「え?」    

「人が殺された部屋だ。新聞記者なら調べてみたいだろう? 好きなようにいじればいい。お・・・僕は別に気にならないから」

 どうやらペーターたちの紹介を彼もきちんと聞いていたらしい。

 エーリッヒはダービッドを見た。

「疲れているだろうから、俺たちはこれで遠慮するよ。滞在中の世話を校長から仰せつかっているから、何でも言ってくれ。」

「・・・ダンケ」

「じゃ、ごゆっくり」

 ダービッドは2人の背中を無理矢理押し出すようにして部屋を出た。

「せっかくいいって言ってくれたのに・・・」

「そうだぜ、ダービッド! 絶好の機会だってのに」

「バーカ、完璧に掃除された部屋に何が残ってるって言うんだよ。ジャーナリスト志望ならもう少し頭働かせて事件の謎を解けよな」

 部屋から遠ざかりつつあるも彼らの会話はユリウスの部屋に筒抜けだった。

 窓を開け、ユリウスは上着を脱ぎ捨て、髪を束ねていたリボンを引っ張った。

 部屋に吹き込む風にのって、銀髪が軽くなびく。

 風を受け、左手で前髪を掻き揚げた瞬間だった。

 ノックと同時に扉が開いた。

「すみません! ペンを忘れちまって・・・」

 部屋に現れたのはエーリッヒだった。途中でペンを部屋のテーブルの上に忘れたことに気付いて戻ってきたのだ。

 思わず振り返ったユリウスは驚いたように少し口を開けたまま表情は固まっていた。

 しかし、驚いたのはエーリッヒも同じだった。

「あ、え・・・と、あ、ペン! これ取りに・・・。あ、じゃ」

 動揺して言葉が上手く出てこなかった。それでも何とかエーリッヒはペンを引っつかんで大急ぎで部屋を出、扉を閉めた。

 心臓の音がうるさいぐらい耳に響いた。全身が心臓になってしまったのでは? と思いたくなる位鳴り響く鼓動。ペンをつかんでいる右手は先程から震えたままだ。

「マ・・・マジかよ」

 部屋に入ったエーリッヒの目に映ったものは風に髪を乱したユリウスだった。

 その前髪は風に攫われて顔が顕わになっていた。

 エーリッヒの出現に、驚いたように見開かれた双眸。

 それは、鮮血のように赤い、赤い瞳だった。


 あれから3日が経った。

 ユリウスはダービッドと行動をともにして授業を受けていた。何処へ行ってもあの銀髪は人目を惹いたが、ビスク・ドールのような表情は相変わらず張り付いたように変わらなかった。

 ペーターは放課後、新聞部の部室で新理事長就任記事に没頭していて事件のことは忘れかけていた。

 そんな矢先にエーリッヒが古い校内新聞を持って部室に駆け込んできたのだ。

「騒々しいなぁ。箱はちゃんと回収してきたのか。」

「それどころじゃない!! これを見ろ!!」

 資料やら原稿やらが広げられていた机の上を片手で床の上に一斉に落としてエーリッヒは古新聞を広げた。

「これだ!!」

 エーリッヒが指差した記事にペーターは目を通した。

「2年前の冬に起きた殺人事件・・・!?」

 それは、校内で起きた殺人事件の記事だった。

 クリスマス休暇で殆どの生徒が帰省した校内で駐車されていた車の中から死体が発見された。死体は学校の卒業生でミュンヘンの資産家だった男。助手席に座ったまま心臓を撃ち抜かれて即死状態だった。

「遺体は情交中に射殺された形跡があり・・・?」

「今回の事件と酷似してるな」

「ダービッド!!」

 背後から覗くようにして立っていたダービッドにペーターは初めて気付き絶叫した。

「い、いつの間に!! 俺も気付かなかった・・・」

「俺に行けない場所はないぜ、坊やたち」

 エーリッヒの言葉にダービッドは茶化すように笑う。

「それより、その事件は覚えてるぜ」

「本当?」

「あぁ、俺も田舎には帰らず寮でクリスマスを過ごしたからな。朝庭掃除に出た寮監が見つけて気絶したぐらい壮絶な光景だったらしい。まぁ、そのときもアドルフは疑われたがな」

 面白そうに、くすりと生徒会長は笑った。

「アドルフ=エールリヒの愛人だったのか? その男ってのは」

「まぁな。まぁ、やつにはその日完璧なアリバイがあったから結局無罪放免だったけど」

 ペーターはもう一度校内新聞に視線を落とした。

「でも、新聞部もなかったのに良くこれだけ詳しい校内新聞が出てましたね。僕ら1年生だったけど全然知らなかったなぁ」

「それは4年生以上にしか配らなかったからな」

「?」

「その新聞作ったの俺」

「・・・本当ですか?」

「あぁ。ほんとう」

 ダービッドはニッコリ笑った。

 当時生徒会副会長だったダービッドは面白いことがあると新聞を作っては同級生以上の人間に配布したらしい。だから、彼はペーターたちが新聞部を作りたいといったときに積極的に動いてくれたのだ。

「でも、嫌な感じですね。2年前に卒業生が殺されて、次は理事長・・・」

「ダービッド」

 ペーターと話していたダービッドを窓の外を覗いていたエーリッヒが呼んだ。

「どうした?」

「あの人知ってる?」

 エーリッヒの指差す方向をダービッドも覗いた。ついでにペーターも。

 視線の先には神経質そうな男とアドルフが立ち話をしていた。

「あぁ、アドルフの第三の男か」

「まだいるんですか〜?」

 さすがにペーターは呆れた。アドルフの趣味嗜好に反感はあるがここまで来るとさすがに辟易する。

「あの男はおまえたちが入ってくる前に・・・俺が3年のときまでこの学校で教師をしていた。今は何処かの大学の助教授に納まってるぜ。まだここにいた頃にアドルフの毒牙にかかってな。でも、あの様子じゃアドルフは捨てられた側だな」

 ダービッドの言う通り、アドルフは何かしきりに喚いて男に縋っているようだったが、男のほうは迷惑そうに表情を歪めアドルフを振り払った。

「あの男も理事のひとりだ。明日の理事会に出席するために来たんだろう。アドルフも理事長が死んで取り入る男がいないからな。必死なんだろう? 愚かなやつ」

 最後は吐き捨てるような言い方だった。

「なにせ新理事長は校長とは友人のようだし、あれだけ綺麗な息子が毎日傍にいたんじゃアドルフといえども目には入らんさ。ユリウスの容姿はまさに完成され、洗練されているからな」

 ユリウスの名にエーリッヒが弾かれたようにダービッドを見た。

「・・・どうした?」

「え・・・いや、別に・・・」

 箱を回収してくる、と言ってエーリッヒは部室から出て行った。青い顔をして。

「どうしたんだ、あいつ」

「ここのところずっと様子がおかしいんです。さっきもあの新聞持ってきて・・・。なんか僕以上に事件に入れ込んでるみたいなんですよね」

「いつからあいつの様子がおかしくなったと思う?」

 ダービッドの質問にペーターはしばし考え込んだ。

 いつから・・・? いつからエーリッヒの態度が変わった・・・?

「・・・3日前、ユリウスの部屋を出た後エーリッヒがペンを忘れたと言って戻ったでしょう? 1人で」

「あぁ」

「そう言えばあの後、戻ってきてからずっとおかしかった気がします。なんかずっと上の空で、授業も手についてない感じだった」

「ユリウスの部屋で何か見たのか・・・?」

 ダービッドはふと、何気なく呟いた。

 だが、その言葉はエーリッヒの言動に疑問を持っていたペーターに確信をもたらした。

 間違いない、エーリッヒはユリウスの部屋で何か見たのだ。事件に関わる何かを。

 それが、何であるかはこのときの2人には計りかねていたが。


 「ペーター! 起きろっ!! エーリッヒは何処へ行った!!」

 気持ちよく夢を漂っていたペーターは突然の揺れで起こされた。まさか地震! と思い目を開けた瞬間眩しすぎる光に視界を奪われた。

「起きろ、ペーター」

「・・・ダービッド?」

 小声だが、迫力のある声にペーターは改めて目を覚ました。

 何故か生徒会長が懐中電灯でペーターの顔を照らしている。

「どうやって入ったんですか?」

 どうしてここにいるのか、と聞くべきなのだろうがまだ寝ぼけているらしい。ペーターは言ってて自分でそう思った。

「俺は監督生だぞ。各部屋の鍵ぐらい持ってるさ。それよりエーリッヒは何処へ行ったんだ」

「何処って、そこのベッドに・・・えっ!!」

 何気なく指し示したベッドには寝ているはずのエーリッヒが何処にもいなかった。

 4人部屋のこの部屋にはペーターとエーリッヒのほかに2人いるが、その2人は静かに寝息をたてている。

「ちょっと気になって様子を見に来たんだ。ほら、夕方のあいつの様子がちょっと引っかかってな。ベッドが冷たいから多分おまえたちが寝入るのを見計らって出て行ったな」

 ペーターはベッドサイドに置かれていた目覚し時計を手に取った。

 針は午前2時を示している。

「昨夜は11時頃僕が最後にベッドに入ったんです。エーリッヒはその後出て行ったのか・・・。でも、何処に?」

「わからん。だが、校内で何かしに行くにしても2、3時間も帰ってこないのはおかしすぎる。さっきからどうにも胸騒ぎがして目が覚めたんだ。」

「ダービッド・・・何処に行ったか検討つきますか?」

「・・・あぁ。」

 薄暗くてダービッドの表情はペーターには見えなかった。だが、その声は冷静を装っているだけで確実に動揺している。

「僕もエーリッヒが行った場所は見当がつきます。先に先輩の考えた場所に連れて行ってください」

「おまえは何処だと思うんだ?」

 他の2人を起こさないように、囁きあうように会話を交わしながらペーターは着替えてダービッドとともに部屋を出た。

「おそらく・・・エーリッヒはひとりで調べにいったんです。僕に何も言わなかったのは危険性を認識しているから。・・・エーリッヒはそういうやつなんだ」

「俺もそう思う。で? 何処へ向かう」

「理事長の殺された部屋・・・ユリウスの部屋です」


 闇の中に佇む来賓宿舎は一種異様な雰囲気を醸し出していた。

「・・・気味が悪いなぁ」

 ペーターの素直な感想だった。周囲に明かりはなく、幽霊が出てもおかしくない様子だった。

 そう、『銀の亡霊』が出てもおかしくはない。

「足元に気をつけろよ」

 ダービッドの照らす懐中電灯の明かりを頼りに2人は絨毯の敷き詰められた廊下を歩いた。

 来賓宿舎には明後日の理事会に出席するためのメンバーが宿泊していたが、誰一人起きてくる気配はなかった。

 2人は4階にあるユリウスの部屋の扉の前に立った。

「・・・静かですね」

「・・・鍵は・・・かかってないのか?」

 ダービッドがドアノブに手をかけると扉はゆっくり動いた。

 隙間からペーターとダービッドは同時に中を覗く。

 懐中電灯で照らしながら、2人は足音をたてずに中へ入った。

 光に照らされて見えたのは、見覚えのある調度品だった。

「・・・ん?」

 ペーターの足先に何かがあたった。

「ダービッド、ここに何か・・・」

 言われてダービッドが懐中電灯でその場所を照らした。

「なっ!!」

「エーリッヒ!」

 灯りに照らされたのは床にうつ伏せの状態で倒れているエーリッヒだった。

「エーリッヒ!!」

 ペーターが抱き起こし必死に揺すった。だが、エーリッヒは目を開けない。

「おい! 起きろっ! エーリッヒ!!」

 ダービッドはまさに叩き起こす勢いでエーリッヒの両頬に往復ビンタを食らわせた。

「・・・痛ー」

「エーリッヒ!!」

「・・・あれ、ペーター・・・?」 

 ようやく目を覚ましたエーリッヒは自分の置かれている状況を理解できない様子で2人の顔を交互に見た。

「馬鹿野郎! 僕に黙って勝手に調べに行くなよな!! おまえに何かあったら僕はどうすればいいんだよー!!」

 半泣き状態でペーターはエーリッヒに抱きついた。

「・・・悪かった。ごめん」

 子供でもあやすようにエーリッヒはペーターの頭をぽんぽん、と撫でた。

「でも、何でおまえこんなところで気絶してたんだ?」

 ダービッドの質問でエーリッヒはようやく我に返ったらしい。

「そうだ! ユリウスは!?」

 エーリッヒに言われてダービッドは隣の寝室を覗いたが、中はもぬけの殻だった。

「いない・・・」

「見たんだよ、この部屋で・・・。『銀の亡霊』を俺は見たんだ!!」

 3日前、ユリウスのあの眼を見てからエーリッヒはずっと考えていた。

 『銀の亡霊』は銀色の長い髪に、噂では血のような赤い眼をしていると。

 そんな人間この世にいないと思っていた。だが、ユリウスと出会ってエーリッヒの考えは一変した。

 人形のような顔に銀の髪、ルビーを嵌めたような眼。

 この世の存在とはどうしても思えなかった。

 『銀の亡霊』=ユリウス。

 途方もない考えだとは思った。でも、確かめずにはいられなかった。だが、ペーターたちには言えない。危険が大きすぎる。

 だから、エーリッヒは深夜にひとりで調べに来たのだ。自分の推測を打ち砕くために。

「ユリウスが『銀の亡霊』だなんて・・・」

「わかってる。俺も馬鹿なこと考えてるって。でも、俺はそれを否定したいんだ。ユリウスが人殺しなんて思いたくないんだよ。少なくとも、ダービッドや俺たちには笑ってくれていたんだから」

 この3日、ユリウスは確かに人前で笑わなかった。無表情を崩さなかった。けれども、ペーターたちを見て微かに笑ったように見えるときもあった。

「でも・・・この部屋でユリウスの持ち物らしきものを調べていたら・・・後ろから・・・」

 殴られた感触ではなかった。でも、急に意識が遠のき、気付いたらダービッドに叩かれていたのだ。

「・・・もし、エーリッヒの推理が正しければ今夜誰かが死んでるかもしれないぞ、ペーター」

「ダービッド・・・?」

「3日間いて、今日犯行に及んでいるならば今夜初めて来賓宿舎に泊まってる人間が標的である可能性が高い。そして、その人物はただひとりしかいない」

「・・・あっ」

 ペーターはその人物を思い出した。

 夕方アドルフと話していた人物。この学校の元教師。

「あの男が泊まってる部屋は? ダービッド!?」

「2階の一番奥の部屋だ。」

「行こう! 何が目的かわからないけどユリウスが犯しているならば止めなきゃ!!」

 静かに、などと言ってられなかった。

 ペーターたちはユリウスの部屋を飛び出した。

 階段を駆け下り、窓が並ぶ廊下を抜け一番奥の部屋の扉を押し開けた。

「ペーター! 下がれ!!」

 ダービッドがペーターを押しのけて寝室の扉を開けた。

「・・・来るな!」

 駆け寄ろうとしたペーターとエーリッヒをダービッドが一喝した。

 だが、僅かな隙間からペーターとエーリッヒは見てしまった。

 夜空の雲がたなびき、月の光が窓から寝室に差し込んだ。

 白い羽根が床のいたるところに散らばっていた。

 3人は恐る恐るベッドに近付いた。

「あぁ、これは・・・」

 ダービッドはそれ以上言葉を口にしなかった。

 ベッドの上には無残な姿になった裸の遺体が横たわっていた。

 殺され方は理事長と同じ。心臓を撃たれている。

「クッションを防音装置代わりにしたんじゃない。返り血を防ぐために使ったんだな」

 遺体の胸の上だけ、真っ赤に染まった羽根が散らばっていた。おそらく噴きだした血で染まったのだろう。

 ペーターはこみ上げる嘔吐感を必死に堪えた。ただでさえ血が苦手なのだ。こんな無残な光景を目の当たりにして平然といられるわけがない。

 カタ、と扉が開く音がした。

「誰だ!」

 ペーターは思わず音のした方へ走り出した。慌ててエーリッヒとダービッドが後を追う。

「待て!!」

 部屋から出て、廊下をかなりの速さで走り抜けていく白い影をペーターは必死で追いかけた。が、ペーター自身はそれほど足が速いほうではない。

 それでも白い影を見失わないように走り続けた。

 影は階段を上り始め最上階の5階へ向かっているようだった。

「5階の奥は窓があるだけで行き止まりだ!」

 ダービッドがペーターの後ろから叫んだ。

 確かに、5階は物置代わりの屋根裏部屋があるだけで廊下の奥は行き止まりになっていた。

 廊下の角を曲がった影は事実上追い込まれたも同然だった。

「袋のネズミだ! 観念しろっ!!」

 息を切らしたペーターに代わり、エーリッヒとダービッドが影を追って廊下を曲がった。そのときだった。

「ぐはっ!!」

 ドサリ、と何かが倒れる音が板張りの廊下に響いた。

「エーリッヒ! ダービッド!!」

 嫌な予感がしてペーターは2人の許へ駆けた。

「なっ!?」

 2人とも廊下に倒れている。

「・・・っく・・・」

「エーリッヒ! ダービッド!!」

 ペーターは再び2人の名を叫んだ。

 呻いているようだったが、生きている。

 ペーターは顔を上げた。

 その視線の先には窓を開け、こちらに顔を向ける白い影がいた。

 窓から夜風が吹き込み、銀色の髪をなびかせる。上から羽織っている白い夜着の裾がはためいた。

 雲間から現れた月の光が窓から差し込み、その影の顔を顕わにする。

「あぁ・・・」

 ペーターは思わず呻いた。

 そのビスク・ドールのような顔に月光を受け輝いている赤い双眸。

 エーリッヒが見たというユリウスの顔。

「・・・貴方が? なんで、こんなこと・・・」

 エーリッヒが自分の推理を否定したがっていたように、ペーターも同じ気持ちだった。

 恐怖から震える足を何とか動かして、ペーターは『銀の亡霊』に近付いた。

「よ、よせ! ペーター」

 エーリッヒが苦しそうに、それでもペーターを引き留めようとした。

 けれども、ペーターの耳にはそんなエーリッヒの言葉は届かなかった。

「2人・・・いや、3人とも貴方が殺したんですね。来賓宿舎や校内で目撃された『銀の亡霊』・・・それは貴方の長い髪が光ってそう見えたんだ。でも、どうして・・・?」 

 ペーターはようやく歩みを止めた。一応何かあっても対処できるように距離をおいて。

「教えてください。貴方は何者なんですか! ユリウス!!」

「答える必要はない」

 初めて『銀の亡霊』が口を開いた。その声がユリウスと同じかどうかは正直ペーターには判りかねた。記憶に残るほどユリウスの声を聞いたわけではないからだ。

 ペーターは余りの恐怖に逃げたくなるのを押さえながらその赤い双眸を睨みつけた。

 『銀の亡霊』の表情は変わらない。

 無表情のまま、無言で『銀の亡霊』はすっと右腕をペーターに向けて伸ばした。

 その手には鈍く光る消音装置付の銃が握られていた。

 銃口を向けられ、ペーターは生まれて初めて“死”を意識した。

 ・・・来る!

 バスッ、バスッ、という鈍い音が耳に届いた。

 恐る恐る目を開けた。

 ペーターは身動きひとつ出来ず、棒立ちだった。だが、撃たれた感触も形跡もない。

「・・・なんで・・・?」

 思わず背後を振り返ったペーターは驚いた。

 エーリッヒとダービッドがいつの間に起き上がっていたのか、腕を抑えて立っている。

 2人とも腕を抑える手の内側から血が滴るのが見えた。

「・・・外れたよ、弾は。」

 にやっ、とダービッドが笑った。どうやら無事らしい。

 ペーターは再び『銀の亡霊』を睨んだ。

「大人しくしろ。僕らは一部始終知っているんだ! もう逃げられないぞ!!」

 ペーターの言葉を聞いていないのか、無視するように『銀の亡霊』は窓に腰をかけた。

 その表情に、3人は気圧された。

 口許だけに浮かべられた笑み。冷たく凍るような微笑。

「Auf Wiedersehen.」

 銃口が火を噴いた。音もなく。

 同時に『銀の亡霊』は窓から背面で身を投げた。音もなく、まるで無声映画の一場面であるかのように。

 左頬に痛みを感じてペーターはそっと指で触れた。

 指先は赤い血で濡れていた。

 ペーターは全身の力が抜けてしまったように、廊下に座り込んだ。

「大丈夫か」

 エーリッヒの声にペーターは顔を上げた。

「・・・笑ってた・・・」

「あぁ」

「・・・亡霊なんかじゃない・・・。・・・悪魔だ」

 ペーターの両眼から涙が溢れた。恐怖から解放されて緊張の糸が切れたらしい。

 あの血に濡れたかのような双眸をペーターは思い出した。

 この世に悪魔が存在するならば、きっとそれは全身真っ白に違いない。

 きっと美しすぎる容姿をまとって、月夜を彷徨うのだ。

 エーリッヒとダービッドに両脇を支えられペーターは腰を上げて歩き出した。

 散々叫んでいたせいだろう、階下は大騒ぎになっていた。

「おまえたち!!」 

 階段で2階まで降りたところで3人は初めてそこにゲオルグ=シュナイダーがいることを知った。

「叔父さんがなんでここに?」

「・・・警視」

 それだけ呟くとペーターは崩れた。

 遠くで誰かが名前を呼んでいる、と僅かに認識しながらゆっくり意識を手放した。


 銀色の光が視界にちらついた。

 その瞬間ペーターは飛び起きた。

「・・・ここは・・・?」

 自分の部屋ではなかった。真っ白のベッドは少し消毒液臭い。

「医務室だ。」

 傍から聞こえた声にペーターは顔を向けた。

 エーリッヒが疲れきった表情で椅子に座っている。どうやらペーターの傍にずっといたらしい。

「・・・夢じゃなかったんだな」

 エーリッヒの腕に巻かれた包帯を見てペーターはそう呟いた。自分の左頬にもガーゼが張られている。

「夢だったら良かったんだけどな。」

「そう言えばシュナイダー警視を見たような気がするんだけど・・・」

 言いかけたところで扉が開き、ダービッドが現れた。彼の右腕にも包帯が巻かれている。

「ダービッド」

「目覚めたか? 無事でよかった」

「何処に行っていたんですか?」

「話を聞かせてもらっていたんだよ、ペーター」

 ダービッドの後ろから入ってきたのはゲオルグ=シュナイダーだった。

 彼はペーターのベッド脇に腰を落とした。

「災難だったな、ペーター。」

「・・・すみません、僕らのせいで騒ぎが大きくなったんですね」

「気にするな。何があったのかはダービッドから聞いた。連続殺人犯を追いかけるなんて無茶なことをして、生きてるだけでも不思議なぐらいだぞ」

「それで叔父さん、ユリウスのほうはどうだった?」

 エーリッヒは何か焦るようにゲオルグに問いた。

「・・・待ってよ、エーリッヒ。どうなってるのか僕にはさっぱりわからないよ」

 ペーターが失神しているうちにどうやら事態は進展を見せていたようだ。

 ダービッドはペーターにわかり易く説明を始めた。

 『銀の亡霊』に発砲された後、追う事も出来ず、ようやく階下に降りてきたペーターはゲオルグの顔を見て失神した。エーリッヒとダービッドはさすがに気を失うことはなかったが、ゲオルグに言われてまず医務室にきたこと。

 その間に現場捜査をしたゲオルグに話をし、彼はダービッドたちの証言の裏を取るためにアーレンマイヤー伯爵と息子ユリウスに会った。

「おまえたちはその『銀の亡霊』がユリウスではないかと疑っていたが、父親のアーレンマイヤー伯は『息子は私の部屋にいた』と言っているんだ。息子は息子でこっちが質問しても見ようともせず黙ったまま、ようやく喋ったかと思えば『父の言う通りです』の一点張りだ。」

 アーレンマイヤー伯爵は息子が疑われていると知って憤慨するわけでもなく、むしろ笑い飛ばしたらしい。おそらくゲオルグの言ったことを本気にしてなかったのだろう。

「遺体は確かに理事のひとり・・・おまえたちが言ってたこの学校の元教師だった。死亡したのは午前1時から3時の間。心臓に一発喰らって即死だ。おまえたちの見た人影がユリウス=アルフォルトでない以上我々は犯人は逃亡したと見るしかない」

「何故です!?」

 ゲオルグの言葉は余りにも意外だった。ペーターには彼が既に捜査を放棄したように聞こえたからだ。

「上層部からお達しがあってな。捜査は犯人逃亡のまま打ち切りだ。理事会から圧力がかかったんだろう。3人も校内で死んだんだ。学校としては外聞が悪かろうからな。さっさと忘れたいのさ」

 ゲオルグ自身、上からの圧力に屈したいわけではない。だが、警察官である以上命令には逆らえない。釈然としなくてもこの事件には終止符が打たれたのだ。様々な権力によって。

「もう無茶はするんじゃないぞ。お大事にな、ペーター」と言ってゲオルグは医務室から出て行った。しばらくして医務室の窓から警察が撤収していく様が見えた。

 もちろん、ペーターたちも納得できるわけがない。なのに、絶対権力は強制的に事件を忘れさせようとしている。

 犯人がユリウスでないのなら、他に誰がいると?

 銀色の長髪、赤い双眸、透き通るような白い肌、生きた人形のような容姿。

 きっと、いずれ学校内からもこの事件は忘れ去られるのであろう。

 ユリウスが再び校門をくぐる日まで。

「・・・なんで、人が殺せるのかなぁ」

 ペーターは月光を浴びたあの冷笑を思い出した。感情の欠片もなかった表情。赤い瞳に映っていたものは虚無だった。  

「殺しにも動機があるさ。ただ・・・」

 ダービッドは窓を開けた。爽やかな風がダービッドの黒い前髪を攫う。

「ただ、金のために殺すやつもいる。殺しを楽しんでるやつもいる。暗殺者ってのはそういう部類だ」

「暗殺者・・・暗殺者・・・?」

 エーリッヒが何度か同じ言葉を繰り返した。

「エーリッヒ?」

 何か考え込むエーリッヒにペーターは気遣うように声をかけた。

「・・・前に叔父さんから聞いたことがあるんだ。随分昔に・・・叔父さんがまだ若かった頃に大物政治家が暗殺された事件が起きて、叔父さんが捜査の陣頭指揮をとったんだ。その時捜査線上に浮かんだのが『北の悪魔』と呼ばれるヨーロッパで・・・いや、世界中から恐れられている暗殺者だったって。」

「『北の悪魔』・・・?」

「そう。銀髪に赤い眼。眼以外全部真っ白な容姿の男で、犯人逮捕がされていない未解決の暗殺事件は全てこの男の犯行じゃないかと言われるぐらいの凄腕なんだ。」

「まさに“超A級”というやつだな」

 ダービッドの意見にエーリッヒは頷いた。

「銀髪に赤い瞳・・・まさか」

「ペーター、おまえが考えていることは間違ってるぞ」

 ダービッドがペーターの考えを聞きもせずに真っ向から否定した。

「俺もその『北の悪魔』の話をシュナイダー警視から聞いたことがある。銀の髪に赤い瞳という外見の情報だけで警察のブラック・リストには顔写真の一枚もないそうだ。情報部クラスなら詳細な資料があるかもしれないけどな。」

「僕の考えが間違っているというのは?」

「・・・俺たちの前に現れた『銀の亡霊』が『北の悪魔』でない理由は一つ。・・・彼は5、6年前に死んでいる。」

「え・・・?」

 ダービッドはゆっくり溜息をついた。

「正確に言えば、『北の悪魔』が一切表舞台に現れなくなったのが6年前。5年前にはダーク・サイドの人間ですら・・・わかるか? ダーク・サイドってのは・・・」

「裏で情報を売ったり、武器を売ったり暗殺者や傭兵をやったり仲介する人間だろう?」

「その通りだ、エーリッヒ。」

 エーリッヒの回答にダービッドは少し微笑んで頷いた。

「そう、そのダーク・サイドの人間まで消息を得ることが出来なくなったのが5年前。以来彼の犯行と思われる事件は一切無くなった。」

「代わりにここ2年ぐらいでまた暗殺が増えたらしいぜ」

 エーリッヒはコップに注いだ水をペーターに手渡した。目を覚ましてから何も口にしなかったせいかペーターの喉はすっかり渇いていた。「Danke.」と一言言ってからペーターは一気に水を流し込んだ。

「叔父さんが言うには『北の悪魔』の手口とは少し違うんだけど、明らかに大物を狙った暗殺事件に共通点があるって言っていた。それが何かまでは教えてくれなかったけど・・・。」

「とにかく」

 ダービッドが座っていたベッドサイドから腰を上げた。

「この事件はもう終わったんだ。これ以上推理しても無駄だ。犯人はあらゆる力によって完全に消滅したんだからな」

「そうですね・・・」

 ペーターもダービッドの言わんとすることはわかっていた。警察が手を引いてしまった以上事件解決は決して得られない。そして、エーリッヒが一緒にいる以上余計なことをすればゲオルグ=シュナイダーに迷惑がかかるのは必至だ。

「きっと、ユリウスが編入してきたらまた何かわかるかもしれないですね」

「・・・そうだな。」

「俺たちの推理は俺たちの手で否定したんだよな。ユリウス=『銀の亡霊』という公式を」

「彼ら親子を信じるならば・・・な」

 ダービッドは少し皮肉っぽく笑った。

 全ては闇の中に葬られたのかもしれない。

 だが、まだ13歳のペーターとエーリッヒにはどうすることも出来なかった。

「僕、絶対にジャーナリストになるよ。」

 ペーターは真っ直ぐエーリッヒの目を見た。

「真実がそこにある限り、僕は真実を書き続ける」

「・・俺もだ。俺も必ずなってみせる。ジャーナリストにな。・・・長い付き合いになるかもな、俺たち」

 2人は互いに顔を見合わせてくすりと笑った。

 それはまだ、ただの予感に過ぎなかった。でも、きっと実現出来る。

 彼らにはその力があるのだ。

「じゃ、おまえらには俺が特別情報を流してやるよ」

「?」

「言わなかったっけ? 俺将来シュナイダー警視みたいな刑事になるから」

 ダービッドがさも当然のように言ってのけた。

「ほ、本気ですか!?」

「まさか、そのためにうちの叔父貴と仲が良いとか言わないだろうな!?」

「さぁて、そろそろ寮に戻るか」

「おいっ! まだ話し終わってないぞ!! ダービッド―――!!」

 賑やかに、騒ぎながらエーリッヒとダービッドは医務室から出て行った。遠くで医務室担当看護婦の怒鳴り声が聞こえてきて、ペーターはクスクスと笑った。

 また、明日にはいつもの日常が始まる。

 ユリウスと再会できるまではきっと今の日常が続く。

 何事もなかったかのように。

 今はまだ、それでいいと思う。

 それが、一番なのだ。


 事件から3ヵ月後、老朽化を理由に来賓宿舎は取り壊しが決定し新たに建設されることとなった。

 1年後には新宿舎も完成し馬鹿馬鹿しいほど派手な式典も行われた。その時再び理事長が代わったことをペーターたちは初めて知った。

 ダービッドは2年連続で生徒会長と監督生を務める快挙を成し遂げた。

 アドルフ=エールリヒはあの事件以来すっかり大人しくなってしまい、監督生の任も降りたという。

 ペーターとエーリッヒは4年生となり、相変わらず新聞部の部室で校内新聞の記事に追われていた。

 ユリウス ――― ユリウス=アルフォルト=フォン=アーレンマイヤーがこの学校の門をくぐることは二度となかった。

 不審に思ったダービッドがゲオルグ=シュナイダーに頼み込んでアーレンマイヤー家を調べてもらったところ、アーレンマイヤー伯爵家は既に長男リヒャルト=アウグストが継いでおり、ルートビッヒ=ヴィクトールの行方はついにわからず終いだった。

 もっと驚くべきことは、二男ユリウスは戸籍上では7歳のときに死亡届が出されていたという。

 その事実を知ってペーターは妙に納得している自分に驚いた。

 ユリウスは本当ならこの世に存在ない。

 彼は、もしかしたら儚い幻だったのかもしれない。

 思い出すのは微かに笑ったあの表情。  

 事実が真実とは限らない。

 きっといつかユリウスとは再び会える。そんな予感がペーターには確かに存在していた。

 きっと、いつか・・・。

 

 <了>

主人公のモデルになってくれた友人に感謝です。

友人がいなければ、これほど自由に動いてくれる脇役も生まれていません(笑)

次回作も徒然に自由に書いていきたいと思います。

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